第2023話
ゾゾが立ち上がり、先程にもまして神妙な態度を取るようになってから数十分。
やがて、新たな人物がマリーナの家の庭に姿を現す。
「全く……結局何もなくて、しみじみと暇だったわ」
不満を口にしているヴィヘラの様子を見て、レイはそうだろうなという思いを抱く。
ロロルノーラやゾゾといった面々が転移してきたことから、また新たに誰かが転移してくるのではないか。
そして、転移してきたゾゾ達がロロルノーラの仲間達に攻撃をしていたことを思えば、また新たに転移してきた相手も暴れる可能性があり、それを警戒してレイはヴィヘラにトレントの森の見張りを頼んだのだが……転移してくる者がいなければ、モンスターの類も殆ど現れないトレントの森での待機は、暇でしかない。
数時間もの間、そんな暇な時間をすごすことになってしまったヴィヘラにしてみれば、不満を口にするのも当然だろう。
ましてや、ヴィヘラは強敵との戦いを楽しみにしてトレントの森に行ったのだから、がっかり感はより強くなってしまう。
「その辺はしょうがないでしょ。そもそも、どこかから転移してくるというのがそう頻繁にある訳でもないし」
「……そう? でも、レイの前では二回もあったじゃない」
中庭に用意されたテーブルに座りながら、ヴィヘラはレイに視線を向けてそう告げる。
それは間違いのない出来事ではあったのだが、同時に『レイだから』ですんでしまうのも、また事実だった。
「レイと一緒にいれば、もしかしたら新しい誰かが転移してきたかもね」
「いや、それはどうなんだ? 別に俺がいるから転移してきた訳でもないだろうし」
そう言うレイだったが、これまで様々なトラブルに巻き込まれてきたことを思えば、そんな言葉が信用して貰える筈もない。
他の面々から呆れの視線を向けられる。
それこそ、普段は滅多に表情を変えることがないビューネにまで呆れの視線を向けられたのだから、レイの言葉にどこまで信用性がないのかを表しているのだろう。
「まぁ、転移云々に関しては、別に今日だけとも限らないでしょ? 明日だってどこかの亜人やモンスターが転移してくるかもしれないんだから」
はい、と精霊魔法で冷やした果実水の入ったコップをヴィヘラに渡しながら、マリーナが告げる。
ヴィヘラはそのコップに入っていた果実水を乱暴に飲む。
白い喉が蠢いて果実水を飲む光景は、見ている者の目を奪うには十分な蠱惑さを持っていた。
とはいえ、それを見せつけた本人は周囲の様子を全く気にした様子も見せずに、テーブルの上にコップを置くと口を開く。
「そう簡単にはいかないわよ。今日はどうしても人手が足りなくて、レイが私に話を持ってきたけど、明日になれば騎士団やそれ以外でも都合のいい冒険者を派遣することになるでしょうし」
「あー……まぁ、そうかもしれないな」
ヴィヘラの言葉に、レイは納得したようにそう告げる。
レイはゾゾのような好戦的なリザードマンがやって来た場合に備えて、戦闘力の高いヴィヘラにトレントの森で待機して貰うように要望した。
だが、ロロルノーラのような緑の亜人達がやってきた場合は、友好的に接する可能性があるのだ。
ヴィヘラがその手の交渉を出来ないという訳ではないが、それでも万が一のことを考えれば、好戦的ではない……強者との戦いを求めたりしないような、そんな存在をトレントの森に置きたいというのは、ダスカーを含めたギルムの上層部としては当然の判断だろう。
「その辺は、それこそ明日になってみないと分からないな。……まぁ、俺は伐採された木の運搬というのを抜きにしても、呼ばれることになりそうだけど」
初めて緑の亜人やリザードマン達と接触したのがレイで、その上でロロルノーラからも信頼されており、ゾゾにいたってはレイに対して臣従している。
転移してきたのがリザードマンであれば、ゾゾが新たなリザードマンとレイ達の間を取り持つことが出来る可能性もあった。
また、もし強力なモンスターが転移してきても、レイとセトがいればどうにでも対処出来るというのは大きい。
そんな状況にあるレイを、トレントの森で待ち受けるメンバーに選ばないというのは有り得なかった。
「あら、じゃあレイが私を推薦してくれるのかしら?」
「……まぁ、ヴィヘラがいれば安心出来るのは、間違いないけど」
レイの言葉に、ヴィヘラが少しだけ期待の視線を向ける。
レイが言うのであれば、今回の一件でも自分がまたトレントの森に行けるのではないかと、そう思ったのだ。
それに、トレントの森に行くレイであっても、伐採された木をギルムに運んでくるということはやらなければならない。
今回の転移の関係もあるが、ギルムの増築工事で使う建築資材が足りないというのも、間違いのない事実なのだ。
であれば、レイの仕事として伐採された木を運ぶといった仕事はどうしても必要だった。
「ふーん。……けど、ゾゾだったかしら。そっちの方はどうするの? レイがセトと一緒に行動するとなると、ゾゾは別行動になるんじゃない? けど、それに納得出来るのかしら」
「……どうなんだろうな。言葉が通じれば、説得も出来るんだろうけど」
身振り手振りで説得出来ないとは言わないが、それでも間違いなくかなり面倒なことになるのは確実だろう。
そうならない為には、やはり言葉が通じた方が便利なのだ。
「言葉を覚えるのもいいけど、マジックアイテムとかそういうので、お互いに意思疎通出来ればいいんだけどな」
「ゾゾの様子を見ている限りだと、もし話が通じても、とてもじゃないけどレイの説得を聞くとは思えないけどね」
「……まぁ、それは否定しない」
ヴィヘラの言葉に、レイはゾゾに視線を向ける。
するとそんなレイの視線に気が付いたのか、どうしたのですか? と言いたげにゾゾはレイに視線を向けてくる。
その様子は、とてもではないが初めてレイと会った時とは比べものにならない。
それこそ、心の底からレイに心酔しているのだと、見ている誰もが理解出来るような様子。
……もっとも、イエロやエレーナといった面々に対する態度は、また別の話なのだろうが。
「うん? ちょっと待った。少し聞きたいんだが、ゾゾは今夜どうするんだ? やはり、レイの部屋で寝るのか?」
と、レイとヴィヘラの話を聞いていたエレーナは、不意にそう尋ねる。
エレーナのその言葉は、レイにとっても予想外だったのだろう。『あ』と、若干間の抜けた言葉がレイの口から出る。
実際のところ、今日は色々とありすぎてエレーナの言ったように、ゾゾを今夜どうするのかといったことは、全く考えていなかったのだ。
それでも少し考え、イエロと遊んでいるセトを見ながら、口を開く。
「一応俺の従魔って扱いなんだし、夕暮れの小麦亭の厩舎にいれるのが適当……なのか?」
ゾゾが従魔だということであれば、そんなレイの言葉は決して間違っている訳ではない。
だが、見て分かるような獣型だったり鳥型だったりといったような非人間型のモンスターとは違い、ゾゾはあくまでもリザードマンとして人間に近い姿をしている、
ましてや、ゾゾはどこかの国に所属していると思われ、リザードマン達を率いる立場にいる人物だ。
そのような相手を厩舎で眠らせるといった真似をすれば、間違いなく後々面倒なことになるというのが、レイの予想だった。
そもそも、レイの側にいることを重要視しているゾゾが、そこまでレイと離れることを許容するとは思えないのだが。
「それは止めておいた方がいいでしょうね。それなら、まだゾゾをレイの部屋の中に入れた方がいいんじゃない?」
「入れるかどうかで考えれば、普通に入れるんだよな」
ゾゾはレイよりも大きいが、セトのように体長三mもある訳ではない。
夕暮れの小麦亭にあるレイの部屋にも、ゾゾは普通に入ることが出来る。
とはいえ、幾ら自分に従っているとはいえ、ゾゾとは今日会ったばかりなのだ。
そうである以上、まさか自分が無防備に寝ている場所に、ゾゾがいるというのは落ち着かない。
(これは……しまったな。ゾゾを領主の館に戻すか? いや、それだとゾゾが納得しないか)
そもそも、レイが領主の館から出て来る時も、必死になってゾゾはレイと一緒に来ると主張したのだ。
そうである以上、一度連れてきた今の状況から、また領主の館に戻れと言っても、それを聞くとは到底思えなかった。
どうするべきか。
目の前にある料理に手を伸ばすこともなく考えているレイだったが、そんなレイを見かねたのか、マリーナが口を開く。
「しょうがないわね。じゃあ、レイは私の家に泊まっていきなさい。それなら、ゾゾを厩舎に入れたりといった真似はしなくてもすむでしょ。ただ、自分の部屋に入れるとか、そういうのは自分でどうにかしてちょうだい」
「……悪い」
マリーナの家に泊まるということで一瞬戸惑ったレイだったが、考えてみればそれが一番手っ取り早い方法である以上、その言葉に素直に従う。
「あら、じゃあ折角だし、私達も泊まっていきましょうか。ビューネもそれでいい?」
「ん? ……ん」
サンドイッチを口に運んでいたビューネは、ヴィヘラの言葉に頷きを返す。
「ってことなんだけど、構わない?」
「普通は最初に私に聞くんじゃない? 構わないけど」
こうやって素直にマリーナが頷いたのは、ゾゾ以外の全員が信頼出来る相手だからだ。
そして、ゾゾが何か妙なことをしようとしても、この家にいる限りは精霊によって好き勝手なことは出来ない。
それが分かっているからこその、マリーナの言葉だった。
……もっとも、マリーナの正直な気持ちとしては、レイになら妙なことをされてもいいという期待がない訳でもなかったのだが。
「こほん」
マリーナの考えを察したのかのように、エレーナが小さく咳払いする。
そんなエレーナに対し、マリーナは不思議そうな……それこそエレーナが風邪にでもなったのではないかという、視線をむける。
そこに浮かんでいるマリーナの表情には、一切後ろめたい様子がない、
だが、エレーナも普通の女ではない。
何だかんだと、レイやマリーナとの付き合いもそれなりに長い以上、マリーナが何を考えていたのかというのは、何となく理解出来る。
「どうしたの、エレーナ。やっぱり風邪? まだ春とはいえ、夜は寒いんだし、今夜はゆっくりと休んだ方がいいんじゃない?」
「その心配はいらん。私はこう見えても普通の人間ではないからな。それこそ、夜が寒いというのであれば、マリーナこそ早く眠った方がいいのではないか? そうすれば、いらないちょっかいを掛けるようなこともないだろうし」
「あら、私もこの家にいる限りは、精霊達のおかげで寒さは気にしなくてもいいのよ。快適にすごせるし」
「……では、何故私に早く寝るように言ったのだ?」
「さて、何でかしら。エレーナは最近色々と忙しそうだったし、健康を気遣ったのよ」
うふふ、おほほ、ははは。
そんな笑い声を上げながら、表面上は穏やかに話すエレーナとマリーナ。
……だが、ゾゾは少しずつではあるが、テーブルから離れていく。
エンシェントドラゴンの魔石を継承したエレーナの様子が怖いというのもあるが、それ以上に女としての二人が怖かったのだろう。
だが、ゾゾ以外の者は、それこそビューネであっても、特に気にした様子もなく食事に集中している。
これは、別に本気で喧嘩をしている訳ではないと、理解しているからだ。
一種の戯れやじゃれ合いといったようなものだった。
とはいえ、ゾゾが怖がっているのも事実である以上、いつまでもこのままという訳にはいかないのも、また事実。
「ほら、二人ともその辺にしておきなさい。それより、今夜は全員がマリーナの家に泊まるってことでいいのね」
珍しくヴィヘラが二人を諫め、話を纏める。
「そうね。私は全然構わないわよ。部屋もそれなりに余っているし」
貴族街の建物としては、マリーナの家はかなり小さい部類に入る。
だが、それでもセトが駆け回るだけの庭の広さがあるように、相応の広さはあり、ここにいる全員が泊まる程度は全く何の問題もなかった。
微妙にエレーナが心配しているのが、マリーナが妙な行動を起こさないかということだったが、それも表向きだけのことであって、実際にそのような真似をするとはエレーナも思ってはいない。
もっとも、レイが何らかの行動を起こすということであれば、大歓迎ではあったのだが。
「若干心配なところもない訳ではないが……取りあえず、そんな感じでいいだろ」
レイの言葉で、今日はマリーナの家に全員が泊まるということに決定したのだった。
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