第1802話
焼き菓子を食べ満足した後、レイ達は再びアネシスの探索に戻る。
とはいえ、この世界では基本的に観光目的の旅行という行為は滅多に行われない。
そうである以上、ミランダやレオダニスにアネシスの観光名所は? と聞いても、旅行が一般的に行われる訳ではない以上、そのような物がある筈がない。
いや、正確にはあるのかもしれないが、それがある光景が日常となっているから、観光名所とは思えないのだろう。
事実、レイが日本にいた時に見たTV番組でも、コバルトブルーの透き通るような海のある場所に行った者が素晴らしいとその景色を絶賛しているにも関わらず、そこが地元の者にすれば、生まれた時から見ている景色なので、どこが素晴らしいのか分からないといった表情を浮かべていた、というのもある。
そんな訳で、観光名所の類もないままにアネシスの街中を歩き回っていたレイ達だったが……十字路を左に曲がったところで、不意に巨大な建物が見えて、レイは足を止める。
「あの巨大な建物は?」
「え? あれですか、ああ、あれは図書館です。そうですね。言われてみればこれだけの規模の図書館というのはそうないと言われてますので、あの図書館はアネシスの名物の一つと言ってもいいのかもしれませんね」
「……でかいな」
ミランダの説明を聞きながら、レイは改めてその図書館の巨大さに驚く。
ギルムでレイが何度か行ったことのある図書館も、かなりの大きさではあった。
レイはこの世界にやって来てから様々な村や街に行ったが、それらの中でギルムを超える大きさの図書館はなかった。
いや、そもそも図書館という施設がない村や街も多い。
そんな中でギルムには図書館が存在し、それもこれまでレイが見てきた中で一番大きい。
それこそ、レイが日本にいた時に行ったことのある、市の図書館よりもギルムの図書館は大きかった。
これが県の図書館、国の図書館となれば話は別だったのだろうが、生憎とレイはそのような場所には行ったことがなかったので比べようがない。
ともあれ、ギルムの図書館がそこまで巨大だったのは何も見栄から……というだけ訳ではない。
勿論見栄が全くなかったことはないだろうが、やはり辺境というギルムの立地が強く影響している。
辺境であるが故に、未知のモンスター……だけではなく、植物や鉱石、それ以外にもまだ知られていない存在が数多くある。
それらについて調べる為には、当然のように資料の類は多ければ多い程にいい。
ある程度ならギルドの方で揃えているが、より詳しいことを調べるのであれば図書館に行って調べるのが最善なのだ。
ギルムを治めてきたダスカーの先祖達も、それを理解しているからこそ貪欲に本を集めてきたのだが……現在レイの視線の先にある図書館は、間違いなくギルムの図書館よりも大きい。
(これが、街と都市の違いか? ああ、でもそうなればギルムでも増築工事が終われば図書館が広くなる可能性があるのか)
レイが図書館の大きさに目を奪われていると、気を利かせたのかミランダが尋ねる。
「ちょっと寄ってみますか?」
「あー……興味はあるけど、今日は止めておく。もうこんな時間だしな」
冬の日暮れは早い。
ましてや、レイ達が屋敷を出たのは昼すぎ。
とてもではないが、今から図書館によって本を読むという行為は出来ない。
いや、一冊や二冊程度なら読めるかもしれないが、どうせなら様々な本を読んでみたいと思うのが当然だろう。
だからこそ、レイはこの図書館に来る時はもっと時間のある時にしたいと告げる。
「ああ、でしたら旦那様から許可証を貰えば、図書館は無料で利用出来ますよ。もっとも、その許可証は旦那様が信頼して預けたという形になるので、本を破損させてしまえば、それは旦那様に人の見る目がなかったという風に言われますが」
「……あー、検討しておく」
勿論、レイは本を破いたりといったことを意図的にするつもりはない。
だが、もし何かあった場合のことを考えれば、迂闊に許可証を貰う訳にもいかない。
そんな二人のやり取りを横で見ていたレオダニスは、表情に出さないようにしながら安堵する。
身体を動かすのならともかく、本を読むという行為が好きではなかった為だ。
本を読むくらいであれば、それこそ身体を動かしていた方が楽しいというのが、レオダニスの正直な気持ちだ。
……それでいながら、書類を作ったりするのが苦手という訳でもない辺り、好きなことと得意なことは違うのだろう。
「そうですか? では、図書館を利用するには入場料金と本を汚したときの為の預け金が必要になりますので、利用する際には忘れないで下さい」
「その辺はギルムの図書館と変わらないんだな」
ギルムの図書館をそれなりに利用しているので、図書館を利用する時に戸惑うこともないだろうと、レイは安心する。
(とはいえ、アネシスにいるのはそう長い間じゃない。この図書館に来る機会は、恐らく多くないだろうな)
そのことを少しだけ残念そうに思いつつ、レイは再び街中を歩き出す。
セトやレオダニス、ミランダもそんなレイを追う。
相変わらずセトの姿を見て混乱する者もいるが、レオダニスの――正確には騎士団の――威光で、その辺りを解決しながら歩いていると、ふとレイの耳に入ってくる声があった。
「おいおい、俺に絡んでおいてその程度で済むと思ってるのか? お前達から絡んできたんだから、もう少し根性を見せろよな」
「ひっ、ひぃ……わ、悪かった。あんたに絡んだ俺達が悪かった。だから許してくれ! な? 頼むよ。ああ、ちょっと少ないけど金はあるから……」
「はぁ……情けねえ奴だな。数が多ければ勝てると思ってるのか? ああ、もういい。消えろ。目障りだ」
そんな会話が聞こえてきた後、レイ達から少し離れた場所にある通りから何人もの男達が姿を現す。
怪我をしているのだろう仲間達を連れて、逃げるように――実際に逃げているのだろうが――その場を離れていく。
「喧嘩か?」
そんな男達に気が付いてレオダニスが呟くが、周囲を歩いている他の者達はそんな男達を見て少しだけ驚くものの、それだけだ。
アネシスのように人が集まる場所であれば、血の気の多い者も相応に数がいるので特に騒ぎ立てる程のことではないのだろう。
実際、レオダニスも特に逃げていった者達を追って事情を聞いたりといった真似をする様子はない。
「人数が多かったな。……言っておくけど、くれぐれも暴れるなよ? レイが暴れれば、俺じゃちょっと止められないんだからな」
レオダニスの口から出た言葉に、少しだけ驚く。
まさか自分では力不足で俺を止めることが出来ないと認めるとは、と。
レイが知っているレオダニスという相手は、自分の力に強い自信を持っていた。
もっとも、この若さでミレアーナ王国でも屈指の精鋭と言われるケレベル公爵騎士団に所属しているのだから、当然のように相応の実力はある。
だが、そんなレオダニスの自信も、レイとの模擬戦で殆ど何も出来ないまま一方的にやられてしまったことで、あっさりとへし折られてしまった。
とはいえ、レオダニスのこれからを思えば、死の危険のない模擬戦でそれを知ったのは幸運だったのだろう。
下手に実戦でそのことを知ることになっていれば、恐らく……いや、間違いなく死んでいたのだろうから。
「あのな、俺が何か騒動を起こすのを前提としてそういう風に言うのは止めてくれないか?」
セトを撫でながらそう言うレイだったが、レオダニスはレイを怪しむ視線を向けるのを止めない。
「……レイの評判を聞けば、騒動を起こすのを前提としているように思えるんだがな」
レオダニスの言葉に、レイは反論しようとし……何気に反論出来ないことを思い出す。
自分がこれまでしてきたことを思えば、そのように思われても仕方がないのだと。
もっとも、それで何か後悔している訳ではないのだが。
「あ、誰か出て来ましたよ」
ミランダがレオダニスの後ろに隠れるようにして、そう告げる。
隠れる先としてレイではなくレオダニスを選んだのは、レオダニスはケレベル公爵騎士団の団員なのに対し、レイは客人という立場だからだろう。
その辺りの事情を素早く判断出来たのは、メイドとしての本能からのものか。
ともあれ、レイとレオダニスもこれ以上は口論をしていられないと、先程の男達が出て来た場所に視線を向ける。
……ただし、レイはその相手を警戒していなかった。
敵意の類には敏感なセトが全く反応していなかったのだから、恐らく問題はないだろうと。
勿論、今は敵意を抱いていないだけで、会って話をしてみたら敵意を抱かれるという可能性はあるので、完全に油断している訳でもないが。
(あれだけの人数を、恐らくたった一人で倒した奴。……まぁ、チンピラが数になったところで、この世界ではあまり意味がないんだけどな)
この世界で質は容易に量を凌駕するのだ。
だからこそ、レイは容易に盗賊団を壊滅させることが出来るし、大国の軍隊を相手にしても蹂躙することが出来る。
それを思えば、チンピラの集団を倒すくらいのことが出来るのは、そう珍しいことではない。
ギルム……いや、増築工事をやる前のギルムなら、それこそ多くの冒険者が出来ただろう。
もっとも、それはギルムに集まってくる冒険者の多くが腕利きだからこそなのだが。
そんなレイの、半ば好奇心に満ちた視線の先に姿を現したのは、かなりの巨漢だった。
とはいえ、巨漢というだけであればこの世界ではそこまで珍しいものではない。
レイが少しだけとはいえ驚いたのは、その男がギルムにいてもおかしくないだけの実力を持っていると、一目見ただけで理解したからだ。
アネシスはミレアーナ王国第二の都市である以上、腕利きがいてもおかしくはない。
それでも意外に思ったのは一体何故だったのか。
そんなレイの疑問は、次の瞬間に解決する。
「ブルーイット様!? 何故こんな場所で、このようなことを!?」
レイの側で相手の警戒をしていたレオダニスが、驚愕の声を発したのだ。
いや、驚いているのはレオダニスだけではない。その後ろに隠れていたミランダまでもが、驚愕の視線をブルーイットと呼ばれた男に向けている。
「お前は……その鎧はケレベル公爵騎士団のものだったか」
「はい。ケレベル公爵騎士団所属、レオダニスといいます」
そう言うブルーイットを見て、レイは何となく目の前の巨漢の正体を理解する。
先程の様付けの件も考えると、ほぼ間違いなく……
(貴族、だな。それも恐らくはそれなりに高位とか、影響力のある)
そう思いはするものの、男の格好はとても貴族が着るようなものではない。
不潔といった印象はないが、それでも一般人が着るような代物だ。
そう、レオダニスのような騎士が敬意を払うような相手が着る服では、断じてない。
「お? そっちのはグリフォンだな。ってことは、あんたが深紅のレイか?」
レオダニスから視線を逸らしたブルーイットは、セトを見て、そしてセトの隣にいるレイを見て尋ねる。
そんなブルーイットの態度に一瞬どう反応すればいいのか迷ったレイだったが、やがていつも通りに口を開く。
「ああ。ギルムで冒険者をしているレイだ。お前は? レオダニスの様子を見る限りでは、お偉いさんなんだろうが……そんなお偉いさんが、何だってこんな場所でああいうのを相手にして喧嘩なんかしてるんだ?」
そう言いながら、レイはブルーイットの身体を見る。
寒さ対策にマントを羽織っているが、それでも身体についている見事な筋肉を隠すことは出来ない。
それでいて、顔や身体……そしてマントにも傷の一つ、返り血の一つもないということは、先程のチンピラ達を相手に一切の反撃を許さなかったということを意味している。
もしくは、素早く動いて返り血の類を全て回避したのか。
(いや、この巨漢から考えると、恐らくは素早さよりも一撃の威力を重視している筈だ。……それはそれで疑問だが)
自らの力や重量を武器として戦う場合、どうしても動きは鈍くなってしまう。
勿論一般の人間に比べれば速いだろうが……それでも、殴った時の返り血をどうにか出来る程ではない。
もしくは一撃で骨を折るといった真似をするのであれば、返り血の心配はいらないだろうが……先程のチンピラ達の中には、明らかに顔から血を流している者がいたのを確認している。
(ちょっと……興味が出て来たな)
ブルーイットの方を見つつ、向こうがどのような返事をするのかと楽しみにレイは相手の言葉を待つのだった。
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