第2015話

 レイが警備兵と話していると、やがて再び何台もの馬車がトレントの森にやってくる音が聞こえてきた。

 とはいえ、敵ではないというのはセトの様子を見ればすぐに分かったので、特に警戒するような様子は見せない。


「誰が来たと思う?」

「普通に考えれば、騎士とかじゃないのか?」


 警備兵の言葉に対し、レイはそう答える。

 最初に転移してきた時に、冒険者にはダスカーに知らせるようにと伝えた。

 その結果として多くの警備兵がトレントの森にやってきたが、それはあくまでも取りあえずといった者達だ。

 今回の一件の知らせを聞いたダスカーが、騎士や兵士といった者達、そして交渉を担当する者を送ってくるのは、当然のことだろう。

 そのような者達がやって来たのだと、そうレイは考え……それは実際、間違いではなかった。

 新たにやって来た馬車は、明らかに立派なもので、相応の立場がある者が乗るような、そんな馬車だ。

 そんな馬車の周囲には、馬に乗った騎士達が護衛を務めている。

 重要人物がやって来たというのは、レイでも理解出来た。


「●●! ●●●? ●●●●!」


 そんな馬車や騎士の様子に不安を覚えたのだろう。

 レイと何度も話していた緑の亜人の男が、レイの側に近づいてくると、馬車の方を見ながら言葉を発する。

 緑の亜人の言葉を初めて聞いた警備兵がその内容を理解出来ないことに驚いてはいたが、レイはそんな警備兵に構う様子もなく、緑の亜人の男を落ち着かせるように態度で示す。

 とはいえ、落ち着けというのをどのような動作で示せばいいのか分からない以上、色々と試行錯誤をすることになったが。


(マジックアイテムで、通訳の効果を持つのとか作れないのか? もしくは、この亜人達に至急こっちの言葉を理解して貰う必要があるけど……言葉ってのは、そう簡単に覚えられるものじゃないしな)


 日本にいた時は、中学と高校で何年も英語を習っていた経験があるレイだったが、だからといって流暢に英語を話すようなことは出来ないし、書いたり読んだり出来るかと言われば……田舎の高校の生徒の平均より若干下くらい、というのが正直なところだ。

 それだけに、レイは違う言葉を覚えるにしても、すぐに覚えられるかと言われれば即座に首を横に振るだろう。


(そう思えば、俺がこの世界に来た時に言葉とかそういうのを理解出来るようにしてくれたゼパイルには感謝だな)


 そう思いながら、何度か緑の亜人の男を落ち着かせている間に、やがて馬車と騎兵達が到着する。

 馬に乗っている騎士は、レイにとっても見覚えのある者が何人もいた。

 向こうもレイの姿を見て特に態度を変えるようなことはなかったが、それでも微かに目で軽く一瞥した。

 その視線には、親しみが込められており、それでいて同時にまたお前が何かをやったのかといったような色が浮かぶ。

 そんな騎士に何か言おうとしたレイだったが、それよりも前に馬車の扉が開き、数人の男女が姿を現す。


(へぇ。てっきり一人かと思ったら、何人も派遣してきたのか。しかも男女交えてってなると、ダスカー様も今回の件にかなり注意を払ってるな。まぁ、女かどうかは、ちょっと分かりにくいけど)


 レイが見たところ、緑の亜人達は男女問わず、揃って顔立ちが整っている。

 だが、女と思しき者――着ている服の形から予想してだが――は、揃って胸が小さい。

 貧乳ではなく、大平原と評すのが相応しいくらい、胸が小さかった。

 ……もっとも、それはレイの周囲にいる女達が揃って豊かな双丘を持つが故に、特にそう感じてしまうのかもしれないが。

 とはいえ、当然レイがそれを口に出すことはない。

 言葉が通じないが、それでも女の勘でその辺りを察知される可能性があるのだから。


「君がレイか。つくづく騒動に好かれる人だね」


 馬車から降りてきた男……三十代程の穏やかそうな顔立ちをした男が、レイに向かって声を掛ける。

 見たところ、この人物が今回の一件の責任者といったところなのは、レイにも理解出来た。


「それは否定出来ないな。あの目玉の件とか、今回の一件とかがあると」


 アネシスにいた時も、レイは当然のように騒動に巻き込まれているのだが、それを言うと更にドツボに嵌まりそうだったので口にしない。


「ははは。とはいえ、そのおかげでこうして未知の友人と出会えたんだから、私からは感謝したいくらいだよ。ああ、そう言えば自己紹介がまだだったね。私はギュラメルだ。彼らとの交渉を任された……んだが、向こうのリザードマンは? それに、亜人の数も聞いていたよりも多いようだが」


 ギュラメルの言葉に、レイはそう言えば……と思い直す。

 追加で転移してきた者達のことは、まだギルムに知らせていなかったと。

 実際には、リザードマンや追加の緑の亜人達が転移してきてからはそれどころではなかったというのが正直なところなのだが。


「そっちに連絡を送ってから、追加で転移してきたんだ」

「リザードマンは……どういう連中なのかな?」

「揃いの装備を持ってることから、何らかの集団に所属していると思う。ただ、あの緑の亜人達に攻撃をしていたから、取りあえずそれを防ぐ意味でも武装解除したんだよ」

「……そうですか」


 困ったといった様子で、ギュラメルが呟く。

 交渉を担当するギュラメルにしてみれば、いきなり交渉相手を武装解除させていたのだから、そのような表情を浮かべるのも当然だろう。

 とはいえ、最初の交渉相手と見なしていた緑の亜人達を攻撃していたというのだから、そちらを守るという意味ではレイのとった行動は決して間違っていない。

 また、交渉するにしても穏やかな相手の方がいいのは事実なので、緑の亜人達を守ったというレイを責めることも出来ない。

 それでも、出来れば何らかの集団に所属していると思われる……それも、モンスターのリザードマンを武装解除するような真似はして欲しくなかったというのが、正直な思いだった。


(そもそも、モンスターがある程度の集団を作るのは珍しくありませんが、あのリザードマン達は明らかに常識の範囲を超えています。全員が揃って同じ防具をしているなんて)


 例えば、ゴブリンやオークは上位種に率いられてある程度の集落を作ることがあるのは、よく知られている。

 それこそ、レイがギルムにやってきてからまだそんなに経っていない時に、オークの集落を襲撃したこともあったように。

 だが、それはあくまでも集落といった規模でしかない。

 少なくても、武器の類は冒険者や商人といった者達を襲って手に入れるか、木の枝を折って棍棒にするのかといったところだ。

 だというのに、ギュラメルの視線の先にいる武装解除されたリザードマン達は明らかに自分の身体に合った防具を、それも同じ意匠の防具を身に着けている。

 それは、高い技術を……それこそ集落を作るゴブリンやオークといったモンスター達よりも明らかに上の技術を持っていることの証だった。


(いえ、まずは……)


 リザードマンのことも気になるが、まずはそれよりここに来た最初の目的を果たそうと、緑の亜人達の集団に向かって歩き出す。

 だが、緑の亜人達の集団がギュラメルを見る視線の中には、明らかに警戒の色があった。

 それを見て取ったギュラメルは足を止め、自分と一緒に緑の亜人達に向かって歩いていた他の交渉担当の者達にもこれ以上進まないように身振りで示す。


「レイ、彼等に私達は危険がないと、伝えて貰えますか? どうやら、警戒されているようなので」

「えっと、ちょっと待ってくれ。……こいつらには危険がないってのは、一体どうやって示したらいいんだ?」


 戸惑いつつも、取りあえずレイはギュラメル達の前に出て緑の亜人達に向かって近づいていく。

 レイが近づいてきたことに安堵の様子を見せるのは、それだけ緑の亜人達がレイに対して心を許しているからだろう。

 もっとも、それは当然でもあった。

 自分達が転移してきた見ず知らずの、それでいて言葉すら通じない相手。

 そんな状況であるにも関わらず、ポーションを使って仲間の怪我を癒やしてくれたのだから。

 それだけではなく、自分達を襲ったリザードマン達を問題にしないだけの力を見せつけもしたのだから、そんなレイを頼りにするなという方が、無理だろう。


「取りあえず、落ち着け。あの連中は、お前達に危害を加えるつもりはない。話をしたいだけだ」


 そう言いながらも、言葉が通じていないのは理解しているので、身振り手振りでそれぞれに告げる。

 だが、簡単な意思疎通なら身振り手振りで出来るのだが、やはり詳しい話を身振り手振りでするというのは、色々と無理があった。


「●●●? ●●、●●●?」

「あー……ギュラメル、ちょっと来てくれ」


 やがて、このままでは埒が明かないと判断したのか、レイは話し掛けてくる緑の亜人の男に一旦待てといったように手を出し、ギュラメルを呼ぶ。

 呼ばれたギュラメルの方は、この状況で本当に自分が行ってもいいのかと思いつつ、向こうと唯一意思疎通――身振り手振りだが――の出来るレイに呼ばれたからということで、近づいていく。

 ギュラメルと一緒に来た他の者達が若干心配そうにギュラメルを見るが、見られた本人は外見以上に度胸があるのか、一度そうと決めたら躊躇う様子もなくレイと緑の亜人達に近づいていった。


「どうしました?」

「ちょっと大人しくしててくれ」


 尋ねるギュラメルにそう返し、ギュラメルは安全だと何とか身振り手振りで示し……ふと、ギュラメルの名前を呼んだことで、緑の亜人達の名前をまずは知った方がいいのかと判断し、自分を指さす。


「レイ」


 続いてギュラメルを指さすと、緑の亜人の男に言い聞かせるように『ギュラメル』と口にする。

 それを何度か繰り返していると、向こうもようやくレイが何を言いたいのか理解したのだろう。

 レイを指さし……


「レイ」


 そう、口にする。

 発音そのものが、亜人達の使っている言葉と違うためか若干拙かったが、それでも緑の亜人の男がレイの名前を呼んだというのは、かなりの進歩のように、レイには思える。

 続いて、緑の亜人の男はギュラメルを指さし……


「ギュギュメル」

「……いやまぁ、うん。ギュラメルというのは、俺の名前に比べると発音しにくいか」

「あ、あははは。まぁ、彼にしてみれば発音のしにくい名前なのかもしれませんね」


 困ったように笑うギュラメルだったが、その表情に不愉快そうな色はない。

 実際に、時々自分の名前を呼ぶ時に言い間違いをされるということがあったので、ある意味で慣れていたのも大きかった。

 ともあれ、自分が言い間違えたと気が付いた亜人の男は、改めてギュラメルを指さし……


「ギュオ……ギュ、ギュギャ……ギュラミャル……ギュラ、メル?」


 何度か言い間違いをしつつ、それでも最終的には若干途切れつつではあったが、ギュラメルの名前を口にすることに成功する。

 そして一度言えば慣れたのか、何度かギュラメルという名前を口の中で繰り返し……やがて満足したのか、今度は自分を指さしながら口を開く。


「ロロルノーラ」


 ロロルノーラ。

 何とも不思議な響きだったが、それが緑の亜人の男の名前なのだろうと、レイとギュラメルは理解する。


「ロロルノーラか。……うん、よろしく頼む」


 そう言い、手を差し出すレイだったが、差し出されたロロルノーラの方はレイが何故そのような真似をしたのか分からないといったように、不思議そうな表情を浮かべ、レイを見た。


「ん? えーっと……ああ、なるほど」


 この世界には握手という行為が普通に存在したが、ロロルノーラ達がレイの予想通り異世界からやってきた者達であれば、当然その世界には握手という行為が存在しない可能性がある。

 であれば、レイが急に手を出してきてもその意味が理解出来なくても当然だろう。

 いや、寧ろレイが特に武器の類を持っておらず、素手のままだったので驚きはしなかったが、もしかしたら握手という行為が敵対行為とみなされることがあった可能性もあるのだ。


「どうしました?」


 レイと違って、異世界からきたのではなくどこか他の場所……それこそ未開の地から転移してきたのだろうと思ってるだけに、ギュラメルはロロルノーラが握手という行為を知らないとは思いもよらず、レイに不思議そうな視線を向ける。


「いや、多分だけど、この連中は握手という行為を知らないんだと思う」

「え? いや、でも……」


 レイの言葉を理解出来ないといった様子のギュラメル。

 この世界では普通に握手という行為が存在しているが故に、レイの言葉が……そしてロロルノーラが握手を理解出来ないということを、理解出来なかったのだろう。

 とはいえ、レイもここで異世界がどうこうといったことを口にしても、到底信じて貰えないだろうという思いがあるのは間違いなかった。

 だからこそ、取りあえずは、と口を開く。


「ひとまず、お互いに理解をした方がいいな」


 レイの口から出たその言葉に、ギュラメルは戸惑いながらも頷くのだった。

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