第1955話

 レイが階段に飛び込むのと、その階段があったすぐ側の壁に触手がぶつかるのは、ほぼ同時だった。

 それだけでも、空間の裂け目から伸びているピンク色の触手がどれだけの速度と威力で相手に襲い掛かっているかということの証明でもある。


「……ふぅ」


 階段の壁を若干斬り裂いていたデスサイズと黄昏の槍をミスティリングに収納し、レイは安堵した。

 どうやら、階段にいる自分に向かって触手が襲ってくることはないのだろうと。


「助かった、か。……けど、あの触手の長さを考えると、ここまで襲ってきてもいいと思うんだけどな」


 レイの後ろにいた警備兵の一人が、そう呟く。

 実際、空間の裂け目から伸びている触手が、具体的にどれくらいの長さがあるのかというのは、誰にも分からない。

 いや、もしかしたらあの触手について詳しい者……今回のコボルトの一件を起こしている者であれば知ってるかもしれないが、残念ながらレイを含めてここにいる誰もがそれは知らなかった。


「適当な予想だけど、あの触手が自由に動けるのはあくまでも地下空間の中だけで、そこから一歩でも外れればどうしようもないとか?」

「あー、それは有り得るかもな。今回の一件を企んでる奴にしたって、あんな危ない奴をそのまま自由にさせるなんて真似をするとは思えないし」


 警備兵の一人がレイの言葉に同意するように頷く。

 実際、触手の先端が突き刺さる……いや、傷口がなかったことを考えると、触れた時点で相手から体液や内臓、そして肉といったものを吸い取るようなとんでもない相手だけに、そのような危険な相手を好き勝手自由に動かすなどといった真似をさせるのは、危険すぎるだろう。

 その辺の事情を予想すれば、地下の空間から出ないようにするというのは理解出来る。


「取りあえず上に戻らないか? ここにいれば多分大丈夫だろうけど、それは何の保証にもなってない。もし俺達の予想が外れていた場合、こういう狭い場所であの触手とやりあうのは絶対にごめんだぞ」


 デスサイズにしろ黄昏の槍にしろ、両方ともが長物と言われる武器だ。

 普通の長物なら間合いを詰めて対処するものだが、レイ程の技量の持ち主ともなれば、間合いを詰められたところで対処するのは難しくはない。

 だが……このような階段では、そもそもデスサイズや黄昏の槍を振るうことが出来ない。

 実際に先程この階段に飛び込んできたレイが持っていたデスサイズや黄昏の槍は、中に入りきらずに壁を斬り裂いていた。


(あの触手よりこっちの方が斬りやすいってのは、正直どうなんだろうな)


 切断された場所を見つつ、レイは改めて触手の異常さに思いを馳せる。

 ただ単純に頑丈だという訳ではなく、ゴムか何かのように強い弾力性があり、それでいながら頑丈という厄介な性質を持つのが、あの触手だ。

 今回は特に問題なく戦うことが出来たが、次に同じような場面になったらどうなるのか……それこそ、現在いるような狭い場所で襲われたら、対処出来ない訳ではないが、苦労するのは間違いない。

 レイの意見に賛成だったのか、警備兵達もそれ以上は何も言わずに階段を上っていく。

 そして、階段を上りながらされる会話は、当然のように先程の触手に対してのものだ。


「で、結局あの触手がコボルトの一件に関わっていると、そう思うか?」


 念の為に後ろを、もしかして触手が追ってくるのではないかと警戒しながら口にするレイに、警備兵達は悩む。


「あー……どうなんだろうな。普通に考えればその通りなんだろうけど……あの触手に、コボルトを操るとか何かそういうのが出来ると思うか? そもそも、あの触手とコボルトにどんな繋がりがあると思う?」


 もし空間の裂け目から出てきたのが、犬や狼を思わせる姿をしているのであれば、コボルトとの繋がりに納得することも出来ただろう。

 だが、空間の裂け目から出てきたのは、ピンク色の触手。それも何らかの液体で濡れていて、いっそ卑猥と呼んでもおかしくないような、そんな触手だった。

 とてもではないが、レイにはあの触手がコボルトと何らかの関係を持っているとは思えない。


「あの触手が、か。そうだな。どう考えてもあれがコボルトと何らかの関係があるとは思えない。……となると、実はあの触手はコボルトの件と何も関係がなかったりするのか?」

「いや、コボルトの一件だけでも相当の大事だ。にも関わらず、それと同時進行であんな危険な存在をどうにかする為の儀式? っぽいのを進めるか? 普通に考えれば、やっぱりあの触手がコボルトの一件と関係しているのは間違いないと思う」

「うーん……俺はどっちとも言えない。今ある情報だけじゃ、どう考えても足りないだろ。だとすれば、もっとしっかりと情報を集めてから判断するべきだと思う」


 三者三様の意見。

 全員が警備兵だからといって、その意見が必ずしも一つに纏まることがないということの証明だろう。

 後ろを気にしながらレイは妙なことに感心する。

 結局背後から再度触手に襲われるようなことはないまま、隠し階段のある部屋に到着し……


「っ!?」


 先に進んでいた警備兵が顔を出して一瞬息を呑むが、すぐに安堵した様子を見せる。

 その理由は、レイ達が地下空間に行ってる間にこの部屋に集まっていた警備兵の仲間達を見てのものだった。


「あんまり驚かせないでくれよな。てっきり、あの連中がこっちを待ち伏せしてるのかと思ったぜ」


 その一言で、背後にいた警備兵やレイ達も、部屋の中にいるのが誰なのか分かったのだろう。安心した様子で部屋の中に入っていく。

 部屋の中にいたのは、五人の警備兵。

 中にはタイミングが良いのか、レイにあの大量の骨と皮の死体を見つけたと教えてきた者の姿すらあった。


「何だってここに?」

「この屋敷の中を色々と探していたら、この部屋で壁が破壊されているのを見たから、どうするか迷っていたら、そっちが通りかかったんだ」


 警備兵の問いに別の警備兵が答え、通り掛かったと言われた警備兵が頷きを返す。


「そうか。……階段を降りてこなくて、本当に運が良かったな」

「何があった?」


 しみじみと、それこそ心の底から呟くように告げる同僚の言葉に、警備兵は疑問の視線を向ける。

 同僚として相手の性格は知っており、だからこそそのように言われれば疑問に思うのは当然だった。

 尋ねられた警備兵は、自分が体験したことを何と表現していいのか迷い……それを救うように、横で話を聞いていたレイが口を開く。


「お前が見つけた、骨と皮だけになっていた死体。あれがどうやって作られたのか、それを自分の目で直接見てきたんだよ」

「それは……」


 この屋敷で骨と皮だけの死体を見つけた警備兵は、レイの言葉に何と言えばいいのか分からなくなる。

 実際、どうやればあのような死体が作れるのか分からない身としては、興味を惹かれたというのもあるのだろう。

 だが、レイと一緒に階段から出てきた警備兵の様子を見れば、迂闊に尋ねてもいいことなのかどうか迷ってしまい……それを見た警備兵は、遠慮するなと首を横に振ってから自分が地下で見た光景を説明する。

 この屋敷だけではなく、周辺の他の屋敷の敷地まで広がっている地下空間。

 更に地下空間からつづく階段は恐らくその周辺の屋敷にも繋がっているだろうということ。

 そして、レイ達がいた階段とは別の階段から、自我を失った赤布達がロープで縛られ、一人の男によって連れてこられたこと。

 連れてきた男を捕らえて、国王派に所属する者だという情報を入手したのはいいが、その瞬間に地下空間の中央付近の空間が裂けたこと。

 その空間の裂け目からピンク色の触手が出てきて、その先端が触れた国王派の男は内臓や体液、筋肉といったものを全て吸い取られ、骨と皮になったこと。

 自我のない赤布の者達もその男同様に殺され、レイと警備兵は何とか逃げだしてきたこと。


「結局あの触手は地下空間から出ることが出来ないように何らかの縛りがあるのか、階段に入ってくればそれ以上追ってくることはなかったけどな」


 全て語ったところで、そう締めくくる。

 話を聞いていた警備兵は、心の底から嫌そうな表情を浮かべていた。

 話した警備兵の語りが妙に上手かったこともあって、容易にレイ達が見た光景を想像出来たのだろう。

 ……いや、人の想像力というのは、場合によっては直接自分の目で見るよりも強い臨場感を与える。

 そういう意味では、下手をすればレイ達が直接見て感じた経験よりも強い恐怖を警備兵達に与えてもおかしくはない。


「ま、ちょっと大袈裟なところもあったけど、概ねではそういう感じだ。あの触手は、俺のデスサイズでもちょっとした抵抗を感じるくらいには堅かった……正確には弾力があったから、それを考えると普通の冒険者ではちょっと相手をするのは難しいだろうな」


 警備兵の話を継いでそう告げてくるレイの言葉に、警備兵達は再びその表情を嫌そうなものに変える。

 とはいえ、その嫌そうな表情は、先程男達が感じたような想像上のものではなく、実際にレイのデスサイズですら切断しにくい触手に遭遇したらどうすればいいのか、というものだったが。

 少なくても、ここにいる警備兵達の技量や武器では、その触手に対抗出来ないというのは確実だった。


「本当か?」


 部屋の中にいた警備兵の一人が、思わずといった様子で尋ねる。

 レイの強さを知っているだけに、その本人の口から出た言葉であっても信じられない……いや、信じたくないというのが、正直なところなのだろう。

 だが、レイだけではなくレイと一緒に行動していた警備兵が首を横に振る。


「残念だけど、レイの言ってることは間違いない。そもそも、触手の移動速度……飛行速度? といったのがかなり速いし、その触手に触れただけでこっちは死ぬ。俺達だと、ちょっと手が出せないな」

「……厄介な」

「せめてもの救いは、触手の先端に触れたら即死って訳じゃなくて、体内から色々と吸い取るという感じだったから、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、触れてすぐにどうにか触手から離れることが出来れば、死なないかもしれない。……もっとも、俺は絶対に試したくはないけどな」


 触手が人を殺す光景を見ただけに、そう告げる警備兵の言葉には強い説得力があった。

 話を聞いていた警備兵は、小さく唾を飲み込んだあとで、改めて口を開く。


「それで、これからどうする? そんな物騒なのがこの下にあるのなら、それを放っておく訳にはいかないだろ。コボルトの一件と関係があるのかどうかは分からないが」

「取りあえず、この屋敷と周辺の屋敷には地下空間に繋がる階段があるのはほぼ確実だ。となると、警備兵を大々的に動かす大義名分は出来たんじゃないのか? あの空間の裂け目がいつまであるのかは分からないが」


 レイのその言葉に、何人かの警備兵は賛成といった明るい表情を浮かべ、また何人かの警備兵は反対といった表情を浮かべる。


「多分、大丈夫だとは思う。思うが……それでも、確実ではないから、何とも言えないな」

「けど、地下空間に行けば間違いなく死体が残ってる。それだけでも、十分に警備兵として動く理由にはならないか?」

「触手ってのが残ってれば、確実だったんだが……」


 レイの言葉に、警備兵を大々的に動かすのは難しいという立場の者がそう告げる。

 だが、レイが切断した触手は、塵となって消えてしまった為に破片の類も残ってはいない。

 もし触手の残骸があれば、まだ証拠になったのだが……


(もしかして、あの触手の主はその辺りも考えていたとか? ……まさかな。何か知能があるようには思えなかったし。あ、でもコボルトの一件と関わっている可能性が高い以上、知能がないとは限らないのか。それに……)


 既に死んでしまったが、赤布達を連れてきた男はコボルトの一件にあの触手が関係しているというのを口にしていた。

 ただ、問題なのは、その証言をした男が触手によって皮と骨だけの死体になってしまったということか。

 その為、それを聞いたのはあくまでもレイと警備兵達だけであり、証拠として扱うには弱い。

 つくづく、あの男を触手によって殺してしまったことを後悔しながら、レイは口を開く。


「とにかく、書類の類も幾らか見つかったし、それ以外にも地下空間の一件もある。それで、どうにか警備兵の上に動くように言って貰えないか? 何なら、俺がダスカー様に話を通してもいい」

「……いや、レイの気持ちは嬉しいが、それは止めておいた方がいい。そうなると、後々色々と問題が起きる可能性がある」


 警備兵のその言葉に、レイはそういうものか? と疑問を抱くが、本職の警備兵がそう言うのであれば、取りあえず納得し、地下空間の一件を上に知らせるということで合意するのだった。

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