第1886話

「ふぅ……これは正直なところ、ちょっと予想外だったな」

「グルゥ」


 レイの言葉に、セトが同意するように鳴き声を上げる。

 一人と一匹の視線の先には、何もない夜の光景だけが広がっていた。

 だが、その空間では数分前まで火災旋風が……それも、いたるところから風の刃を生やした火災旋風が動き回っていたのだ。

 その風の刃は、レイがリベルテから報酬として貰った風魔鉱石……それも、今回こうしてリベルテの……いや、ケレベル公爵家の権勢を見せつけ、セイソール侯爵家に対して、ある種の追撃をする為に火災旋風を見せて欲しいと言われ、追加の報酬としてもう一樽貰った風魔鉱石を使ったものだった。

 もっとも、一樽そのまま使ったわけではなく、一樽の半分程だったが。


(今にして思えば、追加でこうしてあっさりと風魔鉱石の入っている樽を用意したってことは、最初から俺がこの依頼を引き受けるってのは分かってたんだろうな)


 そのことに若干してやられたといった気分がない訳でもないが、それでも十分以上に報酬は得られたし、何より風魔鉱石を使った火災旋風を試すことが出来たので、レイとしては十分に満足出来ていた。


「まさか、風の刃が出るとは思わなかったし。……凶悪になったのは間違いないけど」


 実際に風魔鉱石を使ってみるまでは、それが具体的にどのような効果を発揮するのかは分からなかった。

 それだけに、今回の結果は予想外のものだったが、同時にいきなり実戦で使わなくてよかったというのが、レイの正直な思いだ。

 風の刃……実際にそれが物理的な意味での刃ではなく、風で構成された実体のない刃。


(日本にいた時は、漫画とかアニメでビームサーベルとかあったけど……この風の刃も、ある意味で似たようなものか? ……風とビームで全く違うけど)


 日本にいた時のことを思い出しながら、レイはセトを撫でつつ、空を見る。

 綺麗に……それこそ冬の夜だというのに、雲一つなく月と星が綺麗に見える光景。

 それを眺めていたレイは、やがて夜の中、自分のいる場所に近づいてくる気配を感じ取る。

 向こうも、別に気配や足音を隠そうともしていない為か、普通に足音を聞き取ることも出来た。


「どうした、エレーナ。何か俺に用事か?」


 顔も見ないで尋ねたレイだったが、その名前を呼ばれた人物は特に戸惑った様子もなく、口を開く。


「特に何か用事がある訳ではない。ただ、少しレイの様子を見に来ただけだ。それで、風魔鉱石はどうだった?」

「どうだったと言われてもな。見ての通りとしか言えないな」

「風の刃、か。……あれを敵の陣地に向かわせれば、かなりの破壊力が期待出来そうだな」

「それは否定しない。……正直なところを言わせて貰えば、まさかあそこまで凶悪な代物になるとは思ってもいなかった」


 もっとも、レイが想像していたのは周囲に風の刃を……デスサイズのスキルの飛斬のようなものを四方八方に放ち続けるといったもので、寧ろ破壊力や殲滅力、攻撃力といった点では、風の刃よりも凶悪だと言ってもいい。

 そういう意味では、レイの少し期待外れだったという表現も相応しいかもしれない。


「でもまぁ……少なくても見栄えという点では良かったんじゃないか?」

「うむ。派手だったのは間違いないな。見ていた者の多くは喜んでいた。……中には、恐怖を抱いていた者もいたが」

「あー……まぁ、だろうな」


 エレーナの言葉に、レイは納得の表情を浮かべる。

 純粋に貴族派として考えた場合、レイはあくまでも中立派という別の派閥の戦力なのだ。

 現在は貴族派と中立派の関係は良好だが、それがいつまでも続くとは限らない。

 貴族派と中立派の仲が険悪になって戦いにでもなった場合、貴族派の面々はレイと戦うということになる。

 ましてや、その場合は貴族派の象徴たるエレーナがレイと戦うかと言われれば……微妙なところだろう。

 レイとエレーナがどのような関係にあるのかというのは、既に情報としてかなり広まっている。

 そうである以上、エレーナがレイと戦えるとは思えなかった。

 ……それは逆に言えば、レイもエレーナと戦えないかもしれないということなのだが、その辺については、何故かレイなら戦えると思っているらしい。

 もっとも、レイがこれまで貴族相手でも容赦なくその力を振るってきたことや、様々なレイの噂や情報を集めれば、そのような結論になってもおかしくはないのだが。


「さて、じゃあいつまでもこうしていても仕方ないし……戻るか」

「いいのか?」

「ああ。別に何か考えていたとか、そういう訳じゃないし。……なぁ?」

「グルゥ?」


 レイに声を掛けられたセトは、そうなの? と喉を鳴らす。

 レイとエレーナの会話の邪魔にならないように黙っていたのだが、それならもっと早く言ってくれればいいのに、と頭をレイに擦りつける。


「ちょっ、セト。急に何だよ。おい、くすぐったいって」

「ふふっ、お前達は相変わらずだな。……ほら、では向こうに戻るぞ。父上達も待っているだろうしな」


 そう告げ、エレーナはレイにじゃれついているセトを止め、一人と一匹と共に歩き出す。


「それにしても……随分と暖かくなったな」


 冬の夜というのは、普通であれば震える程に寒くてもおかしくはない筈だった。

 だが、今この場所でという条件付きではあるが、火災旋風の熱気がまだ幾らか残っている影響もあり、かなりの暖かさがある。

 もっとも、もう少しすればその暖かな空気も風に流されて散っていくのだろうが。


「少しの間だけだろうけどな。……それより、いつくらいにギルムに戻る? 俺はもうアネシスでやるべきことはやったから、いつでも構わないけど」


 歩きながら、不意に話題が変わる。

 そんなレイの問いに、エレーナは少し考え、口を開く。


「すまないが、もう数日は待って欲しい。本来なら、明日にでもと言いたいところなのだが……昨日の一件で私も色々とやるべきことがあるのでな」

「あー……だろうな」


 エレーナが何を言いたいのかは、当然のようにレイにも分かる。

 そもそもの話、アネシスでは有名だった黒狼が死に、その黒狼と繋がりのあった組織の長であるセレスタンも死んだ。

 おまけにセレスタンの住んでいた家は消滅しと、昨日だけでそれだけ多くの出来事があった。

 その多くに関わっているエレーナとしては、ケレベル公爵令嬢という立場もあって、今回の一件の後始末に奔走しない訳にはいかなかった。

 そんなエレーナが、ある程度であっても後始末をしないでアネシスを出ていくとなれば、外聞が悪い。

 何らかの緊急の事態……それこそ、強力なモンスターを至急討伐しなければならないといったことにでもなれば、話は別だっただろうが。


「すまないな」


 再度謝ってくるエレーナに、レイは気にするなと首を横に振る。

 これが、数週間、数ヶ月といったくらいの時間が必要なのであれば、レイも色々と思うところがあっただろうし、それこそ一旦自分だけでギルムに戻り、ある程度時間が経ったらまたアネシスに来るといった真似をしたかもしれない。

 だが、それが数日程度であれば、レイとしても特に問題はない。

 ケレベル公爵邸には、まだレイが読んだことのない本が大量に保管されている図書館もあるし、フィルマ率いる騎士団との模擬戦もレイとしては捨てがたい。

 もしくは、街中に出て何か美味い料理を探してもいいだろう。

 何だかんだと、色々と食べ歩きはしているレイだったが、アネシスの名産品だ! といった代物はまだ見つけていない。

 そうである以上、レイとしては名物料理を探してみたいという思いがあった。

 レイの感覚からすれば、ある種の宝探しにも近いといってもいい。

 具体的にどのような料理を見つけることが出来るのかは分からないが、それはレイにとって心躍ることなのは間違いなかった。

 ……もっとも、名物料理の中にはとても食べられないような、もしくは食べたいとは思わないような料理もあるので、必ずしもその名物料理が美味いと限った訳ではないのだが。


「気にするな。俺も色々とアネシスを見て回ってみたいし」


 アネシスに来てから、何度もケレベル公爵邸から出て街中を見て回ったことはある。

 だが、アネシスはミレアーナ王国第二の都市と呼ばれているだけあって、当然のようにその広さはかなりのものだ。

 それこそ、数度街中を見て回った程度では、その全てを見て回ることが出来ない程に。

 そういう意味では、エレーナのもう少しアネシスに残るという言葉は、レイにとって決して悪いものではなかった。

 レイが自分に気を遣ってそのように言ってる訳ではないと理解したのだろう。エレーナも安堵し……ちょうどそのタイミングで、レイ達はリベルテ達がいる場所に到着する。


「おお、レイ。よく私の要望に応えてくれた。素晴らしい炎の竜巻だった。それこそ、目を奪われてしまいかねない程に」


 真っ先にレイに声を掛けてきたのは、当然のようにリベルテ。

 これは、レイと自分が親しい関係にあるというのを他の貴族達に示すと同時に、他の貴族が殺到することでレイに不愉快な思いを抱かせないようにという考えからのものだ。


「喜んで貰えたようでよかったです。こっちも、風魔鉱石を使った実験が出来たので、かなり助かりましたね」


 風魔鉱石という言葉を聞いた貴族達は、それぞれにざわめく。

 当然だろう。風魔鉱石というのは、風系の魔法金属の鉱石の一つで、その産出量はミレアーナ王国全土を見回しても決して多いという訳ではない。

 産出量が少ないということは、価値が高くなるということで、そういう意味ではこの場にいる貴族達にとっても非常に興味深い内容だったのだから。


(あれ? もしかして、その辺を説明していなかったのか?)


 リベルテと会話をしながら他の貴族達の様子を見ていたレイは、そんな風に考える。


「そうか、私の支払った報酬がレイの役に立って良かった。さて、それでは素晴らしい……予想以上の光景も見たし、そろそろ街中に戻るとしよう。出来ればいつまでもこの余韻に浸っていたいところだが、こう寒くては体調を崩す者も出てくるだろう」


 その言葉に、何人かの貴族が賛成だと頷く。

 貴族である以上、当然のように暖かい服を着てはいるが、そのような状況であってもやはり冬の夜にこのような場所にいるというのは、寒いのだろう。

 これが、騎士や兵士のように鍛えている者であれば、寒さに耐えるといったことも出来たのだろうが。

 そうして皆が揃ってアネシスに向かい始めた中、レイとエレーナに近づいてくる者がいた。


「レイ、正直驚いたな。……よくもまぁ、あんな炎の竜巻を出せたもんだ。お前が深紅なんて異名を貰った理由が分かったよ」


 しみじみとそう言ってきたのは、ブルーイット。

 その側には、ラニグスとテレスの姿もある。

 そんな三人の顔には、レイが見ても分かる程に興奮の色があった。

 ……まだ若いからか、他の貴族のようにそこまで寒さを気にしている様子はない。


「お前達も来てたのか。……いや、昨日もいたんだし、当然いてもおかしくはないか」


 顔見知り三人の姿を見てそう言うレイだったが、その顔には笑みが浮かんでいる。

 知らない貴族達……もしくは顔を見たことがある程度の貴族達の見世物になるよりは、やはりこうして知り合いと一緒に行動した方が気楽だというのもあった。

 何らかの理由があれば、レイも見世物になっても不満はないのだが。


「正直なところ、ここまで来るのがちょっと面倒だったけど、来てよかったよ。本当に凄い光景を見せて貰った」


 珍しく、ラニグスが興奮した様子でそう告げてくる。

 ラニグスもレイの実力は知っていたが、それでもやはり情報として知っているのと直接自分の目で確認したのでは大きく違う。

 特に国王派のラニグスとしては、レイと接する回数はどうしても少ない。

 全くの皆無という訳ではないが、それでもどうしてもその頻度は少なくなる。


「喜んで貰えてなによりだよ」

「あー……それで、一つ聞きたいんだけど」


 レイとラニグスの話を聞いていたブルーイットが、そんな風にレイに声を掛ける。

 普段のブルーイットの態度とは違うその様子は、レイの目から見ても若干の違和感があった。


「どうした? ブルーイットにしては珍しいけど」

「そうね。私が知ってるブルーイットは、もっとこう……乱暴な人だったはずだけど」


 レイの言葉に、テレスも同意するように頷く。

 いつの間にかエレーナの近くにやって来ていたアーラも、そんなレイの言葉に頷く。


「うるせえな。……で、ちょっと聞きたいんだが、あの炎の竜巻のような真似って、俺でも出来ると思うか?」

「それは……どうだろうな。似たようなことは出来るかもしれないけど、全く同じという風には出来ないと思うぞ」


 スキルや魔法の組み合わせである以上、ブルーイットが全く同じことが出来るとは思えずにそう告げたのだが……その言葉に、ブルーイットは残念そうな表情を浮かべるのだった。

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