第2122話

 取りあえずマリーナに今回の一件を説明して調べて貰うということをダスカーと話し合った後で、レイは領主の館を出た。

 本来ならもっと話しておくべきことは色々とあったのだが、レイはともかくとして、ダスカーは仕事が山積みになっていて時間が取れないというのがその理由だ。

 レイとしては、グリムの件を取りあえず棚上げにすることが出来たので、助かった一面もあったが。

 そんな訳で、レイはセトと共にギルムの街中を歩いていた。

 目指しているのは、診療所。

 マリーナが精霊魔法を使って治療を行っている場所だ。

 レイにしてみれば、今の状況でマリーナをトレントの森に連れて行ってもいいのか? という思いがない訳でもない。

 だが、あのウィスプを調べるのと、怪我をした者の治療のどちらが大事かと言われれば、当然のように前者だった。

 診療所には、マリーナ以外に治療出来る者がいるというのも大きい。

 もっとも、他の者達はマリーナのように劇的な回復を望めはしないのだが。

 ともあれ、代わりの者がいる診療所とは裏腹に、ウィスプを調べられる信頼出来る相手となると、現在のところマリーナしかいない。


(それに、ここ何日かは生誕の塔に泊まり込んでるから、マリーナ達の顔を見てないしな)


 だからこそ、数日ぶりに顔を見たいというのも、レイの正直な気持ちだった。

 診療所に向かう途中でも屋台で買い食いをし、美味いと思えば大量に買ってはミスティリングに収納していく。

 それは、いつもより頻繁ではあった。

 生誕の塔にいる冒険者やリザードマン達に出来るだけ不満を抱かせないようにしているというのもある。

 ……ダスカーに会いに行った時に、そういうアドバイスと共に必要経費として金貨数枚を貰ったというのも大きい。

 このような買い食いに金貨数枚というのは多すぎるのだが、ダスカーとしてはレイに色々と仕事を押しつけているという自覚がある――押しつけられているという自覚もある――ので、それをねぎらう意味もある。

 レイが食べるという行為が好きだと知っているので、レイの好きな料理を買ってストレス発散でもして欲しいという思いもあったのだろう。

 そんな感じで食料を買いつつ進んでいると、やがて目的の場所が見えてくる。

 まだ午前中だからか、診療所が混んでいる様子はない。

 以前レイが診療所に来た時は、建物の外にまで怪我人が並んでいたのだが、今は建物の外に並んでいる者はいなかった。


「じゃあ、セト。ここで少し待っててくれよ」


 野菜と焼いた鶏肉が挟まれたサンドイッチをセトに与えると、レイは診療所の扉を叩く。


「はい、怪我人……あら?」


 診療所から出て来た人物が、早速怪我人でも来たのかと思ってレイに声を掛けるが、途中で止まる。

 以前レイが来た時にも診療所で見た顔だったので、レイが何をしにここに来たのかを理解しているのだろう。


「マリーナ様に用事?」

「そうだ。ちょっとマリーナを借りたいんだけど、構わないか? 忙しいのなら、少し待ってもいいけど」

「いえ、大丈夫よ。今はまだ怪我人も殆ど来てないし。……今はまだ、だけどね」


 怪我人というのは、いつくると分かっている訳ではない。

 それこそ、何らかのミスによって生まれる存在だ。

 だからこそ、今はと強調して言ったのだろうが……レイにとっては、今のところ怪我人が少ないのなら問題はなかった。


「そうか。じゃあ、マリーナを借りていくぞ。マリーナ!」


 レイの声に、薬師と思しき老人と何かの話をしていたマリーナは振り向く。

 そこでレイの存在に気が付き、笑みを浮かべながら近づいてくる。

 診療所で働いているというのに、今日のマリーナは白のパーティドレスを身に纏っていた。

 胸元はかなり隠されているが、その代わりなのか背中はかなりの面積が外に出ている、そんなドレス。

 怪我人ではなくても、マリーナの艶姿を見る為に人が多くやって来るのではないか? と思われる姿だ。


「あら、レイ。久しぶりね」

「いや、久しぶりって数日だろ?」

「私にとっては、数日でも十分に久しぶりよ。エレーナやヴィヘラも寂しがってたわよ?」

「悪いな。ただ、その件にもちょっと進展があるかしれない。それで少し協力して欲しくてやってきたんだが……少しいいか?」

「ええ、レイからのお誘いだもの。忙しくない今なら、喜んで。……でも、何かあったらすぐに戻ってきたいから、この近くのお店にしてくれる? 話を聞くんでしょ? なら、近くに軽食を出すお店があるから、そこに行きましょうか。私は果実亭にいるから、何か手に負えないことがあったら知らせてちょうだい」


 最後を、診療所の中にいる他の者達に告げると、マリーナはレイと腕を組んで診療所を出る。

 マリーナの嬉しそうな様子や、女の艶を感じさせる美貌、派手なパーティドレスから、レイとマリーナの姿を見た者は、どこかにデートにでも行くのではないかと、そう思ってしまう。

 それこそマリーナの服装から、軽いデートではなく濃密な時間をすごす、お泊まりのデートといった風に。

 ……実際には、近くの店でレイから自分を訪ねてきた話を聞くだけなのだが。

 腕を組んだことにより、マリーナの褐色の双丘がレイの腕でひしゃげる。

 パーティドレスで胸元まで隠されてはいるが、この季節だからだろう。決してドレスの生地は厚くはない。

 勿論ヴィヘラが着ているような向こう側が透けて見えるような薄衣ではないが、それでもパーティドレス越しに圧倒的な迫力を持つ柔らかさを感じるには十分な薄さではあった。

 サンドイッチを食べ終わったセトが、そんな二人の後を追う。

 レイとのデートということで嬉しそうなマリーナが案内したのは、診療所から少し……歩いて十分も経たない場所にある、小さな店。

 果実亭という名前や、マリーナが言った通り軽い食事を出すという表現から、レイが見たその店のイメージは、喫茶店だった。

 もっとも、レイが日本で見たことのある喫茶店というのは、TVやアニメ、漫画といったものに出て来るようなものだけだったが。

 田舎だからか、それとも単純にレイが知らなかっただけなのかは分からないが、レイの生活圏内に喫茶店の類は存在していなかった。


「ここか?」

「ええ、そうよ。さ、入りましょ。あ、悪いけどセトは入れないから、外で待っててね。小さいお店だから……」

「グルゥ!」


 マリーナの言葉に、セトは分かった! と喉を鳴らす。

 レイと離れるのは寂しいが、それでも近くにいられるのであれば問題はないだろうと、そう思ってのことだ。

 そんなセトに、レイはサンドイッチの代わりに串焼きと果実を幾つか置く。

 早速串焼きを食べているセトをその場に残して、果実亭の中に入る。

 するとそこは、外からも見て分かった通り決して広い店ではなかった。

 だが、花の類が飾られていたり、日の光が入るようにと調整されていることもあってか、見るからに明るくすごしやすい空間となっている。

 客の大半が若い女の理由が明らかだった。


「こんな店があったんだな」

「男の人にはあまり人気がないけどね。あ、でも時々デートで来てる人とかがいるわよ?」


 ふふっ、と。

 意味ありげな笑みを浮かべたマリーナに手を引っ張られ、空いている席に座る。


「何を頼む? 果実水だけでも結構な種類があるけど」

「そう言われてもな。この店に来るのは初めてだから、ちょっと分からない。マリーナのお勧めと、何か軽く食べられるのを頼む」


 レイの言葉に頷いたマリーナは、店員を呼んで素早く注文する。

 注文が終わって店員がいなくなると、改めてマリーナは向かいに座っているレイに視線を向け、尋ねる。


「それで? 生誕の塔で忙しくしてる筈のレイが、何をしに来たの? 勿論、私に会いたくなってやって来たのなら、私としては大歓迎だけど。……レイのことだから、別にそういうことでもないんでしょ?」

「いや、お前は俺を一体どういう目で見てるんだよ」

「あら、聞きたい?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべて尋ねるマリーナに、レイは首を横に振る。

 ここで何かを言えば、それは間違いなく自分にとって不利な話になるだろうからだ。

 そうしている間に、店員が果実水とパンを持ってくる。

 運がいいのか、それとも注文してから温め直しているのかは分からないが、そのパンからは食欲を刺激するには十分な香ばしい匂いが漂っていた。

 一礼して店員が立ち去ると、飲んでみて? とマリーナに勧められて果実水に口を付ける。

 本来ならこういう時はストローがあった方がらしいのだが、残念ながらこの世界にストローは存在しない。

 いや、もしかしたらどこかにあるのかもしれないが、レイは見たことがなかった。


「美味いな」


 果実水というよりは、ジュースと表現した方がいい程に果汁の割合が多い。

 最初は爽やかな甘みが口の中一杯に広がり、果実水が喉を通るころには微かな酸味が口の中に残って後味を楽しむことが出来る。

 また、マジックアイテムで冷えているというのも温かくなってきたこの季節には嬉しい。……レイの場合は簡易エアコン機能のあるドラゴンローブを着ているので、その辺はあまり関係ないのだが。


「ふふっ、喜んで貰えて嬉しいわね。そっちのパンもお勧めよ?」


 そう言われてパンを一口食べてみると、焼きたて特有の香ばしさと柔らかさ、それとクルミに似た木の実が練り込まれている。

 このパンもまた、果実水と同様に美味いと断言出来るだけの味だった。

 それこそ、パンと果実水を大量に買ってミスティリングに収納しておきたいと思うくらいに。


「さて、じゃあそろそろ本題に入りましょうか」

「ああ、そうしてくれると助かる。……精霊魔法で声が周囲に聞こえないようにしてくれ」

「……分かったわ」


 レイの口から出た言葉で、重要な内容だというのが分かったのだろう。

 マリーナは風の精霊に頼んで、声が周囲に漏れないようにする。


「それで? 一体何があったの?」

「簡単に言えば、現在トレントの森で起こっている異世界転移の原因が分かった」

「どうやって?」

「グリムと話していたら興味を抱いたらしくてな。で、昨夜ちょっと調べたらすぐに分かった。正直、もうグリムがいれば何もいらないんじゃないかと思ってしまう」


 自分達ではどうやっても見つけることが出来なかった原因を、ものの数分で見つけ出してしまったのだ。

 それを見て、何も思うなという方が無理だろう。

 レイの様子から、何となくマリーナも事情を理解したのか、若干呆れた視線をレイに向ける。

 もっとも、マリーナも異世界からの転移については興味を持っていたのか、呆れの視線を止めて先を促す。

 その視線に促されるように、レイはウィスプについて説明していき、ウィスプの説明が終わるとダスカーに報告したことを告げ、信頼出来る相手としてマリーナに研究して貰えばいいのではないかと、そう説明する。


「私がそのウィスプの研究を? ……それは少し無理がない? 私は研究者でも何でもないわよ?」

「それは俺にも分かってる。ただ、ダスカー様は、マリーナは長生きしてる分だけ、ある程度は研究者の真似事も出来るって言ってたぞ」


 レイの言葉に思い当たる節があったのか、マリーナの動きが止まる。

 そして数十秒沈黙し……やがて、溜息を吐く。


「しょうがないわね。ダスカーについては、後で恥ずかしい秘密を噂で流すとして……」

「いや、止めてやれよ。今のダスカー様は、激務続きでかなり疲れてるんだぞ?」


 そう告げるレイだったが、その激務の幾らかにはレイが関わっていたりもする。

 ダスカーに丸投げした形の諸々で。


「そう? まぁ、レイがそう言うのなら、噂として流すのは止めておくわ」


 噂として流すのを止める。

 それはつまり、ダスカーに直接黒歴史と呼ぶべきことでからかいに行くのだろうと判断したレイだったが、噂として広められるよりはいいだろうと思い、それ以上は何も言わない。


「ああ、勿論そこまで深刻な過去じゃないわよ? ちょっとした失敗程度」

「あー……うん。取りあえずその件はそれでいいとして、俺が言いたいのは別の話題だ。ウィスプの研究は頼めるのか?」

「そうね。興味深いのは間違いないし、構わないわよ。ただ……診療所の方が少し心配ね」

「そっちの方は、一応ダスカー様が手を回してくれるらしい。もっとも、具体的にどんな風に手を回すのかは、分からないけど」


 騎士団の中には回復魔法を使える者もいる。

 恐らくそのような者が回されてくるのではないかとレイは予想しているが、それはあくまでも予想にすぎない。

 実際にどうなるのかは、それこそダスカー次第だろう。


「そう? なら……取りあえず、診療所の方に話を通して、トレントの森に行ってみましょうか」


 マリーナのその言葉に、レイは助かったと頷くのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る