第1765話
「やあああああっ!」
気合いの声と共に振るわれる、ハルバード。
当然刃の部分は潰されているが、槍と斧を組み合わせた武器は、重量だけで容易に人を殺せるだけの威力を持つ。
……もっとも、それも当たればの話だが。
「甘いわ」
紙一重の見切りでハルバードの攻撃を回避すると、ヴィヘラはそのまま前に出て拳を振るう。
そこまで力を込めた一撃ではなかったが、それでもヴィヘラと模擬戦をしている女にとっては十分強力な一撃で、床に倒れ込む。
「次」
短い一言だったが、それを聞いた男は棍棒を手にヴィヘラの前に立つ。
棍棒という武器はありふれた武器だ。
それこそ、ゴブリンでさえ棍棒を武器にすることは多いのだから。
……もっとも、ゴブリンが武器にする棍棒は、基本的にその辺の木の枝を折った程度のもので、きちんと作られた本物の棍棒ではないのだが。
その点、ヴィヘラの前に出て来た男が持っていた棍棒は、しっかりと重心を考えられて持ちやすいように削られており、柄の部分には滑らないようにと革が巻かれている。
「行くぜ!」
そう叫び、一気に前に出た男は、ヴィヘラに向かって棍棒を振るう。
「幾ら威力が強くても、大振りではね」
先程のハルバードの時とは違い、回避しながら棍棒にそっと手を触れて力の流れを変えるヴィヘラ。
その棍棒は、あっさりと軌道を変えられて床に叩き付けられる。
「なっ!?」
男は、まさか自分の一撃がこうもあっさりといなされるとは思っていなかったのか、唖然とした声を上げ……気が付けば、その身体は床に叩き付けられていた。
棍棒を持っていた手を掴まれ、足を払い、その勢いを利用して床に叩き付けられたのだが、本人は全く理解していない。
もっとも、叩き付けられる寸前にヴィヘラが軽く引き上げたので、男にダメージそのものは殆どなかったが。
模擬戦の相手を圧倒しているレイやヴィヘラだったが、残るもう一人のビューネは若干趣が違っていた。
「ん!」
自分に向かって伸びてきた穂先の潰された槍を回避し、そのまま素早さを活かして一気に懐の中に入ろうとしたビューネだったが、相手も自分が懐に潜り込まれれば弱いのは、長物を使う者として知っている。
また、小柄なビューネが武器として刃を潰した短剣を持っていたことからも、そこで選ぶ選択肢は少なく……だからこそ、前もって対処出来た。
「はっ!」
懐に潜り込んできたビューネに対し、男は自分から間合いを詰める。
短剣を振るうことが不可能な距離まで間合いを詰め……そうなれば、次の瞬間に起きるのは身体同士のぶつかり合い。
そして身体が正面からぶつかり合うということは、当然のようにそこで一番重要になってくるのは体重だ。
レイのように見かけに似合わぬ身体能力や、もしくはヴィヘラのように高い体捌きの技術を持っているのであればまだしも、ビューネは以前と比べてかなり腕を上げているが、そこまでの高い技量はない。
いや、戦っている相手が素人だったり、冒険者になったばかりの者であればビューネにもそのような真似は可能だろう。
しかし、今ビューネと戦っているのは、ビューネと同等……いや、若干上の技量を持つ相手だ。
そうなれば、そう易々と攻撃を受け流すといった真似も出来ず、正面からぶつかって体重差から吹き飛ばされるのは当然のようにビューネだった。
「ん!」
だが、ビューネも紅蓮の翼の一員として日々鍛えられている。
吹き飛ばされつつも空中で身体を捻って態勢を整え、無事床に着地した。
そんなビューネの行動に、周囲で様子を見ていた者達の口から感嘆が漏れる。
勿論この場にいる人物で、今のビューネと同じような真似を出来る者は少なくない。
だが、それは今だからこそ出来ることなのだ。
自分達がビューネと同じくらいの年齢の時にそのような真似が出来たのかと問われ、それに頷くことが出来る者はそう多くはない。
見ている者達も、それが分かっているからこそビューネの持つ高い能力に感嘆の声を上げたのだ。
「ん!」
「来い!」
床に着地したビューネが短く叫ぶと、それに対応したかのように槍を持った男も叫ぶ。
そうして二人の戦いは再開されるが、総合的に見れば、やはりビューネよりも男の方が強いのは事実。
何とか懐に潜り込もうとするビューネだったが、男の槍捌きは巧みでそれを許可しない。
最終的には、ビューネの動きの隙を見て、槍が素早く動き……穂先をビューネの顔に突きつけることで、勝敗は決まるのだった。
……もっとも、もしこれが実戦であれば、ビューネは長針を使ったり、持っている武器も銀獅子の素材から作った白雲だったりと、このような結果にはならなかっただろうが。
ただし、ビューネが本来の意味で自分の武器を使うということは、当然のように男も本来の武器を使うということになるので、その辺でどうなるかは全く分からなかったが。
「ぐぬぅ……」
ヴィヘラやビューネが模擬戦を繰り返している頃、レイもまた何人もを相手に模擬戦を繰り返していた。
最初に戦ったエドワルドが負けると、次から次に模擬戦を希望してきて、現在八人目の男がレイの一撃を受けて床に膝を突いている。
「うん、それなりに筋はいいと思うぞ。こっちの攻撃を受けた瞬間に力を抜いて、その一撃を受け流そうとしていたしな。ただ、そこに移るまでの動きが遅い。だから、威力の殆どを受け流すことが出来ず、こうなってしまう訳だ。その辺り自分の意思じゃなくて反射的に出来るようになれば、もう一段上にいけると思う」
もっとも反射的に攻撃を受け流せるようになる為には、それこそ何度となく自分が攻撃を受け続けて反射的に受け流すという動作を出来るようになる必要がある。
この辺りは本当に才能や本能といったものが関係してくるので、それが完全に出来るようになるには、それこそ個人差が大きい。
例えばヴィヘラの場合は、殆ど訓練をせずとも半ば本能だけでそのような動きが可能になっている。
しかし、目の前の男がヴィヘラ程に才能があるかと言われれば、レイもまた素直に頷くことは出来ないだろう。
とはいえ、この訓練場にいる者は全員が一定以上の才能を持つ。
……正確には、今日レイとの模擬戦があるということで希望者が殺到し、その中から才能のある者達をエドワルドが選んだというのが正しいのだろうが。
別にエドワルドはこの訓練場の持ち主という訳でもないのだが、ここを利用している者達の纏め役ということで、皆が納得している。
実際、もし希望する者全員がこの模擬戦に参加するようなことになっていれば、間違いなく大勢集まり……とてもではないが、全員が模擬戦をすることは出来なかっただろう。
中にはこの訓練場を利用したことがない者でも、レイとの模擬戦が出来ると聞いて参加したいと思った者もいたのだから。
レイはギルムではかなり恐れられているが、同時に何の意味もなく暴力を振るう男だとは思われていない。
そして実際に強いのは間違いないのだから、レイと模擬戦が出来る機会があると知れば、それこそ多くの者が希望するのは当然だった。
「次は……へぇ、素手か。珍しいな」
次にレイの前に立った女は、肘までを覆うような手甲を身につけた女だった。
女、格闘ということで元気に模擬戦を楽しんでいるヴィヘラに視線を向けるが、当然のように現在レイの前に立つ女は、ヴィヘラのような薄衣を身に纏っている訳ではない。
「お願いします!」
短く叫ぶと、女は一気に前に出る。
格闘が武器を持つ相手より優れているのは、やはり自分の身体を武器とすることだろう。
長剣や槍といった武器とは違い、間合いを感覚的に判断しやすいのだ。
……他にも武器を持つよりも軽いというのが特徴としてあるのだが、女が付けている手甲はかなり頑丈な代物で、少なくても短剣より重いのは確実だ。
であれば、短剣よりも速度のある攻撃が出来るとは思えない。
そして案の定、レイに向かって放たれた拳は速度はあるものの、短剣による突き……それこそビューネの放つ突きに比べれば、幾分か劣ってしまう。
そんな一撃を、レイは回避しながら足に槍の石突きを放つ。
もっとも、それは足払いをするような一撃ではなく、女が踏み込むだろう場所に槍の石突きを差し込み、足を槍に引っ掛けたという表現が正しいのだろうが。
「きゃあっ!」
レイが攻撃を回避して横を通りすぎたので、慌てて振り向こうとした女は次の瞬間床に転んで悲鳴を上げる。
女にしてみれば、それこそ今の自分が何をされたのかは全く理解出来なかっただろう。
そうして悲鳴を上げつつも、何とか転んだ状態から上半身を起こせば、目の前にあるのはレイが持つ槍の穂先。
明らかに、詰みの状態だった。
「こっちに攻撃を当てることを優先したいのは分かるが、相手が槍のような長物を持ってる時は、そっちにも注意した方がいいな」
「……はい」
女が心の底から残念そうに返事をする。
女にしてみれば、実際にレイと模擬戦らしい模擬戦をしないまま、突っ込んでいったところで足を槍に引っ掛けられて転んでしまったのだから、それも当然だろう。
そんな女を見てレイも哀れに思ったのか、慰めるように口を開く。
「俺のノルマはもう一人だけだから、そいつが終わったらまたお前と戦ってやるよ」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。だから次の模擬戦ではもう少し戦えるように、戦い方を考えてろ」
「う……はい」
女だけがレイにもう一度模擬戦をやる権利を与えられたが、それを見て不満に思ったのは女の前にレイと模擬戦をやった者達だ。
無理もない。自分達はレイと一度しか模擬戦が出来なかったのに、女だけがもう一度その機会を与えられたのだから。
この場にいる者達を纏めているエドワルドですら、女に羨ましげな視線を向けていた。
「あー、しょうがないだろ。この女は殆ど何も出来ずに負けてしまったんだから。他の連中は、曲がりなりにも俺と戦えただろ? なら、それでいいと思わないか?」
そう言っても、やはり何人かは不満そうな……それでいて期待するような視線をレイに向けてくる。
どうするかと一瞬迷い……
「いいわ、全員纏めて掛かってきなさい。けど、混戦である以上、多少の怪我は覚悟しなさい!」
訓練場の中に、そんなヴィヘラの声が響く。
声の聞こえてきた方にレイが視線を向けると、そこで行われているのは多対一の模擬戦。
そう、ヴィヘラ一人対十人の冒険者という、そんな戦いだった。
普通であれば数の差でヴィヘラが一方的にやられる筈なのだが……ヴィヘラという個の力は、容易に他の者達の力を上回る。
結果として、かろうじて戦いにはなっているが、それでも十人の方が圧倒的に押されていた。
一応戦いとして成立しているのは、ヴィヘラがある程度手加減をしているからだろう。
そんな戦いを見て、レイが口を開く。
「そうだな。残り一人との模擬戦が終わって、まだ俺と模擬戦をしたいというのなら、あれと同じように全員が相手として戦うか。それでもいいか?」
「お願いします」
真っ先にそう言ってきたのは、エドワルド。
他の者達も、そんなエドワルドの言葉に釣られるようにして頷いていた。
一対一を何度も繰り返すよりは、一度で終わるからそっちの方がいいだろうと判断したレイは、それを受け入れる。
「分かった。なら、一対一の最後だ」
その言葉に最後の一人、両手に短剣と長剣の中間……ミドルソードとでも呼ぶべき剣を持った男がレイの前に立つ。
「お願いします!」
その言葉と共に先手必勝を狙ったのか、レイに向けて一気に距離を詰める。
レイの持つ槍の間合いの内側に入り、自分の武器の間合いで勝負しようというのだろう。
当然レイもそんな相手の思惑はすぐに理解し、素早く槍――ただし石突きの部分――で何度も鋭く突く。
槍の間合いの内側に近づこうとしても、次々に放たれる突きの隙を見出すことが出来ず……男は、結局そのまま一方的に石突きで身体を何度も打たれて模擬戦は終了するのだった。
そんな男を一瞥すると、レイは改めてエドワルドや他の面々に視線を向ける。
「さて、じゃあお望み通り俺一人対お前達全員だ。ヴィヘラも言ってたが、多少の怪我が覚悟出来る奴だけが掛かってこい」
その言葉にエドワルドを含め……それどころか、負けたばかりのミドルソードを持った男までもが立ち上がる。
そこから始まったのは、多対一の模擬戦。
当然ながら、レイにしてみればそこまで苦戦する相手ではなかったが、こうして大勢を相手にして戦っていれば、自分では思いもよらない場所から攻撃をされることもあり、レイにとってもそれなりに良い訓練になる。
……だからといって、レイも負けていいとは思える筈もなく、多対一でもレイが勝ったのだが。
最終的に模擬戦は、レイとヴィヘラは全戦全勝、ビューネは四勝六敗と、ある意味予想通りの結果となるのだった。
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