第2069話

 領主の館のメイド達が、大量のサンドイッチを運んでくる。

 それこそ、三十人分、四十人、五十人分くらいはあるのではないかと思える程の量。

 まさに、サンドイッチの山と呼ぶべき光景が、現在レイの前に広がっていた。

 本来なら、訓練場での食事というのは決して向いていない。

 訓練場の土埃の類が料理に降ってきてもおかしくはないからだ。

 だが、ここにマリーナがいるとなると、話は変わる。

 精霊魔法によって、土埃を始めとした諸々は食事が行われている空間に入ってくることはない。

 寧ろ、この場合不幸なのは訓練場で訓練をしている騎士達だろう。

 何しろ、自分達が訓練している場所からそう離れていない場所で、主君たるダスカーが食事をしているのだから。

 それ以外にも、レイやエレーナ、マリーナ……そしてダスカーの部下たる文官達も、一緒に食事をしている。


(あ、これって……小学校の時の運動会とか、そんな感じだったりするのか?)


 サンドイッチを食べながら、レイはそんなことを思う。

 小学校の運動会では、小学校のグラウンドに生徒の家族が集まって食事をしたりといったことをしていた。

 昼休みになれば、アイスや型抜きのような簡単な屋台すら出ていた記憶が、レイにはある。

 山菜を軽く茹でてさっぱりとしたソースと蒸した鶏肉が挟まれているサンドイッチを味わいながら、レイはそんな風に思う。


「食べながら聞いてくれ。それで、生誕の塔だが、危険はないんだな?」


 ダスカーもまた、サンドイッチを味わいながらレイにそう尋ねる。

 ダスカーも一応軽い食事はしていたのだが、サンドイッチは一口サイズなので、少し摘まむにはちょうどいい大きさであった。


「はい。生誕の塔にいたのは子供とその世話役の女のリザードマンと、そして卵くらいでした」

「そうか。なら、問題はないと考えてもよさそうだな」

「問題ね。……脅威にはならないけど、問題は起きるかもしれないわよ?」

「何?」


 野菜と炒めたオーク肉のサンドイッチを食べながら、マリーナは少しからかい混じりにそう告げる。

 とはいえ、その目は冗談の類を言ってる訳ではなく、本当に問題になるかもしれないと、そう思っているかのような色を宿していた。

 マリーナのその言葉だけなら、冗談も程々にしろとでも言っただろうダスカーだったが、エレーナやアーラも……そして、レイまでもがマリーナの言葉に納得した様子を見せている以上、それを冗談と断言出来ない。


「それは、どういうことだ?」

「そうね。簡単に言えば……生き物というのは、生まれたばかりの時はかなり愛らしいでしょ? つまり、そういうことよ」

「聞きたくないが、聞かなければならないから、嫌々……本当に嫌々聞くが、子供のリザードマンというのは可愛らしいのか?」

「正解。もし何も知らない人があのリザードマンの子供を見つけたら、自分の手元に置きたいと思う人も多いでしょうね。……大人になれば、ゾゾのような、場合によってはガガのような巨体になるかもしれないけどね」


 マリーナの言葉を聞いて、ふとレイは日本で見たTV番組のことを思い出す。

 日本の祭の出店としては、それなりに珍しくはない亀すくい。

 ミドリガメと呼ばれる、掌よりも小さい亀をすくうという遊びだが、そのミドリガメは小さい時こそ非常に愛らしいが、大きくなると三十cm近くもの大きさになる。

 正式名称はミシシッピアカミミガメで、少なくてもレイがTVで見た限りでは、大きくなったミドリガメは緑色ではなかった。

 小さい時は愛らしいが、大きくなると凶暴に見える。

 まさに、リザードマンと似たようなものだった。

 もっとも、大抵の生き物は子供の頃は愛らしい。

 それは、まだ無力な子供の頃に生き残る生き物としての戦略的な知恵なのだと、レイは何かで聞いた覚えがあった。


「リザードマンの子供を奪おうと考える者が出て来る、か」

「もしくは、卵を盗もうと考える者もいるかもしれないわね」


 マリーナの言葉に、ダスカーは更に難しい表情を浮かべる。

 当然だろう。ガガやゾゾ、それに戦士として鍛えられたリザードマンなら、自分の身を守ることも出来る。

 だが、子供やその世話役の女、ましてやまだ生まれてもいない卵であれば、強欲な襲撃者を相手に抵抗するのは難しい。

 これが、何の後ろ盾もないただのリザードマンであれば、ダスカーもここまで頭を悩ませることはなかった。

 しかし、生誕の塔にいるリザードマンは、グラン・ドラゴニア帝国という、ミレアーナ王国と同規模の国のリザードマンなのだ。

 数日前であれば、転移してくるのは少数の緑人やリザードマンだけで、場合によっては切り捨てるという選択も出来たかもしれないが、今は生誕の塔が転移してきてしまっている。

 城の一部である生誕の塔が転移してきたということは、城そのものが……場合によっては城のある帝都そのものが転移してこないとも限らない。

 そうなった時、もし生誕の塔にいるリザードマンの子供や卵を奪われているということが知られれば……それが戦端を開く切っ掛けにもなりかねない。

 何しろ、グラン・ドラゴニア帝国の皇帝は何の意味もなく――少なくてもゾゾやガガは知らされていない――ロロルノーラを始めとする緑人を弾圧していたのだから。

 その危険を考えると、生誕の塔にやって来るだろう悪意を持った者達の活動は、絶対に防ぐ必要があった。


「話は分かったが、人手が足りん」


 元々、ギルムの増築工事だけで一杯一杯だったのに、そこにリザードマンや緑人達が転移してくるようになったのだ。

 当初はトレントの森で木を伐採する樵の護衛は、そこまで強くない冒険者達が主だった。

 そこにリザードマンが転移してきて戦闘になる確率が上がり、腕の立つ冒険者が護衛として雇われるようになる。

 その状況でさえ人材的にかなり限界に近かったというのに、そこに加えて生誕の塔を守る者を派遣する必要があるとなると、どうしてもギルムにいる人材では足りなかった。

 ……そう、ギルムにいる人材では。


(報告は上がってる筈だし、王都から人が来ても……いや、だがどれだけくるかは分からん。そうなると、やはり……)


 ダスカーはサンドイッチを美味そうに食べているガガに視線を向ける。

 ガガは、リザードマンの中でも特別な強さを持つ。

 いや、それどころかレイとある程度互角に戦えるということは、ギルム全体……いや、この世界全体で見ても、明らかにトップクラスの実力を持つ。

 そのような存在が、そしてガガ率いるリザードマン部隊が生誕の塔を守っているとしれば、余計なことを考える者も迂闊な真似は出来ないだろう。


(とはいえ、通訳の出来るゾゾがレイから離れることはない以上、多少であっても文字や言葉を覚えているリザードマンに頼るしかない、か)


 リザードマンの中にも、若干ではあるがこの世界の言葉や文字を覚え始めた者もいる。

 まだ確実に意思疎通出来る訳ではないが、全く話が通じないリザードマンよりは断然よかった。


(緑人が使えれば、そんな心配はしなくてもいいんだが。……リザードマンの中に一人、いや数人で緑人を置くのは危険だしな)


 リザードマンがどのような生態を持っているのかは、全てが分かっている訳ではない。

 ましてや、ゾゾやガガ達は異世界のリザードマンだ。

 それだけに、数人の緑人と一緒に行動させた場合、再び攻撃をするという可能性は決して皆無ではなかった。

 何より、緑人はこれからのギルムにとって非常に大きな利益をもたらしてくれるかもしれない存在だ。

 そうである以上、ここで緑人に犠牲を出すというのは、ギルムの領主として許容出来ない。


「ダスカー? どうしたの?」


 マリーナの言葉に、ダスカーは自分が深く考え込んでいたことに気が付く。

 今の状況を思えば、それもおかしなことではないのだが。

 ましてや、ダスカーは寝不足で集中力も普段よりは落ちている。……それでも、普通以上に頭が回るのはギルムの領主をやれるだけの能力を持っているからだろう。


「いや、何でもない。どうにかして生誕の塔を守る必要があると思ってな。人材が足りない以上、別の場所から持ってくるしかない。それで、リザードマンがどうかと思ったんだが……意思疎通出来ないのは厳しい」

「それは……そうね。レイ、ゾゾに協力して貰えないの?」

『私は、レイ様の側を離れるつもりはありません。お仕えする以上は、当然です』


 マリーナの言葉にゾゾはそう返すが、それに対してエレーナの口から反論が出る。


「言いたいことは分かるが、仕えている人物が望むことを行うのも部下の勤めではないか? 少なくても、アーラは私の願うことを叶えてくれる為に動いてくれるぞ」

「エレーナ様……」


 エレーナの言葉に、アーラは褒められたのが嬉しかったのか、頬を赤く染めて呟く。

 アーラは、エレーナに対して深い忠誠を抱いている。

 それこそ、エレーナが命じるのであれば、死地にですら喜んで突っ込んでいくのも躊躇わない程に。


「はいはい、アーラが感激しているのはいいから。それはそれとして、エレーナの言葉をどう思う、ゾゾ?」


 マリーナのその言葉に、ゾゾは少し躊躇い、口を開く。


『何と言われようとも、私は私の忠義を貫くのみです』


 その言葉に、レイは忠誠心を抱いてくれるのはいいけど、出来ればもっと柔軟に対応して欲しいと思う。

 正直なところ、ゾゾの存在はレイが行動する上で足枷となっている部分も多い。

 例えば、レイとセトだけなら空を飛べばトレントの森とギルムを、数分と掛からずに移動出来る。

 だが、セトが空を飛ぶ時は、基本的にレイしか背中に乗せることは出来ない。

 子供くらいであれば話は別だが、ゾゾを乗せてとなると非常に難しかった。

 そんな状況でもゾゾはレイと離れたくないと言い、結果として背中にレイとゾゾを乗せたセトが、空を飛ぶのではなく地を走って移動することになる。……それでも馬が走るより速いのだが。


「レイ」


 ゾゾの言葉に、マリーナは短くレイの名前を呼ぶ。

 貴方が何とかしなさい。

 そう言外に言っているのは、マリーナの表情を見れば明らかだった。


「あー、ゾゾ。俺としても出来ればゾゾには仲間を守って欲しいと思うんだが。直接のお前の子供って訳じゃないだろうけど、お前の一族の子供だったり卵だったりするんだろ? なら、その辺りはしっかりと守る必要がある筈だ」


 そう告げ、ゾゾが自分の言葉に若干のショックを受けた様子なのを見ると、言葉を続ける。


「ゾゾが俺に従ってくれるのは嬉しいし、忠誠を抱いているというのも分かっている。だが、それだけに専念するんじゃなくて、お前の仲間に対しても、その忠誠心……優しさと言ってもいいが、それを向けて欲しい」

『ですが、それは……』


 マリーナだけではなく、自分が忠誠を誓っているレイにまで自分と一緒に行動するよりも生誕の塔を守れと言われたゾゾは、戸惑った様子を見せる。


「マリーナも言った通り、忠誠というのは別にずっとその相手と一緒にいなければならない訳じゃない、と俺は思う」

『レイ様……』


 ゾゾが、レイの方を見て小さく呟く。

 ゾゾにしてみれば、まさかレイから駄目出しされるとは思っていなかったのだろう。

 実際、レイにとってもリザードマン達と意思疎通をするという意味では、石版を持っているゾゾがいた方がいい。

 しかし、生誕の塔の護衛を思えば、何か意思疎通に失敗した時に妙な騒動が起きるよりは、やはりしっかりと意思疎通出来る人物がいた方がいいのも間違いのない事実なのだ。

 だが、まさかレイがずっと生誕の塔の護衛として待機している訳にもいかない。

 それを考えれば、ゾゾが生誕の塔で護衛をしながらリザードマン達と冒険者達の意思疎通をするというのは、ベストではなくてもベターな選択肢ではあった。……レイにしてみれば、これがベストなのでは? という思いもあったが。


(こうなると、やっぱり石版の使用者をゾゾにしてよかったよな。もしゾゾじゃなくて俺が石版の使用者に登録していれば、最悪俺が生誕の塔にいないといけなくなっていたし。……もしくは、攻撃されるのを覚悟で緑人を待機させるか)


 レイが生誕の塔にいるのが最善ではあるのだが、今のギルムではレイの……正確にはセトの機動力とレイのミスティリングというのは、絶対に必要な代物だ。

 緑人は攻撃される可能性がある以上、ダスカーとしては出来ればそのような真似をしたくはないだろう。

 これからギルムにとって大きな利益をもたらしてくれるだろう者達なのだから。


「ゾゾ、だから頼む。お前の一族を守る為にも、ここは何とか生誕の塔で護衛についてくれないか?」


 そんなレイの言葉に、ゾゾは数分の沈黙の後に頷くのだった。

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