第2161話
アナスタシアとファナがマリーナの家に泊まった翌日……朝食を終えた後、レイはセトとアナスタシア、ファナを連れて、トレントの森に向かった。
……尚、朝食の時にレイとエレーナの間の空気が若干ぎこちない、もしくは甘酸っぱい雰囲気があったのは、多くの者が感じていたが、それを指摘する者はいなかった。
ビューネは雰囲気がおかしいというのは分かっていたが、その理由は分からない。
まだ恋愛に関しての感情は発達していないのだろう。
それ以外の事情を知っている者達は、レイとエレーナに生温い視線を向けていたが。
アナスタシアとファナも最初は事情が分からなかったが、それでも朝食の時間を一緒にすごせば、その理由は理解したのだろう。
アナスタシアは他の面々と一緒にレイとエレーナに生温い視線を向け、ファナはその人見知りぶりからか、特にレイやエレーナに何かをしたりはしなかった。
「それにしても、レイもやるわね。まさか、あんな美人と……」
「好奇心旺盛なのはいいけど、研究の方もしっかりやってくれよ」
ギルムの街中なので、ウィスプといった名称を直接は口にしなかったが、それでもレイの言いたいことは理解したのだろう。アナスタシアは任せなさいと、自信に満ちた笑みを浮かべる。
「ファナもいるから、それなりにどうにかなりそうだしね」
「頑張ります」
一つのことに集中すると、完全にそれ以外のことに全く注意がいかなくなるアナスタシアだったが、ファナはそんなアナスタシアを我に返らせる……もしくは、こちらの世界に戻す役割を任されていた。
ファナにとっては、アナスタシアがどのような性格をしているのかというのは、それこそ以前からの知り合いだけに十分承知していた。
だからこそ、今のこの状況を考えると、アナスタシアの助手としてしっかり世話をしなくてはと、そう思い込む。
……当然の話だが、アナスタシアから話を聞いていたウィスプについても強い興味を持ってはいるのだが。
異世界からの様々な物や者をこの世界に転移させることが出来る能力を持つウィスプ。
最初にその話を聞いた時は、尊敬するアナスタシアの言葉であっても素直に信じることは出来なかった。
仮面の下で疑惑の視線を向けたのだが、それはアナスタシアにあっさりと見破られ、軽く叱られてしまい、そんなアナスタシアを見て、それでようやくそのようなウィスプが本当に存在すると、そう認識したのだ。
勿論、実際に自分の目で見てみないと確信出来ないのは、間違いなかったが。
そんな訳で、一行は会話をしながらギルムから出ると、トレントの森に向かっていた。
……ただし、セトの背に乗って走るのではなく、歩いてだが。
セトの大きさを考えれば、レイ、アナスタシア、ファナの三人が纏めて乗るといったことは出来なくもない。
実際に最初はそうしようかとも思ったのだが……ファナがセトの走る速度に耐えられなかった。
正確には速度に身体がついてかないということではなく、セトの走る速度が速すぎてファナがその恐怖に耐えられなかったのだ。
レイとしては、セトに乗って走ったり飛んだりというのは、それこ今まで数え切れない程にやって来たし、ゼパイル達に作られた身体だというのも影響しているのか、その辺はレイにも分からない。分からないが、取りあえず問題がないので、レイは特に気にした様子もない。
ともあれ、今はゆっくりと三人と一匹で歩きながらトレントの森に向かっていた。
「たまには、こうしてゆっくりと歩いて移動するのも悪くないな」
「グルゥ?」
レイの言葉に、セトはそう? と首を傾げる。
……首を傾げながらも、少し離れた場所に咲いている黄色い花が気になるのか、そちらに向かって近づいていく。
レイの言葉に特に賛成をしているようには見えなかったセトだったが、こうして見る限りでは、間違いなく歩いて移動する……そう、散歩を楽しんでいるようにレイには思えた。
「そうね。悪くはないと思うけど、私は早く研究をしたいわ。検査器具の類も、ある程度は持ってきたし」
もどかしそうな様子で、アナスタシアはそう告げる。
レイのミスティリングには、現在アナスタシアが夕暮れの小麦亭にある自分の部屋から持ってきた、各種検査器具の類が入っている。
とはいえ、アナスタシアは別に何らかの調査をする為にギルムに来た訳ではないので、持ってきた検査器具も簡易的で持ち運びに便利な物が殆どだったが。
それで足りない分は、ファナが自分の家から持ってきた検査器具を提供しており、当然のようにそちらもミスティリングの中に入っている。
「そう言うなって。ほら、もうトレントの森が見えてきたし、あれを見ながらでも色々と考えることはあるんじゃないか?」
「そう? まぁ、珍しいと言えば珍しいけど。……でも、考えてみればトレントの森の地下にウィスプがいたということは、もしかしたらこのトレントの森も異世界の存在なのかもしれないわね」
「あー……可能性はあるけど、どうだろうな」
アナスタシアの予想に、同意するような、違うと言いたいような、微妙な表情でレイは告げる。
このトレントの森の一件に直接関わった立場だからこそ、レイはアナスタシアの予想が完全に間違っているとは思えなかった。
「このトレントの森で出て来たモンスターは、普通に魔石を持っていた。……勿論、ゾゾ達の世界のモンスターには魔石があるって話だったから、必ずしもどうこうとは言えないけど」
あのウィスプが、幾つの世界から召喚出来るかというのは、まだ詳しく分かっていない。
現在分かっているだけで、ゾゾ達がいた世界、そして魔石を持たないモンスターが存在する湖のあった世界。
この二つの世界だけだが、それ以外の世界からも召喚出来る可能性はあり、そのような世界からトレントの森を召喚したという可能性は、決して間違ってはいない。
「任せておいて。その辺りもしっかりと調査するから。うーん、こうして考えるとやっぱりギルムにやって来てよかったわね。あのスケベ親父に感謝してもいいくらいに」
「……スケベ親父?」
アナスタシアの言葉に、レイは疑問を抱く。
とはいえ、アナスタシアの言葉から、そのスケベ親父とやらが原因でギルムに来たというのは予想出来たし、同時に納得も出来た。
アナスタシアは知的な美人だ。
そんな美人だけに、地位や財産、それ以外にも様々なものを利用してお近づきになりたい……もっと具体的に言えば、抱きたいと思う者が出て来てもおかしくはない。
もっともその美人さとは裏腹に、胸は大平原と呼ぶに相応しい状況なのだが。
しかしアナスタシアのような美人を抱けるのであれば、胸の有無は気にしないという者も多いだろう。
「王都でちょっとあったのよ。とにかくそのおかげで、こうして素晴らしい研究対象に出会えたんだから、不思議なものよね」
そんな風に言いながら歩いていると、ようやく一行はトレントの森に到着する。
昨日と同じく、樵や冒険者と遭遇しないようにしながらその中央部分に向かい……
「うわぁ」
地下空間への入り口が露わにされると、ファナの口から驚きの声が上がる。
ファナにしてみれば、このような光景を自分が見ることになるとは思ってもいなかったのだろう。
レイにとっては、もう慣れてしまった光景ではある。
アナスタシアにしてみれば、若干慣れはしたが、それでもマリーナの精霊魔法の技量には驚くばかりだ。
昨日マリーナと話したことで、色々と気が付いたことがあった。
それこそ、目から鱗といったような状況で。
少なくても、アナスタシア本人は精霊魔法の技量が上がったと、間違いなくそう思えるだけの手応えがあった。
「これ、中に入るんですよね? 本当に大丈夫ですか?」
「グルルルゥ」
「ひゃあ」
ファナの言葉に答えたのは、何故かレイでもアナスタシアでもなくセト。
……入り口や通路の狭さから、セトは地下空間に行ったことはない。
だがそれでも、セトはレイが何度も中に入ってるから大丈夫と、そう鳴き声で示す。
残念ながら、ファナはセトの鳴き声の意味を理解は出来なかったが。
寧ろ怖がって悲鳴を上げる。
そんなファナの様子に、アナスタシアは若干の呆れを込めて口を開く。
「ほら、行くわよ。今日はこれから色々と忙しくなるんだからね。ここで無駄な時間を使う訳にはいかないよ」
「きゃっ、わ、分かりました。分かりましたから、引っ張らないで下さい」
ファナの手を引っ張り、アナスタシアの姿は地下通路に消えていく。
それを見ていたセトは、ファナに怖がられた件や、何よりも自分だけがここに残らなければならないことで、残念そうに喉を鳴らす。
レイはそんなセトを励ますように撫でると、地下通路に入っていくのだった。
「うわぁ、うわぁ、うわぁ、うわぁ」
レイが地下空間に到着すると、ファナがまるで壊れたレコードのように地下空間の中を行ったり来たりしながら呟いていた。……もっとも、レイは壊れたも何も、レコードを聴いたことがないのだが。
「どうやら、随分と喜んで貰えたみたいだな」
「あ」
嬉しそうに走り回っていたファナは、レイの言葉で我に返る。
今の自分が一体何をしていたのかというのを、はっきりと理解してしまったのだ。
「えっと、その……はい。こんな場所は初めて見ましたし、あんなウィスプも初めて見たので」
照れ臭そうな声を発しながら告げるファナ。
恐らく顔を赤く染めているのだろうというのは予想出来たが、仮面を被っている今の状況では、それを確認することは出来ない。
「それで、アナスタシアは……いや、聞くまでもないか」
ウィスプの方に視線を向ければ、そこにはじっとウィスプを観察しているアナスタシアの姿がある。
かなり集中しているのは、それこそアナスタシアのことをそれ程知らないレイであっても、すぐに分かった。
だが……と、ふとした疑問を抱く。
昨日もじっとウィスプを観察していたのに、ここでまた観察するのに意味はあるのかと。
レイが見た限りでは、ウィスプは昨日とどこか変わったようには思えない。
だというのに、アナスタシアはじっと……それこそ、視線でウィスプに穴が空いてもおかしくはない様子で見つめている。
「ファナ、そろそろアナスタシアに声を掛けた方がいいんじゃないか?」
「いえ、あのくらいならまだ大丈夫です。声を掛けてこちらの世界に戻すのは、もっと時間が経ってからになります」
「そうなのか?」
レイにしてみれば、とても信じられないことではあった。
だが、アナスタシアと親しいファナがそう言うのであれば、その言葉には納得するしかない。
ファナの様子を見ても、仮面を被っているので表情は分からない。
ファナの方がアナスタシアについては詳しいのだから、レイがここで何かを言うよりも、ファナに任せておいた方がいいのは間違いなかった。
(なら、俺はちょっと周囲の様子でも……増えてるな)
増えていると表現したのは、何故かレイだけに分かる魔力の存在。
アナスタシアが来るからということで、グリムのやっている実験を見つからないようにして貰っているのだが、何故かレイはそれを見つけることが出来た。
その見つけることが出来た魔力の数が、昨日来た時に比べて間違いなく多くなっているのだ。
(うわぁ……グリム、ここぞとばかりに……見つからないといいんだけどな)
地面にある魔力の数の多さを考えると、それこそアナスタシアやファナに見つからないかと不安になる。
マジックアイテムや宝石といったようなグリムが置いている物は、あくまでも見えなくしているだけであって、実際にそこに存在しているのだ。
であれば、もし何らかの偶然でそこにある物に触れてしまえば、見えなくてもそこに何かがあると知られてしまう可能性は十分にあった。
何かがあるとファナが知ればアナスタシアに当然のように知らせるだろう。
そしてアナスタシアがそれを知れば、これもまた当然のようにそれを拾ったりといったことをする筈だった。
(グリムに、危険だって言った方がいいのか? いや、そもそもの話、グリムだってそのくらいのことは当然予想している筈だろうし)
あるいは、グリムはアナスタシア達が地面の上に置かれている様々な物に気が付くのを前提として、置いているのではないか。
ふと、レイはそんな風に思う。
とはいえ、それが何を狙ってのことなのか分からない以上、レイとしても自分の予想――というか思いつき――が当たっているかどうかは、分からなかったが。
「アナスタシアさん、アナスタシアさん」
レイがグリムについて考えている間に、ファナから見てアナスタシアの集中力が限界に達したのだろう。
声を掛けて我に戻している様子が、レイの目に入ってきた。
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