第1982話
食事が終わった後、いつもであればレイとヴィヘラ、ビューネが定宿としている夕暮れの小麦亭に戻るまでは、お茶を飲んだりお菓子を食べたりしながら、色々と話をするというのが日課だった。
だが、今日は違う。
いつもであれば、マリーナの精霊魔法によってすごしやすくなった庭にレイ達はいるのだが、今日はマリーナの屋敷にある部屋の中にいた。
それも、マリーナが精霊魔法で決して誰にも話を聞かれないようにと、厳重に対策をした上で、だ。
そして、部屋の中にいるのはレイ、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラの四人のみ。
ビューネ、アーラ、セト、イエロの二人と二匹は庭で待機していた。
……もっとも、セトとイエロは万が一にも誰かが――それが例えビューネやアーラであっても――家の中に入らないよう、見張りをしているということでもあるのだが。
勿論、レイ達もビューネやアーラは信頼している。
だが、そのような相手であっても、こうして厳重に警戒しなければならないようなことを、これからレイは話すのだ。
エレーナ達も、何もそこまでしなくてもという思いがない訳でもなかったが、レイが真剣な表情でそこまでいうのであれば、と。その指示に大人しくしたがっていた。
「さて、それで一体どのような手段で地下空間にいるという触手とやらを排除しようというのだ?」
最初に口火を切ったのは、エレーナ。
そんなエレーナの言葉に、マリーナとヴィヘラの二人も同意するように頷き、レイに視線を向ける。
三人の視線を受け止めたレイは、やがてゆっくりと口を開く。
「やるべきことは簡単だ。俺の知り合いにとてつもない腕の魔法使いがいるから、手伝って貰う」
この場合、知人ではなく知り合いと言ってることが、レイの布石なのだろう。
アンデッドは、とてもではないが人と呼ぶことは出来ないのだから。
「何故それが、そこまで危ない手段となる? ……その魔法使いは犯罪者だと、そういうことか? だが……レイより優れた魔法使いが、そういるとは思えないが」
エレーナにしてみれば、レイより優れた魔法使いがそういるとも思えない。
勿論、このエルジィンにレイ以上の魔法使いが全くいないなどとは考えていないが、それでもそう多くないと確信出来るというのも、また事実だった。
だからこそ、レイが口にした言葉に疑問を抱くが……
「そうか? ビューネ以外は会ったことがあるはずだけどな」
「……何? 私達がか? それは事実か?」
確認するように尋ねてくるエレーナに、レイは躊躇いなく頷く。
そんなレイの態度に嘘はない。
そう感じたエレーナは、何とかレイよりも優れた魔法使いを思い出そうとする。
マリーナも悩んでいる様子を眺めながら、レイが一体誰のことを言ってるのかといったことを考えつつ、口を開く。
「私達4人が会ってるとなると絶対ギルムになるわよね? そんな凄腕の魔法使いがいたかしら?」
「私達が揃った時期を考えたらあの錬金術師騒動以降よね?」
ヴィヘラとマリーナがそれぞれに予想をする中で、思い当たる相手を考えていたエレーナは、不意に一瞬動きを止め、鋭い視線をレイに向ける。
そんなエレーナの様子を見れば、レイも正解を思いついたのだろうと、そう理解した。
「もしかして……グリム殿?」
恐る恐ると、出来れば違っていて欲しいといった様子で尋ねるエレーナに、レイは笑みを浮かべて口を開く。
「正解だ。エモシオンでも同じようなことで助けて貰ったからな」
「……エモシオン?」
次にレイの言葉で何か思いついた様子を見せたのは、マリーナ。
当然だろう。元々レイにエモシオンに行くようにと勧めたのはマリーナで、その理由もレムレースの討伐を目的としたものだったのだから。
……実際にはレイがギルムにいないほうが良かったからというのが正確なところなのだが、レムレースの討伐の為にエモシオンに行ったというのも、決して間違ってはいない。
「ああ、レムレースの一件でな。それに、ヴィヘラが意識を失っていた時にも助けて貰った筈だ。……マリーナ、お前も覚えてるだろう? リッチ……いや、リッチロードとでも呼ぶべき存在を」
『なっ!?』
レイの言葉に、マリーナとヴィヘラの二人は驚愕の声を上げる。
レムレースの一件、ヴィヘラの一件。
その両方で助けて貰ったことのある相手だけに、当然のようにマリーナやヴィヘラも知っている。
だが、ここでその力を貸して貰えるのかと言われたのだから、それで驚くなという方が無理だった。
レムレースやヴィヘラの一件は、あくまでもレイの個人的な頼みで助けてくれたということになる。
しかし、今回はあくまでもレイの個人的な頼みという訳ではなく、ギルムの危機なのだ。
言ってみれば、ここでもし触手が暴れてもギルムが被害を受けるものの、レイ個人は被害を受けない。
……いや、地下空間のある場所が貴族街から近い以上、紅蓮の翼の溜まり場となっているマリーナの屋敷が被害を受けるという可能性がある以上、レイにも少なからずダメージはあるのだが。
「落ち着け、グリムは普通のアンデッドじゃない。それこそ長い時を生きてきた為か、高い知性と理性を持っている。こっちから頼めば、俺個人じゃなくてギルムを救う為でも、十分に手助けをしてくれる筈だ」
「それは分かってるけど……」
グリムを知っていて、実際にその姿を見て高い知性と理性があると知っているマリーナですら、思わずといった様子で呟いてしまう。
実際、アンデッドの多くは長く生きれば理性が劣化することが多い。
いや、殆どがそのようなタイプだと言ってもいいだろう。
それは、アンデッド程ではないにしろ、ダークエルフとして長い時を生き、冒険者として多くの経験をしてきたマリーナの体験からの言葉だ。
だが、そんなマリーナに対し、レイは即座に頷きを返す。
「信じがたいのは分かる。でも俺は時々対のオーブを使って話をしたりもしているから大丈夫だ」
そんなレイの言葉に、今度こそマリーナは大きく目を見開き、言葉を止めて呆れの表情を見せる。
当然だろう。このエルジィンという世界で一般的な常識を持っていれば、レイのしたことがどれだけ信じられない行為なのかが分かる筈だ。
もっとも……と、マリーナはすぐに思い直す。
「そうよね、レイだもの」
あたかも、その一言だけで全てが片付くと言わんばかりの言葉。
だが、レイの常識外れさを知っているマリーナ……そしてエレーナやヴィヘラも、素直に納得してしまうだけの説得力がそこにはあった。
それに対して何かを言い返そうとしたレイだったが、取りあえず今はグリムの話を先に進めた方がいいだろうと判断し、口を開く。
「ともあれ、グリムは強力な魔法使いだ。それこそ、純粋に魔法使いとしての技量では、俺よりも上にいる。そんなグリムなら、地下空間にいる触手や空間の裂け目に潜んでいる主もどうにか出来ると思わないか?」
「……それは、レイがそこまで言うのなら信じたいけど……本当に可能なの?」
いくらあの強大な魔法使いでもこの状況を打開できるのだろうかと言いたげなマリーナに対し、レイはミスティリングから対のオーブを取り出す。
「あら?」
それを見たヴィヘラが不思議そうな声を上げたのは、レイがエレーナとの会話に対のオーブを使っているのを知っていたからだろう。
何より、レイとエレーナが対のオーブを手に入れる為にエグジルに行って、それでヴィヘラと会った、ということも印象深くなっていた理由の一つか。
もし対のオーブをレイ達が探しに来なければ、ヴィヘラはこうして自分の運命の相手とも言えるべきレイと出会い、共に行動するといったことはなかったのだ。
……同時に、エグジルを襲った聖光教や異常種の問題も解決出来たかどうか怪しい。
そういう意味では、ヴィヘラにとって対のオーブというのは非常に大きな印象を持つのは当然だった。
「それ、対のオーブよね? エレーナがここにいるのにそれを使うってことは、もしかして……」
ヴィヘラはレイの態度と今までの話から、その対のオーブの相手が誰なのかを理解したのだろう。
驚きの表情を浮かべ、レイを見る。
そして、当然のようにレイはそんなヴィヘラの言葉に頷き、口を開く。
「そうだ。この対のオーブで話すことが出来るのは、俺が今まで話していた相手……グリムだ。それで、これからグリムと話をして触手の件を尋ねてみようと思う。……どうだ? 構わないか?」
構わないか? とそう尋ねられても、そもそもレイの行動を止める権利は誰にもない。
いや、ここがマリーナの家であることを考えれば、マリーナになら止める権利はあるのかもしれないが。
だが、マリーナはそんなレイの行動を見ても止めようとはしない。
元々レイが無茶をやるのはいつものことで、それは十分に知っていたから、というのが大きい。
また、同時にレイがそのグリムと接してきて、それでも無事でいるというのは、大きな意味を持っていた。
そもそもの話、マリーナが知ってる限りではアンデッドでそこまで理性が残っているということが非常に珍しいのだ。
改めて、グリムとしっかりと話してみたいとマリーナが思っても、おかしくはないだろう。
「そこまで言うなら私は構わないわ。私も話してみたいもの」
最初にマリーナがそう言い、続いてヴィヘラが口を開く。
「私もそれで構わないわね。前に助けて頂いたご恩があるから、早速連絡を取ってグリム殿と話をしてみましょう」
ヴィヘラらしい言葉に、レイとマリーナはそれぞれ笑みを浮かべる。
だが、そんな中、唯一黙っているエレーナは、その言葉にどう答えるべきか迷っていた。
実際に継承の祭壇のある遺跡でグリムの力を見ただけに、その判断が慎重になるのは当然だった。
それでも即座にレイの意見を否定しなかったのは、やはりレイが今までグリムと何度も対のオーブで話してきたからか。
(だが……あのような者にそう何度も力を借りるのは、危険ではないのか? それこそ、いつか何らかの代償を求められるという可能性も否定は出来ない。……しかし……)
悩む様子を見せるエレーナだったが、この場で黙っていれば、それは当然のように目立つ。
「エレーナ? どうしたの?」
「いや。どう反応したらいいものか、迷ってな」
マリーナの問いにそう答え、一拍置いた後で再び口を開く。
「私はマリーナ達よりも前に、グリムという相手を知った。それだけではなく、どれだけの力を持っているのかを自分の目で直接確認したこともある。だからこそ、気軽にグリムに頼るというのはどうかと思ってしまうのだ」
グリムという相手を知っているからこその、言葉。
それだけに、エレーナの口から出た言葉には強い説得力がある。
「じゃあ、エレーナはレイがその対のオーブを使うのを反対なの?」
「本心を言えばそうだ。だが、レイは今まで何度もグリムと対のオーブを使って話しているのだろう?」
そう言いながら、エレーナはもしかして自分がグリムの件で素直に頷くことが出来ないのは、嫉妬があるからかもしれないな、と思ってしまう。
エレーナにとって、対のオーブというのはレイと話をする為に必要な……そう、言わばレイとエレーナを繋ぐ存在なのだ。
その対のオーブを使って――勿論それは別の物だが――自分以外の相手と話すというのは、女としてエレーナにとっては面白くない。
「そうだな」
だが、レイはそんなエレーナが何を言いたいのかが分からず、その言葉に対して素直にその通りだと答える。
そんなレイの態度に、エレーナが何かを言おうとし……
「エレーナ、その辺は後にしておいたら? 今回の一件は、少しでも早く解決する必要があるのは理解してるでしょ?」
「それは……」
窘めるようなマリーナの言葉に、エレーナは何も言えなくなる。
実際に今回の件は少しでも早く解決する必要があるのは事実だと、エレーナも理解しているからだろう。
「それに、レイのそういうところは今までで十分に理解しているでしょ? 女心なんて、全く分からないんだから」
マリーナに言われ放題のレイだったが、実際に何故エレーナが不満を持っているのかを理解していない以上、その件に関しては言い返せる筈もない。
「あー……うん。まぁ、取りあえずだ。……グリムを呼んでもいいのか?」
取りあえず分からないことは棚上げするとして、レイはジト目や呆れ、不満といった視線を向けてくる三人に対し、そう尋ねるのだった。
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