第2024話

 マリーナの家に泊まった翌朝……幸いなことにと言うべきか、もしくは残念なことにと言うべきか、レイにとって特別な何かがある夜ではなく、レイは自分に割り当てられた部屋でぐっすりと眠ることが出来た。

 なお、レイが割り当てられた部屋は、中庭に面している部屋の一つだ。

 理由としては、ゾゾが中庭にいるというのが大きい。

 別に廊下にいても構わなかったのだが、ゾゾがそうしたいと主張した――当然身振り手振りでだが――ことから、そのようになった。

 ともあれ、そんなレイだったが……中庭で何か騒いでいる声が聞こえてきて、目が覚める。

 普段であれば、レイの寝起きは非常に悪い。

 それこそ、レイがギルドで依頼を受ける時に朝の一番混んでいる時間に行けない理由の一つがそれなのだから。

 もっとも、単純に混んでいる場所に行きたくないという理由もあるのだろうが。


「何の音だ? ……ゾゾ?」


 まさか、ゾゾが何かの問題を起こしたのか。

 半ば寝ぼけた頭であったが、そのことに気が付くと急速に意識がはっきりとしていく。

 そうしてベッドから起き上がって窓の外を見ると、そこではゾゾ……ではなく、ヴィヘラがビューネと模擬戦を行っているところだった。

 とはいえ、ヴィヘラとビューネの間にある実力差は明確である以上、それはどちらかと言えば訓練と呼ぶに相応しいものだったが。

 そして、レイの部屋の窓からそう遠くない場所で、ゾゾがそんな模擬戦を眺めている。

 言葉を発する様子はないが、それでもゾゾの視線の中に驚愕の色があり……同時に、戦いたいという思いがあるのは、レイにもすぐに理解出来た。


「戦いたいか?」

「っ!?」


 レイの声が聞こえ、そこで初めてゾゾはレイが起きていたということに気が付いたのだろう。

 相変わらずレイが理解出来ない言葉を発しながら、丁寧に一礼する。

 言葉が分からないレイだったが、それでも今のゾゾが何を言ったのかというのは、予想出来た。

 朝の挨拶だろう、と。


(いや、それとも俺が起きたことに気が付かなかったことを謝ったのか? まぁ、どっちでもいいけど)


 気にするなと軽く手を振った後で、ふと思いついたことがあり、レイはゾゾにそこでちょっと待っているように言い、身支度を済ませてから中庭に出る。

 まだ朝が早く、エレーナとアーラ、マリーナの姿はない。

 それでも、マリーナの精霊魔法によって快適な気温に整えられているのは、庭で夜を明かしたゾゾにとって非常に助かったのだろう。


(今日こそは、グリムと連絡が取れればいいんだけど)


 暖かい空気に触れ、ふとそんなことを思う。

 ゾゾやロロルノーラ達のことで、もしかしたらグリムが目玉の素材を使って何らかの実験をしたのが原因ではないかと考えたレイが対のオーブを使ってグリムに連絡を取ろうとしたのだが、結局昨夜は向こうが対のオーブに姿を映すことはなかった。

 それが、余計に目玉の素材を使った実験に夢中になっているからそのようなことになったのではないかと思え、今回の一件はやはりグリムの実験に何か関係があるのではないかと、疑ってしまう。

 また今夜にでも対のオーブを使ってみよう。

 そう思った時、レイはちょうどゾゾの前に立っていた。


「●●●?」


 レイの様子に、疑問の声と思われる言葉を発するゾゾ。

 そんなゾゾに、レイはミスティリングの中から一本の長剣を取り出す。

 ……なお、レイのミスティリングには長剣を始めとした武器の類もかなりの数収納されていた。

 それは別に買ったものではなく、盗賊狩りをした時に盗賊達が持っていた武器を奪ったものだ。

 ある程度は売ったりもしているが、他にも色々と使い道があるために、こうしてその多くはミスティリングに収納されている。

 レイが取り出したのは、そのうちの一本。

 それをゾゾに渡す。

 渡されたゾゾは、何故レイがそのような真似をするのかが分からず、疑問の視線をレイに向ける。

 だが、レイはそんなゾゾの様子に構うことはなく、ミスティリングの中から槍を一本取り出す。

 こちらの槍も、黄昏の槍ではなく、ましてや投擲に使う使い捨ての槍でもなく、盗賊から奪った槍のうちの一本だ。

 槍を手にしたレイは、ゾゾからある程度の距離を取る。

 そこまでされれば、ゾゾもレイが何を考えてそのような真似をしたのかを理解したのだろう。

 何も言わず、黙って長剣を構える。

 とはいえ、身長二mを超えるゾゾだ。

 レイが渡した長剣は盗賊が……普通の人間が使う為に作られたもので、ゾゾが持つとどこか小さく感じられる。

 それでもゾゾは自分が持っている長剣を扱いにくい様子も見せず……そのまま構える。

 トレントの森で戦った――と表現してもいいのかどうかは微妙だが――時は、完全にレイのことを侮っていたからか、その一撃はとてもではないが全力とは呼べないものだった。

 だが、今は違う。

 レイが自分よりもどれだけ強いのかということは十分に知っており、今のゾゾの力ではどうやっても太刀打ち出来ない相手だと理解していた。

 だからこそ、この訓練で自分の全力を出して、レイに自分の力を見せる必要があると考えていたのだ。


「っ!」


 蛇のような、シャーッという音に近い声を発しながら、ゾゾは一気に前に出る。

 レイの持つ武器が槍である以上、どうしても長剣で有利に戦うには間合いを詰める必要があった。

 また、槍のような長柄の武器は間合いを詰められると不利になるということも、当然のようにゾゾの計算には入っている。

 もっとも、レイ程の腕前ともなれば、それこそ間合いを詰められた時の対処方法も十分に理解しているのは間違いない。

 その辺は期待しすぎないようにして、運が良ければレイの攻撃が鈍るかもといった程度の期待しかしていない。

 レイは、ある程度力を抜き、それでいてしっかりとゾゾの訓練になる程度の力を込めて槍を振るう。

 それは、横薙ぎの一撃。

 本来槍は突きこそが主な攻撃方法なのだが、払いという選択もある。

 レイの一撃はそれだったが、ゾゾにしてみればデスサイズの柄で横薙ぎの一撃を食らった時のことを思い出す一撃だ。

 それでもゾゾは昨日の一撃を乗り越えるべく、そしてレイに自分の力を見せるべく、後ろに下がろうとした自分の身体を無理矢理前に進ませる。

 それが功を奏したのか、ゾゾは尻尾を使うことによって無理矢理自分の身体を伏せることに成功した。

 二mを超える巨体が、一瞬にして沈んだのだ。

 それには、レイも純粋に驚き……だが、手首の動きだけで無理矢理槍の軌道を変える。

 まさに小手先の技術ではあるのだが、それをレイがやれば、その辺の冒険者とは違う結果が生まれる。

 柄の部分での一撃ではあったが、空気を斬り裂く勢いで振るわれるその一撃を、ゾゾは再度尻尾を地面に叩きつけることにより、巨体を跳躍させた。

 それは、普通に考えれば有り得ない光景。

 事実、他のリザードマンには不可能な動きなのだから。

 そうして落ちてきた槍の一撃を回避したゾゾは、そのまま長剣を振るい……だが、何故かその一撃は途中で止められる。

 いや、何故かではなく、それはレイがゾゾの一撃を槍で受け止めたが故の出来事だ。


「っ!?」


 信じられないといった様子で、ゾゾが息を呑む。

 当然だろう。つい一瞬前に自分が回避した筈の槍が、何故か再び自分の前にあり、長剣の一撃を受け止めていたのだから。

 一瞬、先程の妙な技――ミスティリング――で新たな槍を生み出したのかとも思ったのだが、長剣の一撃を受け止められた状況で不意に力を受け流され、またすぐに模擬戦に集中するが……生憎と、ゾゾが新たな行動を起こすよりも、長剣を槍で受け流したレイが手首の動きで槍の穂先をゾゾに突きつけるのが、ほぼ同時だった。


「●●……」


 信じられないといった様子を見せるゾゾ。

 だが、この状況からはどうあっても自分の勝ちに持っていくことは出来ないと判断したのだろう。

 持っていた長剣を地面に落とし、数歩下がってレイに向かって一礼し、自分の負けだということを示す。

 言葉が通じなくても、ゾゾが負けを認めているというのは分かったので、レイもまた構えていた槍を下ろし、模擬戦は終了する。


「随分と尻尾を上手く使うんだな」


 レイは尻尾を指さしながら、感心したように言う。

 ゾゾも、レイの言葉は理解出来なかったが、それでもレイが自分を褒めているということは理解したのだろう。

 嬉しそうに身体を震わせ、再度頭を下げる。


「面白いことをやってるわね。私にも模擬戦をさせてくれない?」


 と、不意にそんな風に話しかけてきたのは、ヴィヘラだ。

 先程まではビューネとの戦闘訓練を行っていたのだが、レイとゾゾの模擬戦を見て、自分もゾゾと戦ってみたいと思ってしまったのだろう。

 ヴィヘラの性格を考えれば、おかしなことではない。

 レイはヴィヘラはこのままだと止まらないと判断し、ゾゾを見てからヴィヘラを見て、軽く構える。

 最初はゾゾもレイが何をしているのかは分からなかったが、それでも何度か同じ行為を繰り返しているうちにレイが何を言いたいのか、そしてヴィヘラが何を望んでいるのかを理解したのか、頷く。

 いつもであれば、ヴィヘラを見てとても強そうには思えないといって模擬戦を受けるような真似はしなかったのだろうが、幸いなことにゾゾはレイが起きるまでの間に、ヴィヘラとビューネの模擬戦を見ていた。

 それを見れば、ヴィヘラがかなりの強さを持つ……それこそ、自分よりも強いのだろうというのは、容易に想像出来てしまう。


「よし、問題はないらしい」

「昨日から見て分かっていたけど、言葉が通じないってのはかなり不便よね」


 レイとゾゾの様子を見ながら、しみじみと呟くヴィヘラ。

 その意見にはレイも賛成だったが、それこそ何度となく身振り手振りで意思疎通をしている為か、それなりに慣れてきたのも事実だ。

 それでも意思疎通に手間が掛かるのは事実だし、完全に自分の意志を伝え切れているのかどうかも分からない以上、出来れば早いところゾゾに言葉を覚えて欲しいというのが正直なところだったが。

 ともあれ、模擬戦が成立すると、ゾゾは先程地面に落とした長剣を拾って構える。

 ヴィヘラもゾゾと向かい合うよう、いつものように構えを取る。

 始めの声もないまま、お互いがほぼ同時に動き出す。

 今回は先程のレイとゾゾの模擬戦とは違い、間合いで有利なのは長剣を持つゾゾの方だ。

 ヴィヘラが手甲に魔力の爪を生み出せば話は別だったが、この戦いでそのような真似をする様子はなく、ヴィヘラは緊張した様子も見せず前に出る。

 そんなヴィヘラの行動は、ゾゾにとっても予想外だったのだろう。

 まさか、自分のいる場所に真っ直ぐ向かってくるヴィヘラに一瞬虚を突かれたように動きを止め……だが、次の瞬間にはそんなヴィヘラに向けて長剣を振るう。

 ゾゾの腕力によって振るわれたその長剣は、それこそ普通であれば回避するのは難しいだろう。

 だが、それはあくまでも普通であればの話であって、ヴィヘラを普通という枠内に入れるのは無理がある。

 足捌きを使い、ゾゾの一撃を完全に見切ったかのように回避するヴィヘラ。

 いや、実際にヴィヘラは先程のレイとゾゾの模擬戦をその目で見て、ゾゾの剣捌きを見切っていたのだろう。

 ゾゾの技量がヴィヘラと同等……もしくは近ければ、それだけでゾゾの技量を見切るといったことは難しい。

 しかし、ヴィヘラの技量はゾゾを大きく上回っており、またゾゾが使っているのが自分の使い慣れた長剣ではなく、レイから渡された盗賊の物だというのも影響している為に、とてもではないが万全の状況とは言えない。

 それだけに、ヴィヘラはゾゾの一撃をあっさりとかいくぐり……次の瞬間、その拳がゾゾの身体にめり込む。

 とはいえ、ゾゾの皮膚は鱗に覆われており、鎧を着ていなくても十分それと同等の効果を発揮する。

 ゾゾは、自分の防御力に自信があるからこそ、敢えてヴィヘラの一撃を受け、それにカウンターを加えようと、そう思っていたのだろうが……次の瞬間、その口からは鈍い悲鳴が吐き出された。

 その一撃は、ゾゾの持つ鱗など存在しないかのようにダメージを与えたのだ。

 ヴィヘラが得意とする、相手の体内に直接魔力によって衝撃を与える浸魔掌の類ではなく、本当に普通の拳での一撃。

 一見すればとてもではないが鍛えているようには見えない、それこそ白魚のようなという表現が似合うヴィヘラの手が繰り出したとは、とてもではないが思えない剛拳。

 その一撃により、ゾゾは数mもの距離を吹き飛び、地面を転がり……こうして、予想以上にあっさりと模擬戦は終わるのだった。

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