第2123話
「へぇ、ここが。……レイの言う通り、地下に続く穴が空いてるわね」
マリーナが、グリムの空けた穴を見て呟く。
果実亭でマリーナが取りあえずウィスプの研究をすることに了承したので、果実水とパンを食べ終えたレイは取りあえず果実水を金貨一枚分購入し、ミスティリングに収納した。
本来ならパンも購入したかったのだが、残念ながらパンは注文を受けてから仕上げに焼くという、普通とはちょっと違う特殊な製法をしているということもあって購入することは出来なかった。
その後、診療所に行ってマリーナが話を通し、非常に残念がられながらもトレントの森までやって来た。
本来ならマリーナと一緒なのでセトの足に掴まって飛ぶのでもよかったのだが、マリーナが着ているのは白いパーティドレスだ。
それを地上から見た場合にどうなるかを考えれば、セトの足に掴まって移動するという選択肢は存在しない。
下から見えても問題のない格好に着替えるという手段もあったのだが、たまにはレイと一緒にセトに乗って走りたいと要望されてしまえば、レイとしてもそれを拒否することは出来ない。
……セトもまた、そっちがいい! と賛成したのも大きい。
当然ながらギルムから出た時には、ギルムに入ろうとして並んでいた者達からパーティドレスを着たダークエルフの美女ということで多くの視線が集まったが、他人から視線を向けられることに慣れているレイやマリーナは、そんなのは全く気にした様子もなかった。
そうしてギルムからトレントの森までやって来たレイとセト、マリーナの二人と一匹は、当然のように途中で樵や冒険者達と遭遇したが、適当に話を誤魔化して、トレントの森の中央にやって来たのだ。
「ああ。取りあえず中に入るか? 外はセトに見張っていて貰えば問題はないし」
「そうね。……じゃあ、セト。お願いね」
「グルゥ!」
マリーナの言葉に、セトは任せて! と喉を鳴らす。
セトがいれば、大抵の相手は中に入ることが出来ないだろう。
そう安心し、レイとマリーナはグリムの作った地下道を進む。
「それなりに長いのね」
「ウィスプのいた空間が結構広かったからな。それを思えば、このくらいの長さは必要になるんだろ」
地下通路の明かりに関しては、マリーナの精霊魔法で対処している。
(あれ? もしかして俺の地形操作でどうこうしなくても、マリーナの精霊魔法でこの地下道の入り口を隠すといった真似は出来るんじゃないか?)
地下道を歩きながら、レイは今更ながらにそう思う。
レイの地形操作であれば、操作した場所に何らかの特殊な性質を与えたりといった真似は出来ない以上、最悪の場合は直接掘ったりするとそれを防ぐような真似は出来ない。
だが、マリーナの精霊魔法でなら、それこそ特定の人物以外がやって来て地面を掘ろうとしたら、何らかの手段で迎撃するといった真似ができるのではないか。
そう、思ってしまった。
普通であれば精霊魔法でもそのような真似は出来ないのだが、マリーナのような、一流……いや、超一流と呼ぶべき精霊魔法使いであれば、そのような事が出来てもおかしくはない。
実際にギルムの家にあるマリーナの家では、精霊魔法によって非常に強固なセキュリティが完備されている。
勿論、それはやろうと思ってすぐにはい出来ましたといったことが出来る訳ではなく、色々な準備が必要となり、ある程度の時間が必要となるのだが。
(取りあえずダスカー様には後回しでいいから、マリーナに頼んでおくか。……ダスカー様なら当然マリーナに頼るという選択肢は思いついた筈だけど……何で口にしなかったんだ? マリーナに頼るのが嫌だった? だとすれば、そもそもウィスプの調査にだってマリーナに協力はして欲しいとは思わない筈だよな?)
道を歩きながら、何故ダスカーがマリーナに頼らなかったのかということを考えたレイだったが、結局それで何かが思いつくようなことはなかった。
最終的な結論としては、仕事で疲れていたのでそこまで頭が回らなかったのだろうと、そう思うだけだ。
それが真実かどうかは分からなかったが、それでも取りあえずレイの中では納得したので、それでいいだろうと自己完結し……
「見えたわね」
ちょうどそのタイミングで、マリーナが呟く。
実際に視線の先には明かりが見えていた。
その明かりが何によるものかというのは、昨夜この先に進んだレイには当然のように分かっていた。
「ウィスプの明かりが薄くなってなければいいんだけどな」
レイがグリムから聞いた話によると、ウィスプの魔力は大分消耗している筈だった。
そのような状況で昨日リザードマンを転移させた以上、もしかしたらまたレイがトレントの森にいない間に何かを、もしくは誰かを転移させたという可能性は十分にあった。
レイとしては、半ば駄目元ではあるが地球……それも日本との間に通路を繋いでくれないかという思いがあったので、出来れば今の状況ではウィスプに魔力の使いすぎで弱ってほしくはないというのが、本音だった。
(出来れば、セトと同じように意思疎通出来ればいいんだが……無理だしな)
セトとの間である程度の意思疎通が出来るので、レイがセトに希望すること、セトがレイに希望することをお互いに大体理解することは出来る。
だが、それはあくまでもセトがレイの魔獣術によって生み出された存在だからこその話であって、トレントの森の地下空間に……それもどことも繋がっておらず、グリムがいなければ絶対に見つけることが出来なかった場所にいたウィスプを相手に、そのような真似は不可能だった。
であれば、何らかの別の方法はと思わないでもなかったが、ウィスプが普通のモンスターなら、ある程度の餌付けといったくらいは出来たかもしれないが、ここにいたウィスプはある意味でシステムとして特化しているような存在だった。
自我の類も存在しない相手に、一体どうやって意思疎通しろというのか。
少なくても、レイにはそのような方法は思いつかなかった。
「これは……凄いわね。まさか、トレントの森の地下にこのような空間があるとは思わなかったわ」
地下空間を見ながら、しみじみと呟くマリーナ。
レイも昨夜ここにやって来た時は同じように感じたので、マリーナの気持ちは十分に理解出来る。
「グリムはいないみたいだな。……もしかしたら、ウィスプの調査でもしてるのかと思ったんだけど」
この地下空間とグリムの研究室の一つを繋げるといったことを昨夜言っていたので、もしかしたらさっさとここと繋げてウィスプを調べているのでは? と、そう思っていたレイだったが、残念ながらその予想は外れたらしい。
「マリーナ、言うまでもないけど……」
レイはそう言って、この地下空間の光源……ウィスプに視線を向ける。
普通のウィスプとは、明らかに違う大きさのそのウィスプは、それこそ誰であっても見れば普通ではないと理解出来た。
「ええ。あのウィスプね。……ここまで大きなウィスプは、私も初めて見るわ」
その言葉から、マリーナは以前にもウィスプを見たことがあったのだろう。
だが、現在マリーナの視線の先にいるウィスプは、明らかに普通のウィスプとは違った。
だからこそ、そんなウィスプを見ながら、マリーナは驚きの言葉を口にする。
「だろ? まぁ、あのウィスプを見れば誰でも普通のウィスプじゃないって分かるしな。……それで、どうだ? 研究出来そうか? 可能なら、ある程度こっちの思い通りに操るといった真似がしたいんだが」
「それは……正直、どうかしら。私がやってみようと思っても、素直にそのような真似が出来るとは限らないわ。ただ……やれるだけやってはみるけど」
マリーナも、レイに頼られたことが嬉しかったのだろう。
自分が慣れないことをしているというのは分かっているが、それでも現状では何か出来ないかとウィスプに近づいていく。
最初に何をやればいいのか迷ったのだが、まずはしっかりと自分の目でウィスプを確認しておきたいと、そう思っての行動だろう。
レイはウィスプを見ても特に何もすることがないので、マリーナの様子をただ黙って眺めているだけだ。
(魔力……魔力か。俺の魔力をあのウィスプに譲渡出来れば、ウィスプの魔力不足も解決はするんだろうけど。もっとも、それでまた妙な場所から妙な物や者を転移させるようなことになれば困るから、もし魔力を譲渡出来るとしても、上手くコントロール出来るようになってからだな)
もし迂闊に魔力だけを譲渡しようものなら、場合によっては今度は巨大な山を転移させてくるという可能性も否定出来ない。
そもそも、魔力を譲渡するといったことが可能になるのかどうかも、今はまだ分からない。
何しろ異世界から転移させる能力を持っているのはこのウィスプだけなのだ。
ここで下手にウィスプに魔力を譲渡する実験をした結果、ウィスプが死んでしまったらどうしようもない。
「レイ? ウィスプをじっと見て、どうしたの?」
ウィスプをじっと見ているレイの様子が気になったのか、マリーナが不思議そうに尋ねる。
「グリムが、このウィスプは魔力を大量に消費してるって言ってただろ? だから、もし俺の魔力をウィスプに譲渡出来ればなと思ったんだよ。勿論、このまますぐにそういう真似をするんじゃなくて、どうにかしてウィスプをこちらの思い通りに動かせるようになったらだけどな」
レイの有する魔力量は、莫大だ。
それこそ魔力を偽装する新月の指輪というマジックアイテムがなければ、魔力を何らかの手段で感知する者が、あまりの魔力量の多さに恐慌するくらいには。
「あー……うん。なるほど。レイの言いたいことは分かったわ。けど、まだ研究すら始まってないんだから、もしそんな真似が出来るとしても、まだずっと先のことでしょうね。……それまで、このウィスプが生きていればいいんだけど」
マリーナの言葉は、レイにとっても心配するべきものだった。
何しろ、このウィスプがいつまで生きていられるかというのは、誰にも分からないのだ。
異世界から何らかの存在を転移させることが出来るような能力のモンスターだけに、それこそいつ寿命なり、能力の使いすぎで死んだりといったことにもなりかねない。
このような便利な……それでいて危険な能力を持つウィスプが、他にもいるとは思えない。
(希少種じゃなくて上位種なら、まだウィスプが進化してこのウィスプと同じようになるんだろうけど……グリムが知らなかったってことは、多分希少種なんだろうな)
レイとマリーナが近くにいるにも関わらず、全く動きを見せないウィスプを眺めて口を開く。
「出来るだけ早く研究結果が出るように祈ってるよ」
「そうね。でも、そこまで本格的に研究をするのなら、それをやるのは私じゃなくて本職の研究者の方がいいわよ? 私がやるのは、あくまでも研究者の真似事のようなものだもの」
「それでも出来るだけ十分凄いと思うけどな」
「あら、レイも上手いこと言うわね。レイに頼られたら、私も少し頑張らないといけないかしら」
レイの言葉にやる気が出たのか、マリーナは空中に浮かぶ、普通よりも圧倒的な大きさを持つウィスプに近づいていく。
「うーん、さっき見た時にも思ったけど、やっぱりこうして改めて見ると普通のウィスプとは明らかに存在感が違うわね」
「それは俺もそう思った。そもそも、俺がモンスター図鑑とかで読んだ限りだと、ウィスプってそこまで大きくないらしいし」
「私が今まで遭遇したことのあるウィスプも、幾ら大きくても人の頭よりは小さいわ。小さいのなら手くらいの大きさだったけど」
「だろうな。うーん、けどそうなると……何をどう調べればいいのか、分かるのか?」
「本職の研究者なら、こういう場合もどう調べればいいのか分かるんでしょうけど……こうなると、ちょっと難しいわね」
レイの言葉に少し考えたマリーナは、ふと思い立って小さく呟く。
すると、周囲に少しだけだが風が吹いた。
グリムが作った地下通路以外には何もない、この空間の中で。
勿論、外と繋がっている以上は風が吹いてもおかしくはない。
だが、こうしてタイミングよく風が吹くとなると、そこにはやはり違和感があった。
「駄目ね。精霊から見て、このウィスプに何かおかしなところがないか聞いてみたけど、何もなかったわ。普通の……という表現はどうかと思うけど、ともあれ特に何も問題がないモンスターみたい」
「風の精霊に聞いたのか。……そういう手段もあったんだな。あー、でもそうなると、どうなる? もっと何かを確認する方法はあるか?」
「火と水は無理だけど、土の精霊に聞いてみる? ただ、風の精霊から見てもおかしなところはなかったようだし、多分変わらないわよ?」
そんな風に、レイとマリーナは相談しながら目の前のウィスプを調べていくのだった。
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