第2075話

「んん……ん……」


 レイが目覚めると、そこはここ何日か泊まっていて見覚えのある部屋だった。

 マリーナの家に用意された、自分の部屋。

 だが、自分が何故この部屋にいるのかが分からない。

 寝起きで朦朧とした頭のまま、周囲を見回し……そのまま、再びベッドの上に倒れ込む。

 倒れ込みながら、妙に眠りにくい様子に不快感を抱き、着ている服を脱いでいく。

 普段であれば、もっと寝やすい格好をしてるのに、何故?

 頭の中で少しだけそんな疑問を抱くも、寝起きの状況ではそこまでしっかりと考えが纏まらない。

 それでも無意識に服を脱いでいくのは、やはりそれだけ眠りにくかったということなのだろう。

 そうして身軽な格好になると、再びベッドでの睡眠を楽しもうとして……


「レイ、起きてる? そろそろ朝食の時間だけど」


 扉の向こうから、そんな声が聞こえてくる。

 また眠ろうとしていたレイは、そんな声に顔を上げるも……再び枕に顔をつける。


「レイ、起きていないの?」


 あー、うー。

 廊下から聞こえてくる声に、レイはそんな声を上げながら、それでも朝食という言葉が頭に残ったのか、顔を上げる。

 朝の弱いレイだったが、それでも普段はここまで弱くはない。

 今日に限ってこれだけ寝惚けているのは、やはり昨日の睡眠時間が少なかったからだろう。

 昨日生誕の塔の中で起きた時は、場所が場所で緊急性があったからこそ、起きた時も即座に行動が出来た。

 だが、ここでは緊張をする必要がないということで、まだ寝惚けているのだろう。

 レイにとって、ここはそのように安らげる場所であるということの証でもあった。

 レイを起こしに来たマリーナにとって、それは嬉しいことだろう。

 とはいえ、今はその嬉しさを感じるよりもレイを起こす方が先ではあったが。


「まだ起きてないの? 入るわよ? いい?」


 数度ノックをしながらそう声を掛けるマリーナだったが、レイはその声にも全く起きる様子を見せない。

 結果として、マリーナは渋々――その内心はともかく――と扉を開ける。

 そうして目に入ったのは、服を脱ぎ散らかしてベッドに倒れているレイの姿。

 一応ドラゴンローブやスレイプニルの靴、ネブラの瞳といった物はエレーナと一緒にレイをこの部屋まで運んできた時に脱がせてベッドの近くに置いてあったのだが、それ以外はそのままだ。

 ……実際には寝るのだから脱がせて楽にした方がいいのではないか? と思わないでもなかったのだが、どこか気恥ずかしさを感じてしまい、そのようなことは出来なかった。

 これが、もしエレーナかマリーナのどちらか一人であれば、その場の勢いということでレイを脱がすことが出来たのかもしれないが、二人だったからこそ相手の出方を窺うような真似をして、そのような真似は出来なかったのだろう。

 枕に顔を押しつけて寝ている為に、マリーナからはレイの寝顔を見ることは出来なかった。

 それでもレイを見ると、マリーナの顔に笑みが浮かぶ。

 その笑みは、いつものように女の艶を色濃く現す笑みではなく、恋する女としての笑みだ。……それでも、幾らか女の艶を感じるのは、マリーナだからこそなのだろうが。

 マリーナとしては、このままずっと……それこそレイが自然と起きるまでレイの眠っている姿を見ていたいと思ったのだが、そうする訳にもいかない事情があった。

 何より、このままマリーナがレイの部屋の中にいれば、マリーナが戻ってこないのを怪しんだエレーナがやって来ないとも限らない。

 マリーナは少しだけレイの寝ている姿を見られる幸せを享受した後で、行動に移す。


「ほら、レイ。起きなさい。朝食の準備が出来てるわ。焼きたてのパンに新鮮なサラダ、ウィンナーもあるわよ」


 ピクリ、と。

 マリーナの言葉を聞いたレイの身体が、微かに動く。

 自分の言葉ではなく、朝食という単語に反応するレイに、マリーナは複雑な表情を浮かべながらも、レイの身体を揺するのだった。






「うん、このウィンナーは美味いな」


 諸々の身支度を済ませたレイは、早速マリーナが作った朝食を味わっていた。

 マリーナ程の美人が作った朝食となれば、それこそ金貨数枚……場合によっては白金貨や、中には光金貨まで出す者がいてもおかしくはない。

 そんな料理を、レイはしっかりと味わって楽しむ。

 今日の朝食のメインは、マリーナがレイに言っていた通り、ウィンナー。

 ただし、ウィンナーはその調理の仕方で言い争い……どころか、殴り合いに発展することも珍しくない食材の一つだ。

 それこそ、目玉焼きに何を掛けるのか、唐揚げにレモンの果汁を掛けるのか……といった難題に、勝るとも劣らぬテーマだった。

 ウィンナーの調理法として知られているのは、茹でると焼くが一般的だろう。……日本にいる時は、電子レンジを使うといった者もいたが。

 ともあれ、ウィンナーの調理法としてはその二種類だが、その中でも細かく分けられる。

 焼く時は皮が破けない程度に焼くのか、皮が破裂するまで焼くのか。

 茹でる時は、どのくらいの時間茹でるのか。

 それ以外にも、ウィンナーに掛ける調味料も個人によって違う。

 何も掛けないという者から、ケチャップ、マスタード、醤油――この世界で醤油はまだ見つかってないが――や塩。

 人によって好みは様々だったが、レイは茹でたウィンナーが好きだった。

 それも、茹ですぎて皮が破けていないウィンナーが。

 皮が破れると、茹でているお湯にウィンナーの肉汁が流れ出して、ウィンナーの味が落ちるような気がするというのが、レイの意見だ。

 マリーナもレイの好みを分かっているので、出されたウィンナーは皮が破れないくらいに茹でたウィンナーとなっている。

 そのウィンナーに、レイはマスタードに似た辛みと酸味のある緑色のソースを付けて口に運ぶ。

 口の中で皮がパリッと割ける感触と共に、肉汁が口の中に広がり、それが辛みと酸味のあるソースと混じり合う。

 そこで焼きたてのパンを食べたり、新鮮なサラダを食べたりすれば、口の中はまさに極上のハーモニーといった様相を見せる。


「レイったら、随分と美味しそうに食べるわね。料理を作った身としては、そこまで喜んで貰えて嬉しいけど」


 至福の表情でウィンナーを食べているレイにを見て、マリーナが満足そうに笑う。


「ぐっすりと眠ったせいか、腹が減ってたんだよな」

「レイは昨日夕食が終わったらすぐに寝て、それでついさっき起きたんでしょ? だとすれば、二食続けて食べているようなものなんじゃない?」


 野菜スープを楽しんでいたヴィヘラが、そう疑問を口にする。

 そういうヴィヘラはと言えば、昨日は夕食の後にガガと模擬戦をしたし、今日もまた早朝にガガと模擬戦を行っている。

 同時にビューネの訓練もしていたが、そちらはそこまで激しい運動にならない。

 ガガとの模擬戦は、それこそ非常に激しい運動となるので、朝食もしっかりと……それこそ、通常の三人分くらいは食べている。

 その上、昨日は夜食もしっかりと食べているのだ。

 そこまで食べても全く太らないのは、体質のようなものでもあるのだろうが、それ以上に身体を動かしているから、というのが大きい。

 結局のところ、摂取エネルギーよりも消費エネルギーの方が多ければ、太るということはないのだから。


「寝てても、不思議と腹は減るんだよな」

「それは、普通ではないか?」


 レイの言葉に、エレーナがそう告げる。

 エレーナもまた、朝食はしっかりと食べる。

 いや、正確にはここにいる者は全員が朝食をしっかり食べる。

 身体を動かす仕事をしている以上、朝食を抜くと間違いなく昼まで保たない。

 ……もっとも、エレーナはレイ達とは違って貴族との面会が主で、そこまで身体を動かすことはないのだが。

 それでも戦闘訓練は欠かさないので、相応に身体を動かしてはいるのだ。

 エンシェントドラゴンの魔石を継承したことによって、その辺りにも変化が起きても不思議ではないのでは? という疑問をレイは抱きもしたのだが、それについては聞かない方がいいだろうと判断して聞いていない。


「●●?」


 と、黙って食事をしていたガガが、不思議そうな視線をレイに向ける。

 だが、そんな視線を向けられても、レイは何を疑問に思っているのかが分からない。

 ゾゾがここにいれば石版を使って通訳して貰えるのだが、そのゾゾは生誕の塔で人間との橋渡し役をする為に泊まり込んでいる。


(ダスカー様が、ゾゾが使っている石版と同じようなマジックアイテムを探してみるって言ってたけど……見つけるのは難しいだろうな)


 ゾゾが使っている石版は、グリムが持っていた物だ。

 そのグリムですら、一つしか持っていなかったのだから、同じような石版を……いや、石版に限らず似たような能力を持つマジックアイテムを見つけるのは、簡単なことではないだろう。

 ギルムという辺境の地ではあっても、何でも手に入れられる訳ではないのだから。

 寧ろ、この手のマジックアイテムは王都のような場所の方が入手しやすいと考えた方がいい。


(いや、今は石版をどう入手するのかよりも、ガガの言いたいことを理解する方が先か。……テーブル?)


 ガガの巨大な手が指さしているのは、テーブル。

 だが、それ以上はガガの言いたいことが理解出来ない。

 もっと食べたいのかとも思ったが、ガガの前に用意されている料理はまだ残っているので、おかわりを欲している訳ではないらしい。

 なら、食事を早く終わらせろか? そうも思ったレイだったが、ガガの様子を見る限りでは急いでいるようには思えない。


「……どう思う?」

「そう言われてもね。……うーん、もっとスープを飲みたいとか?」


 マリーナの言葉に、レイはテーブルの上にあるガガのスープ皿――と呼ぶには巨大だが――を見る。

 だが、スープ皿の中にはまだ野菜のスープがしっかりと残っており、もっと飲みたいとガガが主張しているようには思えない。

 尚、ガガのスープ皿に入っているのはレイ達が飲んでいるのと同じ野菜スープだが、昨日の食事で残った焼き魚の身を解して追加で一煮立ちするという手間が加わっている特別製だ。

 これは、ガガがゾゾ程ではないにしろ魚を好んでいたのを知ったマリーナの計らいだった。

 若干レイもそのスープの味が気になったが、今はそれよりもガガが何を考えているのかを察するのが先だろう。


(怒っているようには見えないから、それを考えると……このスープが美味いと、喜んでいるのか?)


 実際、ガガの様子を見る限りでは不機嫌そうではなく、上機嫌そうに見える。

 だとすれば、今のこの状況はこのスープが美味いと喜んでいるのだと、そうレイには思えた。


「スープが美味しいって喜んでるんじゃないの?」


 レイと同じ結論に達したのか、ヴィヘラがそう言ってくる。

 ガガの様子を見ている限りは、その意見に賛成出来たのか、他の面々もその言葉には納得し……一応、ということでレイがガガの前にあるスープ皿を指さしてから、美味いという驚きを表す為に両手を挙げる。

 ……それで美味いという表現が伝わるのかと、やった本人も若干疑問だったのだが、幸いなことにガガはレイの様子を見て満足そうに頷く。

 身振り手振りでのやり取りである以上、本当にそれで意思疎通が成功したのかどうか、やった本人にも分からなかったが。


「意味が通じてると思うか?」


 一応、といった様子で尋ねるレイだったが、ガガと本当に意思疎通出来ているのかどうかは、レイだけではなく他の者にも分からない。


「ガガじゃなくても、ゾゾを含めたこのリザードマン達との付き合いが一番長いのはレイなんだから、その辺はわかるんじゃない?」

「無茶を言うな、無茶を」


 ヴィヘラの言葉に、そう返す。

 これがゾゾなら、あるいは石版がなくても分かった可能性はある。

 だが、残念ながら現在目の前で喜んでいるように見えるのは、ゾゾではなくガガだ。

 模擬戦をやったことで気が合ったレイだったが、それでも話は通じない。


「寧ろ、ガガとは何度も模擬戦をしているヴィへラの方が、何を言ってるのか分かるんじゃないか?」

「そう言われてもね。戦っている最中なら、相手が考えていることが何となく分かることもあるけど……」


 今は駄目。

 そうはっきりと告げられると、レイとしてもこれ以上は何も言えない。


「取りあえず、怒っていたりする訳じゃない以上、生誕の塔に行ったらゾゾに聞いてみる」


 レイの言葉に、全員――ガガを除く――が頷く。

 見たところでは、緊急の用件でもないようだったので後回しというか、棚上げという形となる。

 レイは身振り手振りで話は後で聞くと何とかガガに告げ……それを理解したのか、それとも頷いておけばいいと判断したのか、それ以上は何も言わず食事に戻るのだった。

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