第2047話

 領主の館を出たレイは、ゾゾと共にセトの背に乗ってトレントの森に向かう。

 ギルムで中に入る手続き待ちをしている者達や、ギルムに向かって街道を進んでいる者達は、セトの存在については既に知っている者も多く、直接セトに接したこともある。

 だが、そのセトにレイが乗っているだけであればまだしも、レイの後ろにリザードマンのゾゾが乗っているとなれば、当然のように驚く。

 レイが新たにリザードマンをテイムしたというのは、ギルムに住む者であっても知らない者が多い。

 当然のように、現在ギルムに入ろうとしている者の多くは、そんなゾゾの姿を見て驚愕の表情を浮かべる者が続出した。

 とはいえ、グリフォンのセトとリザードマンのゾゾだ。

 そうなれば、初めてセトを見た時と比べると驚きは少ない。

 グリフォンとリザードマンというのは、それだけ格の差というのが大きいのだ。

 ……尚、ゾゾが使っている石版は、セトに乗って移動する上では邪魔になる可能性が高いので、レイの持つミスティリングの中に収納されている。

 石版は、ゾゾが他人と意思疎通することが出来る、貴重なマジックアイテムだ。

 一応ダスカーはその石版、もしくは同じような効果を持つマジックアイテムを集めるようにと指示を出してはいたが、現在石版を使えるのはゾゾだけなので、石版を破損したりなくしたりするという危険はおかせなかった。


「到着、と」


 多くの者に注目されているというのは分かっていたが、レイにとってそれはいつものことにすぎない。

 自分に向けられる視線を無視し、レイは既に通い慣れたと言ってもいいトレントの森に到着する。


「おー、レイか。今日は遅くなるって聞いてたけど、そうでもなかったんだな」


 トレントの森で周囲を警戒していた冒険者の一人がレイの姿に気が付き、そう声を掛けてくる。

 その顔には特に切羽詰まった様子もないことから、今日はまだ転移が行われていない……もしくは、転移が行われたとしても、まだ接触をしていないのだと判断する。

 それでも、今回の件を考えると一応は聞いておいた方がいいだろうと判断し、レイはセトから下りながら口を開く。


「それで、今日は何か問題があったか? 緑人やリザードマンの類と遭遇したとか」

「そういうのはないな。取りあえず、今のところは、だけど。……ただ、レイがやって来たとなると、そろそろ転移してくるんじゃないか?」

「あのな、別に俺が呼び寄せてる訳じゃないぞ?」


 冒険者の言葉に、呆れながらレイも言い返す。

 冒険者が本気で言ってる訳ではないというのは、レイも知っている。

 だからこそ、その言葉に乗るように言い返したのだ。

 冒険者もそれを理解したのだろう。

 ニヤリといった様子で笑みを浮かべ、口を開く。


「そうか? ここ最近ギルムで起きた問題には、レイがかなりの割合で関わってただろ? そうなると、今回もそうではないとは言い切れないんじゃないか?」

「お前が俺をどう見てるのかってのは、よく分かったよ」


 そう言い返すレイだったが、今回の一件が目玉の素材を使ったグリムの実験ではないのかと疑っていたのは事実だ。

 もしそれが事実であれば、目玉を倒したのはレイであった以上、男の主張は決して間違っていなかったことになる。


「俺だけじゃないと思うがな。……まぁ、それはともかくとしてだ。昨日に引き続いて、随分と凄い登場の仕方だったな」


 この冒険者は、昨日レイがゾゾと一緒にセトに乗ってここまでやってきたのを見ていたからか、そんな風に言ってくる。

 レイとしてはその表現に言い返したいと思ったが、地上を猛スピードで走るグリフォンの背中に、レイとゾゾが乗っている光景というのは、どこからどう見ても『凄い』という表現が相応しいのは事実だ。

 もっとも、その凄いというのは、レイが思っているのとは別の意味での凄いだったのだろうが。


「そうだな。凄いと思っておいてくれ。俺は取りあえず伐採された木を収納してくるから、この辺の見張りは頼んだ」

「あいよ」


 短く言葉を交わし、レイはゾゾとセトを引き連れてトレントの森を進む。

 とはいえ、去年からずっとトレントの森の木を伐採している以上、当然のように森は次第に小さくなっている。

 そのまま少しの間歩き続けていると、視線の先で丁度伐採された木が倒れていくのが見えた。


(木の倒れる方向をしっかりとコントロール出来るのは、一流の樵の証だな)


 倒れた木を、樵の護衛兼助手の冒険者達が、手早く枝を切っていく。

 何度もやっている作業だからか、その手際は非常に際立っていた。

 それこそ、本職は冒険者ではなく樵なのではないかと思うくらいに。

 木の伐採を終え、一息吐いていた樵はレイの姿に気が付き、大きく手を振る。


「おう、レイ!」

「……何だ? 随分と上機嫌だな。何かあったのか?」


 レイの名前を呼んだ樵は、これまでにも一緒に仕事をしてきたこともあり、何度も話したことのある人物だ。

 初めてレイに会ったのであれば、セトの存在や深紅の異名を持っているレイに会ったことで興奮してもおかしくはないが、この樵はそのようなことで喜ぶとは思えない。

 ましてや、仕事場に緑人やリザードマンがいきなり転移してくるような場所なのを考えると、機嫌が良くなる理由は存在しない筈だった。

 にも関わらず、何故ここまで機嫌がいいのか。

 それを疑問に思ったレイの問いに、樵は男臭い笑みを浮かべて口を開く。


「前から、樵の数が少ないって言ってただろ? それが今日、ようやく新しい樵がやって来たんだよ。……まぁ、この森に慣れるまで数日は掛かるだろうけど」

「あー……なるほど。それはまた、とんでもない時に来たな。こっちとしては助かるけど」


 それが、新しい樵が来たと聞いた時のレイの正直な感想だった。

 増築工事の為に、トレントの森の木を魔法処理した建築資材は幾らあっても足りない。

 そういう意味では、新しい樵が来たというのはレイにとって……いや、増築工事に関わっている多くの者にとって嬉しいことだろう。

 だが、今のトレントの森は緑人やリザードマン達が転移してくるという、色々な意味で特別な場所になっている。

 そのような場所にやって来たというのは、身の安全という意味では決して好ましくはない。

 もっとも、ギルムの上層部でもその辺りの事情はしっかりと理解している為か、転移の一件から樵の報酬はかなり高くなっているのだが。


「レイがいれば、リザードマンが転移だったか? それで突然現れても、問題ないだろ」


 それは、実際に結果を見せているからこその信頼だった。

 レイはそんな樵の言葉に頷く。


「そうだな。ゾゾと同じくらいの奴なら、何とかなる。……それ以前に、リザードマンならゾゾが命令すれば大体何とかなるだろうし。ザザのような例外でもない限り」


 ゾゾの兄のザザは、とてもではないが話して分かる相手ではなかった。

 結果として、ゾゾによって倒され、現在は地下牢に入れられてる。


(ゾゾが第十三皇子で、ザザが第十一皇子だったか。……別に上に行けば行く程に強くなる訳でもないんだろうけど)


 レイは樵と会話を続けながらそう告げ、そう言えば石版を預かったままだったと思い出す。


「悪い。ちょっと待ってくれ。……ゾゾ」


 ミスティリングから取り出した石版を、ゾゾに渡す。

 当然のように、樵はその石版がなんなのかは分からない。

 不思議そうな視線をレイに向け、その石版は何だ? と尋ねる。


「これは俺が師匠から借りたマジックアイテムだ。これがあれば、ゾゾとしっかり会話をすることが出来る。今日遅れたのは、この石版の件をダスカー様に報告してたからなんだよ」

「……本当か?」


 樵にしてみれば、今まで会話を出来ずに身振り手振りでしか意思疎通出来なかったゾゾと会話が出来るのかという疑問を抱く。

 レイも樵の考えは分かっていたので、頷きながら声を掛ける。


「なら、ちょっと話してみろよ」


 その言葉に、樵は一瞬戸惑った後で頷く。

 もし今日ゾゾを初めてみたのであれば、樵はこうも容易くレイの言葉に頷くようなことはしなかっただろう。

 だが、幸いにも樵はレイとゾゾが一緒にいるのを見るのは今日が初めてという訳ではない。

 だからこそ、レイからの提案に素直に頷くことが出来た。


「分かった。……ゾゾ、俺の言葉が分かるか?」

『はい、分かります』


 樵の言葉に対する返事が、石版に表示される。

 ……が、それを見た樵は首を傾げる。


「何も返事をしないぞ?」

「いや、石版の文字だよ、文字」

「何? ……悪いが、俺は文字を読めん」


 そう言われ、レイは意表を突かれたように樵の顔を見るが、改めて考えてみれば、この世界においては識字率というのはそこまで高くない。

 先程までレイがいたのは領主の館だったので、皆が普通に文字を読めたが、樵であれば文字を読むことが出来なくてもおかしくはなかった。

 識字率という点では、依頼書を見てそれがどのような依頼なのか、戦うべき相手は誰なのか、報酬は幾らなのかといったことを自分で調べる必要がある為、樵よりも冒険者の方がよっぽど高かったりする。

 一応文字を読めない場合に代読する者もいるので、絶対に文字を読めなければならないという訳ではないのだが。

 ともあれ、石版の表示されている文字を樵が読めないというのは、レイにとってはかなりの誤算だった。

 勿論、レイもこの世界で識字率が高くないというのは知っていたのだが、普段からレイが活動している範囲内では殆どの者が文字を読める為に、そこまで気にしてはいなかったのだろう。

 また、わざわざ相手に文字を読めるか? といったことを聞くような真似をしていなかったというのも、大きい。


(これは……正直なところ、ちょっと困ったな)


 レイにしてみれば、ゾゾの使っている石版があれば誰とでも意思疎通は出来るのだろうと、そう思っていた。

 だが、実際には文字が読めない者がいる以上……と、そこまで考えたところで、ふと疑問を抱く。


(あれ? 領主の館で……何で読めたんだ?)


 ダスカーやその部下達、そして講師役の面々が文字を読めるのは当然だ。

 ゾゾの部下のリザードマンも、国に仕える兵士であるという立場上、文字を読めてもおかしくはないだろう。

 だが、ロロルノーラを始めとした、緑人達。

 正確には石版の効果で文字を読むことは出来なかったのだが、その石版の文字を読もうとしたということは、ロロルノーラが文字を読めるということを意味していた。

 レイがゾゾから聞いている限りでは、緑人というのは街中に住むのではなく、林や森、山といった植物が多く存在する場所に住むのだ。

 であれば、そんなロロルノーラ達がどこで文字を習ったのか。

 その辺りを疑問に思うのは、当然だった。


「文字が読めないとゾゾ達と意思疎通出来ないのはともかくとして……ゾゾ、お前達のいた場所では、全員が普通に文字を読めるのか?」

『はい。生まれた時からその辺りの知識は持っています』

「……なるほど」


 その言葉で、更にレイはゾゾ達がこの世界ではなく異世界から来た存在だということに確信を持つ。

 生まれた時から文字を読める知識を持つなどというのは、レイの目から見ても異常だとしか思えなかった。

 勿論、全ての知識を生まれた時から持っている訳ではなく、あくまでも最低限の知識だけで、それ以上の知識は自分で勉強して習得していく必要があるのだろうが。


「どうかしたのか?」


 レイの様子を見て、話していた樵が不思議そうな視線を向ける。

 レイは、それに何でもないと首を横に振るも、ゾゾ達の世界に今まで以上の興味を持った。

 当然だろう。生まれた時からそのような知識を持っているということは、何か……そう、例えば神のような超越的な存在がいるということになるのだから。

 このようなファンタジーの世界にやってきたのだから、神がいてもおかしくはない。

 だが、少なくてもこのエルジィンにおいては神の存在を感じた事が、レイにはなかった。

 ……もっとも、聖光教という宗教も存在するのだが、そちらはレイから見れば胡散臭い新興宗教といった印象しか存在しない。

 今まで何度もぶつかってきた身としては、それこそ聖光教は邪教と呼んでもおかしくはなかった。

 そんな偽りの存在ではなく、本当の意味での神。

 それに、レイが興味を持たない筈がない。


「いや、ゾゾ達がいた場所では、生まれた時にはもう文字とかが分かっているらしい」

「本当かよ、それ」


 レイの言葉に驚いたのは、樵だけでなく、他にも話が聞こえてきた者達だ。

 その者達の目にあるのは、羨望の色が濃い。

 文字を読める者も、かなり苦労して勉強したことを思えば、生まれた時から文字を読めるというのは、それだけ羨ましいことだったのだろう。

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