第1882話
セイソール侯爵家から今回派遣された騎士の一人……エレーナと話をしたその騎士は、ようやく兵士達が家の中に入ることが出来たと聞いて、安堵していた。
セイソール侯爵は、決して冷酷非道という訳ではない。だがそれでも、やはり能力のある……命じられた仕事をきちんとこなす人物を優遇するのは当然だった。
それだけに、今回の仕事は騎士の男にとって出世の好機であり、同時に決して失敗してはならない任務でもあった。
……ガイスカを連れ去った人物を捕縛し、連れ去られたガイスカを確保するという、かなり難しい任務ではあったが。
今回の任務を一緒に任せられた同僚の騎士と共に四苦八苦しながら、それでも何とか家の中に兵士を突入させることに成功したのだ。
それだけで今回の任務が成功した……とは到底言えない状況ではあったが、それでも家の中に突入出来たということで、一歩……いや、それ以上に任務の達成まで前進したのは間違いなかった。
(唯一にして最大の問題は……)
そう思いながら、騎士は周囲の様子を見る。
現在この家の周囲にいるのは、自分を含めたセイソール侯爵家の戦力だけではない。
このアネシスを支配する、ケレベル公爵家の兵士もいる。
そして、エレーナとレイ、アーラといった三人は既に家の中に突入しているのだ。
その時点で、既に半ば今回の任務は失敗したと見られてもおかしくはない。おかしくはないのだが……それでも、異名持ち二人を相手に……ましてや、ケレベル公爵令嬢を相手に、騎士達がどうこう出来る筈はなかった。
願わくば、まだ家の中で迷っているなり、ガイスカを見つけていないなり……そんな希望を抱いていたのだが、次の瞬間、玄関の周囲にいた兵士達が派手に吹き飛ぶ。
それも、家の中から吹き飛ばされたように見え……一瞬、罠が発動しなくなったのは家の外だけで、家の中の罠はまだ解除されていなかったのではないか。
そんな疑問を抱くが……兵士達を吹き飛ばし、玄関から出てきた相手を見て今までよりも更に嫌な予感に襲われる。
何故なら、その人物は……セイソール侯爵家の兵士達を正面から吹き飛ばしつつ姿を現したのは、騎士が先程見た相手……レイだったからだ。
いや、レイだけではない。そのレイの後ろからは、エレーナとアーラも飛び出してきた。
それも、レイ達の表情に浮かんでいるのは必死の形相。
その辺のモンスターがちょっと現れた程度であれば、レイやエレーナといった腕利きが、そのような表情を浮かべる筈もない。
それはつまり、家の中で何かが……それもレイやエレーナといった存在ですら、必死にならなければならないような出来事が起きたということの証だった。
「退避だ、退避しろ! 全員、家の敷地から出ろ!」
咄嗟にそう叫ぶ騎士の声に、家の敷地内にいた兵士達は即座に外に出る。
日頃の訓練の厳しさからか、兵士達の動きに戸惑いの類はない。
これが、訓練の甘い兵士であれば、何故急に敷地内から出ろと言われたのか分からず、そうして戸惑っている中で動きを止めてしまっただろう。
貴族派の中でも、セイソール侯爵家が一定以上の強い影響力を持っているのは、兵士達がこれだけ精鋭だというのも大きな理由があった。
「どうした!?」
敷地内から出ろという命令が聞こえたのか、騎士の同僚達が集まってくる。
だが、それに対して騎士が何かを言うよりも前に……その理由ははっきりとした。
何故なら、レイ達が玄関から飛び出してから十数秒後……その家の全てにヒビが入ったのだ。
実際には家にヒビが入ったのではなく、家の建っている空間そのものにヒビが入ったのだが、それをしっかりと確認出来るような余裕は騎士達にはなかった。
何がどうなったのかは分からないが、それでも分かっていることだけは一つある。
それは、深紅や姫将軍という異名を持つ者達であっても、逃げ出さなければならないような出来事が起きているということだけだ。
「俺達も一旦避難するぞ」
家の敷地内から出るように叫んだ騎士がそう告げると、同僚の騎士達もそれに異論を唱えることはなく、頷く。
何が起きたのかは分からないが、取りあえず自分達の手に負えないというのだけはしっかりと分かったからだ。
「全員、家の敷地だけじゃなく、可能な限り離れろ! 危険だぞ!」
騎士が叫び、他の者達もその言葉に従うように敷地内から出ただけではなく、そうした上で少しでも離れようと距離を取る。
当然そのようなやり取りを見ていたケレベル公爵家の兵士達も、セイソール侯爵家の兵士達と同様に離れる。
レイやエレーナ、アーラが、少しでも家から離れるようにと叫んでいたのも、大きいのだろうが。
上空から地上の様子を警戒していたセトと、その背に乗っていたイエロもまた、当然何かあったのだろうと地上に降下してくる。
そして……やがて、空間に入っていたヒビが家の敷地内全体に広がったかと思うと、次の瞬間には一切の音もなく……それこそ、砂で作った城が海水に呑み込まれて消えるかのように、姿を消していった。
具体的に、何がどのようになったのかは誰にも分からない。
それこそ、肉の繭を倒したレイやエレーナですら、何がどうなってこのようなことになったのかというのは、分からなかった。
そんな中でも唯一分かるのは、自分達が空間の破砕とでも言うべき現象に巻き込まれるようなことはなく……そして、セレスタンの住んでいた家そのものが完全に消滅してしまったということだろう。
比喩でもなんでもなく、本当にセレスタンの家が建っていた場所には現在何もない。
地面の方には、家が消えた影響なのか、大きなクレーター状に穴が空いてはいるが、結局のところ残っているのはそれだけだ。
『……』
いきなりと言えばいきなりとしか呼べないようなそんな光景に、誰も声を発することは出来ない。
特にその傾向が強いのは、家の中に突入していた者達だろう。
幸い、レイがぶつかった者達はその勢いのままに玄関から大きく外に跳ね飛ばされ、半ば本能的に敷地内から出た。
レイの突撃を家の中で回避した者も、空間にヒビが入る光景を見てからは即座にその場から逃げ出したおかげで命を長らえることが出来た。
文字通りの意味で九死に一生を得た者達だけに、死ななくて済んだという安堵の気持ちと、あるいは自分が何故助かったのかも理解出来ない……と、考えている者もいる。
それでも、夜の中で自分達の命が助かったというのを悟ると、次第に皆が安堵し……そして次に気になるのは、結局のところ何が起きてこのようになったのかという疑問。
当然のように、何がどうなってこのようになったのかということを知りたいと思う者も多いが、それを知っている可能性があるのはレイとエレーナ、アーラという家の中に入った三人だけあって、聞くに聞けない。
それでも、今回の一件を任されている騎士達にしてみれば、上司に報告する為にその辺りの情報を聞く必要がある。
騎士達がお互いに聞きに行くように押しつけ、最終的には最初にエレーナと話した騎士が顔見知りであるということで、強引に押しつけられた。
その騎士は、何かを話している三人の方に向かって恐る恐るといった様子で歩いていく。
「あの、エレーナ様。家の中で何があったのかを聞かせて貰えますか? 上司に報告をする必要もありますので……」
騎士のその言葉に、エレーナは少し迷った様子を見せる。
これは、今回の一件を隠そうとしている……のではなく、純粋にどう説明すればいいのか迷った為だ。
あの肉の繭に関しては、エレーナにも分かっていないことが多い。
いや、分かっていることの方が少ないと言ってもいいだろう。
「詳細なことについては、残念だが私にも分からない。だが……あの家の中には過去に封印されたモンスターか何かがあり、それが空間を操る力を持っていた。それを倒した結果、恐らくその力が暴走したか何かしたのだろう」
「……なるほど、そういうことでしたか」
エレーナの言葉で全てに納得出来た訳ではなかったが、それでも肝心の内容を聞き出すまではと、騎士は相槌を打つ。
そして……肝心の、騎士にとっては最重要な人物のことについて、尋ねる。
「それで、その……ガイスカ様は家の中にいなかったでしょうか?」
そもそも、セイソール侯爵家がこうして兵力を出したのは、連れ出されたガイスカを助ける為というのが大きかった。
事実、騎士達に命じられた内容でも、ガイスカの救出が最優先事項となっていたのだから。
もっとも、家が消滅してしまったのを見れば、ガイスカを助け出すといった任務は完全に失敗した形だ。
そうである以上、上司に報告する為にも多少なりとも情報を得ようと思うのは当然だった。
「いた。ただ……ガイスカは、私が見た時には既にとても生きているとは言えない状況だった。いや、一応自分をあのような目に遭わせたセレスタンに復讐したのを考えると、自我はまだ残っていたのかもしれないが」
「えっと、それは……具体的にどのような状況だったのか、もう少し詳しく聞いても?」
騎士の言葉に、エレーナは一瞬あの肉の繭のことを言ってもいいのかどうか迷ったが、それでもこの件はいつまでも隠し通せる訳ではないだろうし、それ以前に証拠となるべき物が全て家と共に消滅してしまった以上、喋っても構わないだろうと判断した。
「うむ、どのような理由なのかは分からぬが、ガイスカは肉の繭とでも呼ぶべきものに埋め込まれていた」
そう告げ、ガイスカの状況について騎士に説明していく。
もっとも、本当に全てを話した訳ではなく、ガイスカに関わることのみだが。
それを聞き、騎士は何とも言えないような……そんな微妙な表情になる。
当然だろう。セイソール侯爵家にとって、ガイスカというのは悩みの種と呼ぶべき存在だった。
これまでに、何度となくセイソール侯爵家の名前を汚すようなことを行っており、その度に表沙汰にならないように奔走してきたのだ。
そんなガイスカだったが、それでもセイソール侯爵家の血筋を引く者であるというのは変わりなく、だからこそ騎士にも色々と思うところがあったのだろう。
そんなガイスカとは逆に、デオトレスについての話題になると、騎士の表情は厳しくなる。
ガイスカとは違い、明確な裏切り者という認識だからか。
「そうですか。ガイスカ様もデオトレスも両方……ありがとうございます」
騎士の口から出た感謝の言葉に、エレーナは戸惑う。
果たして、それはガイスカの最後について語ったことか、裏切り者のデオトレスを殺したことか、それともそれ以外の何かか……あるいは、その全てか。
エレーナがそうやって戸惑っている間に、騎士は頭を下げてその場を立ち去る。
騎士にしてみれば、必要な情報は取りあえず入手出来たので、なるべく早くその情報を上司に知らせる必要があるのだろう。
そんな騎士の姿を見送っていたエレーナは、レイに肩を叩かれて我に返る。
「さて、それで俺達はこれからどうする? ……当初の予想とは、大きく違った結果になったけど」
「そうか? 予想していたより大事になったのは間違いないが、それでも最低限の目的は果たしたと思ってもいい。……セレスタンが死んだのは、少し予想外だったが」
ケレベル公爵家の客人たるレイを狙ったという落とし前をつけるという意味では、今回の一件は大成功……とまでは言わないが、それでも成功したと言えるだろう。
また、セイソール侯爵家の影響力を削ぐという意味でも、アネシスでこれだけの騒動を起こし、何よりデオトレスがセレスタンに協力していたのを思えば、こちらも問題はない。
そして、この辺りで恐らく様子を窺っているだろうセレスタンが率いてる以外の裏組織に対する牽制と威嚇という意味では、それこそ家そのものが消滅したということで、これ以上ない形で成功している。
セレスタンが何らかの封印されたモンスターと思しき存在を持っていたり、ガイスカがそれの生け贄にされていたりといったことはあったが、結果だけを見れば、そこまで悪いものではないのは事実だ。
「そういうものか? ……にしても、結局セレスタンと黒狼の関係ってなんだったんだろうな。セレスタンも、別に黒狼を使い捨ての道具として見ていた……って訳じゃなさそうだし」
「その辺りの情報は……」
エレーナは一旦言葉を切り、消滅した家のあった場所に視線を向ける。
月明かりと、セイソール侯爵家の騎士達が焚いた篝火、何より夜目の利くエレーナやレイには、その跡地と言うべき場所はしっかりと見ることが出来たが……結局それ以上は何も言えなくなる。
その点に関してだけは、完全に不明のままなのだ。
唯一の手掛かりとなりそうなものは、それこそレイ、エレーナ、アーラの三人が脱出する時に持ち出した書類のみだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます