第1985話

『ふむ、では明日の日中で構わんのじゃな?』


 マリーナがダスカーとの交渉をした日の夜、レイは前日と同じ部屋で、同じメンバーと共に対のオーブを使ってグリムと話していた。

 その目的は、当然のように触手を転移させる方法やその日時について。


「ああ。マリーナが上手く交渉してくれたおかげで、俺達だけで触手と戦えることになった。……それより、一応聞くけど本当に大丈夫なんだよな?」


 グリムを頼るという案を出したのは、当然ながらレイだ。

 だが、それでも念の為にグリムに本当に大丈夫なのかと、そう聞きたくなるのは当然なのだろう。

 そんなレイに対し、グリムは対のオーブの向こう側で笑い声を漏らす。

 ……声帯の類がないのに、どうやって笑い声を漏らしているのかというのは、レイにも分からなかったが。

 それを言うのであれば、そもそもの話、グリムが話しているのもおかしい。


『今日、一応念の為にレイから聞いた場所を覗いて見た。生贄が運ばれてから暫くすると、レイが言ったように空間に裂け目が出来て、そこから触手が伸びてきたのを確認した。あれなら大丈夫じゃろう。こことは別の空間におるようじゃが、その空間はこの世界と近い空間にある』


 近い空間? と疑問を抱いたレイだったが、グリムはそんなレイの様子に気が付かず、言葉を続ける。


『逆に言えば、そのような地下空間だからこそ、今回の一件を企んだ者は奴と接することが出来たのじゃろう。……とはいえ、とてもではないが言葉を理解する頭があるようには思えなかったがな』

「なら、どうやってコボルトの件の契約を結んだんだ?」

『さて、そこまでは儂も知らぬよ。じゃが、普通に考えれば、何らかのマジックアイテムかスキルを用いたか……もしくは、手当たり次第に試して偶然、といったところじゃと思うが』

「偶然って……」


 それは、レイにとっても……いや、それを聞いていた他の三人にとっても、とてもではないが納得出来ることではなかった。

 それなら、まだ最初に言ったマジックアイテムやスキルといった方が素直に納得することが出来ただろう。


『その辺は、儂にも分からんよ。あくまで、そのように思ったということじゃ。……ともあれ、今日儂は空間の裂け目から触手が伸びてくるのを見た。それで、対処出来ると確信した。大事なのは、そこではないのかね?』

「そう言われれば、そうだけど」


 完全に納得した訳ではなかったが、レイはグリムの言葉に頷く。

 どのような手段で今回のようなことを起こしたのか。

 それが分からなければ、次に同じようなことがあっても防ぐことは出来ないというのは大きい。

 何より、次もグリムの手を借りなければならないというのが、レイには悔しかった。


「レイ、その辺は取り合えず後で考えましょう。ジャビスとかいう、今回の件の黒幕も捕まえたんでしょ? ……まぁ、詳しいことは知らないらしいけど」

「そうなんだよな。……結局のところ、ジャビスは現場責任者的な存在でしかなくて、詳しいことは分からないのは間違いない。国王派が絡んでるって話もあるけど、それがどこまで本当なのかも分からないし」


 今回の一件は、本当にまだ色々と分からないことが多かった。

 それだけに、レイも色々と思うところがない訳ではない。


『ん、こほん。話を戻して貰って構わんかな? それで、儂はしっかりと地下空間を見て、強制的に転移させ、空間の裂け目から放り出すといった真似も出来るのは確実じゃ。それで、具体的にはどこでやるのか……それを決めて欲しい。まさか、適当な場所に放り出す訳にもいかんじゃろ?』

「あー……うん、そうだな。けど、どこか適当な場所か。……どの辺がいい? 下手にギルムの近くってのは被害が出るから、やっぱりある程度離れている必要があるし」

「だろうな。レイが本気で戦うとなると、周辺が焼け野原になってもおかしくはない。そのような場所のことを考えると、やはりギルムから離れた場所だろう。それと、街道付近も避けた方がいい」


 エレーナの言葉には、誰も反対を漏らさない。

 話の原因の一つとされたレイですらその言葉に納得してしまったのだから、それも当然だろう。

 触手との戦いで街道が被害を受ければ、春になってからの移動に大きく影響が出る。

 増築工事を行っている現在、そのようなことになった場合、春からの作業に大きな遅れが出てしまう。

 ただでさえ、数年掛かりの大きな工事だというのに、自分のせいでそのような影響が出るというのは、レイにとっても絶対に避けたいことだった。


「ただ、そうなると……どこかきちんとした目印のある場所じゃないと困るわよ。その辺に適当になんてことになれば、それこそ私達がいない……いない? グリムさん、少し聞いてもいいですか?」

『ふむ、なんじゃね?』


 マリーナの言葉に、対のオーブの向こうでグリムは少し興味深そうに言葉を返す。


「どこという場所を決めて転移させるのではなくて、私達がいる場所に転移させるといったことは出来ますか?」

『問題はないじゃろう。レイの魔力はこれ以上ない程の目印になるしの』

「……え?」


 突然自分の魔力についての話題が出たことにより、レイは少しだけ驚く。

 マリーナが誰かに丁寧な言葉遣いで話しているのが珍しいと、そちらに意識を取られていたというのもあるが、それよりも聞き逃せないことがあった為だ。


「一応、新月の指輪ってマジックアイテムで、魔力を感じられないようにしてるんだけど」


 レイの魔力は莫大で、それこそ魔力を感じる何らかの手段を持っている者には、一目見ただけで怯えられるということも多かった。

 だからこそ、魔力を隠蔽してくれるという新月の指輪を入手してからは、そのような面倒もなくなったのだが……


『その程度のマジックアイテムで、儂の目を誤魔化せると思うのが間違いじゃよ。もっとも、そのマジックアイテムはなかなかの性能なのは間違いない。そういう意味では、儂以外でレイの魔力を感じることが出来るのは、そう多くはないじゃろう』


 グリムの言葉に、レイは安心すればいいのか、それとも驚けばいいのか分からなくなる。

 とはいえ、誰か悪意を持った相手ではなくグリムにそのことを教えて貰えたのは、不幸中の幸いなのかもしれないが。


「そうなのか」


 だからこそ、レイはグリムの言葉にそう言うことしか出来ない。

 そもそも、グリムに新月の指輪の効果を無効化されているのであれば、より強力なマジックアイテムを探せばいいだけ、という思いもある。

 そのようなマジックアイテムがそうそうあるとは思えなかったが。

 若干考え込んでいるレイだったが、マリーナはそれを気にした様子もなく、グリムとの打ち合わせを続ける。


「では、グリムさん。明日の昼の特定の時間に、私達が……いえ、レイがいる場所に触手とその主を強制的に転移させるといったことをお願いしたいのですが」

『それでいいのなら、こちらとしては構わんよ。じゃが……前もってしておいた約束の件、忘れて貰っては困る』

「それは勿論です。ダスカー……ギルムの領主にも、その辺はしっかりと約束させましたから」

『なら構わんよ。一応儂も転移させた責任として、その一件が片付くまでは様子を見させて貰おう。じゃが、もしお主らが戦闘で不利になったとしても、決して手は出さん。また、周辺に配置するという戦力が勝手に協力するような場合があれば、そちらを妨害する。それで構わんな?』

「はい。そもそも、兵士達はかなり離れた場所で待機しているでしょうから」


 マリーナのその言葉は、決して何の根拠もなく言ってるものではない。

 レイを始めとして、大規模な攻撃を得意とする面々が戦闘を行うのだ。

 そこから中途半端に近い場所に兵士がいれば、まず間違いなく戦闘の余波によって大きな被害が出るのは確実だった。

 ダスカーともあろうものが、その辺を考えない訳がない。

 あるいは、レイ達の実力に不安があればそのような真似をするという可能性も皆無ではないが、ダスカーはレイの……そして紅蓮の翼の力を信じているし、その上で、今回はそこに姫将軍の異名を持つエレーナすら加わっているのだ。

 それこそ、現状で考えられる最上級の選択の一つなのは、間違いない。

 ……もっとも、最上級ではなく、最高の選択肢というのであれば、ギルムにいる高ランク冒険者達を総動員する、ということなのだろうが。

 そのような真似は実質的には不可能……とは言わないが、難易度が非常に高いのも事実だ。

 また、そのような真似をした場合、お互いがお互いを戦闘で邪魔にならないように打ち合わせや訓練をする必要もある。

 高ランク冒険者のような腕の立つ者達というのは、往々にして自我が強い。

 他人と合わせるのが苦手だったり、それこそ嫌いだったりといった者も決して少なくない。

 そうである以上、その辺りの打ち合わせや摺り合わせに時間が掛かるとなると、その分だけ時間が無駄になる。

 何より、グリムの条件を考えれば、レイ達が戦うという選択肢しか残されていないのも、間違いのない事実なのだ。

 そもそもの話、グリムがいなければ地下空間から触手を強制的に転移させるような真似は出来ないのだから。


『ふむ、では……話はそれで決まりじゃな』


 グリムはそう告げ、その後は軽く挨拶をして対のオーブはその機能を停止する。

 いきなりグリムの姿が消えたことにより、レイを含めて全員が驚く。

 とはいえ、グリムがこれからやることを考えれば、幾ら時間があっても足りないだろうと判断し、グリムを責める者はいなかった。

 ……実際には、グリムの能力を考えれば、そこまで手間ではないのだが。


「ふぅ、取りあえず話が決まって良かったわね。触手を転移させる場所も、レイの魔力を目印にしてくれるって話だったし」


 マリーナの言葉に、全員が頷く。

 特に、レイの魔力を目印にすることが出来たというのは、非常に大きい。

 どこか特定の場所に転移させるとならば、何らかの目印が必要になる。

 だが、レイの魔力を目印に出来るのであれば、それこそ草原――今は雪原だが――の上で待っていれば、そこに自動的に敵がやって来てくれるのだ。

 これ以上、楽なことはないだろう。


「後は、マリーナがダスカー様に今回の件を報告して、予備戦力を集めれば準備は完了だな。……にしても、俺の師匠、か」


 マリーナがダスカーに説明した内容……昨日、ちょうどこの部屋で今くらいの時間に四人で話して決めた内容ではあったが、それでもレイは微妙な気分となる。

 レイも今まで師匠の存在を理由に行動してきたので、今回の一件は若干無理があるが、それでも確実に不可能なことという訳ではない。

 それは分かっているのだが、今まで自分だけが口にしていた師匠という言葉が他の面々から出るのに、違和感を抱くなという方が無理だった。


「あら、別にそこまでおかしな話じゃないでしょう? 普通なら、魔法の師匠というのはいるのが当然なんだから。……まぁ、中には魔法書とかを読んで、独学で魔法を学ぶという人もいない訳じゃないけど、かなり珍しい筈よ?」

「いや、分かってる。分かってはいるんだけど……どうしても、な」


 マリーナの言葉にそう返し、レイは気分を切り替えるように大きく息を吐く。


「さて、師匠の件は取りあえず置いておくとして、明日の予定は決まった訳だ。……ギガント・タートルの解体が少し遅れるのは残念だけど、ここで下手に被害を出す訳にはいかないしな」

「そうね。ギルムとしても、ギガント・タートルの解体は冬の恒例行事という扱いになるでしょうし。……もっとも、それでも数年程度で終わるでしょうけど」


 幾らギガント・タートルが巨大であっても、その解体を永遠に続ける訳にいかないのは、間違いのない事実だ。

 そうである以上、当然のようにいつか終わりは来る。

 その辺りの事情を考えれば、誰もマリーナの意見に異を唱えるといったことはなかった。


「解体している連中には悪いけど、明日は休みだな。……その辺は、ダスカー様からもうギルドの方に知らせがいってるんだよな?」

「ええ。ダスカーもその辺りに抜かりはないでしょうし。ギルドの方も、折角の大きな儲け話を不意にはしたくないでしょ。……解体だけじゃなくて、ギルドの方でも忙しいから、人手は幾らあってもいいでしょうし」

「ん? そうなのか? コボルトの一件はそろそろ解決の目処が見えてきたのだし、以前までと比べれば、大分忙しさは緩和されているのではないのか?」

「あのねぇ、エレーナ。今までが忙しかった分、どうしても仕事は溜まってるのよ。それが積もりに積もっている以上、そっちを片付けるにも人手が必要なのよ」


 マリーナのその言葉に、聞いていた者達は再び納得したように頷くのだった。

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