第1964話
「おいおいおいおい、これ本当かよ。あの店が潰れた時は何かおかしいと思っていたが……」
書類を手にした警備兵が、驚きと憤りを込めて呟く。
当然だろう。その書類は、警備兵も何度か行ったことのある店に関して、潰すように指示を出す命令書……正確にはその控えと言っていいものだったのから。
その店が潰れた……正確には潰された原因が、この屋敷の主人の命令だったのだから。
「おい、それよりもこっちを見てみろよ。脅迫の証拠までしっかりと残ってる。……脅迫して得た金額を帳簿にして残しておくってのはどうよ?」
「いや、こっちは助かるんだからいいだろ。取りあえず、この書斎だけでも結構な悪事の証拠が出てきそうだな」
今回の強制捜査は、あくまでもレイが見つけた地下空間に関するものだ。
だが、当然その途中で何らかの犯罪の証拠を見つけても、それを見逃すということはない。
当然その証拠もしっかりと押収され、その犯罪について捜査が行われることになる。
そういう意味では、今回の強制捜査で暴かれる犯罪はかなりの数に及ぶと見られていた。
とはいえ、このような強引な手段をそう多く使える筈もない。
それこそ、今回はギルムの中にいつの間にか地下空間を作られ、そこでピンクの触手を呼び出すといった真似をしており、おまけにそのピンクの触手がレイでも楽に勝てない程度の強さを持つという、正真正銘ギルムの危機と呼ぶべきことだからこそ、許可されたのだ。
また、強制捜査をするのは貴族街の近くではあっても、貴族街ではないというのも、この場合は大きかっただろう。
「んー……俺から見ると、特に何か怪しいようなのは見つからないんだけどな」
昨日の屋敷のように、何となく気になるような絵があったとすれば、レイもまたそれに興味を惹かれたりしただろう。
だが、生憎とこの書斎には何らかの絵が飾られていたりはしていない。
周囲を見回すレイだったが、少なくてもレイの感覚で考えると、どこかに何かが隠されているようには見えない。
(昨日の屋敷には骨と皮だけの死体が大量に残されていたんだし……いや、待て。もしかして、昨日の屋敷に腕利きの護衛がいたのは、あの死体があったからこそか? 実際、あの死体を見たからこそ、俺や警備兵達は色々と怪しいんだと、そう確信したんだし)
あの屋敷が敵の拠点だというのは聞かされていたが、それでも骨と皮だけの死体が山となっていなければ、あそこまで警戒するようなことはなかっただろう。
勿論、いきなり襲ってくる者達がいたので、警戒をしないという選択肢は存在しなかったのだが、それでも死体の一件がなければ、あのようなことにはならなかった可能性が高い。
(屋敷を守ってるだけで、この屋敷のように住人がいなかったってのは……つまり、あの屋敷は死体置き場として重要な場所だったんだろうな。普通の死体なら、腐臭とかが厄介だけど、あの死体はその辺を気にしなくてもいいし)
昨日見た死体は、骨と皮だけに……それこそミイラのようになっていた為か、腐臭の類は全くしなかった。
もっとも、普通なら皮や骨だけとなった死体であっても腐臭のような悪臭は漂ってきてもおかしくはないのだが……それがなかったというのは、やはりあの死体は何らかの触手の影響を受けていたということなのだろう。
そんな風に考えつつ、レイは書斎を調べている警備兵達の様子を眺め……ふと、気になる物を見つけた。
それは、普通に見ただけであれば、特に違和感がなかったのだろう代物。
なのに、何故レイがそれに違和感を抱いたのかは……それこそ、レイ本人にも分からない。
ただ、本人にも分からない何らかの理由によって、それ……部屋に飾られている花瓶が気になったのだ。
今は冬である為か、特に花瓶に何らかの花が飾られている訳ではなく、花瓶そのものが壺か何かのように芸術品的な代物として飾られている。
あるいは、ここが貴族の家であれば冬であっても何らかの手段で花を入手して飾っていたのかもしれないが。
ともあれ、レイはそんな花瓶に近づいていく。
花瓶そのものは先程警備兵が調べていたので、中に特に何かが隠されている訳でないというのは、分かっていた。
それでも花瓶が気になったレイは、その花瓶の前まで移動して、手を伸ばす。
花瓶を持ち上げ、じっくりと調べる。
だが、レイが持っている花瓶は特に何もおかしいところはない。
芸術といったものには疎いレイだけに、もしかして自分の持っている花瓶が高価な物なのかもしれないと判断し、花瓶を置かれていた台座の上に戻す。
花瓶を見ていた時の違和感は何だったのかと思いながら……ふと、花瓶を台座の上に置いた時、再び同じ違和感を抱く。
思いつきに従い、花瓶を台座に置いた時に少しだけ力を込めたその瞬間。花瓶を置いた台座が少し沈む。
そう、台座そのものが床に沈んだのだ。
「おい!」
その光景を見れば、この花瓶……正確には台座に何らかの仕掛けがしてあるというのは理解出来、警備兵を呼ぶ。
先程花瓶を調べていた警備兵も、花瓶の中に何らかの悪事の証拠が隠されているのではなく、台座そのものが何らかの仕掛けになっているというのは、思いも寄らなかったのだろう。
……普通なら、花瓶を台座に置く時に必要以上の力を入れるといった真似はしないのだから、それも当然かもしれないが。
「なるほど。ここにこんな仕掛けが。しかもこういう仕掛けをしているということは、当然のように人に見られると困る何かが隠されてる訳で……一体何があるんだ?」
警備兵がレイから場所を譲ってもらい、花瓶の乗っている台座を調べる。
すると、すぐにその台座の仕掛けが暴かれ、台座の中にあった隙間に何枚かの書類が畳まれて入っているのを見つけることに成功した。
犯罪に関わった証拠となる書類の幾つかは、それこそ普通にこの書斎に置かれていた。
にも関わらず、こうして凝った仕掛けの中に隠されている書類となると、それは明らかに怪しい。
警備兵達もそれが分かっているのか、畳まれていた書類を伸ばしてみるが……
「暗号か」
警備兵の一人が残念そうな声で呟く。
実際、その書類を覗き込んだレイも、そこに何が書かれているのかが理解出来ない。
幾らかは読める文章もあるのだが、その多くの文章はとてもではないが読めず、何らかの暗号と呼ぶべきものが描かれているだけだ。
文字というよりは、象形文字とでも呼ぶべき代物。
そんな文字を見ながら、警備兵は本当に嫌そうな表情を浮かべる。
レイにしてみれば、ただの暗号かの一言ですむことなのだが、警備兵達にしてみれば、この屋敷の主人の犯罪を追求する為にはこの暗号を解く必要があるのだから、当然だろう。
それでも警備兵が直接この暗号を解くのではなく、専門の部署に頼んだり、場合によってはダスカー直属の部署に頼んだりといったことが出来るのは幸運なことだろう。
暗号を解くとなると、様々な知識が必要となる。
警備兵という仕事をする上では、残念ながらそのような余裕は存在しない。
……中にはそれだけの知識がある者もいるのだが、その人数は決して多くはないのだ。
「レイ、取りあえずこれは預かっておいてくれ。この屋敷の強制捜査が終了したら、上に渡す」
「分かった」
ついでにと、この書斎を調べて見つけた他の犯罪の証拠になる書類もレイのミスティリングに収納する。
もし警備兵が証拠の書類を持っていた場合、何らかの理由……具体的には、この屋敷の主人や、その命令を受けた者がどうにかその書類を廃棄しようと考える可能性もあった。
そういう意味では、レイと一緒に行動したこの警備兵達は運が良かったのだろう。
……もっとも、レイが騒動を引き寄せるということで、外れくじを引いたといった印象を持っている者もいたのだが。
「それで、どうする? ここまで厳重に隠していた以上、この書斎に他にはこれ以上の証拠は何もない、という可能性が強いと思うけど」
「どうだろうな。他にも何かある可能性は否定出来ないし。もう少し調べてみるよ」
「そうか? なら、こっちはもう少し適当に見てるけど、それでいいか?」
「ああ。……捜査にそこまで必死になるよりは、俺達を守ってくれ。強い奴に襲われたりしたら、こっちも対抗するのは難しいだろうし」
半ば冗談っぽく言ってる様子だったが、その表情は真剣な様子だ。
実際に捜査に集中しているところを急に襲撃されたりすれば、警備兵もそれに対抗するのは難しい。
何かに集中していれば、対応出来なくなるのは当然だろう。
そもそも、レイを含めた冒険者達が警備兵に同行しているのは、そのような時の護衛として期待されてのものなのだから。
レイも警備兵のその言葉にはそれ以上何も言わず、大人しく護衛としての役割を全うすることにする。
……とはいえ、この屋敷には他にもそれなりに多くの警備兵が強制捜査に入っている以上、もし屋敷の主人が襲わせるといった真似をしてもすぐに他の捜査をしている者達に気が付かれてしまうだろう。
(ヴィヘラのいるグループを襲ったりしたら、最悪だろうな)
強敵との戦いを楽しみにしているヴィヘラだけに、それこそ襲ってくる相手を歓迎すらしてもおかしくはない。
もっとも、それで酷い目に遭うのは襲撃してきた者だけである以上、襲撃の結果として大きな被害を受けても、それに対して同情するようなことはしないだろうが。
「お、ちょっとこれを見ろよ。こいつ、違法の薬を横流ししてるぞ」
「違法の薬? ……おい、ちょっと待て。これってもしかしてちょっと前に問題になった……」
「多分な。もっとも、この流通量を見る限りでは、この屋敷の主人は下っ端……とは言えないものの、組織の上の方って訳でもないようだが」
違法の薬という言葉に、レイは警備兵達に視線を向ける。
この場合の薬というのは、レイが日本にいた時に問題になったような麻薬の類ではなく、魔法を使って作られた薬のことだ。
とはいえ、常習性のある物も多いので、性質としては麻薬と似たようなものなのは間違いないだろうが。
「薬の問題ってのはあまり聞いたことがなかったけど、ギルムでも多いのか?」
「多いな」
レイの問いに、警備兵は悩む様子もなく断言する。
「そもそも、ギルムは辺境だ。そして辺境だからこそ入手出来る素材が多く、その中には薬の素材として使える物も多い。レイも、何度かそういう薬を見たことがあっただろ? ほら、魔熱病とか」
魔熱病。
そう言われてレイが思い出したのは、以前セトに乗ってその薬を大急ぎで持っていった時のことだ。
「……あれは別に身体の害になる薬じゃないだろ? それこそ、治療の為の薬の筈だ」
「そうだな。けど、何にでも適量ってのがあって、それを超えれば害にしかならない。魔熱病の薬や、それ以外の薬も同様だ」
正直なところ、レイの場合は麻薬とか薬とか言われても、ピンとこない。
日本では東北の田舎に住んでいたので、当然のように麻薬の類を見たことはなかったし、それはこの世界に来てからも同じだ。
(ああ、でも暗殺者が薬とかを使ってるってのは見たことがあったな)
以前何度か見たことを思い出し、それならばといった様子で納得の表情を浮かべる。
「で、その薬を違法に横流ししていた証拠が見つかった、と」
「そうなる。ただ、この屋敷の主人が主導してって訳じゃなく、どちらかと言えばあっさり切り捨てることが出来る手足って感じだが」
「……だろうな」
この屋敷に入ろうとした時の事を思い出し、しかも兵士に止めるように言いながら、自分では何もしない。それどころか恐れて行動に出ないというその性格を考えると、とてもではないがそのような大掛かりなことを主導出来るようには思えない。
(せめて、自分で俺達を止めるといった真似をすれば……それとも、俺達の場所に来ないだけで、他の場所に行ってるのか? 書斎の類も、別にここだけって訳じゃないかもしれないしな)
貴族街にあるような屋敷程ではないにしろ、この屋敷はかなりの広さがある。
また、昨日の捜査をした屋敷の広さを考えると、書斎が複数あってもおかしくはない。
事実、昨日はレイ達以外の警備兵達が別の書斎を捜索し、犯罪の手掛かりとなるだろう書類の類を見つけているのだから。
「取りあえず、こういう書類がここにあったってことは、やっぱり他にも色々と何かの書類がある可能性はある。レイ、もう少し時間が掛かるかもしれないが、待ってくれるか?」
「ああ、俺は構わない。ゆっくりと……とは言えないけど、書類を見逃さないようにして、頑張ってくれ」
警備兵の言葉に、レイはそう答えるのだった。
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