第1684話
「うわ……随分とまぁ、大量に持って来たわね」
そう言ったのは、レイが持っている複数の網を見たマリーナ。
実際、レイが持っている複数の網にはアワビやサザエ、牡蠣――正確にはそれぞれによく似た貝――や、レイも全く見たことがないような変わった形をした貝といったものが大量に詰め込まれていた。
重量にして、数十kg……いや、百kgを超えていてもおかしくはない。
それを平気で持っているレイも大概だが、そんなレイを背中に乗せて飛んできたセトもまた、大概だろう。
「そう言ってもな。色々と理由があるんだよ」
「理由? それが、魚はいなくて貝だけを網で持ってきた理由なの?」
「ああ。ミスティリングには生きてれば収納出来ないからな。魚は全部絞めたから収納出来たけど、貝の類はどうやって絞めるか分からなくてな。それで、マリーナの精霊魔法に頼もうと思った訳だ」
「……へぇ。なる程ね。やってみたことはないけど……多分、問題なく出来ると思うわ。取りあえず、その貝を地面に置いてくれる? レイが持ったままだと、何があるか分からないから」
マリーナに促され、他の面々の好奇の視線を受けながら、レイは網を地面に置く。
その際に周囲に響いた貝殻同士がぶつかる音が、その網の中の重量がどれだけのものなのか容易に想像させた。
「マリーナなら出来ると思ってたけど、本当に出来て助かった」
安堵しているレイの様子を見て、マリーナは呆れた様子で口を開く。
「あのね、もし私がどうにも出来なかったら、どうするつもりだったの?」
「その場合は、焼いてすぐにでも食べられる状態にするとか、切り身にしてすぐに料理に使えるような状態にしてから、ミスティリングに収納しておいたな」
それは、中に収納しておけば時間の流れが関係ないアイテムボックスだからこそ出来る方法。
ビストルはレイの言葉を聞き、少しだけ羨ましそうな表情を浮かべる。
ビストルはアイテムボックスの簡易量産型のマジックポーチを持っているが、これは収納出来る量が限定されており、中に入れても時間の流れは普通に存在する。
だからこそ、ビストルは毎晩のように魚を一夜干しにしているのだから。
……もっとも、そうして一夜干しにしている魚というのは当然それなりに魚臭い訳で、その臭いに惹かれて虫が集まってくる。
一応網の類で防いでいるのだが、虫の大きさによっては編目から入っていくことが出来る。
また、セトがいれば他のモンスターや動物はやってこないが、それはあくまでもセトがいればの話だ。
日中、セトがレイと一緒に行動している時は、セトの臭いや気配が残っているので、殆どの動物は近づいてこないが、それも絶対という訳ではない。
気配の察知が下手な動物……もしくは空腹で多少の危険はどうしようもないといった動物は、セトがいないということもあって迷い込んでくることもあった。
その結果、何枚かの一夜干しが動物や鳥に奪われるということになったのだが……ビストルにとっても、それは苛立たしいが、損害らしい損害ではない。
そもそもビストルはここに来るまで旅費の類は一切使っていないし、食事に関しても食材はレイ達が出しているが、調理はビストルがしている。……筋骨隆々の大男が小まめに料理をするその光景は、一見すると違和感しかないのだが。
それでもビストルの作る料理の味は、レイ達の中で一番料理の上手いマリーナよりも更に上だ。
そのような違和感で美味い料理をどうこうするつもりはない。
そして肝心の一夜干しに関しても、魚を釣る道具はレイから借りており、餌は現地調達。
ビストルが消費しているものは、魚を釣る時間と一夜干しを作る労力くらいだろう。
「レイちゃんなら、それでも何とか出来るのが羨ましいわね」
レイとマリーナのやり取りを眺めていたビストルが、そう呟く。
「そうか?」
「そうよ。全く、自分がどれだけ恵まれているのか分からないんだから」
レイの言葉に、少しだけ呆れる。
レイにとっては、ミスティリングはこの世界に来た時から使っていた代物だ。
どうしても、それを使うのが普通のこととなっている。
「取りあえず、貝は全部絞めていいのよね?」
レイとビストルの会話に割り込むように、マリーナがそう言い、レイはそれに頷く。
レイが頷くと同時にマリーナが精霊魔法を使い、水の塊を生み出す。
海が近くにあり、更に近くには温泉もあるこの場所では、水の精霊魔法を使うのは非常に楽なのだろう。
貝が大量に入っている網の全てが水に包まれ、浮かび上がっていく。
「少し時間が掛かるから、レイは何か別のことをしててもいいわよ?」
「……いいのか? じゃあ、頼む。まぁ、こうして見ていても面白そうだけど」
実際、貝の入っている網を覆っている水は、この短時間でかなり汚くなっている。
貝殻についている汚れや、貝の中に存在している汚れをそれぞれ取りだしているのが、それが見て分かるだけの速度で行われているのだから、凄まじい。
(アサリ……シジミ? ハマグリもだったか? 砂抜きとかする必要があるのは一晩くらい水の中にいれないといけないらしいけど、マリーナがいればそういうのはすぐだな)
レイは水に包まれている貝を見て、そんな風に思いながら……マリーナに軽く手を振り、その場を立ち去る。
マリーナはそんなレイの姿を見送ると、水に包まれた貝の汚れをしっかりと落としていく。
「あらあら、随分と熱心ね」
ふふふ、とビストルは笑みを浮かべながらマリーナの様子を眺める。
レイに頼まれたマリーナの様子が、どこか初々しい……そう、新婚を思わせたのだ。
そんなビストルの様子に、マリーナも嬉しそうにする。
いつもであれば強烈なまでに女の艶を感じさせるのだが、今のマリーナは女の艶は勿論、それと同時に幸せをも感じさせた。
「そうね。レイと一緒に冒険者をするのも嬉しいけど、こうしてのんびりと休暇を楽しむというのも、悪くないわ。……そもそも、トレントの森の一件から、随分と働き通しだったし」
マリーナの言うことは、決して間違っていない。
トレントの森の一件を解決すれば、ギルムの増築工事になり、それを妨害したい貴族派の貴族に対処し、人の集まったギルムを利用しようとした犯罪組織に対処し、もう二度と手を出させないように他国まで出向き……そこからも本当に色々とあったのだ。
そう考えれば、暫くの間はここでゆっくりとしてもおかしくはないし、そのことで誰にも責められるようなことはない筈だった。
もっとも、あまりこっちでゆっくりしすぎても、ギルムの方で大変なことになるのは間違いない。
(後は十日……くらい、かしらね。ここでゆっくりと出来るのは)
そんな風に思いつつ、マリーナは笑みを浮かべるのだった。
「ぷはぁ……うん、やっぱり夏は冷えた果実水だよな」
「グルルゥ」
レイの言葉に、セトも同意するように喉を鳴らす。
ドラゴンローブのフードを下ろしているレイや、セトの毛が濡れているのは、温泉から上がってきたばかりだから。
温泉があるからこそ、ここを拠点にした以上、それを満喫するのは当然だろう。
海の中を泳いではいないのだが、それでも沖の方まで出て数時間も海風に当たるような真似をしていれば、髪や皮膚がべたつくのは当然だった。
そして、風呂上がりの一杯として、冷たい果実水はこれ以上ない程に美味く感じてもおかしくはない。
「グルゥ? グルルゥ」
もう一杯ちょうだい、と。セトがレイに向かって喉を鳴らす。
そんなセトのお願いに、レイは仕方がないなと、セトの前にある器の中に果実水を入れる。
(春、夏、秋に採れる果物を保存しておいて、冬に雪で凍らせてからミスティリングに入れておくのもいいかもな。……いや、それこそマリーナに頼めば精霊魔法であっさりとやってくれそうだけど)
水の精霊魔法を使えば、氷も上手く使えるのではないか。
そんなレイの考えに気が付いた訳でもないだろうが、セトは果実水を飲む動きを一旦中断して、レイの方に視線を向ける。
「何でもないよ。ちょっと思いついたくらいでな」
「グルルルゥ?」
そう? と喉を鳴らしたセトは、レイの言葉に納得したのか、再び果実水を飲み始めた。
セトの身体を撫でながら、レイはそっと目を閉じる。
視界が暗くなるのに合わせて、より聴覚が鋭くなり……周囲の音がしっかりと聞こえてきた。
エレーナ達の話し声や、作業音。だが、レイが聞きたかったのはそちらではなく……夜の虫の音だ。
夏も終わりかけているということもあり、少し前に比べると虫の音もかなり少なくなってきている気がするが、もう少し季節が進めば、今度は秋の虫が賑やかに自己主張を始めるのだろう。
(日本にいた時も、夏と秋はうるさかったよな)
レイが住んでいたのは山のすぐ側……場合によっては山の中と表現されることもある場所だ。
当然それだけに虫の数も多く、夏や秋の夜になれば、毎晩のように虫の音楽会とでも呼ぶべきものが開かれていたのだが。
……いや、虫の音楽会が開かれていたのは、何も夜だけではない。
日中にはセミの鳴き声がうるさいくらいに響いていたのだから。
何となく日本にいた時のことを思い出したのは、何故なのか。
それはレイにも分からなかったが、それでも虫の音はレイの耳を十分に楽しませてくれた。
そうして虫の音を楽しんでいると、当然のように目を閉じているということもあり、睡魔に襲われる。
何かあってもすぐに反応出来るセトが近くにいるというのも、影響しているのだろう。
やがてセトを撫でていた手が止まり、そのままセトに体重を預けて睡魔に抵抗せず、そのまま眠りに落ちていくのだった。
「あら、ちょっと。見てよあれ。レイちゃんったら」
口では若干文句を言ってるようにも思えるが、その目に宿っているのはどこか優しい光だ。
そんなビストルの様子に、声が聞こえた者がその視線を追い、ビストルの言葉の意味を理解する。
ドラゴンローブのフードを脱いでいるので、普段の性格から考えると、とてもではないが似合わないが……あどけないと表現するのに相応しい表情で眠っているレイの姿がそこにはあった。
普段のレイの性格から考えれば、信じられない程のあどけない表情。
元々が女顔なだけに、そのあどけなさはより強調されているようにすら、それを見ている者には思えた。
特に母性本能という意味では、この場にいる中でも屈指のものを持つビストルだ。
レイの様子を見て、一応風邪を引かないように何か掛けた方がいいのでは? と思ってしまう。
実際には夏も終わりに近づいたとはいえ、まだ十分に暖かい。
ましてや、ドラゴンローブは簡易エアコンのような機能を持っているし、セトに寄りかかっているということもあり、風邪を引くという心配はないだろう。
……そもそも、レイの身体を作ったのはゼパイルなのだから、極寒の中を裸で寝るなどという真似をしたのならともかく、このくらいの気温の中で眠ったところで何の影響もないのだが。
「止めておけ。無理に近づけば、レイを起こすことになるぞ」
毛布を手にレイに近づこうとしたビストルに、エレーナがそう告げる。
何で? と首を傾げるビストルに、エレーナは少しだけ得意げな笑みを浮かべつつ、口を開く。
「眠っているところに誰かが近づけば、レイなら目を覚ます。……私達であれば、目を覚ましたりはしないがな」
それは、レイが眠っている間でも無意識に周囲の気配を探っているということを意味している。
そしてエレーナが得意げな笑みを浮かべたのは、レイが無意識にでも自分という存在を……そしてマリーナやヴィヘラに対して全面的に気を許しているということを示していたからだろう。
「あらん、羨ましいわね」
口では嫉妬したようなことを言いつつ、ビストルは母性を感じさせる笑みを浮かべる。
強面の顔だけに、そこから母性を読み取るには相応の慣れが必要だっただろうが。
だが、数日とはいえビストルと行動を共にしているエレーナ達は、十分にそれを読み取ることが出来るようになっていた。
「そうでしょ。でもあげないわよ」
悪戯っぽく笑って言うマリーナに、ビストルはこれ見よがしに残念そうにしながら口を開く。
「残念ね。レイちゃんみたいに良い男なら、アタシも文句なしに全てを捧げられるのに」
「残念だけど、レイは私達三人で間に合ってるのよ。ビストルは他の人を見つけてちょうだい」
そんなマリーナの言葉から話が広がっていき、その後暫くの間はガールズトークとも呼ぶべき会話が行われることになる。
……もっとも、ガールズと呼ぶには少し難しい人物もいたのだが。
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