第1801話

 アネシスの街中を歩いていると、やがて目的の店が見えてくる。

 ミランダが言っていた、蜂蜜や木の実、干した果実をたっぷりと使った焼き菓子を売っている店。

 以前に似たようなパンを迷宮都市エグジルで食べたことのあるレイにしてみれば、それは焼き菓子ではなく菓子パンなのではないかとすら思ってしまう。

 だが、実際に食べてみないうちから何かを言うのもどうかと思ったので、そんな思いは心の中に秘めておく。

 ……尚、最初は武器屋に行ってみないかと提案したレオダニスは、レイの行動に若干不満そうにしながらも、大人しくついてきていた。

 そこまで甘いものが好きではないレオダニスにしてみれば、焼き菓子にはあまり興味がなかったのだろう。

 それでも一緒についてきたのは、レオダニスがレイの……正確にはセトの存在によって街中が混乱しないようにという為と、レイが妙な真似をしないかという監視の意味合いが強いからだ。

 そんな一行が見たのは、一つの店舗の前に並んでいる二十人程の行列。

 幸い今日は雪の勢いはそこまで強くはなく、ちらついている程度だ。

 だがそれでも、十分な寒さはある。

 レイはドラゴンローブを着ているのでその辺を気にしなくてもよかったが、ミランダはメイド服の上から厚着をしているし、レオダニスも冬用のコートを身に纏っていた。

 そんな中でこれだけ並んでいるのを見れば、レイが驚くのも当然だろう。


「あら、今日は行列が少ないですね。雪が降ってるからかしら」


 驚いているレイの横では、ミランダが嬉しそうに呟く。

 えー……と、そんなミランダの言葉に若干不満そうに何かを言おうとしたレオダニスだったが、この状況で何かをいうのは色々と不味いだろうと判断し、賢明にも口を噤む。


「いつもはもっと並んでいるのか?」

「ええ。このお店が開いたのは秋の終わりからでしたけど、ずっと繁盛してますね。甘いものは強いですから、それも当然かもしれませんが」

「……それは分かるけど、甘いものは高いってのも当然じゃないのか? この辺で蜂蜜とかが大量に入手出来るってのは……ちょっと不思議だな」


 これがギルムであれば、それこそ周辺には様々なモンスターがおり、蜂をベースとしたモンスターもいるので、蜂蜜を大量に入手出来てもおかしくはない。

 だが、ここはアネシスだ。

 辺境という訳でもないので、当然のように近くで蜂蜜を大量に採ることは出来ない。


(考えられるとすれば、ミレアーナ王国第二の都市って立地から、蜂蜜を持ってくる専門の業者と契約を結んでるってとこか。……この世界に養蜂ってあるのか?)


 テイマーや召喚魔法の使い手であれば、蜂のモンスターを従魔として養蜂が出来るかもしれない。

 だが、レイの知っているような養蜂がこの世界で行われているのかどうかは、残念ながら知らなかった。

 もっとも、レイの知り合いで養蜂をやっていた人はいなかったので、それこそレイが知っているのはTVや漫画で得た知識が主なのだが。


(スズメバチはミツバチを餌にしようとするけど、ミツバチはそんなスズメバチに群がって窒息死させる……んだったか?)


 何故か養蜂という言葉で思い出したのは、そのような内容だった。

 直接的に養蜂に詳しければ、もっと巣箱が具体的にどのような形で、どうやれば巣を壊さないようにして蜂蜜を採取出来るのかといったことも考えられたのだろうが。

 ともあれ、レイ達もそのまま行列に並ぶ。

 ケレベル公爵の客人という立場を考えれば、行列に並ばなくても焼き菓子を買えるのだろうが……このような場所でそのような真似をすれば、いずれ非常に面倒なことになるのは間違いなかったからだ。

 特に甘味に対する女の執着を考えると、絶対にそのような真似は出来ない。

 そんな訳で大人しく列の最後尾に並んだのだが……当然ながら、間近でグリフォンを見たことがある者はこの中にはおらず、当然のようにその存在を怖がる者が出た。

 それでもレイにとって予想外だったのは、レオダニスがセトは安全だと言った途端に騒いでいた者達が落ち着いたということだ。

 もっとも、それはレオダニスにそれだけの影響力があったという訳ではなく、ケレベル公爵騎士団の者であると断言したからこそのものなのだが。

 また、周囲にいる者達を落ち着かせるように、笑みを浮かべてセトを撫でていたミランダの姿も影響していたのは間違いないだろう。

 セトも見ず知らずの場所では自分が怖がられるというのは理解している為か、周囲にいる者達を怖がらせないように気をつけ、大きな動きをしたり、高い鳴き声を出さないといった風に注意していた。

 そんな二人と一匹の努力もあって、レイ達の前に並んでいた者達や、レイ達の後ろに並んだ者達もセトを極端に怖がるといった真似をしなかった。

 それどころか、好奇心の強い者の何人かは恐る恐るとではあったがセトに手を伸ばして撫でている者すらいる。

 そうして一人が撫でてしまえば、もう他の者達が怖がるといった真似はしなくなる。

 最初にセトを撫でた者が嬉しそうな笑みを浮かべると、それを見ていた他の者もセトを撫で始めた。

 様々な例外はあれど、甘いものが好きなのは女の性だが、同時に可愛いものを好きなのも女の性だ。

 結果として、セトは一気に店の前に並んでいた女達に受け入れられる。

 この光景にレオダニスは唖然とした驚きの表情を向け、ミランダは当然ですと笑みを浮かべて頷く。

 レイもまた、そんな光景に特に違和感はない。

 以前から最初は怖がられていたセトが、次第に受け入れられるという光景は今まで何度も見てきたからだ。

 セトの愛らしさを考えれば、怖さよりも愛らしさの方が上回るのだろうと。


(以前に比べて全長三mを超えたのに、そんな状況で頭を下げて上向きに円らな瞳で鳴き声を上げれば……普通ならその愛らしさにやられてしまうよな。他のグリフォンがこんな仕草をしなくて良かった、と言うべきか。……しないよな?)


 ふと、もしかしてこのようなセトの仕草が普通のグリフォンもやっていたらどうするべきかと思ったレイだったが、大空の死神と呼ばれているグリフォンが、まさかそんなことはしないだろうと思い直す。

 そうこうしているうちに、次第に行列は進み……やがて、レイ達の順番となる。


「いらっしゃい。今は店の中が一杯だから、持ち帰りしか出来ないけど、それでいいかい?」


 そう言ったのは、レイにとっては予想外なことに三十代の男だった。

 それも、とてもではないが菓子職員というイメージがない、筋骨隆々の大男。

 身長も確実に二mは超えており、その身体にはみっしりとした筋肉がついている。

 それこそ、まるで巌の如きと表現するのが相応しい、そんな筋肉。

 えー……というのが、その男を見たレイの正直な感想だった。

 菓子職人と言われて思いつくようなイメージとは、完全に正反対の人種だったからだ。

 だが実際、店の客達はそんな男を怖がったりする様子もなく……それどころか、親しげに話している。


「で? 持ち帰りでいいんだよね? 三人分……え?」


 三人分でいいのかと、そう尋ねそうになった男だったが、レイの側にセトがいるのに気が付く。

 今までは客からの注文を捌くのに必死で、セトの存在に気が付くような余裕はなかったのだろう。

 それでもセトの姿を見て驚きの表情を浮かべたのは一瞬で、次の瞬間にはその驚きを消して再び口を開く。


「四人分でいいかな? 悪いけど、お客さんが多いから一人一つとさせて貰ってるんだけど」

「あ、はい。それでお願いします」


 ミランダの言葉に男は頷き、すぐにパンを包む。

 そうして料金を支払い、レイ達は店を出る。

 レイ達がいなくなるということは、当然のように一緒に行動していたセトもいなくなるということで、レイ達の後ろに並んでセトを撫でていた女達が少しだけ残念そうな表情を浮かべていた。

 もっとも、次の瞬間には目当ての焼き菓子を買えるということで、すぐにそちらに意識が向けられていたが。

 店から少し離れ……歩きながら、レイ達は包み紙を開ける。

 そうして姿を現したのは、クッキーとパンの間にあるような、そんな焼き菓子。

 その焼き菓子にはミランダが言った通り蜂蜜がたっぷりと掛けられており、周囲に甘い匂いを漂わせていた。


「グルゥ! グルルルルゥ!」


 甘い匂いは、セトにとっても刺激的だったのだろう。

 早く食べよう、食べよう! と、鳴き声を上げる。

 そんなセトに、レイは包みの一つを渡す。

 すると最初はクチバシで小さく突き、それで甘い焼き菓子が美味いと判断したのか、続けて何度も食べていく。

 セトが食べられるようにと、セトの分を右手で持っていたレイは、左手に持っていた自分の分を口に運ぶ。

 最初にサクリとした食感と蜂蜜の甘みが口の中に広がり、やがて生地に練り込まれた木の実や干した果実が口の中を楽しませる。


(これ、メロンパン? いや、かなり違うけど……ビスケット生地とパン生地の部分が別々になってるメロンパンとは違って、これは間違いなく一緒に焼き上げた焼き菓子だ。いや、メロンパンも一緒に焼いてるんだろうけど、それとは違う意味で)


 パンの上にビスケット生地が乗ったパンが、一般的にメロンパンと言われているものだ。

 それはあくまでも基本のメロンパンで、レイが知ってる限りではチョコチップの入っているメロンパンを始めとして、本当にメロンの果汁を使った贅沢なメロンパンなどというのも作られている。

 ……尚、メロンパンがメロンパンという名称で呼ばれているのは、別にメロンパンにメロンの果汁が使われているからではない。

 ビスケット生地に線を引いて、メロンの外見に似ているからという説がある。

 実際には他にも幾つかメロンパンという名前になった説はあるらしいのだが、少なくてもレイはその説が正しいのだろうと思っていた。

 ともあれ、そんなメロンパンではあったが、現在レイが食べている物は、メロンパンとは似て非なる食べ物なのは間違いない。

 説明に困る食べ物ではあったが、それはあくまでもレイがメロンパンという食べ物を知っていたからこその話だ。

 それを知らないミランダは嬉しそうに甘味を味わっているし、最初はあまり気が進まなかった様子のレオダニスも、今ではその焼き菓子を食べて満足そうな表情を浮かべている。

 セトにいたっては、身体が大きいということもあってレイが持っていた包み紙の中は既に空となっていた。


「グルゥ」


 もう食べ終わってしまったセトが残念そうにしているのを見て、レイは半分程食べたメロンパンに似た焼き菓子をセトに与える。

 レイも甘いものは嫌いではないが、それよりもセトが悲しそうにしているのを見たくなかったという方が大きい。


(出来れば、あるだけ買い占めるとかしたいけど……あれだけの繁盛店でそんな真似をする訳にもいかないしな)


 店主か店員かは分からなかったが、レイに応対した男は、もし商品を全部買い取りたいと言っても断ってくると思われた。

 これが金に汚い人間であれば、商品を纏めて買い取ることも出来るだろう。

 だが、とてもではないが、あの相手はそのような性格には思えなかったのだ。

 ましてや、レイ達の後ろにはまだかなりの列があった。

 レイ達が残っている焼き菓子を買い切ってしまえば、当然のように後ろにいる者達の分はなくなってしまう。

 甘味を楽しみに、雪が降っている中でも並んでいた女達の前で、その甘味を全て買い占めるような真似をすればどうなるのか。

 それはレイにとっても考えたくはない。


(うん、やっぱり人数分だけを買ったってことでよしとしておこう。出来れば、セトの分として二つか三つは多めに欲しかったけど。それに、どうしてもこれを大量に欲しければ、ここで買わなくても後で別途注文するという手段もあるし)


 わざわざ他人からの敵意を買ってまでそのようなことをするのはどうかという思いもある。


「うん、美味かった。美味かったけど……あの列に並ぶのはちょっと勇気がいるな」


 焼き菓子を食べ終わったレオダニスが、しみじみと呟く。

 その気持ちは、レイにも分かる。

 先程の行列に並んでいたのは殆どが女で、男の数は圧倒的に少数派だった。

 少数の男も、恋人、友人、家族かは分からないが、男だけで並んでいるのではなく、女と一緒に並んでいる。

 そのような場所だけに、幾らレオダニスが今の焼き菓子をまた食べたくなったとしても、自分だけで並ぶのはかなり勇気がいることだった。

 騎士団に所属している女や、もしくはそことは関係のない個人的な友人の女に頼んで一緒に並んで貰う。

 それが、現在レオダニスに考えられる最善の選択……の、筈だった。

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