第2019話

「セトちゃん、セトちゃん、セトちゃん、セトちゃん、久しぶりーっ!」


 ギルドから出たレイとヴィヘラとビューネの三人が見たのは、ギルドの前でセトに対して抱きついて壊れたようにセトの名前を呼んでいる女の冒険者だった。

 何故冒険者と判断出来たのかといえば、鎧を装備し、長剣の入った鞘が腰にあった為だ。

 そして何より、レイはそんな女冒険者の後ろ姿に見覚えがあったし、同時にその冒険者の周囲にいる何人かに見覚えがあったというのも大きい。


「あー……ミレイヌ、戻ってきてたのか」


 その人物の名を呼ぶレイだったが、セトに夢中になっているミレイヌはレイの言葉に全く気が付いた様子がない。

 寧ろ、そのミレイヌの横にいる魔法使いの男が、申し訳なさそうに頭を下げて口を開く。


「すいません、久しぶりに……本当に久しぶりにギルムに戻ってきて、その報告をしにギルドにやって来たらセトがいて、どうやらそこで限界を迎えてしまったようで」

「いやまぁ、うん。……ミレイヌならそうなるよな。特にここ暫くはずっとセトと会えなかったんだし」


 ミレイヌ……正確には、ミレイヌ率いるランクCパーティの灼熱の風は、レーブルリナ国の一件で護衛として出ており、暫くはギルムにいなかった。

 そんな状況は、セト愛好家として有名なミレイヌにとっては禁断症状と言ってもいいものを起こすには十分だった。

 レイもそれが分かっているからこそ、今の様子を見ても特に何も言わないのだ。

 ……セトが嫌がっていないことも、その理由の一つだったが。

 セトにとっても、ミレイヌというのは自分といっぱい遊んでくれて、その上で多くの料理をご馳走してくれた、大好きな相手だ。

 だからこそ、ミレイヌの派手な愛情表現も大人しく……いや、寧ろ喜んで受け入れていた。


「ミレイヌに憧れている奴がこれを見たら、一体どうなるんだろうな。もう手遅れな気もするけど」


 ミレイヌはセトが関わらないところではその美貌と面倒見の良さや、接しやすさといったことから、若手の中でも出世頭の一人とされている。

 それは、まだ二十代前半であるにも関わらず、ランクCパーティを率いているところを見れば明らかだろう。

 同期にレイという規格外の存在がいるから、最近ではそこまで目立つようなこともなかったが、ミレイヌや灼熱の風が実力を認められているというのは、レーブルリナ国への使者の護衛を任されていたというのを見ても明らかだった。


(もうちょっと帰ってくるのが早ければ、それこそトレントの森に連れて行くのはミレイヌ達でも……いや、この様子を見ると帰ってきたばかりなんだし、無理は言えないか)


 ミレイヌの実力は、レイもまた信用している。

 今までに何度も共に戦いを経験したこともあり、ギルムの中にいるパーティではトップクラスに信じている相手だと言ってもいい。

 それだけに、現在トレントの森で起きている一件に連れていっても何とかなるだろうという思いはあったのだが、長旅の疲れを思えば無理に頼めないというのもあった。

 勿論、ヴィヘラが捕まらなければ多少無理をしてでも頼んだかもしれないが、今回は無事にヴィヘラを捕まえることが出来たのだから、わざわざ無理を言う必要もない。


「そう言えば、レーブルリナ国の一件は結局どうなったんだ?」


 レーブルリナ国という国名を口にしたレイの中には、若干の嫌悪感がある。

 それだけ、レーブルリナ国というのは好ましくない国だった。

 何しろ、ギルムにまで奴隷を調達する為に人を派遣していたような国なのだから。

 それでも、その一件に関わった者としては、レーブルリナ国との交渉がどうなったのかといったことは聞いておくべきだと思って、スルニン……灼熱の風のメンバーで、ミレイヌのブレーキ役とも言える人物に尋ねる。

 だが、スルニンから戻ってきたのは、首を横に振るという行為のみ。


「私達は別に使者として行ったのではなく、あくまでも護衛です。勿論、聞けば教えてくれたかもしれませんが、そのようなことは出来るだけしたくありませんでしたので」

「……なるほど」


 言われてみれば、納得出来ることだった。

 当然のように、レーブルリナ国との交渉に関しては機密として扱われており、それについて知るのは色々な意味で危険なのは間違いない。


「取りあえず、一つだけ言えるのは……交渉した方の表情や態度を見る限り、相応の……いえ、相当の収穫はあったということでしょうか」

「いや、交渉結果知ってるんじゃないか。まぁ、それはいい。それより俺とヴィヘラはそろそろトレントの森に行かないといけないから、そろそろ何とかしてくれないか?」


 このままスルニンと話していると、何だか妙な情報を聞いてしまいそうになって、色々と大変なことに巻き込まれそうなので、そう告げる。

 ただでさえ、今はロロルノーラやゾゾといった面々の件で忙しいのに、これ以上余計なことに関わっているような暇はなかった。

 そんなレイの様子を見て取ったのか、少し離れた場所にいた女……こちらもまた灼熱の風のパーティメンバーで、十代後半の女のエクリルが、セトに抱きついているミレイヌに声を掛ける。


「ミレイヌ、ミレイヌ。ほら、そろそろギルドに報告に行きましょうよ。いつまでもここにいると、他の人の迷惑になりますから」

「えー、だって久しぶりに……本当に久しぶりにセトちゃんに会えたのよ? もっとこう……ほら、ねぇ?」

「ミレイヌの気持ちも分かりますけど、もうギルムに戻ってきたんですから、今後はいつでもセトちゃんと会えるでしょう? なら、今日はこの辺にしておいた方がいいですよ。セトちゃんも用事があるみたいですし、それを邪魔すると嫌われるかもしれませんよ?」


 セトに嫌われる。

 そう聞いた瞬間、ミレイヌは即座にセトから離れた。

 セトに嫌われるというのは、ミレイヌにとってどれだけ忌避すべきことなのかを、その行動が示している。


「セトちゃん、ごめんね。でも、セトちゃんに久しぶりに会えたのが嬉しくて、つい……」

「グルゥ!」


 気にしてないよ、と喉を鳴らすセト。

 そんなセトの様子に、ミレイヌは心の底から安心した表情を浮かべ……そこで、ようやく自分からそう離れていない場所にいる、レイとヴィヘラ、ビューネの三人の姿に気が付く。


「あ、あら。久しぶりね、レイ」


 レイに向かってそう言ったのは、セトを前にして緩んだ表情を浮かべていたミレイヌではなく、灼熱の風のリーダーとしてのミレイヌ。

 ……もっとも、セトを前にした時の様子を見ていた以上、レイとしては今更取り繕っても、というのが正直な思いだったが。

 とはいえ、ここでそれを言えばミレイヌが何をどうするのか分からない以上、武士の情けとそのことには触れず頷く。


「ああ。そっちも無事に帰ってきたようで何よりだ。で、悪いんだが、俺とセトは今からちょっと用事があるんだ。色々と土産話とかも聞きたいけど、それはまた今度な」

「え? あー、うん。ええ。分かったわ。こっちもギルドに報告することがあるから、気にしなくてもいいわよ」


 そう言い、ミレイヌはエクリルとスルニンの二人を連れてギルドに入っていく。

 その途中で、スルニンがレイに向かって色々な感謝を込めて一礼し、ギルドに入っていった。


「……ギルドに入っていったのはいいけど、今のギルドでミレイヌの報告を受ける余裕があるのかしら」


 ふと、ヴィヘラが呟く。

 トレントの森の一件でかなりの騒動になってる現状、レーブルリナ国から帰還したミレイヌ達の報告を受ける余裕がある者はいるのか。

 それはレイにも分からなかったが、何だかんだとギルド職員には有能な者が多い。

 そうである以上、最終的には何とかするだろうというのが、レイの予想だった。


「まぁ、何とかなるだろ。それより、俺達はトレントの森に急ごう。何だかんだと、時間を使ってしまったしな」

「……その使った時間というのは、レイが彼女達と話していた時間だと思うんだけど」

「そうともいう」

「そうとしかいえないのよ。……まぁ、取りあえずここでこうしていても仕方がないし、急ぎましょうか」


 ヴィヘラにそう促されたレイは頷き、セトの方に近づいていく。


「セト、ちょっと待たせたな。じゃあ、そろそろトレントの森に戻るぞ」

「グルゥ!」


 レイの言葉にセトは喉を鳴らすのだった。






「これが、緑の亜人ね。……かなり衝撃的な姿をしてるけど、姿形は人とそう変わらないのね」


 トレントの森に戻ってきたレイとセト、そしてセトの足に捕まって移動してきたヴィヘラ。

 そんな中で、最初にロロルノーラ達を見たヴィヘラの口から出た言葉が、それだった。


「そうだな。とはいえ、ロロルノーラ達は大人しい性格をしているから、妙なちょっかいは出さないようにな」

「レイ、戻ってきてくれて助かったよ」


 そんな声が響き、嬉しそうに……いや、助かったといった表情を浮かべながら、レイとヴィヘラ、セトにギュラメルが駆け寄ってくる。


(まぁ、あの表情が本物という可能性はないけど)


 交渉を担当しているだけに、ギュラメルにとって表情というのも相手と話す時に使う武器の一つ。

 そのような予想が、レイの中にはあったのだ。

 そして実際、そんなレイの予想は間違っている訳でない。

 ギュラメルにしてみれば、自分の表情一つで相手が自分の思い通りに動いてくれるのであればそれこそ望むところだったのだから。


「助かったって、一体どうしたんだ? 何かあったのか? こうして見る限りでは、新しく誰かが転移してきたという訳でもなさそうだし」


 言いながら周囲を見るが、そこにいるのはロロルノーラを含めた緑の亜人達と、一塊になっているリザードマン達、そして一ヶ所で微動だにせず立っているゾゾの姿だった。

 とはいえ、そのゾゾはレイが自分に視線を向けているのを確認すると、レイに向かって歩いて来たのだが。


「●●●」


 短く呟き、一礼する。

 その態度には、最初にレイを侮って攻撃してきた時とは打って変わって、レイの忠実なる部下……いや、臣下といった様子だった。

 レイから大体の事情を聞いていたヴィヘラだったが、リザードマン……明らかに普通のリザードマンよりも大きい、希少種か上位種と思われる存在の態度に驚く。


「ねぇ、レイ。何かしたの?」

「あー、うん。何かしたというか、攻撃してきたから反撃してデスサイズの柄で殴り飛ばしただけだ。そうしたら、何故かこうなった」

「リザードマンって、もしかして自分が負けた相手に従う習性でもあるのかしら? ……でも、エグジルのダンジョンで何度もリザードマンと戦ったことがあったけど、そういうことはなかったんだけど」

「その辺は後で話すよ」


 恐らく、異世界のリザードマンの習性……もしくは、ゾゾは他のリザードマンとは明らかに違う種類なので、そちらが理由なのだろうと思いつつも、レイの素性についてはこんな場所で話せる筈もなく、そう誤魔化しておく。

 実際に、今夜の夕食が終わったらエレーナ、マリーナ、ヴィヘラの三人には話した方がいいだろうと、そう思いながら。


「ふーん。……まぁ、なら楽しみにしてるわ。それで、私はこれからどうすればいいの?」

「簡単に言えば、ロロルノーラやゾゾといった面子を連れてギルムに行くから、その間ここにいて欲しい。また新しく誰かが転移してくる可能性があるし」

「そうすれば、強い相手に会えるの?」

「あくまでも、その可能性があるってだけだけどな。もしかしたら、誰も転移してこないという可能性だって、十分にある」


 レイの言葉に、ヴィヘラはどうするべきかと数秒考えるも、やがて頷く。

 ヴィヘラにしてみれば、ギルムにいて見回りをしているよりは強い相手と戦えるかもしれないというここの見張りの方が魅力的だったのだろう。

 レイも、恐らくヴィヘラならそう判断するだろうと思って連れてきただけに、目論見通りに動いて何よりの結果だった。


「じゃあ、頼む。もっとも、この現状をダスカー様が知れば、すぐに人を送ってくるだろうから、そこまで時間は掛からないと思うけど。……だよな?」


 確認を込めてレイがギュラメルに尋ねると、ギュラメルは即座に頷く。


「ああ、勿論だよ。ギルムに戻ったら、すぐにこの件をダスカー様に知らせて追加の戦力を送って貰う」

「って訳で、具体的にはどのくらいになるのかは分からないが、それなりの時間にはなると思う。……それでも構わないか?」

「そうね。取りあえずここで待機してみるわ。出来れば、強敵が現れてくれるといいんだけど」


 そう言いながら、ヴィヘラは艶然とした笑みを浮かべるのだった。

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