第2159話

「あら、新しい人がいるわね」


 マリーナの家の中庭で会話をしていたレイは、その声のした方に視線を向ける。

 そこにいたのは、レイが予想した通りの人物……マリーナだった。

 いつものようにとても普段着にするのには向いていないようなパーティドレスを身に纏っている姿は、マリーナらしいと言えるだろう。

 テーブルに座っていたレイは、そんなマリーナに軽く手を振って挨拶をする。


「いらっしゃい。それで?」


 アナスタシアに軽く声を掛けたマリーナは、レイの隣に座る。

 そんなマリーナに、レイはミスティリングから冷たい果実水を取り出して渡す。


「んー……美味しいわね。仕事終わりの一杯はやっぱりこれね。……さて、それでそっちは?」

「アナスタシアとファナだ。トレントの森の地下空間のウィスプを調べて貰う為に協力している」


 そう言い、軽く事情を説明する。

 ウィスプを調べるのに、何故ここにやって来たのかの理由を説明されれば、マリーナも納得したように頷く。


「まぁ、私の精霊魔法が色々と特殊だというのは、自分でも理解してるわ。好奇心が強ければ、興味を持ってもおかしくはないでしょうね」

「そう言って貰えると、助かるわ。……私もこう見えて精霊魔法はそれなりに得意なんだけど、マリーナのそれは比べるのも烏滸がましい程に実力が違うわ」

「あら、それは褒められてると思ってもいいのかしら?」


 当然、と。

 そんな言葉に頷くアナスタシア。


「そもそも、普通の精霊魔法ではこの家で使われているような、汎用性……いえ、自由性と言うべきかしら。そんなことは出来ないもの。一体どうすればこんなことが出来るのか聞きたいところだけど……聞いても、教えて貰えないでしょう?」

「そうね。でも、別に特別な何かをしている訳ではない……とだけは言っておくわ」


 マリーナのその言葉に、そうなの? とアナスタシアは驚きの表情を浮かべる。

 自分の使う精霊魔法とは似て非なるもの。

 そんなイメージが、マリーナの使う精霊魔法にはあった為だ。

 だというのに、特別な何かをしていないと言われても、それに素直に頷くことは出来ない。


「なら、どうしてマリーナの精霊魔法がここまで特別なのかしら」

「その辺は、個性と言ってもいいでしょうね。結局のところ、精霊との付き合いは人それぞれよ。それが得意な人は精霊も喜んでこちらのお願いを聞いてくれるし、苦手な人は頼みを聞かせるのが難しくなる。……そんなところかしら」


 そんな風に、精霊魔法を使う二人はそれぞれに自分の精霊魔法についての議論を始める。

 だが、アナスタシアが自分の興味のあることだけに話を集中しているとなれば、人見知りのファナはどうすればいいのか困ってしまう。

 アナスタシアがいれば、そこから多少なりとも話題を提供して貰えるし、他人と話すことも不可能ではないのだが、残念ながら今の様子ではそのようなことは期待出来そうにない。

 かといって、自分から周囲にいる相手に話し掛けるようなことも出来ないファナは、ただ黙って他の者達がやってることを眺めているしかなかったのだが……


「グルゥ?」


 不意にファナの近くまでやって来たセトが、どうしたの? と声を掛ける。

 そんなセトの背中の上にはイエロの姿もあり、セト愛好家の面々がそれを見れば、鼻血を吹き出してもおかしくはないくらいの愛らしさを持っている。


「可愛い」


 人見知りのファナだったが、セトとイエロという人ではない相手を前にした場合は、そこまで緊張した様子を見せることはない。

 そっと手を伸ばしたファナは、セトの頭に触れる。

 ファナもギルムに住んでいる以上、当然セトのことは知っていた。

 遠くからその愛らしさを見て、撫でてみたいと思ったこともある。

 だが、重度の人見知りのファナにとっては、常に大勢の人が集まっているセトの側に行くようなことは出来なかった。

 結果として、今日初めてセトに触れることが出来たファナは、仮面の下で嬉しそうな笑みを浮かべる。

 ……もっとも、仮面を被っている以上、それを他の人間が知ることは出来なかったが。


「グルゥ……グルルルゥ!」

「きゃっ!」


 黙って頭を撫でられていたセトは、不意にそのクチバシでファナの服を引っ張る。

 いきなりの行動だったので少し驚いたファナだったが、それでも服を引っ張るのはそこまで力を込めている訳でもないので、服が破けたりといった心配はなかった。


「どうしたの?」

「一緒に遊んで欲しいんだろう。随分と気に入られたみたいだな」

「え……」


 セトに話し掛けたつもりが、全く別のところから聞こえた返事に少し驚き、そちらに視線を向ける。

 するとそこでは、いつの間にかミスティリングから取り出したのだろう干した果実を食べながら、レイがファナの方を眺めていた。


「えっと、その……気に入られたの?」


 多少なりとも話した経験があったからか、ファナはレイに向かって声を掛けることが出来た。

 そんなファナに、レイは頷く。


「この様子を見る限り、そうだろうな。けど、それはセトもイエロも人懐っこいから、そこまでおかしな話じゃない。アナスタシアはあんな感じだし、もしファナが構わなければセトやイエロと遊んできてくれないか?」


 レイの言葉にファナは少し戸惑い、セトに視線を向ける。

 すると、円らな瞳を向けるセトと目が合い……やがて、その視線に抗うことは出来ず、頷いて立ち上がる。


「グルルルルゥ!」

「キュウ! キュキュキュ!」


 そんなファナの様子に、セトだけではなく、その背にいるイエロも嬉しそうに喉を鳴らす。

 二匹の愛らしさにファナは少しだけ足取りを軽くしながら、中庭の中を走り回る。


「セトを取られてしまったな」

「それを言うなら、イエロもだろ?」


 ファナを見送っていたレイにエレーナが若干のからかい混じりにそのような声を掛けると、レイもそれに軽い感じで言葉を返す。

 エレーナはレイの言葉に笑みを返し、アーラの淹れた紅茶を口に運ぶ。


「それで、レイはあのウィスプについて何か分かったのか?」

「研究者でも何でもない俺に、一体何を期待してるんだよ」

「ふむ。だが、レイの場合は好むと好まざるとに関わらず、自然と色々なことに巻き込まれるだろう?」


 そう言われれば、レイとしても反論をするのは難しい。

 実際、レイがこのエルジィンという世界に来てから数年、今まで一体どれくらいのトラブルに巻き込まれた来たのかと言われれば、答えるのが面倒になるくらいと返すしかないのだから。

 巻き込まれたトラブルは、簡単なものでは盗賊に襲われたりといった程度のものだが、大きなものになるとそれこそミレアーナ王国とベスティア帝国の戦争といったものがある。

 大から小まで、それこそ数え切れない程のトラブルに巻き込まれてきたのだ。

 その辺りの事情を考えれば、それこそエレーナが言いたいことを理解出来ない訳でもない。


「あー……取りあえず、今回の一件については、特に何も巻き込まれてはいない。……まぁ、ゾゾ達リザードマンの件や、緑人の件、湖の件といったのに巻き込まれていると言われれば、巻き込まれているのかもしれないけど」


 ふふっ、と。

 エレーナはそんなレイの言葉に笑みを浮かべる。

 エレーナから見れば、それは十分騒動に巻き込まれていると言えるからだ。

 もっとも、それを言うのならエレーナもレイと行動を共にするようになってから多種多様な騒動に巻き込まれることになってしまっているが。


「取りあえずその件は置いておくとしよう。それで一応聞くのだが、レイは今日ここに泊まっていくということでいいのだな? もっとも、私も居候の身なのだが」


 エレーナは期待と嬉しさを隠そうとしているが、完全に隠しきれない様子で尋ねる。

 他の貴族と話すような時は、エレーナも自分の感情を表情に出さないようにしてはいるのだが、話す相手がレイとなれば、やはり色々と勝手が違うのだろう。

 そんなエレーナに、レイは頷きを返す。


「そうなるな。アナスタシアの様子を見る限りでは、とてもじゃないけどこれから生誕の塔まで戻るのは無理そうだし」


 アナスタシアとマリーナの間では、精霊魔法についての話し合いが未だに行われている。

 その内容は専門用語が多く、精霊魔法を使えないレイには分からなかったが、それでも二人揃って話し合い……もしくは言い争いをしているのを見れば、充実した内容なのだろう。


(ディベートって、こういう感じなのか? ……この二人の様子を見る限りだと、問題はないようだから、別にいいか)


 二人の様子を見たレイは、改めてエレーナに視線を向ける。


「まぁ、あんな感じだし」

「どうやらそうらしい」


 レイの言葉に、エレーナも納得したように頷く。

 今の状況でアナスタシアを引っ張っていこうとすれば、下手をするとマリーナから攻撃される可能性すらある。

 それだけ、現在の二人は話し合い、議論、ディベート、色々と今の状況を現す言葉はあるが、そんな感じで熱中しているのだ。


「では、今日の夕食は少し豪華なものになりそうですね」


 レイとエレーナの会話を聞いていたアーラが、嬉しそうにそう告げる。

 アーラにとっても、エレーナが嬉しいというのは自分の喜びでもあるのだ。

 ……また、レイがいるといつも以上に美味しい料理を食べられるから、という理由も多少はある。


「豪華か。一応湖で獲れた魚とかあるけど……使ってもいいと思うか?」

「駄目に決まってるでしょう」


 考える様子もなく、即座に答えるアーラ。

 エレーナの護衛を任されている身としては、異世界の魚などという怪しげなものをエレーナに食べさせるのは、断固阻止すべき事態だった。


「レイ達は食べたのだろう?」


 アーラの様子を見たエレーナがそうレイに尋ねる。

 未知の食材ということで、当然のようにレイはそれを食べたのだろうと、そう思っての言葉。

 それは質問ではなく、確認といった方が正しい。

 レイはそんなエレーナの言葉に、こちらもまた当然のように頷く。


「ああ。美味かったぞ。あの湖があると、ギルムでも魚を食べる機会は今までよりも多くなりそうだ」

「……とのことだが?」

「それでも駄目です。レイ殿の場合は、明らかに普通とは違うじゃないですか。そのレイ殿が食べて安全だからと、それを信用して食べるなどといった真似は、とてもではありませんが許容出来ません」


 そう断言するアーラに、エレーナは少しだけ不服そうな様子を見せる。

 それでもアーラが自分の為にそのようなことを言っているのだというのは分かっているので、それに対して不満を直接表すようなことはしない。


「魚の方は、それこそアナスタシアじゃない研究者達が色々と調べている筈だから、その結果を待ってからでも遅くはないだろ。……ああ、そう言えば結局湖にいるモンスターに魔石はないみたいだな。何種類かのモンスターを倒してみたけど、今のところ魔石は見つかっていないし」

「それは、また……冒険者達にとっては、頭の痛い問題だろうな」


 エレーナも以前はともかく、今は冒険者に対して強い理解がある。

 当然それは、愛する男が冒険者だからこそ、得た知識なのだが。

 それを知ってか知らずかレイはエレーナの言葉に頷く。


「そうなんだよな。モンスターの素材で一番高く売れるのは、やっぱり魔石だ。それがないとなると、湖のモンスターが増えても倒す冒険者の数が少なくなる可能性がある」

「しかし、異世界の湖なのだろう? であれば、そこにいるモンスターの素材は研究者や錬金術師、薬師……それ以外にも欲しいと思う者は多いと思うが?」

「だと、いいんだけどな。……ただ、湖を異世界の存在だと公表するかどうかも……っと!」


 喋っている途中で、レイは飛んできた小石を掴む。


「遅かったな、ヴィヘラ。ビューネも」

「そうね。レイがいるのなら、あの馬鹿騒ぎをもっと素早くどうにかするべきだったと反省しているわ」


 残念なことをした、といった様子で中庭に入ってきたヴィヘラは、そのままレイの隣の椅子に座る。

 仕事が終わったばかりなのだろう。ヴィヘラの汗と体臭が混ざった……それでいて決して不快ではない匂いが微かにレイの鼻を刺激する。


「レイ? どうしたの?」

「いや、何でもない。……それで、帰ってくるのが遅くなったのは、何か理由があったのか?」

「ええ。ドワーフが何人か、仕事の進め方で色々と問題があって、乱闘騒ぎになったのよ」


 乱闘騒ぎと聞いたエレーナは、レイが口を開くよりも前に話し掛ける。


「乱闘騒ぎなら、ヴィヘラにとっては好物なのではないか?」

「そうね。それは否定しないわ。……でも、レイが来ていると知っていれば、こっちの方を優先したわよ。……それで? 彼女達は?」


 マリーナと精霊魔法の件で議論をしているアナスタシアと、いつの間にかビューネと一緒にセトやイエロと遊んでいるファナを見ながら、ヴィヘラはレイに尋ねるのだった。

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