第2001話

 春の日差しを浴びながら、レイはセトに乗って空を飛んでいた。

 少し前の冬の寒さは一体何だったのかと言いたくなるような、それ程に暖かな空気。

 そんな中を、レイはセトと共に飛ぶ。

 ……向かうのは、ギルムから離れた場所にある村や街。

 本来なら、レイが行くような場所ではない。

 だが、樵を連れていく為には、どうしても必要な行動だった。

 勿論、樵を強引に連れていく訳ではない。

 レイが行くよりも前に、既にダスカーの使いの者がそれぞれの村や街に行き、腕の立つ樵の中でもギルムに行ってもいいと言う相手を前もって募集してあるので、そのような者達を運ぶのだ。

 普段であれば、それこそ馬車で運べばいいだけなのだが、今回の場合は色々と事情が違う。

 馬車での移動となると、どうしてもセトで移動するよりも時間が掛かる。

 ましてや、ダスカーが連絡をしたのは一つの村や街ではなく、幾つも存在する。

 だからこそ、セトの機動力を使えて全員を一度に連れてくることが出来るセト籠を持つレイが今回の件に抜擢されたのだ。

 それぞれが普通に馬車で移動するとなると、間違いなく多くの時間が掛かる。

 ギルムまでの移動時間と考えれば、そこまで大きな移動時間ではないのかもしれないが……その少しの時間ですら、今は勿体ないという思いがダスカーを含め、ギルムの上層部にあったのも事実だ。


「グルゥ?」


 柔らかな日差しを満喫しながら飛んでいたレイだったが、不意にセトが鳴き声を上げる。

 その声に、レイは下を見て……それが目的の村だろうと判断した。

 街道沿いの移動だったこともあり、道に迷うということがなかったのは、レイにとっても運が良かったのだろう。

 ……これで、もし街道沿いではない村に向かう場合、最悪迷っていた可能性あった。

 とはいえ、大抵そういう時は何故か盗賊やら何やらを見つけたりすることになり、結果としてそれらを倒し、周辺が多少ではあっても平和になるのだが。


「ああ、あそこだ。降りてくれ。……村に直接じゃなくて、正門からある程度離れた場所にな」


 今では、ギルムの警備兵やギルムに来るような者達も、セトの存在を知っているので驚くといったことはかなり少ない。

 少ないだけであって皆無ではないのだが、それはセトがグリフォンである以上、仕方のないことなのだろう。

 それだけに、セトのことを何も知らないような村でセトが村の中や正門のすぐ側に降りるといったことをした場合、ほぼ間違いなくパニックになってしまうというのが、レイにも容易に予想出来た。


「グルゥ」


 セトも、少しだけ残念そうにしながらではあったが、大人しくレイの言葉に従う。

 今までギルム以外にも色々な場所に行き、その多くで最初は自分が怖がられたというのを分かっているからこそだろう。

 そうしてセトは翼を羽ばたかせながら、村に向かって降りていく。

 当然のように、村の入り口の前で怪しい奴が村の中に入らないかどうかを見張っていた村人が、降下してきたセトの姿に驚く。

 その様子を眺めつつ、レイは地上に降りたセトの背から降りると、セトと共に村に向かう。


「へぇ」


 セトの姿を見て驚いていた村人が、手に持つ槍をしっかりと構え、穂先をレイの方に向けてきた。

 それを見て、レイの口から出たのは、驚きの声だ。

 村人も、自分の実力でセトに……グリフォンに勝てるとは、到底思っていないだろう。

 体長三mを超えるセトは、それこそ高ランク冒険者でもなければ手に負えるような相手ではない。

 にも関わらず、逃げるような真似をしないで村を守ろうというその行為は、レイから見れば好意を抱くのには十分だった。

 とはいえ、当然のように槍を持つ村人の手は震え、その震えが槍に伝わって穂先も震えている。

 そんな村人を安心させるように、レイは口を開く。


「安心しろ、俺は敵じゃない。ギルムから樵を迎えにやって来たレイだ。話は通ってる筈だが?」

「え? あ? え? ええ……?」


 まさかレイの口からそんな言葉が出るとは思ってもいなかったのか、村人は戸惑ったような声を上げる。

 目の前にいるのは、自分の村を襲いに来た敵であると、完全にそう思い込んでいたからだ。

 もっとも、これは別に村人が悪い訳ではない。

 このような田舎に住んでいる村人が突然セトと遭遇すれば、その行動は当然のものだろう。

 寧ろ、悲鳴を上げて逃げ出したり、恐怖に負けてレイに攻撃を仕掛けたりしなかったというのは、大した物だと言ってもいい。


「落ち着いてくれ。繰り返すが、俺はギルムから来た。現在ギルムでは増築工事をやってるんだが、樵が……それも腕の良い樵が足りなくてな。その話は聞いてるんだよな?」


 そのレイの言葉でようやく我に返ったのか、村人は安心したように地面に座り込み、口を開く。


「あ、ああ。聞いてる。けど……その、本当にあんたが?」


 村人の年齢は、二十代くらい。

 普通ならこのくらいの年齢の男は畑仕事をやる上で大きな力となるのだが、それでもこうして門番をしているのは、相応の理由があるからなのだろう。


(森から出てくる動物とかモンスターが村の中に入らないように……って感じなんだろうな)


 視線を村からそう離れていない場所にある森を見て、納得する。

 腕の良い樵がいる村だけに、当然この村でも林業が盛んだった。


(あれ? 森でも林業でいいのか?)


 ふとそんな疑問を抱くが、取りあえずその辺は気にしないことにして村人に尋ねる。


「それで、この村からギルムに出稼ぎに来る樵は? 悪いけど、この後も幾つかの村や街に寄らないといけないから、一つの村にあまり時間を掛けられないんだよ」

「ちょ、ちょっと待っててくれ。……あれ? え? あ、えーっと……」


 地面に尻餅をついた状態から立ち上がろうとした村人だったが、その動きが途中で止まる。

 何とか立ち上がろうとしても、それが出来ないまま数十秒が経ち……


「腰が、抜けた」


 心の底から情けなさそうな声で、そう呟く。

 修羅場を潜ってきた訳でも何でもない普通の村人が、何の心構えもないままにセトを見たのだ。

 そう考えれば、寧ろ腰を抜かしたのは当然と言えるだろう。


「あー、うん。じゃあ、どうする? 俺が勝手に村に入ってもいいようなら、誰か呼んでくるけど」

「……悪い、頼む」


 申し訳なさそうに告げる村人。

 現在の自分の状況がどのようなものなのか、それは考えるまでもなく明らかだ。

 しかも、それを村人以外の者に見られ、更にはレイに助けを呼んできて貰うというのは、この村を守るということに誇りを持っている村人にとって、非常に恥ずかしいことだった。

 とはいえ、今の状況ではどうしようもない以上、レイに頼るしかないのだが。


「セトはどうする? お前の近くにいると、気が休まらないだろ?」


 そんなレイの言葉に、村人は少し考えてから口を開く。


「いや、それでも村に入れないでくれ。多分、驚く奴が多いだろうし」

「グルゥ……」


 村人の言葉に、セトは残念そうに喉を鳴らす。

 だからだろう。

 そんな様子を間近で見ていた村人は、もしかしたら怖くないのでは? と、一瞬そう思ってしまう。

 とはいえ、セトの持つ見た目の迫力は非常に強いし、何よりその大きさがこの場合は問題だった。

 そんなセトを間近で見てしまった以上、セトを村の中に入れるというのは、村人には許容出来ない。

 それこそ、もしかしたら目の前にいるモンスターは、実はそこまで悪い奴ではないのではないかと、そう思いながらも。


「分かったよ。じゃあ、セトは少しその辺で遊んで……いると、怖がられそうだな。寝転がっていてくれ。いいか?」

「グルルゥ!」


 数秒前の残念そうな様子は何だったのかと言いたくなるくらいに、セトはレイの言葉に嬉しそうに鳴き声を上げる。

 そんなセトを一撫でしてから村の中に進み……レイは足を止める。


「そう言えば、お前の名前は? 事情を説明する時に、その辺が必要になるんだけど」

「キラレスだ」


 村人……キラレスの名前を聞き、レイは改めて村の中を進む。

 当然の話だったが、村の中でレイは目立つ。

 元々、この村はそこそこの大きさはあっても、村人以外の者が来るのは珍しいのだろう。

 そんな訳で、レイは家の前にある石に座り、春の日差しを楽しんでいる老人に声を掛ける。


「ちょっといいか?」

「ん? ……お主は? この村では見ない顔じゃが」

「ああ。ギルムから来た。樵の出稼ぎ要員を連れていく為にな。けど……」


 そう言い、事情を説明する。

 それを聞いた老人は、納得したように頷く。


「そうか、お主が。……うむ、話は聞いておる。キラレスにも近いうちにギルムから人が来るとは言っておいたのじゃが……また、随分と早かったの」

「セトに乗って移動出来るからな。そんな訳で、取りあえず腰を抜かしたキラレスをどこかに運んだり、代わりの人員を配備したりした方がいいんじゃないか? それと、樵の方にも準備をして貰えると助かる。この村だけじゃなくて、他にも幾つかの村や街に寄る必要があるからな」

「うむ、ではすぐに知らせよう。……それにしても、このような遠くまでよくもまぁ……儂等としては出稼ぎ先があって助かるが」


 しみじみと呟いた老人は、近くに置いてあった杖を手に、立ち上がる。

 レイは、今の老人の言葉を聞き、何となくその正体を悟る。

 そして老人は、立ち上がった後で改めてレイの方を見て、口を開く。


「改めて、よくこのギリエまで来て下さった。歓迎するよ。出来れば歓迎の宴でも開きたいところじゃが、そのような余裕はないのであろう?」

「そうだな。さっきも言ったように、これから他の村や街を回って、ここと同じようにギルムに出稼ぎに行ってもいいって奴を集めていく必要があるしな」

「じゃろうな。では、村の入り口で待っておってくれ。すぐにギルムに行ってもいいという樵と……ついでに、キラレスの代わりの者も連れていくのでな」


 そう言うと、老人……恐らくこの村の村長と思われる人物は、杖を手にした割には随分と元気そうな様子でレイの前を立ち去る。

 それを見送ったレイは、周囲から興味深そうな視線を向けられつつ、村の入り口に戻り……驚く。

 何故なら、セトの周囲には何人も子供達の姿があった為だ。

 だが、すぐになるほどと納得の表情を浮かべる。

 モンスターというのが敵であると認識している大人……もしくはある程度の年齢の子供であれば、セトを見た場合はその認識から強力な敵だと判断してもおかしくはない。

 しかし、そのようなことをまだ教わっていない……いや、教わっていてもしっかりと実感出来ていない子供達にとって、セトは怖くはなかったのだろう。

 セトも人懐っこい性格をしているので、自分と遊んでくれる子供を怖がらせるようなことはなく、寧ろ喜んで一緒に遊ぶ。

 結果として、現在レイの目の前に広がっているような光景が出来上がったのだ。

 子供達の親と思しき者達も、そんな子供の様子にどうするべきか迷っているのが、レイから見ても分かった。

 本来ならモンスターから子供を守るといった真似をしなければならないのだろうが、現在はそのモンスターが子供と一緒に遊んでいるのだ。

 とてもではないが、そのモンスターから離れろとは言えない雰囲気が漂っていた。

 更には、セトが子供達と遊んでいるところを見ていると、とてもではないがモンスターと言われて思い浮かべるような存在ではないのも影響していた。

 それどころか、遊んでいるセトを見て可愛らしいと、そう思う者すら出て来る。

 敵と対峙した時は、グリフォンらしい鋭い視線を露わにするのだが、それ以外……それこそ遊んで貰っている時や、何か美味い料理を食べている時のセトは、それこそ愛らしさすら感じさせる。

 体長の大きさも、一度愛らしいと感じてしまえば、そこまで気にならなくなるのだ。


「ちょっ、おい、レイ。この状況はいいのか? 本当に安全なのか!?」


 門の近くまで戻ってきたレイに気が付き、キラレスは慌てたように言う。

 本人としては、腰が抜けた状態を他の村人に見られるのは面白くないのだが、今はそれよりも子供達の安全が大事だった。

 ……自分の恥よりも子供の安全を重視する辺り、レイが好意を抱く理由なのだろう。


「安心しろ。セトは害意を持った相手になら反撃するけど、普通の相手なら何かしたりはしない」


 そうレイが告げるが、レイのことをよく知らず、噂でしか知らないキラレスはその言葉を素直に信じることは出来ない。

 もっとも信じることは出来なくても、目の前に広がっている光景を見れば信じることしか出来なかったのだが。

 そんなやり取りは、樵がやってくるまで続くのだった。

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