第1711話

「えーっと……え? おい、これって冗談か何かか?」


 ダンジョンの中にあった階段を上がり、次の階に――この場合は二階と呼ぶのが正しいのか――上がったレイ達が見たのは、一面に広がる森だった。

 ここは崖の壁面の中にあるダンジョンなのは間違いなく、とてもではないがダンジョンの中に入りきれないような、そんな森が広がっているのだ。

 何度かダンジョンに潜った経験はあっても、このような場所をダンジョンの中で見たことがなかったレリューが驚きの声を上げるのも当然だろう。

 もっとも、驚きの声を上げているのはレリューのみだ。

 レイやエレーナは継承の祭壇のあるダンジョンで森を見ているし、ヴィヘラやビューネはエグジルのダンジョンを経験している。

 マリーナはギルドマスターになる前に挑戦したダンジョンで、同じような光景を見たこともあった。

 そういう意味では、異名持ちのランクA冒険者であっても、ダンジョンにはあまり挑んでこなかったレリューがこの光景を見て驚くのは当然だろう。

 一階で階段を見つけるよりも前に、似たような話を聞かされてはいたが……まさに、百聞は一見にしかず、というところか。

 そんなレリューの様子を気にせず、レイは森に視線を向ける。


「さて、取りあえず……この森は幻影とか、そういう可能性は……」

「ないわね。空間が歪んでいる方だと思うわ」


 レイの言葉にマリーナが即座に答えることが出来たのは、風の精霊で辺りの様子を多少なりとも探ったからだ。


「つまり、この森は本物な訳だ。……厄介というべきか、狭苦しい洞窟じゃなくなってせいせいしたと言うべきか、ちょっと迷うな」

「グルルルゥ!」


 周囲を見回しながら呟くレイに、セトは嬉しそうに鳴き声を上げる。

 一階の洞窟もセトが動き回るのに十分な広さはあった。

 だが、高さそのものはそこまで高い訳ではなく、セトが空を飛ぶといった真似は出来なかったのだ。

 そういう意味では、自由に空を飛べるこの森にセトが喜ぶのも当然だろう。


「このダンジョン、出来たてって話は間違いだったのか?」

「どうだろうな。ダンジョンってのは、不条理な存在だ。それこそ、出来たてのダンジョンでもこれくらいは普通にやってのけてもおかしくはないと思うぞ」


 驚きを露わにしつつ、それでも周囲の警戒を解かない様子で呟くレリューの言葉に、レイはそう返す。

 もっとも、冬までにギルムに戻りたいレイにしてみれば、出来ればダンジョンの攻略は素早く出来た方がいい。

 そういう意味では、それこそ二階に上がってすぐの場所にダンジョンの核があるという展開が一番楽だったのは間違いないが……そんなレイの楽観的な希望は、目の前に広がる森を見た瞬間に消え去った。


「取りあえず、どうする? 今日はダンジョンの様子をちょっと見てみるだけだったんだろう? ゴルツに戻るのもいいと思うが」

「うーん、エレーナが言いたいことも分かるけど、出来ればもう少しこの森を探索しておきたいわね。そもそも、一階は分岐が一つあるだけだったから、様子を見るもなにもなかったし」


 マリーナの言葉に、戻るかと提案したエレーナも、そうかと小さく頷くだけだ。

 一応といった感じで口には出したが、エレーナもこのまま戻るというのは物足りないと考えていたのだろう。


「キュウ! キュウキュウ!」


 そんなエレーナの気を引くように、近くの木の枝の上で周囲の様子を見ていたイエロが、嬉しそうに鳴く。

 その言葉が聞こえた者達が上を見上げると、そこには緑色の果実を手にしたイエロの姿があった。

 果実を手に持ち、重さでふらつきながらも地上に降りてくるイエロ。

 エレーナはイエロを受け止めると、そっと撫でてやる。


「イエロなら問題はないと思うが、何かあった時のことを考えると、なるべく注意するのだぞ?」

「キュウ!」


 注意されたことに頷いたのか、それとも自分が採ってきた果実を渡すことを得意に思って鳴いたのか。

 それはエレーナにも分からなかったが、それでもイエロが採ってきた果実をエレーナにプレゼントしたのは間違いない。


「この果実は……エムナか。もっと南の方で春に採れる果実だと思ったが……いや、ダンジョンにその辺りのことを悩むのは間違いか」


 エムナは爽やかな酸味と微かな甘みを持つ果実で、そこまで貴重な代物ではない。

 だが、その瑞々しさから好んで食べられる果実の一つだ。

 エレーナはその果実を手に、イエロが先程までいた枝に目を向け……珍しく、驚きに目を見開く。

 何故なら、その木にエムナを始めとして様々な果実がなっていたからだ。

 ……そう、様々な。エムナ以外に全く違う種類の果実が、一つの木になっている。

 明らかに異常としか言えない、そんな木が目の前にあった。

 春だけではなく、夏や秋が旬の果実までもが食べ頃の状態でそこにはあった。


「この木は……どうなっている?」

「ああ、エレーナも気が付いた? ちょっと面白い木よね、これ」


 その木の存在には、マリーナも当然気が付いていたのだろう。笑みを浮かべながら話し掛けた。

 ダークエルフということで、当然のようにマリーナは自然について深い知識を持っている。


「いや、これを面白いの一言で済ませてもいいものか? 明らかに、この木は異常だろう。様々な季節の果実が、何故一本の木に……それも、全てが食べ頃の状態で実をつけているのだ?」

「ダンジョンだから、としか言いようがないわね。実際、私が以前潜ったダンジョンでも同じような木を見つけたことがあるわ。もっとも、そのダンジョンの中でしか生きていけないらしいけど」

「そうなのか? この木を外に持って行くことが出来れば、かなり高い値段で売れそうなんだが」


 エレーナとマリーナの会話が聞こえていたレリューは、残念そうに木を見上げる。

 実際、一年中様々な季節の果実を実らせる木などというものがあれば、かなり高額で売れることになるのは間違いないだろう。

 それこそ大商人、貴族、王族……そのような者達が先を争って買うことになるのは確実だった。

 だが、ダンジョンでしか育たないというのであれば、持って帰っても売るのは無理だ。


「こういう木があれば、シュミネも喜ぶと思うんだけどな。……どうにかならないか?」

「無理に決まってるでしょ。いえ、レリューの家の環境をこのダンジョンと全く同じようにすればどうにか出来るかもしれないけど……それって、人工的にダンジョンを作るということになるわよ?」

「いや、それは無理と言うべきではないか?」


 エレーナの言葉に、レイを含めた全員が頷く。

 人工的にダンジョンを作るというのは、まず不可能だというのが大前提だったのだから。

 もし可能になるとすれば、それこそ国を含めて様々な組織から狙われるだろう。

 それ以前に、ダンジョンの核は未だに全てを解明された訳ではなく、未知の素材という扱いなのだから。


「でしょ? だから、もしレリューがどうしてもこの木を使いたいのなら……それこそ、ここに住むとかする必要があるでしょうね」

「無理だろ、それ」


 即座に断言するレリュー。

 これがレリューだけであれば、この場で暮らすのは難しくはない。

 今のところ出て来たモンスターは、その全てがレリューであれば容易に対処出来る相手なのだから。

 ……唯一、昨日戦ったイエローバードは風斬りというスキルを使えるレリューであっても、厄介……否、面倒な相手であるのは間違いないのだが。

 だが、それはあくまでもレリューだけであれば、の話だ。

 レリューの妻のシュミネはあくまでも一般人でしかない以上、このようなダンジョンで暮らすのはまず不可能だ。

 ましてや、このダンジョンには女にとって天敵のゴブリンやオークが出現するのだから。

 愛妻家のレリューとしては、ここにシュミネと共に住むという選択肢は考慮するまでもない。


「でしょうね。つまり、この木については諦めなさいってことよ」


 マリーナのその言葉に、レリューは少しだけ残念そうにするが……そんなレリューを放って置いて、レイは木に登って次々と果実を採り始める。

 果実の類はドライフルーツを始めとして、保存用に加工したりといった真似をしなければ、長期間の保存は出来ない。

 だが、アイテムボックスを持っているレイにしてみれば、瑞々しい生のままで、それこそ何年、何十年といった風に保存が出来るのだ。

 そんなレイにとって、様々な季節の果実が実っているこの木は格好の獲物であった。


「キュ! キュキュ!」


 レイに負けてたまるかと、イエロもエレーナの下から飛び立って再び果実を採り始める。


「おい、レイ。果物を採ってるのはいいけど、暫くここで休憩するってことでいいのか?」

「ああ。少しここにいて周囲の様子を確認する。そして問題がないようなら、もう少しこの二階を探索してみる」


 赤と青の斑模様になっている果実を採りながら、レイはレリューに言葉を返す。

 本来であれば、初めて来たダンジョンの、初めて来た階層という場所なら、周囲を強く警戒する必要がある。

 そのような場所で、こうして近くの木に生えている果実を採るような真似をするのは、自殺行為に近い。

 もしレイ達のことを詳しく知らず、ダンジョンという場所についてそれなりに詳しい者がいれば、それこそダンジョンを甘く見るなと叱責するであろう。

 だが、セトという相棒がいるレイは、全くそんな心配をしていない。

 自分以上の鋭い感覚を持つセトであれば、何かモンスターが近づいてくるのを間違いなく察知出来ると理解している為だ。

 特にこのダンジョンは、確実にとまではいかないが、かなりの可能性でレイ達が最初に入った筈だった。

 つまり、近づいてくる存在は基本的に敵だと認識してもおかしくはなく……


「グルルルルルルルゥッ!」


 不意にセトが鳴き声を上げたかと思うと、その周囲に二十本の風の矢が姿を現し、上空に向かって放たれる。


「シャアアアアアアアアアアアッ!」

「シャアッ!」

「シャアアアアアア!」


 瞬間、そのような鳴き声が周囲に響き……見覚えのあるモンスター二匹が、地面に落ちてきた。

 それが切っ掛けであったかのように、十匹近いイエローバードがその場から飛び去っていく。


「ふーん。ここのダンジョンのモンスターは、敵わないと思えば逃げるんだ。まぁ、おかしな話じゃないけど。……それに、今のは別にこっちを襲おうとしている訳じゃなかったみたいだし」


 ヴィヘラが風の矢を全身に食らって、それでもまだ生きていながら……それでいて、もう飛べずに暴れているイエローバードを見ながら、呟く。


「イエローバードか。……どうせなら、昨日とは違うモンスターだと嬉しかったんだが」


 緑の斑点がある一口大の果実を口の中に放り込みながら、レイは溜息を吐く。

 イエローバードは昨日既に倒しており、その魔石も入手済みだ。


(ああ、そう言えばセトがウィンドアローを使ったのは、そういうことか?)


 ふと、セトがウィンドアローのレベル四を習得しながらも、何人かがいた場所だった為に、レベルアップしたウィンドアローを試していなかったことを思い出す。

 一階でもゴブリンを始めとするモンスターと遭遇はしたのだが、その時はウィンドアローを使う機会はなかった。

 そういう意味では、今回のイエローバードはセトにとって丁度いい標的だったのだろう。


(レベル三の時は、風の矢は十五本だった。それがレベル四で二十本。レベル×五の本数か。……まぁ、次はレベル五だから、一気にスキルの性能は上がるんだろうが)


 円らな瞳で褒めて、褒めてと視線を向けてくるセトに、レイは近くになっていた赤い、イチゴに似た果実を放り投げてやる。

 レイも食べてみたが、その果実は普通のイチゴよりも大きく、それこそ日本にいた時に食べたことのある品種改良されたイチゴと比べても負けないくらいの甘さを持つ。

 もっとも、木になっている時点でイチゴではないのだろうが。

 その果実をクチバシで受け止めたセトは、口の中に広がる甘酸っぱさに嬉しそうに喉を鳴らす。

 そして、もっとちょうだい! とレイに円らな視線を向けてくる。

 ……その姿は、ほんの少し前にイエロバード二匹を問答無用で撃ち落とした時の様子はない。

 そんなセトの様子に、レイは近くの果実をもいで再びセトに放り投げる。

 黄色い果実をクチバシで咥えると、先程とは違った……それでいて、十分美味な甘酸っぱさがセトを楽しませた。


(取りあえず、この辺りから果実を採れるだけ採ってミスティリングに収納して……今日はそれで一旦ゴルツまで戻ることになるか?)


 まだ生きているイエローバードを仕留めているビューネを見ながら、レイはそんな風に考えるのだった。

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