第1895話
「あれ? レイ殿?」
マリーナの家でお茶を飲みつつ、庭でセトとビューネが遊んでいる光景を眺めていたレイは、そんな声を掛けられて我に返る。
それが誰の声なのかは、当然レイも理解していた。
その声の主がいるということは、当然ながらもう一人の人物がいるということでもあった。
「レイ? マリーナも……っと、イエロ」
エレーナの腕の中にいたイエロは、窓の外にセトの姿があるのを見た為か、すぐにそちらに向かう。
もっとも、窓は閉めているので、慌てた様子で近づいていったアーラが窓を開ける必要があったが。
「宿にいても暇だったしな。それに、コボルトの件とかについても色々と情報を知りたかったから、ここにやって来たんだよ」
「ふむ、なるほど。コボルトの件については、私もダスカー殿から聞いてはいる。もっとも、私が手を貸す必要はないらしいが。手出し無用とまで言われたよ」
手出し無用と言われたのが面白くなかったのか、エレーナは少しだけ不機嫌そうな様子で呟く。
もっとも、エレーナも何故そのように言われたのかは当然理解しているのだが。
エレーナは貴族派の貴族に対するお目付役として、このギルムにいるのだ。
そのような人物がコボルトの討伐に駆り出されるようなことになれば、貴族派としては自分達の象徴をコボルト相手に使うなどとはといった風に不愉快に思うし、それ以外にもギルムの戦力だけではコボルトを倒すことも出来ないという噂が流れてしまう。
それは、三大派閥の一つ中立派を率いるダスカーにとっては、決して良いことではない。
実際にコボルトを倒しきれなくなり、ギルムの冒険者だけで手に負えなくなれば、それこそエレーナに頼むようなこともあるかもしれないが、今は十分ギルムの冒険者で間に合っている。
そうである以上、今回の一件でエレーナの力を借りる必要がないのは、間違いのない事実だった。
「そうでしょうね。ダスカーの立場を考えれば、そう言うしかないわ。……ともあれ、お帰りなさい」
「……ただいま」
「またお世話になります」
ダスカーの立場を思いやりながら、エレーナとアーラを歓迎するマリーナに、歓迎された方も照れた様子を見せながらも、そう返す。
二人にとっても、マリーナの家というのはその辺の宿よりよっぽど気楽にすごせる場所なのだろう。
実際、マリーナの精霊魔法によって家の中は常に清潔に保たれているし、冬は暖かく、夏は涼しいという環境なのだから。
「さて、こうして久しぶりにパーティーメンバーが全員揃ったんだし、今日の夕食は少し豪華にいきましょうか」
「いや、私とアーラは紅蓮の翼のメンバーではないのだが」
少し……本当に少しだけ残念そうに告げるエレーナ。
同志にして恋敵でもあるマリーナやヴィヘラと一緒のパーティーを組んでいるのが羨ましいのだろう。
だが、エレーナの立場として冒険者になる訳にもいかない。
「そうだったかしら。……けど、別に一緒に行動することが多いんだから、準メンバーってことでいいでしょ?」
当然だが、ギルドのシステムにそのようなものはない。
それは、前ギルドマスターだったマリーナが、一番知ってることだ。
にも関わらずこのようなことを口にしたのは、少しでもエレーナに自分達と同じような気持ちを抱いていて貰いたいから、というのが大きい。
実際、準メンバーという言葉を聞いたエレーナは、嬉しそうに笑みを浮かべていたのだから。
「準メンバーか。ふふっ、そうか。……そうか」
しみじみと呟くその様子は、元々のエレーナの美貌もあって目を奪われる程の美しさだ。
当然のようにレイもそんなエレーナに見惚れ……
「ん、こほん。それで、今日はちょっと豪華な食事にするという話だったけど、どうするの? 自分達で作る? それともどこかに食べに行く?」
「やっぱり自分達で作った方がいいわ。店だと、セトを連れて入ることが出来ないし」
何かを誤魔化すような咳払いの後で尋ねるヴィヘラに、マリーナはそう答える。
このメンバーで食事をするのであれば、やはりそこにはセトが、そしてイエロがいなくてはならないと、そう思っているからだろう。
そんなマリーナの気遣いに、レイは感謝の視線を送る。
「そうなると、何を作るかだな。窯を出すか?」
少し前までは、マリーナの家で食事をする時はレイが持つマジックアイテムの窯を使って料理を作っていた。
時間にすればまだ一ヶ月も経っていないのだが、アネシスで起きた一件がそれだけ大きな衝撃を与えたのだろう。
「ええ、そうね。……どうせなら、その窯を使って皆で色々と作ってみましょう。幸い、材料はあるし……レイの方からも出してくれる?」
「材料か? ああ、色々とあるからな。俺の方は特に構わない。……そう言えば、今年の夏の終わり近くに皆で海に行った時にとった魚とかもあったな。あれを使って何か作っても面白いかもな。もっとも、俺に作れる料理は塩焼きとかくらいだけど。もしくは、スープとかか?」
ただし、この場合のスープというのは干し肉の代わりに魚を使ったというだけで、魚用にスープを調整したりといった真似は、レイには出来ない。
野営の時に作る適当なスープに魚を入れるのだと考えれば、それは非常に勿体ない行為だろう。
海の近くに住んでいる者であれば、魚をそのように料理しても問題はないが、ここは周囲に海の類はないギルムだ。
勿論川はあるので、新鮮な魚を食べられない訳ではないのだが……それでも、やはり川の魚と海の魚では味や食感、大きさ、その他にも違いは大きい。
また、一応塩漬けや燻製、干物といったように加工された海の魚は入ってくるので、海の魚も全く食べられないという訳ではない。
……それでも、あくまでもギルムに入ってくる海の魚は何らかの加工がされたものであって、レイがミスティリングに収納しているような生の魚は無理……とは言わないが、それを手に入れる為には、一般的な家では到底食事に使えないような費用が掛かる。
だからこそ、レイが作れるような適当なスープに海の魚を適当に入れるといった真似をするのは、冒険者や料理人……それ以外にも知ったら驚き、嘆き、場合によっては怒るような者すらいるだろう。
とはいえ、この場にいる面々はレイのミスティリングの中に海の魚が大量に入っているのは知っているので、そのような意味でレイの行動を止める者はいない。
それとは別の理由、どうせならレイが適当に作ったスープの具ではなく、もっと美味い魚料理を食べたいと思って止めるのだ。
「魚は私が料理するわ。レイもどうせなら美味しい料理の方がいいでしょ?」
マリーナの提案に、レイもあっさりと頷く。
自分の作った料理が不味いとは言わずとも、決して美味いという訳ではないのは、自分で一番理解していた為だ。
そんなレイの様子に、話を聞いていたエレーナとヴィヘラ、アーラの三人も嬉しそうな表情を浮かべていた。
レイの手料理を食べられるというのは、三人にとっても悪い話ではない。
だが、どうせ食べるのなら美味い料理を食べたいと思うのは、当然のことだろう。
「じゃあ、そのことをビューネにも知らせないといけないわね。折角のお祝いなんだし。しっかりと楽しみましょう。私も腕が鳴るわ」
この一行の中で、一番料理が得意なのが誰なのかと言われれば、全員がマリーナだと答えるだろう。
他の面々も、全く料理が出来ない……それこそ危険物と称されるような料理しか作れないような料理下手という訳ではないのだが、それでも取りあえず食べられるといった料理しか作れないというのは間違いない。
だからこそ、マリーナの言葉には全員が嬉しそうな様子を見せる。
「材料の方は、何を出せばいい? ……高ランクモンスターの肉でも出すか?」
「うーん、それもいいけど、私の腕でそういう食材の味をきちんと引き出せるかと言われると、ちょっと難しいのよね。取りあえず、ランクSとかAとかじゃなくて、ランクBくらいのモンスターのお肉をお願い出来る?」
マリーナの言葉に頷くレイだったが、普通であれば……それこそギルム以外の場所であれば、ランクBモンスターの肉ともなれば、一般家庭ではちょっと手を出すのは難しいような値段だったりする。
金に余裕のある者であれば、ランクBモンスターの肉を買うのはそこまで難しいことではないのだが。
「分かった。なら俺は……ああ、そう言えば下ごしらえを終えた肉があったから、それを釜で焼くか」
そう言いながら、レイはマリーナと共に庭に出る。
すると、早速セトとイエロの嬉しそうな鳴き声が聞こえてきて、ビューネも特に笑い声を出したりといった真似はしていないが、嬉しそうな雰囲気を発しているのは間違いなかった。
そんな二匹と一人も、庭に出てきたレイとマリーナ、それに続いたエレーナ達の姿を見つけると、どうしたんだろうといった視線を向けてくる。
「グルゥ?」
二匹と一人を代表したかのように、セトがどうしたの? と喉を鳴らす。
そんなセトを、レイは撫でながら口を開く。
「今日は俺達がギルムに帰ってきた日だろ? だから、今夜はこの庭でパーティーをしようと思ってな。……この庭は暖かいし」
呟くレイの言葉は、決して間違っていない。
マリーナの精霊魔法により、この庭の中は春や秋のようなすごしやすい気温に保たれているのだ。
ましてや、セトやビューネ達が走り回っていたのを見れば分かるように、雪が降った影響で地面が濡れて歩きにくいということもない。
「グルゥ!?」
パーティーを開くという話を聞き、セトは本当!? と嬉しそうに喉を鳴らす。
少し離れた場所にいたビューネも、表情は変えずとも、嬉しそうな雰囲気を出していた。
食べることが大好きなビューネにとって、パーティーともなれば、美味い料理を食べられるという思いが強いのだろう。
実際にマリーナが腕を振るうと言っているのだから、その考えも決して間違いではない。
「そんな訳で、これから準備を始める。だから、庭で走り回って遊ぶのは一旦お預けだ。いいな?」
「グルゥ!」
セトは、美味しい料理を食べられるならそのくらいは我慢する! と鳴き声を上げる。
そんなセトの背の上にイエロは着地すると、自分もセトと同意見だと言いたげに鳴く。
「そうか、分かってくれて嬉しい。じゃあ……早速だけど、まずは食材を出すか。最初はどうする? 肉か? 魚か? 野菜か?」
「うーん、そうね。下準備だから、まずは魚かしら。……レイのミスティリングがあれば、素材が傷む心配をしなくてもいいのが楽よね」
普通なら、冬の今は食材が傷む心配というのをする必要は基本的にない。
勿論食材を出しっぱなしにして何日もその辺に置いておくような真似をすれば、その食材は傷むのだろうが。
だが、レイのミスティリングがあれば、下準備をしたあとで収納すれば、傷むということはない。……もっとも、ミスティリングの中では時間が止まっている分、味が馴染むといったことや、肉や魚の臭い消しといったことは出来ないので、利点ばかりという訳でもない。
それでも、それらの下準備が終わった後で纏めてミスティリングに収納しておけばいつでも使えるのだから、利点は非常に大きい。
「じゃあ、魚だな。……どういう魚を出す?」
「うーん、ほら、口が鋭く尖っていてちょっと大きな魚がいたでしょ? それをちょっと出して貰える?」
そう言われ、レイはカジキマグロに似た魚がいたことを思い出す。
そのままカジキマグロという訳ではないのだが、似ているのは間違いない。
「これだな」
レイが取り出したのは、一m程の大きさの魚。
もっとも、口の部分が三十cmくらいもあるので、実際には七十cmくらいなのだが。
その魚を見たマリーナは、嬉しそうに頷いた。
「そうそう、この魚。海にいる時もちょっと食べてみたけど、この魚はバターで焼けば美味しいと思うのよ。身は柔らかかったけど、淡泊だったし」
カジキマグロのバター焼き。そんな料理を考え、間違いなく美味そうだとレイも頷く。
「食べる前に酸味の強い果物の果汁を掛けると、もっと美味そうだな」
「え? そう? バターで焼くのなら、酸味は余計な味付けになると思うけど」
レイの言葉に、ヴィヘラが反論する。
この辺りは好みの問題なのだろう。
実際、レイは日本にいる時に唐揚げにレモン汁を掛けるのが好きだったのだから。
(多分、ヴィヘラは唐揚げとかトンカツとかにもレモン汁とかを掛けない派なんだろうな。そう言えば、漫画とかでもその辺で騒動になるとかいう展開が多かったよな)
そんな風に思いつつ、取りあえずバター焼きに果汁を掛ける時は自分の皿に取った分だけにしようとレイは考えるのだった。
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