第1793話

 目の前に立つ、ハルバードを持つ男、フィルマ。

 ミレアーナ王国の中でも屈指の精鋭達を率いているだけあって、その立ち姿に隙はないし、向かい合っているだけで感じる迫力がある。

 だが……自分に向かって放たれる、物理的な圧力にすら感じられる迫力を感じつつも、レイはどこか腑に落ちないものを感じていた。

 目の前にいる男と会うのは、恐らくこれが初めてだ。

 いや、ベスティア帝国との戦争に参加しており、当時会ってはいるのだが……少なくても、こうして敵対――正確には模擬戦だが――するのは初めてだった。

 だというのに、レイは自分の視線の先に立っているフィルマと以前どこかで戦ったような、そんな印象を受ける。

 もしかしてフィルマの放つ迫力に押されてそう感じているのか? そう思い、デスサイズと黄昏の槍を握る手に力を込めてみるが、特に問題はなく、いつも通りの体調なのは間違いなかった。


(となると、別に俺が緊張してフィルマと以前戦ったことがあると感じている訳でもない、か。そうなると、本格的にどこかで戦ったことがあるのか? いや、けど……フィルマ程の有名人と戦った経験があるのなら、間違いなく覚えている筈だ)


 フィルマを見ながら、今まで戦ってきた者達の記憶を蘇らせようとするレイ。

 だが、そのようなことを考えているのを、レイと向かい合うフィルマが見逃す筈もない。


「どうした。私を前に余計なことを考えるような余裕があるのか?」

「……いや、悪いな。戦う前にちょっと聞きたいんだが、俺と以前戦ったことがないか?」


 考えてもすぐに思い浮かばないということもあり、レイはフィルマに尋ねる。

 尋ねられたフィルマは、驚きを表情に出さないように注意する。

 まさか、何年も前に一度立ち会っただけの自分を覚えているとは、思ってもみなかったのだ。


「さて、どうだろうな。だが……私に勝てれば、その辺りははっきりとするかもしれないぞ?」


 フィルマの口から出たのは、挑発の言葉。

 そんなフィルマの言葉に、レイは握ったデスサイズと黄昏の槍を手に前に出た。

 それもただ前に出たのではなく、地面を蹴って一瞬にて距離を縮めたのだ。

 大鎌、槍、ハルバード。

 レイとフィルマでは、持っている武器の種類は違うが、三つ全てが一般的に長物と呼ばれている武器であるのは間違いなかった。

 そうである以上、当然いきなり間合いの内側にまで入ってこられるのをフィルマは嫌がる筈。

 一瞬にしてそう計算したレイの行動だった。

 とはいえ、レイの持つ武器も長物である以上、間合いを詰めた状態での戦闘が苦手なのは間違いない。

 だが、自分から行動したレイであれば、当然のように間合いを詰めた後での攻撃方法については想定している。

 まず振るわれたのは、デスサイズ。

 元々が百kgもの重量を誇るデスサイズだけに、その巨大な刃ではなく柄の部分に当たっただけでも大きなダメージとなる。

 一番回避しにくい場所として胴体目掛けて振るわれたその一撃だったが、フィルマは後ろに跳躍して回避し……またすぐに地面を蹴って、今度は自分からレイとの間合いを詰めてきた。

 そんなフィルマの行動に、レイは若干の違和感を抱く。

 最初に振るわれたデスサイズの一撃は、相手の機先を制した形の一撃であったが、それでもエレーナに勝るとも劣らぬという評価を受けているフィルマであれば、それこそ自分のハルバードで受け止めてもいい筈だった。

 わざわざあれだけ大袈裟に回避するというのは、レイに一瞬ではあるが疑問を抱かせるには十分だった。

 とはいえ、現在は模擬戦の真っ最中だ。

 詳しいことを考えているような暇はレイにはなく、先程の仕返しだと言わんばかりにフィルマが横薙ぎに振るってきたハルバードの一撃を防ぐ。

 ただ、ここでも一瞬の疑問。

 フィルマは右利きで、ハルバードを横薙ぎに振るうのであれば、レイの左側……黄昏の槍を持っている方に向かって振るってもおかしくはない。

 だが、最初にレイはデスサイズで攻撃を行った以上、そちらに向かって攻撃をした方が有効な一撃を与えられた可能性も高かったのだ。

 勿論ハルバードの一撃をどちらに撃ち込むかというのは本人の好みにも大きく関わってくるので、今の一撃が致命的なまでに不自然だったのかと言われれば、頷くことも出来ないだろう。

 それでもレイの目からは、フィルマがデスサイズと打ち合うのを避けているように見えた。


「ぐっ!」


 黄昏の槍で、フィルマの放ったハルバードの一撃を受ける。

 だが、レイの口から漏れたのは予想外に重い一撃を受けたことによる、驚きの声。

 レイの身体能力は人外と呼んでもおかしくないだけのものがあり、それこそ普通であれば一撃でレイの手を痺れさせるなどという真似は出来ない。

 そんなレイの手を痺れさせる程の一撃ともなれば、それがどれだけの威力が込められているのかは想像するのも難しくはないだろう。


(今の一撃をまともに食らってれば、それこそ普通なら死んでたんじゃないのか?)


 最初に模擬戦を行ったレオダニスのように、一撃で手を痺れさせて持っている武器を吹き飛ばす程ではないにしろ、今のレイの左手はかなりの痺れを残している。

 勿論その状態で戦えない訳ではないが……これはあくまでも模擬戦であり、相手に致命傷は与えないようにしなければならない。

 レイの持つ黄昏の槍とぶつかり合ったフィルマの一撃も、いざとなれば止めるか……場合によっては当てる場所を変えるかして、レイに致命傷を与えないようにする筈だった。


(多分、だけどな!)


 そう考えつつ、身体を半回転させながら右手に持っているデスサイズを振るう。

 当然その一撃は刃ではなくデスサイズの石突きの部分だったが……それを見てとったフィルマは、躊躇することなく後方に退避する。

 二度。

 ……そう、デスサイズの攻撃を食らわないように、二度続けて退避したのだ。

 

(完全にデスサイズの特殊能力を把握しているな)


 見掛けとは比べものにならないだけの重量を持つデスサイズの能力を警戒していなければ、ここまで徹底してデスサイズと打ち合う真似を避けるようなことはしない筈だった。

 それは、フィルマがデスサイズの重量が100kgを超えているのを知っていることを意味していた。

 フィルマと向き合いながら、レイは右手で握っているデスサイズに視線を向ける。

 デスサイズにそのような能力があるというのは、そこまで隠し通している訳ではない。

 そもそも、デスサイズを持つレイと戦った者であれば、誰であってもデスサイズが見た目以上の重量を持っているというのは理解出来るのだ。

 それでもデスサイズの場合、その見た目そのものが凶悪なこともあって重量云々よりも、やはり巨大な刃の方に注意が集まるのは当然だろう。

 デスサイズに視線を向けたのは一瞬だったが、フィルマ程の腕利きが、一瞬ではあってもそんな隙を見逃す筈もない。

 レイが自分から視線を外した次の瞬間、再びフィルマは前に出る。


「ふんっ!」


 鋭い呼気と共に振るわれるハルバード。

 先程までと比べて幾らか速度が増したのは、レイとの戦いからそのくらいの速度と威力であれば問題ないとフィルマが判断した為だろう。

 胴体目掛けて振るわれるその一撃を、レイはデスサイズで弾こうとし……だが、フィルマはあくまでもハルバードとデスサイズをぶつけようとはせず、手首の動きを使ってハルバードの軌道を強引に変化させる。

 本来なら、ハルバードのような重量のある物を手首の動きだけで強引に動かすというのは、かなりの負担が掛かり、それこそ手首を捻挫してもおかしくはない。

 だが、それはあくまでも普通ならであって、フィルマは到底普通という枠に入るような存在ではない。

 あくまでもデスサイズとぶつかるのを避ける様子を見せつつ、軌道が変化したハルバードの長柄は、レイの胴体を殴り飛ばさんと迫ってくる。

 その一撃を、レイはデスサイズではなく黄昏の槍で受け……シャリスラに行ったようにハルバードを絡め取ろうとするが、そんなレイの手に返って来たのは、それこそ巌の如き固さ。

 本来ならハルバードを絡め取って上空に跳ね上げようとしたそんな動きを、フィルマも当然のように読んでいたのだろう。

 シャリスラとの戦いを見ていたからこそ、即座に対応出来たのだ。

 いや、寧ろレイのその動きを利用して、カウンターとして黄昏の槍を絡め取ろうとすらしてきた。

 そんなフィルマの攻撃を、レイもまた相手と同じようにしっかりと黄昏の槍を持つことで武器を奪われないようにし……こうして、黄昏の槍とハルバードによる一瞬の膠着が生まれる。

 だが、フィルマが両手でハルバードを持っているのに対し、レイはあくまでも左手で黄昏の槍を持っているのだ。

 つまり、フィルマがもっとも警戒していたデスサイズは自由になっているということであり……


「させるか!」


 黄昏の槍と拮抗したが故に動きの止まっていたフィルマだったが、デスサイズが……文字通り容易く相手の命を刈り取る――今回は模擬戦なので、レイもそこまでやるつもりはない――大鎌が迫ってきたのを見たフィルマが取ったのは、膝の力を抜いて地面に座り込むということだった。

 そのまま後ろに退くといった真似をしていれば、それはレイから見ても分かりやすい行動だったが故に、その動きを利用してハルバードを絡め取っていただろう。

 事実、レイはフィルマがそのような行動をすると判断し、退いた瞬間に動こうとしていたのだから。

 それだけに、まさか腰を落とすなどという行為をフィルマがしてくるというのは、レイにとっても予想外だった。

 そして予想外の行動は、レイに一瞬とはいえ思考の停滞をもたらし……それでも、デスサイズを握っていた右手は、半ば反射的にフィルマの動きを追う。

 フィルマはそんなデスサイズの動きを理解しつつ、地面に腰を落とした状態から一気に跳び上がる。

 どうすれば腰を落とした状態からそのような動きが出来るのかは、レイにも理解出来なかった。出来なかったが……跳躍したフィルマの下をデスサイズが通りすぎたのは間違いのない事実だ。

 そのうえ、今の一連の動きによって絡み合っていた黄昏の槍から、ハルバードを一気に引き抜くといった真似すらしてみせた。


『……』


 お互いが距離を取り合い、無言で相手の様子を確認する。

 自分に向けられる視線の鋭さは、相手の隙を窺うものだ。

 先程の攻防の発端となった、一瞬だけ相手から視線を逸らすという行為すら、この模擬戦においては戦いの切っ掛けとなるには十分すぎる。

 そうして向かい合い、十数秒……もしくは数十秒か。

 それだけの時間、お互いに沈黙しながら相手を観察し……不意に、冬の風に流されるように、どこからともなく何かの植物の葉がレイとフィルマの中間を通りすぎる。

 雪が降っているこの時季に、何故植物の葉があったのか。

 それは誰にも分からなかったが、それでもその葉が丁度二人の間を通りすぎた瞬間、レイとフィルマの二人は一気に前に出る。

 共に、相手がこの瞬間を見逃すようなことはないと、そう理解した上での行動であり、それだけに相手との間合いが瞬時に縮まったとしても戸惑うようなことはなかった。

 フィルマの振るうハルバードの一撃を回避しつつ、レイは黄昏の槍の一撃を放つ。

 模擬戦である為、穂先による突きではなく横薙ぎの一撃。

 その一撃は、だがハルバードによって防がれ……レイは相手の動きが鈍った一瞬の隙を突くかのように、デスサイズを振るう。

 フィルマも黄昏の槍によって弾かれた勢いを利用し、身体を回転させながらレイに一撃を与えようとしたが……その動きは、ピタリと止まる。

 当然の話だが、一回転しながら一撃を放つのと普通に一撃を放つのとでは、後者の方が圧倒的に有利だ。

 いや、敵となる相手が自分よりも格下であれば、話は別なのだが……今回のフィルマの相手はレイで、とてもではないが格下という訳ではない。

 自分の眼前に突きつけられたデスサイズ。それをじっと見つめたフィルマは、一瞬だけここから逆転出来ないかと考えはしたのだが、結局現状ではどうしようもないと判断するだけだった。

 これが模擬戦でなく実戦であれば、まだ奥の手を幾つか残しているのだが、それを模擬戦でわざわざ見せる必要はない。

 ましてや、レイとは友好関係にあるものの、明確な味方という訳ではない。

 場合によっては、敵対するという未来がある可能性もある。

 そうである以上、フィルマがここで行うべきは、反撃の隙を探るのではなく……


「参った。降参だ」


 素直に負けを認めることだった。

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