第1891話
「ふむ、これでいいだろう。……灰になってしまえば、荒らされることもないだろうしな」
エレーナが、目の前にある石を見て呟く。
その石の下には、黒狼の死体が灰となった状態で埋まっている。
周囲に雪の姿はなく、ただ濡れているだけだ。
何故そのようになったのかは、別に難しい話ではない。単純に、レイの魔法で黒狼の死体を焼いた時の熱によるものだった。
「そうだな。こんな山奥なら、普通は誰も来ないだろうから、黒狼もゆっくり眠れるだろう」
とはいえ、冒険者や狩人といった者であれば、獲物を探したり素材の採取といった目的で、ここまで来るような者がいないとも限らないのだが。
それでも、わざわざ石……場合によっては岩と呼ぶのに相応しい大きさのそれを動かして地面を掘るような真似はしないだろう。
そんな墓石と呼ぶのも躊躇うような岩を見ているレイとエレーナ。
アーラは、そんな二人の様子を、少し離れた場所から寒さに耐えながら眺めていた。
真冬の……それも、山の中だ。防寒具を着ていても、当然のように完全に寒さを防げる訳でもなく、少しずつ寒さは身体を蝕む。
それでも太陽が出ており、日の光の暖かさを感じることが出来るから、今はまだ何とか耐えることが出来ていた。
「グルルルルルルゥ!」
離れた場所で遊んでいた筈のセトが、そんな声を上げながら翼を羽ばたかせつつ降下してきた。
その前足には、鹿が一頭ぶら下げられている。
イエロと一緒に遊んでいたセトが、何をどうすれば鹿を捕らえるのか。
若干そんな疑問を抱くレイだったが、セトだからと考えればそれで納得してしまう。
「グルゥ!」
「キュウ!」
セトと、その背に乗っていたイエロが凄いでしょ! と自慢するように鳴く。
「よくやった。ただ……ここで鹿の解体をするのは色々と不味いだろうから、取りあえずミスティリングに収納しておくけど、いいよな?」
「グルゥ?」
何故レイがここで鹿の解体をしないのかと、セトの口から疑問の鳴き声が漏れるが、レイの様子を見ればここで解体をするつもりはないのだろうというのは分かったのか、セトはそれ以上何も言わない。
もっとも、セトの背に乗っていたイエロは、少しだけ不満そうに喉を鳴らしていたが。
……そのイエロも、少し離れた場所で様子を見ていたアーラが近づいてきて抱き上げると、それ以上は不満を口にしない。
レイは地面に置かれた鹿の死体に触れ、ミスティリングに収納する。
(そう言えば、今更……本当に今更だけど、ミスティリングが封じられたのが解除された後、普通に使えているな)
封印されていた肉の繭によってミスティリングが封じられた時は驚いたのだが、肉の繭を倒した後は普通にミスティリングを使えている。
あの戦いが終わった後から、既に何度となくミスティリングを使っているのだから、その思いは今更といった感じなのだが。
「レイ?」
そんなレイの様子に、エレーナが不思議そうに声を掛ける。
レイはエレーナの言葉に何でもないと首を横に振ると、口を開く。
「いつまでもここにいる訳にもいかないし、そろそろ山を降りるか。ギルムまではまだそれなりに距離があるしな」
「うむ。……それにしても、よくこのような山の中にセト籠を下ろす場所があったものだな」
しみじみと呟くエレーナの言う通り、この山の中には何故かそこだけが木々の生えていない場所があった。
地上からでは全く分からないが、空を飛んでいる者にしてみれば見逃すようなことはないくらい、はっきりとした場所が。
それを見つけたレイは最初こそ若干怪しんだが、それでも丁度良い場所だからとそこに降りてみて……結局、特に何かがある訳でもなく、普通に使うことが出来た。
だが、自然にそのような場所が出来たというのは、少し考えにくい。
恐らく誰かが意図的に作ったのだろうとは思うのだが、その誰かが人間なのか、獣人なのか、エルフなのか、はたまたそれ以外の少数の種族なのか……そして、場合によってはモンスターや動物が作ったのか。
その辺りの事情は分からなかったが、それでも取りあえず利用出来たことでレイ達が助かったのは間違いのない事実だ。
木々のないその場所に到着すると、レイはミスティリングからセト籠を取り出す。
「ふむ、このセト籠があるというのは……改めて考えるまでもなく非常に便利だな。もしセト籠がなければ、アネシスとギルムの間を移動するのにどれだけの時間が掛かっていたことか」
「そうですね。特に今は冬で、雪が降っていたり道が凍っていたり、何よりその寒さで馬が消耗しますし」
セト籠を見ながら、エレーナとアーラがしみじみと呟く。
このエルジィンという世界の人間にとって、空を飛ぶというのは竜騎士のような本当に限られた者だけに許された特権だ。
それだけに、レイとセトが空を飛び、更にはセト籠を使って何人もを空輸出来るというのは、この世界の人間にしてみれば常識外れとしか言いようがない。
そんな二人の言葉に、レイはセトを撫でる。
「それもこれも、セトがいるから出来ることだけどな。……なぁ、セト?」
「グルゥ……グルルルルルルゥ」
撫でられながら告げられるレイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
そんなレイ達の頭を冷やすかのように、周囲に冷たい風が吹く。
……もっとも、この一行の中でその寒さを感じるのは、アーラだけなのだが。
レイは簡易エアコンの効果を持つドラゴンローブを着ているし、エレーナはエンシェントドラゴンの魔石を継承した影響でこの程度の寒さは何でもない。
セトとイエロにいたっては、もっと寒い中でも普通に外で眠れる。
寒さから微かに震えるアーラの様子に気が付いたのか、エレーナはレイにそろそろ出発しようと告げる。
「レイ、そろそろ行こう。山の中では冷えるし、今日泊まる場所を早めに用意したいし……セトが仕留めた鹿の解体もあるだろう?」
「ん? まぁ、エレーナがそう言うのなら、そうするか。別にいつまでもここにいても意味はないしな」
レイはアーラの様子に気が付いてはいなかったが、いつまでもここにいても意味はないだろうと考え、エレーナの言葉に頷く。
そうして準備を整えると、エレーナとアーラ、イエロはセト籠の中に入り、レイはセトの背中に乗る。
「さて、じゃあ今日はもう少し頼むぞ」
「グルゥ!」
首の後ろを撫でられると、セトは嬉しそうに喉を鳴らして走り出す。
数歩の助走で翼を羽ばたかせ、空に向かって駆け上がる。
空中で大きく回り、地面に置かれているセト籠に向かって降下していき……次の瞬間、セトはセト籠を掴み、再び空中に向かって飛んでいった。
そんなセトの背中の上で、レイは改めて周囲を見回す。
雲がないからだろう。どこまでも見通せるような気すらした。
(冬で空気が澄んでるからか? いや、日本と違って、空気が汚れるってことは……ないとは言えないけど、そこまで酷くはない筈だ)
そう思うレイだったが、基本的にレイが住んでいたのは東北の田舎で、東京のような都会に比べれば空気は澄んでいる。
それだけに、空気が汚れるということを実感したことはない。
なので、この光景を見ても空気が澄んでいるから綺麗なのか、それとも何らかの他の理由なのか……その辺りを判断することは出来なかった。
(まぁ、今更そんなことを考えてもしょうがないか。……やっぱり黒狼と会ったのが、こんな風に思う原因なんだろうな)
黒狼との一件により、日本でのことを強く思い出すようになったのだろうと、しみじみ思う。
勿論、今のこのエルジィンにおける生活に不満があるのかと言われれば、即座に否と答えるだろう。
だが、娯楽という一点において、漫画やアニメといったものがないことが、レイにとっては残念だった。
一応小説……というか、物語のようなものが書かれている本があるので、全く娯楽用の本がないという訳でもないのだが。
(いっそ漫画とかを俺が広めるか? ……無理だろ)
自分で思いついた内容を、即座に却下する。
そもそも、レイは漫画を読むことは好きだったが、描いたことはない。
一応漫画家になるまでの悪戦苦闘を描いたような漫画もあったし、それを読んだこともある。
だが、それはストーリーを楽しんでいたので、どうやれば正確に漫画を描けるのかといったことは分からない。
適当にそれらしい風に描けば、もしかしたら描けるのかもしれないが……生憎と、レイには絵の才能はない。
(概念だけでも適当に絵の上手い奴に……いや、けど、印刷機械とかそういうのがないから、本にするのは難しいな)
これが、小説や何らかの技術書の類であれば、文章だけでいいのだから、そこまで心配する必要はない。
だが、漫画となれば当然絵が必要になり、本を作るものに絵の才能がなければ、漫画となるものがあっても、それを同じ絵で描くといったことは出来ない。
そう思っていたレイだったが……モンスター辞典を始めとして、薬草や鉱石、動物といった辞典ではしっかりと絵が描かれていたのを思い出す。
(あれ? ああいう本は……きちんとイラストが描かれてるよな? 一体、どうやって本を量産してるんだ? ……まぁ、いいか)
漫画についての結論としては、取りあえずレイには自分だけで広げるのは無理だということだった。
概念の類を教えることは出来るかもしれないので、売れない画家にでもあったら報酬を支払って漫画を書いて貰い、それを誰か影響力のある人物に見せればいいと結論づける。
(ゼパイル一門だったタクムや、それ以外にも過去に日本からやって来た人物がいるのを考えると、漫画くらい広めておいても良かったんじゃないかと思うんだけどな)
漫画について考えている間にもセトは翼を羽ばたかせながら空を飛び続ける。
少しだけレイに話し掛けたいと思わないでもないセトだったが、レイが何かを考えているのが分かったので、それを邪魔したくないという思いから、無言でひたすらギルムの方に向かって飛んでいた。
そうして暫く飛んでいると、視線の先に街が見えてくる。
「グルルルルゥ?」
本来ならレイの考えを邪魔したくなかったセトだったが、街が見えてきたとなるとそれを教えない訳にはいかない。
マジックテントがあるので、それこそ冬であっても野営をするのに苦労はしないのだが、街の中で泊まることが出来ればそれが最善だからだ。
ましてや、その街の名物料理を食べることが出来るかもしれないという思いも、セトの中にはある。
もっとも、場所によってはセトを怖がって街の中に入れてくれないところもあったりするのだが。
「っと、何だ? どうした? ……っと、街か。野営をするよりは、宿に泊まった方がいいか。セト、地上に向かって降りてくれるか?」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは地上に向かって降下していく。
そうして街から少し離れた場所にセト籠を落とし……そこから出てきたエレーナとアーラに事情を説明する。
「ふむ、私はそれでも構わん。マジックテントの中もすごしやすいとは思うが、その街特有の料理というのも興味深いからな。アーラはどうだ?」
「私はどちらでも。ただ、街の住人の中には良からぬことを考えているような者もいるので、安心という意味ではマジックテントの方が確実だと思います。……もっとも、街の住人が何か良からぬことを考えても、エレーナ様やレイ殿をどうにか出来るとは思えませんけど」
異名持ちが二人揃っている状態である以上、もし何か手を出してきても、それは自殺行為でしかないのは確実だ。
それが分かっているからこその、アーラの言葉だったのだろう。
そんなアーラの言葉を聞いていたレイだったが、街から何人かの兵士が自分達の方に近づいてくるのを見て、口を開く。
「どうやら、向こうからお迎えが来たらしいな」
それは、当然のことではあった。
街から多少離れているとはいえ、そのような場所にいきなりセト籠のような物が出現したのだ。
街の安全を守る兵士であれば、当然のようにそれを確認にくるだろう。
そうして近づいてくる兵士達に対し、真っ先に動いたのはアーラだった。
パワー・アクスを背負った状態のまま兵士達に近づいていき、警戒した様子を見せる相手に対して、自分達の素性を告げる。
この際に有効に働くのは、エレーナの美貌とグリフォンのセトの存在だ。
そのような相手が誰なのかは、少し情報に詳しければ分かることだろう。
セトを街中に入れるのは若干躊躇っていたようだったが、エレーナが責任を持つということで、最終的にセトも街中に入ることが出来るようになる。
鹿は結局泊まった宿の料理人に解体して貰い、皮を譲る代わりに肉は全部レイ達に料理として出され、それを獲ったセトと共に舌鼓を打つ。
そうして、旅を続け……数日後には、やがてギルムに到着するのだった。
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