第1764話

 模擬戦の依頼……否、頼みを受けた翌日、レイは早速ヴィヘラとビューネの二人を連れて、前日に行った訓練場に向かう。

 尚、今日はレイと一緒にセトの姿はない。

 セトはイエロと共に今日はマリーナの家の庭でゆっくりと遊ぶことになっていた。

 今日はどうするのかとレイが尋ねた時は、セトも少し迷ったのだが……イエロがセトと一緒に遊ぼうと鳴き声を上げた為に、セトも今日はイエロと一緒に遊ぶことにしたのだろう。

 セトにとってはレイと一緒にいるのが一番大事なのは間違いないが、自分と同じ立場のイエロという友達と仲良く遊びたいという気持ちも間違いではないのだ。


「あそこね。……さて、どんな人がいるのかしら。少しは見所がある人がいればいいんだけど」


 肉まんを売っている屋台を見つけ、ヴィヘラが呟く。

 肉まんが訓練場の目印となっているということは、今日も結局そこが肉まんの屋台の場所となっていることであり、結果として昨日の売り上げも芳しくなかったということを意味している。


(一応改善点らしいのは幾つか教えたんだけどな。……昨日の今日でいきなりそれをどうにかしろってのは、無理な話か)


 食感の違う食材を入れたり、挽肉だけではなく一口サイズの肉を入れたりといったようにすればいいとアドバイスをしたレイだったが、アドバイスされたからといって次の日にすぐにそれを活かせる……というのは、難しい。

 長年料理人をしてきたプロであれば、その辺りの調整も出来るのだろうが、生憎と肉まんの屋台をやっている店主はそれだけの経験がない。


「こんにちは。今日はその……ありがとうございます」


 屋台の店主は、レイ達の姿を見つけると屋台から出て来て頭を下げる。

 本来ならレイ達には全く関係のない頼みなのに、それを引き受けてくれるのだから、深く感謝しているのだろう。

 もっとも、レイの場合は正確には自分の為……自分が気軽に屋台で肉まんを食えるようになればいいと、そういう考えから今回の一件を引き受けたにすぎないのだが。


「その、これ。よければどうぞ。……味は昨日と殆ど変わらないんですが」


 店主はそう言い、肉まんをレイ達にそれぞれ一つずつ渡してくる。

 それを受け取ったヴィヘラとビューネの二人は、早速肉まんを食べるも……微妙な顔をする。

 不味いのであれば、それこそ不味いと断言も出来るだろう。

 美味ければ、当然のように美味いと素直に感想も言える。

 この肉まんは、不味くもなく美味くもない……極めて普通の味で、それこそ評価するのに困ってしまう。

 そんな二人の感想が、店主にも分かったのだろう。何かを誤魔化すように、頭を掻きながら笑い声を上げる。


「あははは。やっぱり駄目でしたか。調味料の方を少し変えてみたんですけどね」

「……俺が昨日言ったのとは、別の手段だな」


 レイが昨日言ったのは、食感を楽しませるために具材の大きさを変えてみては……というものだった。

 だが、屋台の店主が選んだのは、調味料の配合を変えるというもの。

 もっとも、別にレイの意見が絶対という訳ではないし、屋台の店主は仮にも食べ物を売っている本職――という表現が相応しいのかどうかは、レイにも分からなかったが――だ。


「取りあえず、今日の模擬戦が終われば本当の意味で料理に詳しい奴の手助けを得られるらしいから、それまでもう少し我慢してくれ」


 レイもまた肉まんを食べ、訓練場に向かう。

 当然のようにレイもまた、食べた肉まんには普通という一言しか感想を抱けなかったが。

 ともあれ訓練場に入ると、そこはそれなりに立派な道場だった。

 勿論この寒い中に戦闘訓練をする場所なのだから、外であったり、隙間風が入るような場所であったりする筈もないのだが。

 それはともかく……


「うわぁ」


 レイの口から、思わずといった様子でそんな呟きが漏れる。

 何故なら、そこには三十人近くもの男女が集まっていたからだ。

 その上、全員がじっとレイ達の方を見ている。

 訓練場であるにも関わらず、現在訓練をしている者の姿は一人もいない。

 ただ、じっとレイ達の存在を見つめるだけだ。

 やがて、その中の一人……今日集まっている者の中のリーダー格なのだろう男が、立ち上がる。

 三十代くらいで、身体はそれなりに筋肉がついているのは分かるが、これ見よがしに無意味な筋肉を付けているのではなく、俊敏性を重視した、締まった筋肉とでも呼ぶべき体格の男。


「よく来てくれました。歓迎します。私はこの訓練場を仕切っているエドワルドといいます。今日は、シュバルの無理なお願いを聞いていただき、すいません。ですが、私達一同、レイ殿の力を直接体感出来るのは、非常に楽しみにしていました」


 てっきり、もっとぶっきらぼうな話し方をされるのだとばかり思っていたレイは、そんな男の態度に少し驚く。


「ああ、気にしないでくれ。こっちも色々と利益があっての行動だから」

「ええ、分かっています。訓練場の前でやってる屋台の件ですよね? シュバル以外にも何人か食堂の生まれだったり、食堂で働いていた者がいたりするので、そちらにも手伝わせます」


 シュバルというのが、昨日のスキンヘッドの男を示ししているのだということは、レイにもすぐに分かった。

 なので、そんな男の言葉に感謝の言葉を口にする。


「悪いな、助かる」

「いえ。深紅の異名を持つレイ殿に模擬戦をつけて貰えるのですから、この程度のことは問題ありません。それで、そちらの二人は……」


 エドワルドの視線が、レイと共にいるヴィヘラとビューネの二人に向けられる。

 そんな二人は視線を向けられても特に気にした様子はなく、ヴィヘラは興味津々で、ビューネはいつものように無表情で自分を見ている相手に視線を返していた。


「俺だけで模擬戦をするのも時間が掛かるだろうし、暇な奴は出来るだけ少ない方がいいと思ってな。ヴィヘラは知ってる奴も多いと思うけど、その強さは本物だと言ってもいい。ビューネの方は、ヴィヘラより数段腕は劣るが、それでもその辺の冒険者よりは強い」


 レイの言葉に、それを聞いていた者達の何人かがざわめく。

 レイやヴィヘラの強さは知っていても、ビューネの強さは分からなかったのだろう。

 もっとも、ビューネはヴィヘラと共にギルムの見回りを行っている。

 それが許可されるだけの能力があるのは間違いなく、実際ヴィヘラがどれだけの戦闘能力を持つのか知っている者は、ざわめくようなこともなく納得していた。


「そうですか、分かりました。では……もしそちらの準備がよければ、早速始めたいのですが。構いませんか?」


 エドワルドの言葉にレイは頷き、ヴィヘラとビューネの二人もまた同様に頷く。

 それを確認したエドワルドは、レイとの模擬戦を楽しみにしていた面々に向かって指示を出していった。

 この場にいる冒険者は三十人程で、レイ達は三人。

 であれば、当然のようにそれぞれが十人ずつ引き受けることになるだろうが、現在この場にいる者達はレイとの模擬戦を希望して集まった者達なのだ。

 そうなると、それぞれに任せれば全員がレイの前に並びかねないとして、エドワルドはそこからそこまではレイに、ヴィヘラに、ビューネにといった具合に適時分けていく。

 何人かは不満そうではあったが、レイが全員と間違いなく模擬戦をすると断言した為に、その不満も収まる。

 中には、少しでもレイの手の内を見てから模擬戦を行おうと、自分から進んで後に回る者すら出て来た。

 そうして、早速模擬戦が行われるのだが……


「お前が最初かよ」


 自分の前に立つエドワルドを見ながら、レイの口からは呆れの声が漏れる。

 だが、エドワルドはそんなレイの言葉に、当然ですと笑みを漏らす。


「こういう時に最初に戦えるのが、私がこの場で皆を纏めている最大の理由なのですから」


 堂々とそう言うエドワルドに、レイもまた納得する。

 こうして集まっている者達の人数は、かなりの数になる。

 それらを纏めるようなことをするとなると、エドワルドにとっては非常に面倒なことになってしまう。

 それが理解出来るだけに、このような場合は最初に戦えるという特権をエドワルドが持っていても、不思議ではない。

 

「武器ですが、どうします? その、一応穂先を潰している槍はあるんですが、レイ殿がもっとも得意としている大鎌は、さすがに……」

「だろうな」


 言いにくそうなエドワルドの言葉に、レイは特に怒るでもなく納得する。

 そもそもの話、大鎌を使うような者は非常に稀少だ。

 レイの活躍を噂話で聞き、もしくは直接その戦闘を見たことがある者の中には、レイと同じように大鎌を使おうと考える者もいた。

 特に、冒険者になったばかりの者にその手の輩は多かったが、大鎌というのはその見た目の凶悪さとは裏腹に、扱いは非常に難しい。

 殆どの者は、すぐに自分に使える武器ではないと諦める。

 そのような武器だけに、ここに集まっている者の中で大鎌を使うような者はおらず……昨日の今日で用意出来る筈もない。

 レイもそれが分かっていたからこそ、責めるような真似をしなかったのだ。


「なら、取りあえず穂先を潰した槍があるのなら、それでいい」


 そうレイが言うと、すぐに冒険者の一人が穂先を潰した槍を持ってくる。

 もっとも、穂先を潰しているからといって絶対に安全という訳ではない。

 穂先を潰した以外は普通の槍である以上、武器として用いるには十分な威力を持つ。

 ましてや、その槍を使うのはレイなのだ。

 それこそモンスターの十匹や二十匹は、この槍があれば容易に殺すことが出来るだろう。

 エドワルドもそれが分かっているのか、こちらも同じく刃を潰した長剣を手に、真剣な表情をレイに向ける。

 そうしてお互いの周囲から他の者達がいなくなり、離れた場所でじっと二人の様子を見て……


「いやあああああああああああああっ!」


 鋭い叫びと共に、エドワルドは一気にレイとの間合いを詰め、長剣を大きく振るう。

 その鋭さは、レイが思っていたよりも鋭い。もっとも……


「ふっ!」


 真っ直ぐに振り下ろされた……それこそ、もし回避しなければ間違いなく潰されているとはいえ、刃がレイに当たっていたその一撃を、レイはあっさりと回避する。

 そう、あくまでもレイが思っていたよりは速いといった程度でしかなかったのだが。

 そうして回避した動きを使い、手首の動きだけで槍を振るう。

 身体全体を動かしての一撃であれば、強力な一撃を放てるだろう。だが、その代わり強力であるが故にその一撃は大ぶりの一撃となる。

 それに比べると、手首だけで放ったレイの一撃は普通の攻撃に比べて圧倒的に初動が掴みにくい。

 ……それでいながら、レイのもつ身体能力から、その一撃は手首の動きだけで放っただけの一撃にも関わらず、極めて強力な一撃となる。


「っ!?」


 自分の足を狙って振るわれた横薙ぎの一撃に、エドワルドは咄嗟に跳躍し……


「ぐおっ!」


 その跳躍のタイミングが少しだけ早かっただけに、レイが再び手首の動きを調整して槍の軌道を変化させたことにより、太ももの辺りに一撃を食らう。


「見極めが早すぎる。場合によって、こうやって対処されることもあるから、気をつけろよ。……さて、まだ立てるな? 今の一撃はそこまで力を込めてなかったからな」


 レイの言葉に、エドワルドは何とか立ち上がる。

 それでも足が微かに震えているのは、今の一撃が予想外に効いたということなのだろう。


(ん? そこまで強力な一撃じゃなかった筈なんだけどな)


 そう思うレイだったが、今の軽い一撃というのは、あくまでもエレーナ達との模擬戦を基準としたものだ。

 幾ら多少腕が立とうと、エドワルドがエレーナ達と同等の強さを持っている筈もない。

 だからこそ、レイの一撃によりエドワルドはこれだけ大きなダメージを受けてしまったのだろう。


「は、ははは……ま、まさかたった一撃でここまで足に来るとは、思いませんでした」

「太ももに直接攻撃したからな。……そういう意味では、安全な攻撃ではあったんだが」


 そう言うレイが思い出していたのは、日本にいる時にTVで見た格闘家のインタビューだった。

 自分よりも弱い相手、それもまだ格闘技を始めたばかりの相手と戦う時には、それこそローキックで太ももを蹴ればそれで十分だと。

 太ももを蹴ることによって、命に関わったり後遺症が残ったりするような怪我をさせずにすみ、それでいて戦闘力を奪うことが出来る。

 そうインタビューで答えていた格闘家の言葉は本当だったのか、と。

 立ち上がることは出来たが、足が震えて立っているのがやっとのエドワルドを見ながら、レイは今更ながらにそんなことを思い出すのだった。

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