第2192話
カオノラと共にゾラックの部屋から出たレイは、大部屋の中にいた一人に会いに行く。
「あ、カオノラさん。それとレイさんも……僕はラザリアです。レイさんの行きたい場所には僕が案内しますので、よろしくお願いしますね」
二人の顔を見てそう頭を下げてきたラザリアというのは、十代後半くらいの女だった。
僕という一人称に少しだけ驚いたレイだったが、その言葉に頷いて口を開く。
「色々と大変だろうけど、よろしく頼む」
スラム街で自分と一緒に行動するのが女だというのは、それこそ敵対している組織にしてみればありがたいことなのではないか。
そんな風に思わないでもなかったが、ゾラックが自分の身を守ることは出来ると、そう言っていたのを思い出して口には出さない。
もし自分の身を自分で守れるだけの実力があるのなら、ここで何かを言っても向こうを不愉快にさせるだけだろうと、そう思って。
「はい。僕に出来ることは精一杯やらせて貰います。……それで、どうします? すぐに行きますか?」
「行く場所は分かってるのか?」
「はい。カオノラさんから聞かされてますので。……今回の事情を考えれば、少しでも早く移動した方がいいと思いまして」
この言葉を信じてもいいのか? と、そう視線を向けるレイに、カオノラは頷く。
「ラザリアさんは、それなりに強い方です。また、今回の事情についてもそれなりに知ってますので、特に心配する必要はないかと」
「そうか。カオノラが保証するのなら、ラザリアに任せる」
ゾラックが深く信頼するカオノラだけに、そのカオノラが言うのであれば……と、そうレイも納得する。
そんなレイの言葉に、カオノラは嬉しそうに頭を下げた。
カオノラにしてみれば、今回の一件は自分の言葉というよりも、上司たるゾラックの言葉が信じられたということなのだが、それでもカオノラにとっては十分に嬉しいことだった。
……その嬉しさの中には、レイという人物との繋がりを作ることが出来たというのも、あったのだが。
「分かった。なら、すぐに出発するから準備してきてくれ」
「はい。では、アジトの前で待っていて下さい。僕も準備をしてすぐに行きますので」
そう告げ、ラザリアは頭を下げるとレイの前から走り去る。
そんなラザリアの様子を眺めていたレイは、カオノラに向かって話し掛ける。
「じゃあ、俺は表でラザリアを待ってるよ。……今回は色々と助かった。ゾラックにも礼を言っておいてくれ」
「分かりました。とはいえ、レイさんがあの手紙を持ってきた時点でこのようなことになるというのは、想像してましたが」
「……だろうな」
レイとしても、ゾラックの態度を考えるとその言葉には素直に同意することしか出来ない。
手紙を持たせてくれたマリーナを、姉や母のような存在として慕っているというのは、ゾラックを見ればすぐに分かった。……もっとも、ゾラックもそれを特に隠そうとはしていなかったようだったが。
(やっぱり、ハーフエルフだというのが、関係してるのか?)
レイが知ってる限り、この世界では必ずしもハーフエルフだからといって嫌悪されている訳ではない。
だが、それはあくまでもそのハーフエルフが産まれた地域、もしくは家によって変わってくるものだ。
そしてマリーナをあれ程に――女ではなく母や姉として――慕っているのを見れば、ゾラックがどのような場所で育ったのかを想像するのは難しい話ではない。
……最大の問題としては、自分からマリーナを奪った男として認識されるのは、レイとしては正直どうかと思わないでもなかったのだが。
「ともあれ、ゾラックさんは優秀な人です。黒犬をここまで率いてきたのも、ゾラックさんだからこそでしょうし。……それに、ゾラックさんがいなければ、私も含めて多くの者がどうなっていたことか」
そう告げるカオノラの表情には、一瞬だけだが暗い色が浮かぶ。
具体的に何がどうなってそうなったのかは、レイにも分からない。
だが、今のカオノラの様子を見る限りでは、そこには間違いなく何らかの事情があるのだろうということくらいは予想出来た。
……もっとも、それを実際に口に出すような真似は、レイもするつもりはなかったが。
「そうか。なら、俺は建物の外でラザリアを待ってるよ」
「あ、はい、その、気をつけて下さいね。相手はレイさんを暗殺しようとしている組織です。そんな組織に乗り込んでいくんですから……」
普通なら、そのような無謀な真似をしようとする者がいれば間違いなく止める。
だが、そのような行為をしようとしているのがレイだからこそ、カオノラも止めるような真似はしないのだ。
レイがどれだけの実力を持っているかというのは、それこそ少しでもギルムの事情について詳しければ知っているのだから。
……もっとも、レイを狙っている新興の――あくまでもギルムではという意味だが――組織は、それを知った上で行動を起こしているという点で、カオノラから見れば自殺行為にしか思えない。
これまでレイと敵対して壊滅的な被害を受けてきた組織を幾つも知ってるが故の、そんな思いだった。
(向こうも後がないとはいえ……不運ですね。最初からギルムの組織に話を通せばよかったものを)
今回レイを襲っているのは、あくまでも実力で生き残った新興の組織だ。
最初からギルムの組織に話を通してあった組織は、その中には入っていない。
自分達の実力なら、何があっても問題ないと判断して根回しをせずにギルムに来たのか、もしくは根回しをしようとして断られたのか。
ギルムの組織にしても、何の見返りもなく相手の後ろ盾になったり、手を貸したりといったようなことはしない。
今の状況を思えば、もしかしたら相手への見返りが少なかった組織というのもあるのだろう。
カオノラは、去って行くレイの背中を見ながらそんな風に考えるのだった。
「お待たせしました!」
レイが建物の外に出て、セトを構っていること、十分程。
外行きの動きやすい格好に着替えたラザリアが建物から出て来る。
……なお、レイが外に出た時には、建物を守っている筈の護衛達の何人かが、セトを撫でたりしていた。
レイとセトがこの建物にやって来た時はセトの存在に酷く怯えていたというのに、レイが建物の中にいた時間に、護衛達はセトを恐れなくなった……どころか、可愛がりたくなったらしい。
セトを撫でている光景をレイに見られた時は、護衛達の動きが固まってしまったが……レイは見て見ぬ振りをすることにした。
そもそもの話、セトが誰かに可愛がられているというのはレイにとって珍しい話ではない。
スラム街ではなく普通の場所を移動している時であれば、それこそここにいる護衛達よりも強面の男であっても、普通にセトを撫でたりする。
そう思えば、この護衛達がセトを撫でるというのはそこまで気にするようなことではない。
とはいえ、それはあくまでもレイの感想でしかない。
実際にセトを撫でていた護衛にしてみれば、自分のそんな光景を見られたことで恥ずかしく思ってもおかしくはなかった。
そんな訳で、レイと護衛たちの間で微妙な雰囲気になっている中、ラザリアがやってきたのだ。
護衛達にしてみれば、この空気をどうにか出来るという思いからラザリアは歓迎すべき相手だろう。
……それと、レイがいなくなってくれるというのも、この場合は非常に助かるのは間違いない。
「そうか。じゃあ、行くか。……セト、準備はいいな?」
「グルゥ!」
レイの声に、セトは大丈夫! と喉を鳴らす。
そんなセトの姿に、ラザリアは一瞬驚くものの……セトの円らな瞳を向けられると、あっという間に恐怖心はなくなる。
レイがセトというグリフォンを従魔にしているというのを、前もって知っていたというのも、この場合は大きいだろう。
「えっと、その……よろしくね。僕はラザリア」
「グルルゥ」
よろしくと喉を鳴らすセト。
そんな一人と一匹の挨拶を見ながら、レイはラザリアという名前について考える。
(ラザニアみたいで美味そうな名前だよな。あ、ちょっと食べたくなってきた)
日本では田舎に住んでいるレイだったが、それでも食堂やレストラン、ファミレスといったような場所は幾つかある。
そのような場所に食べに行った時、何度かラザニアを食べた経験があった。
驚く程に美味いという訳でもなかったが、美味いと思ったのは間違いない。
それだけに、出来ればこの世界でも同じような料理を食べたいのだが……
(作り方が全く分からないんだよな)
ピザや肉まん、うどんといった料理を広げてきたレイだったが、それはあくまでも軽くではあっても作り方を知っていたから出来たことだ。
だが、ラザニアに関しては作り方を知らない。
トマトと挽肉と何らかの香辛料を使えばミートソースになり、牛乳と小麦粉を使えばホワイトソースになるといったような知識はあるのだが、それだけだ。
また、ラザニアに使うパスタも、当然のようにレイは作り方を知らない。
うどんと中華麺の違いはかん水の有無だというのは知っていたが、パスタがどのように作られているのかは、レイは当然知らなかった。
乾燥パスタとレトルトのソースを使ってパスタを作ったことはあったのだが、言ってみればそれだけだ。
(あ、でもうどんを使えば出来るか……? 出来る、か? 出来るといいなぁ……)
とはいえ、うどん入りのラザニアというのはレイにとってもあまり食べてみたいものではない。
この世界でラザニアを作る時にうどんの生地を使えば、この世界ではラザニアはうどんの生地で作る料理と認識されるのだろうが。
「レイさん? どうしました?」
レイがラザニアについて考えている間に、セトとラザリアの挨拶は終わったらしい。
「いや、今日の夕食は何を食べようかと思ってな」
「……余裕ですね」
てっきりこれからの戦いについて考えていたのかと思いきや、実は夕食について考えていたと言われれば、それで驚くなという方が無理だろう。
ある程度の力があるラザリアですら、これから裏の組織……それも自分達とは全く関わってこなかった、新興の組織のアジトに行くということで緊張していたのだが。
「敵が今まで送ってきた暗殺者は、その殆どがそこまで強いとは思わなかった。当然組織の方でも腕利きの暗殺者を送ってそれなんだから、普通に戦った上でというのを考えると、そっちはそこまで心配してないな」
そう思いながらも、風船のような体型をしているダーブは別だが、とレイは心の中で続ける。
仮にもセトと互角に渡り合うだけの実力の持ち主だけに、戦う際にも相応に注意する必要があった。
とはいえ、それは警戒すべき相手はダーブのみであるということを意味している。
……もっとも、まだレイの前に現れていない強い暗殺者がいないとも限らないのだが。
(あ、それと催眠術か洗脳か分からないけど、スラム街で襲ってきた奴もいるな)
正面から戦うのではなく、周囲にいる者を使って攻撃してくる敵。
そのような戦い方をする相手は、レイとしても厄介なのは間違いない。
ラザリアと一緒にいる今だからこそ、そのような相手が特に厄介なのだ。
「取りあえず、ラザリアは俺を敵のアジトに案内することと、自分の身を守ることだけを考えておけばいい。……まずないと思うけど、俺を手助けしようとして敵のアジトに攻め込むなんて真似はするなよ?」
「当然です。僕も自分の実力は理解してますから」
正確に自分の実力を知っている相手というのは、例えその実力が高くなくても信頼出来る。
自分の実力を過信して調子に乗り、結果として敵に捕まってレイの足手纏いになるといったことがないのだから。
「そうしてくれると、俺も助かる。なぁ?」
「グルゥ?」
レイの言葉に、何? と首を傾げるセト。
レイがラザリアと話している間、暇だったのかセトは再び護衛の者達と遊んでいた。
強面の護衛がセトを撫でて嬉しそうにしているのは、ある意味かなり異常と言ってもいい。
それこそ今の状況を思えば、正直なところそのようなことをしていていいのか? とレイは思わず突っ込みたくなる。
ここは黒犬のアジトなのだから、護衛もしっかりここを守る必要があるだろうに、と。
あるいは、レイとセトがここにいる以上は護衛など必要ないと、そう思っているのかもしれないが。
「ともあれ、いつまでもここにいるのは色々と不味い。そろそろ行くとするか」
「分かりました」
レイの言葉にラザリアが頷き、それを察したセトも護衛と遊ぶのを止めてレイの方に歩いてくる。
こうして、二人と一匹は裏の組織を複数潰す為に、スラム街を進むのだった。
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