第2018話

「おおう……」


 ギルドに入ったレイが見たのは、かなり忙しそうにしているギルド職員達だった。

 春になってギルムの増築工事が再開したことから、忙しくなっているというのは理解出来る。

 だが、そんなレイが予想していたよりも、更に今のギルドは忙しそうだったのだ。

 何より、早朝や夕方ならまだしも、今はまだ日中で、ギルドもそこまで忙しいというのは違和感しかなかった。

 だからこそ、レイの口からも妙な声が出たのだが。


「あ、レイさん!」


 ギルドの中を一瞥して驚いていたレイの耳に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 声のした方に視線を向けると、そこにいたのはレイの予想通り、レノラの姿。

 ただ、いつもは真面目そうな表情を浮かべていることが多いレノラだったが、今その表情に浮かんでいるのは焦燥感にも近い色だ。


「どうしたんだ?」

「どうしたじゃないですよ。少し前にトレントの森の一件についての情報は、こちらにも下りてきています。現在動ける中でも腕利きの冒険者達を集めて、トレントの森に派遣するところです」

「……なるほど」


 どうやらロロルノーラやゾゾ達の一件に関しての情報は、ギルムの上層部からしっかりとここにも下りてきているのだと知り、レイは色々と誤魔化したりしなくてもいいのだと、安堵する……が、ふと気が付く。


(あれ? 最初の一報からの情報だけってことなら、追加でやってきたロロルノーラの仲間達やゾゾ達といった連中の情報は、当然のようにまだだよな?)


 そっちの件の情報をどうするべきかと迷う。

 ロロルノーラ達だけであれば、一種族だけなので話しても特に問題はない。

 だが、ゾゾ達のようなリザードマン……それもただのリザードマンではなく、恐らく国の類に所属しているだろうリザードマン達までもが転移してきたというのは、明らかに重大な情報だった。

 また、そのリザードマンを率いていたゾゾがレイに襲い掛かって撃退され、その結果レイに従うようになったというのも、リザードマン達の転移と同様に重要な情報なのは間違いない。


(どうする? いや、念の為にであっても冒険者を派遣するとなると、そっちも話しておいた方がいいか。ダスカー様には、ギルドの方から情報を流して貰った方が手っ取り早いな)


 そう判断したレイは、レノラに向かって話し掛ける。

 出来るだけ興奮させないように、ゆっくりと。


「落ち着いて聞いて欲しい。その、だな。実は追加で転移してきた連中がいる」


 ピタリ、と。

 レイがそう言った瞬間、レノラだけではなく、それとなくレイの様子を窺っていたギルド職員達までもが動きを止める。

 その中の何人かがレイに恨めしげな視線を向けたのは、出来ればもうこれ以上は仕事を忙しくしないで欲しい! という思いがあった為だろう。

 実際には、別にレイのせいでロロルノーラやゾゾ達が転移してきた訳ではないのだが。


「で、だ。その件についてワーカーに話をしたいんだが……」

「あ、すいません。ギルドマスターは現在領主の館に行ってますので、ギルドにはいません」

「今の状況を考えれば、それもしょうがないか。なら、誰か情報を知らせておいた方がいい奴に会わせて欲しい。それと、その件に関連して現在街の見回りをしているヴィヘラを呼んできて欲しい。その依頼は途中で中断という扱いになるけど、今はそれどころじゃないだろうし」

「えっと、その……レイさんの言ってることは分かりますけど、今のギルドの状態を考えると……」

「レノラ! お前がレイさんの担当なんだから、話を聞いておけ! ギルドマスターが戻ってきたら、お前から報告しろ!」

「ええっ! ちょっ! ……はぁ、分かりました」


 レノラの上司と思われる男が、レノラに叫ぶように指示を出しながらも、何枚もの書類を処理していく。

 それを見れば、とてもではないが現在他の面々に余裕があるようには思えず、レノラもその指示に大人しく従う。


「そんな訳で、ケニー。私はレイさんから事情を聞いてくるから、私の分の書類の処理もお願いね」

「ちょっ、レノラ!? ずるい! それなら、私がレイ君の……」

「ケニー!」


 何かを言おうとしたケニーだったが、先程レノラに指示を出した男が鋭く叫ぶと、ケニーもそれ以上は不満を言うことも出来ず、レノラの席にあった書類に手を伸ばす。

 そんなケニーを呆れの表情で一瞥したレノラは、レイに向かって尋ねる。


「それで、情報というのはやはり他人には聞かれない方がいいんですよね?」

「ん? ああ。だな。そうした方がいいと思う」

「では、二階の個室を使いましょう」


 レノラのその言葉はレイにとっても異論はなく、そのまま二人はギルドの二階に続く階段を上がって行く。……ケニーの、恨めしげな視線を背中に浴びながら。

 そして二階に上がると、レノラは特に迷う様子もなく一つの部屋に入る。

 その部屋は小さな部屋で、それこそ今回のような内緒話をするには絶好の場所だった。


「座って下さい。……それで、レイさんが持ってきた情報というのは、具体的にどのようなものなのでしょう?」


 促されて椅子に座ると、レイは事情を話し始める。

 最初は驚きを表情に出さないようにしようとしていたレノラだったが、やはりリザードマンの一件をレイが口にすると、その表情には驚きが出る。

 ギルドの受付嬢として、それこそその辺の冒険者よりもモンスターに対して深い知識を持っているだけに、リザードマンによる国というのは、有り得ないと思ったのだろう。

 ……だが、レイにとって予想外だったのは、レノラがゾゾの一件について特に驚いている様子を見せないことだ。

 そんな意外そうな表情を浮かべているのが気になったのか、レノラは不思議そうにレイに尋ねる。


「そんなに驚いてどうしました? 私が驚くのならともかく、レイさんがそこまで驚くのは変じゃないですか?」

「いや、てっきりゾゾの件でもっと驚かれるかと思ってたから。実際、トレントの森にいた面々は、かなり驚いていたし」

「そう言われても……セトちゃんもレイさんがテイムしたんですよね? グリフォンをテイム出来るんですから、リザードマンくらいならテイム出来てもおかしくはないかと」

「……その発想はなかった」


 レノラの言葉に、思わずといった様子でレイが呟く。

 魔獣術のことが秘密である以上、表向き自分をテイマーということにしてはいたのだが、そうした設定を本人がすっかり忘れていたのだ。

 いや、正確には覚えてはいたのだが、ゾゾのような明確な、そして高い知性を持った相手をテイムするというのは、完全に予想外だったのだろう。

 ゾゾという存在を直接その目で見たかどうか。

 それが理由で、レイとレノラの間に認識の齟齬が起きたのだ。

 ……もっとも、レイからもたらされた情報はテイム云々よりも余程驚くべきことだった、というのもレノラがそこまで驚いていない理由だったが。


「それにしても、また厄介なことになってますね。何よりも大きいのは、やっぱりそのリザードマン達が国と思われる集団を作っているということでしょうか。ただ、せめてもの救いは、この近辺ではないということですね。言葉も通じないような場所から来たらしいですし」

「あー、うん。まぁ、多分そうだな」


 レイはロロルノーラやゾゾ達が異世界から来た者達だと半ば確信しているが、それは何らかの証拠があってのことではない。

 言葉が通じるようになれば、ロロルノーラやゾゾ達がどこから来たのかは分かるのかもしれないが、それはまだ暫く後のことになりそうだった。

 今の状況でレイが何かを言うよりも、双方がしっかりと言葉を覚えた後で話した方がいいだろうと判断し、ロロルノーラやゾゾ達が異世界からやって来たというのは、秘密にしておく。


(俺の事情を知っているエレーナ、マリーナ、ヴィヘラの三人には、あくまでも予想だけどって断りを入れておいてから、言った方がいいかもしれないな。……グリムにも念の為に聞いておいた方がいいか)


 そう考えつつ、レイは話を切り上げる。

 出来ればもう少し色々と詳しい話をしておいた方が良かったのかもしれないが、ギルドの忙しさを思えば、ここであまりレノラに時間を取らせる訳にもいかなかった。


「じゃあ、取りあえず俺が持ってきた情報はこれが全てだから、ギルドマスターに伝えておいて欲しい」

「分かりました」


 レイの言葉に頷きつつも、レノラの表情は必ずしも晴れた様子はない。

 転移してきたのはロロルノーラ達だけかと思っていたのに、そこにゾゾ達が……それも、明らかにロロルノーラ達を攻撃していた様子のリザードマンがやって来て、更にはそのリザードマンは国に所属していると思われ、その上で部隊を率いていたゾゾがレイにテイムされた。

 ロロルノーラ達が転移してきた状況というだけでも大変だったのに、そこに更に幾つもの面倒が重なってきたのだから、レイにもレノラの様子は理解出来た。

 だが、追加の緑の亜人達やゾゾ達が転移してきたのは、別にレイのせいではない。

 ……若干、冬に戦った目玉とグリムが関係しているのではないか、という思いがない訳でもなかったが。


「なら、話はこれで終わりだ。俺もすぐにヴィヘラを連れてトレントの森に戻る必要があるから、急がないと。まぁ、ヴィヘラがいないと、意味はないんだが」

「そろそろ、戻ってきてもおかしくはないと思うのですが……」


 そう言い、席を立つレノラ。

 レイもまたそれに続き、二人は階段を下りていくと……


「レイ!」


 一階に下りた瞬間、そんな声が掛けられる。

 それが誰の声なのかというのは、考えるまでもなく明らかだ。

 そもそもの話、その人物が戻ってくるのを期待していたのだから、当然だろう。


「ヴィヘラ、ちょうどよかった」


 レイが声を掛けたヴィヘラの側には、当然のようにビューネの姿もある。

 とはいえ、と。レイはそんなビューネに複雑な視線を向けた。

 ビューネは、盗賊としてはかなり高い戦闘力を持っている。

 だが、それはあくまでも盗賊としてであって、ゾゾと互角に戦えるかと言われれば、難しい。

 白雲という銀獅子の素材から作った高性能な武器があっても、それだけで戦闘に勝てる訳ではない。

 また、ゾゾはともかく、他のリザードマン……そしてリザードマン以外の存在が転移してきて戦闘になる可能性もまだあるのだ。

 いや、あるというよりは、そうなる可能性がかなり高いと言った方がいいだろう。

 とはいえ、問題は本当に転移してくるのかどうかといったことの方なのだが。

 ともあれ、そのような場所だけに誰か腕の立つ人物を置いておきたいというレイの考えに対して、ビューネは言ってみれば実力不足だ。


「ギルドの人が急に呼びに来たから、何かと思ったら……またレイが何かしでかしたの?」


 ギルド職員が忙しそうにしているのを眺めながら告げるヴィヘラに、レイはそれは誤解だと首を横に振る。


「別に俺が何かをした訳じゃなくて、俺が何かに巻き込まれたといった感じだぞ」

「……まぁ、レイがそう主張するのは自由でしょうね」


 何故か若干ではあるが哀れみの込められた視線がレイに向けられたが、その視線に対してレイが何かを言うよりも前に、ヴィヘラが口を開く。


「それで、結局何で私は呼ばれたのかしら?」

「あー……うん。実はちょっと戦いになる可能性がある場所に、腕利きを置いておきたくてな。それで真っ先に思い浮かんだのだが、ヴィヘラだったんだよ」

「腕利き、ね」


 自分がレイに腕利きだと認められたのが嬉しかったのか、ヴィヘラは嬉しそうな笑みを浮かべる。

 そんなヴィヘラの笑みに、男女関係なくギルド職員が、そして何らかの理由でギルドの中にいた者達が目を奪われる。


「それで? 事情は聞かせて貰えるの?」

「あー……その前に、ここにいるってことは多分問題ないんだろうけど、見回りの方の依頼は途中で抜けても問題ないと思ってもいいのか?」

「ええ。一段落はしていて、ギルドが呼んだんだから、問題はないでしょ。……そうよね?」


 突然ヴィヘラに視線を向けられた男のギルド職員は、ヴィヘラの言葉に慌てたように何度も頷く。

 それを見て満足そうな表情を浮かべたヴィヘラは、どう? とレイに視線だけを向けて訪ねてきた。


「あー、うん。なら問題ないならいいけど。取りあえずビューネは残って貰うけど、それでいいか?」

「ん……」


 レイの言葉に、残念そうな表情を浮かべるビューネ。

 だが、ビューネも自分がある程度の実力を持っているというのは分かっているが、それでもヴィヘラと同じくらいの実力があるのかと言われれば頷ける筈もなく、レイの言葉には若干不満はあっても大人しく頷くことしか出来なかった。

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