第1887話
火災旋風に風魔鉱石を使った実験を行った次の日……レイの姿は、アネシスの街中にあった。
エレーナの用事が片付くまではレイも特にやることはなかったので、アネシスで何か珍しい食べ物やマジックアイテム、土産……といったようなものを探すつもりだった。
つもりだったのだが……
「何だか、もの凄く目立ってるんだけどな」
不満そうに、そう呟く。
いつもであれば、セトと一緒に街中に出てくるので人目を引くといったことは珍しいことではない。
それなら、レイも既に慣れていて特に目立っていてもそこまで気にする必要はなかったのだが……
「あー、やっぱりそう思うよな。なぁ、お前ら。一緒についてくるってのは俺もレイも別に構わねえんだけど、せめてお前らだけできてくれねえか?」
レイの隣にいるブルーイットが、屋台で売っている串焼きを物珍しそうに食べている二人に向け、そう告げる。
その二人、ラニグスとテレスは、初めて食べる屋台で売られていた串焼きを食べながら、不思議そうな視線を返す。
誤魔化しているのでも何でもなく、本気で何故そのようなことを言われているのか分からないのだろう。
そのことに気がついたブルーイットは、溜息と共に言葉を出す。
「お前達の護衛だよ、護衛。それに付き人も。こうして二十人近くも一緒に移動してれば、目立って当然だろ!」
「そう言われてもな。俺が街中に出る時はいつもこんな感じだぞ? テレスは?」
「私もそうよ。そもそも、私はか弱い女なんだから、護衛が必要なのは当然でしょう? それに、男の人には頼めないようなことを頼む女の付き人も必要だし」
当然といった様子でそう告げてくる、貴族らしい貴族の二人。
もっとも、貴族としてラニグスやテレスとブルーイットのどちらが正しい姿なのかと聞かれれば、ほぼ全ての者が前者だと答えるだろう。
そもそも貴族の……しかも次期当主という立場でありながら、護衛の一人もつけずに街中を歩いているブルーイットの方が、色々な意味で特別なのだ。
「これなら、一人で……いや、一人と一匹で来た方が良かったな」
三人のやり取りを眺めながら、レイは呟く。
いつもであれば、セトはレイと一緒にいることを優先するのだが、今日はイエロと一緒に遊ぶことにしたのか、レイと一緒に街中に出てくることはなかった。
イエロもいつもであればエレーナと一緒にいることが多いのだが、そのエレーナはセレスタンの一件で色々と動いており、イエロと一緒にいる暇はない。
そんな訳で、今日はレイが一人でアネシスを見て回ろうと思っていたのだが……朝にレイを訪ねてブルーイットがやって来て一緒に街中に出ることになり、二人でケレベル公爵邸を出ようとしたところで、ラニグスとテレスの二人と遭遇し、何故か四人でアネシスを見物することになったのだ。
(ブルーイットはともかく、ラニグスとテレスの二人とはあまり話したこともないんだけどな。それに、ケレベル公爵邸に来たってことは、多分エレーナに用事があったんだろうし。それが、何で俺と一緒にアネシスを見て回るつもりになったのやら。昨日の火災旋風が理由か?)
何となくそんな風に思わないでもないが、取りあえずその辺に関しては気にしないことにした。
いや、寧ろそれよりも気になるのは、やはり二人の護衛としてついてきた騎士や付き人達の方だったというのが大きい。
「ほら、レイもそこまで気にするなって。こうして大勢いれば、馬鹿なことを考えるような奴はまずいないんだから」
ラニグスがそう告げるが、それは間違いのない事実でもあった。
護衛の騎士が何人もいるような状況で喧嘩を売ってくるような奴がいれば、おかしいだろう。
それこそ、偶然絡んできたとかいったことではなく、最初から何らかの目的を持って喧嘩を売ってきたと考えられる。
「あー……分かった。取りあえず今日はこの人数で回ってみるか。一人でアネシスを見て回るのは、別に今日じゃなくてもいいんだし」
「……意外だな。てっきりレイのことだから、いらない連中を追い返すんだとばかり思ってた」
ブルーイットにしてみれば、レイのその言葉は完全に予想外だったのだろう。本当に意表を突かれたような表情を浮かべる。
「そうか? まぁ、たまにはこうして大勢で見て回るのもいいかと思っただけだよ。気分転換って奴だな」
「気分転換、ねぇ。まぁ、レイがそう言うのなら、俺は別に構わないけど」
結局レイが問題にしないのであれば、と。ブルーイットもそれ以上は何も言わずに納得する。
基本的には一人で街中にでるブルーイットだったが、それでも普段は貴族ということで周囲に大勢の人がいる。
だからこそ、このような状況であっても本人としてはそこまで気にはならないのだろう。
ここで気にした様子を見せたのは、あくまでも普段はこのような状況に慣れていないレイに対しての気遣いの一種……という面も強かった。
もっとも、実際に街中で大勢を引き連れて歩くのが面倒だという思いがあったのも、否定は出来ない事実だったが。
「ほら、次は……そうだな、あそこの屋台でスープでも飲んでみるか? 前にあの屋台でスープを飲んだことがあるけど、結構美味かったぞ」
気分を変える意味で、そうレイが示したのは少し離れた場所にある、スープを売っている屋台。
当然のように屋台で出されるスープというのを飲んだことがないラニグスとテレスの二人は、興味深そうにその屋台のある方に向かっていく。
屋台の店主としては、普通ならそんな集団を相手に商売などはしたくないと、そう思ってもおかしくはないのだが……幸いにも、剛毅な性格をしていたので、特に怯える様子もなく、二人を……そして護衛や付き人達を迎える。
勿論、そのような態度を取ることが出来るのは、このアネシスを治めているのがケレベル公爵だというのも大きい。
ここで貴族が横暴な真似をすれば、それはケレベル公爵に喧嘩を売るようなものだからだ。
だからこそ、大勢の貴族が集まって、自分の領地では平民を人間と思っていないような者であっても、殆どの貴族はアネシスで横暴な振る舞いはしない。
……ここで殆どの者としたのは、やはり少数ではあってもアネシスのような場所でも自分の思い通りに行動するような者がいるからだろう。
当然、そのような者はケレベル公爵に相応の報いを受けさせられることになるのだが。
アネシスに住んでいる住民が聞いた噂の中では、何人かの貴族が爵位を落とされたことすらあったという。
とはいえ、それはあくまでも噂であって、実際に本当にあったことなのかどうかは分からないのだが……それでも、ケレベル公爵のリベルテという人物であれば、そのような行為をしてもおかしくはないという思いがアネシスの住民にあったのは間違いない。
ともあれ、そのような理由により、アネシスの住人は貴族を過剰に恐れるといった真似はしない。
だからといって、貴族に対して横暴な態度を取るということも、当然のようにないのだが。
「いらっしゃい。話は聞こえていたよ。スープは何人前必要だい?」
「そうだな、ここにいる全員分を頼む。レイが言う程に美味いスープであれば、全員が味わってもおかしくはないからな」
ラニグスの言葉に、護衛や付き人達は驚きつつも嬉しそうな表情を浮かべる。
日中とはいえ、冬という今の季節を考えると、当然ながら温かいスープというのは大歓迎だった。
そうして用意されたスープを、一人の付き人が毒味をし、問題ないと判断するとラニグスとテレスの二人が、そして護衛や付き人達が飲む。
本来であれば、そのスープは平民がちょっと小腹が空いたり、寒いと思った時に飲むようなスープで、とてもではないが貴族が飲むようなスープではない。
それでも、ラニグスとテレスの二人は、そのスープを飲んだ瞬間に美味いと純粋に思えた。
スープの味が良くなった訳ではなく、これは純粋に周囲の雰囲気の問題だろう。
祭りの時に屋台で買って食べる料理は、どれもそこまで絶品という訳ではないが、それでも祭りという雰囲気の中であれば美味く感じる。
それと同じことが、ラニグスとテレスの二人に起こっているのだろう。
(まぁ、この二人はブルーイットと違って、貴族らしい貴族だしな。その辺の事情を考えれば、こうして街中の屋台で何かを買って食うなんて真似は……もしかして、初めてなんじゃないか?)
そんな風に思いつつ、レイもまた屋台でスープを買って飲む。
そこまで美味いという訳ではないが、野菜と干し肉の味がスープに移っており、ほっとする味なのは間違いなかった。
「これは、アネシスだからなのか? それとも、他の場所でもこのようなスープが出ているのか……どう思う?」
「そうね。アネシスだから、だとは思いたいわね。私の家の領地でも同じように食べてればいいんだけど」
テレスの言葉に、ラニグスも頷く。
……そんな二人の様子を見て、周囲の護衛の何人かや付き人達は笑みを浮かべる。
自分達が守り、支えるべき者達がこうして真剣に自分の家の領地について考えているのを見て、嬉しく思ったのだろう。
「……で、お前はあの中に入らなくてもいいのか?」
レイはブルーイットに若干のからかいを込めて尋ねる。
ラニグスやテレスは、貴族の家柄ではあってもその当主となることは出来ない。
それに比べると、ブルーイットは次期当主として決まっている。
そうである以上、本来ならブルーイットもレイと同じ側ではなく、ラニグスやテレスと同じ側にいるべき人物なのだ。
にも関わらず、ブルーイットはレイの側でラニグスとテレスの二人を、どこか微笑ましいような光景でもみるようにしている。
「あれは、街中に殆ど出たことがないからこそ、ああいう風になるんだよ。俺は結構頻繁に街中に出てるからな。街中での暮らしがどんな風なのかってのは、大体分かってる」
そんなブルーイットの言葉に、近くにいたラニグスやテレスの護衛が少しだけ驚きを露わにする。
貴族の護衛をしている者にとっては、まさか貴族が頻繁に街中に出ているというのは、完全に予想外だったのだろう。
そんな護衛の様子に気が付きつつも、レイは特に何を言うでもなく次の店に向かう。
次に向かったのは、ラニグスやテレスも楽しめるようにと、食器や一般雑貨を色々と扱っている店だった。
レイやブルーイットにとってはそこまで珍しい店ではないのだが、それはあくまでも街中での行動に慣れている二人だからだ。
そういう意味では、ラニグスやテレスにとって一般雑貨を扱っている店というのは非常に珍しい。
「ちょっと、見てよこれ。……こういう食器は初めて見たのだけれど……一体何に使うのかしら?」
「うーん……俺もちょっと分からないな。ここはやはり本職の者に聞くのが一番手っ取り早いんじゃないか?」
「坊ちゃん、それは料理をする時に肉を叩く為の器具ですよ」
ラニグスの言葉に、近くで話を聞いていた付き人がそう告げる。
「肉を……叩く? 何の為にそのような真似を?」
「これで肉を叩くことにより、肉が柔らかくなったり、厚さを均一にして火の通りをしっかりしたりといった風に出来ますね」
「……厚さはともかく、これで肉を叩くだけで柔らかくなるのか?」
少しだけ信じられないように、小型のハンマーに似た調理器具に視線を向けるラニグス。
テレスも、その説明に若干胡散臭そうな視線を向ける。
だが、店員がその付き人の言葉が正しいといった風に説明すると、それでようやく納得したのか次の道具に興味を移す。
「そんなに面白いものか?」
ブルーイットにしてみれば、このような一般雑貨を売っているような店は特に珍しくも何ともないのだろう。
しかし、それはあくまでもブルーイットが自分だけで街中を出歩くことが多いからだ。
普通の貴族であれば、このような一般庶民が入るような店に入るというのは、非常に珍しく、何にでも興味津々になってもおかしくはない。
「珍しいのは、当然だろうな。……ブルーイットも、最初に街中を出歩くようになった時は、色々と興味深くなかったか?」
「それは……まぁ、そうだな。否定はしない」
昔のことを思い出したのか、納得したように呟くブルーイット。
寧ろ、自分が街中を出歩くようになった時は、それこそ多くのものが珍しく、何にでも感動していたということを思い出したのだろう。
その時は、それこそラニグスやテレスよりも大きな感動をしていた筈だ。
それを思えば、目の前で広がっている光景はそこまで珍しいものではないと思いつつ……ブルーイットも雑貨屋の中のやり取りを眺めるのだった。
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