第1634話

「セートーちゃーん! 元気でねー!」


 顔全体で悲しいと表現しながら、ミレイヌは去っていく馬車に……より正確にはその馬車の側を歩いているセトの後ろ姿に向かって大きく手を振る。

 レイ達がアースラに到着した翌日だというのに、もう出発したのだ。

 ミレイヌとしては、出来ればもう少しセトを愛でたかったのだが、先を急ぐレイ達の予定を、自分の都合だけで変えさせる訳にはいかない。

 もしそのような真似をすれば、間違いなくスルニンに怒られることになるだろうし、何よりセトに嫌われるという可能性を考えれば、とてもではないがそのような真似をする訳にはいかなかった。

 実際には、もしレイ達の出発を遅らせようとしても、ミレイヌが何か出来た訳ではないのだろうが。


「えっと……なぁ、いいのか?」


 そんなミレイヌを、少し離れた場所で見ていたリュータスがいつもの笑みを浮かべつつ、それでも戸惑ったように呟く。

 リュータスにしてみれば、ミレイヌは腕利きの冒険者だと聞いている。

 実際、自分の護衛達の口からも、ミレイヌはかなりの凄腕で、まともに戦った場合は自分達に勝ち目がないと断言されているのだ。

 だが……こうしてセトとの別れを悲しんでいる今のミレイヌは、とてもではないがそんな凄腕には見えないのも、間違いのない事実だった。


「大丈夫ですよ。ミレイヌは、セトが絡まなければ有能な冒険者になりますから。ギルムの若手でも腕の立つ冒険者で、性格にも問題がないというのは保証します。……もっとも、今のミレイヌを見てしまえば、不安になってもおかしくはないでしょうが」

「そうですね。いつもであれば有能な冒険者として頼りになるんだけど……いつもなら」


 スルニンの言葉に、エクリルがそう告げる。

 そんな二人の様子を見て、本当にミレイヌが当てになるかどうかと疑問に思うリュータスだったが……数分後には、その予想が覆されるのだった。






「んー……この木の実、かなり酸っぱいな」


 爪先程の大きさの果実を口にしたレイが、思わずといった様子で呟く。

 見た目は葡萄に近いのだが、青紫や緑といった葡萄らしい色ではなく、それこそレイの異名たる深紅に相応しい赤い果実。

 アースラで購入した果実だったが、甘みよりも酸味が強い……どこかレモンのような味を想像させる果実だった。


「眠気覚まし用に買ってきたんでしょ? なら、美味しさよりも眠気覚ましの効能の方を優先してもおかしくないんじゃない?」


 馬車の中ということもあってフードを脱ぎ、食べた果実の酸味に顔を顰めているレイに向かい、ヴィヘラが面白そうに告げる。

 レイのそんな表情を見るのは、他の面々にも珍しかったのだろう。ギメカラまでもが興味深そうにレイを眺めていた。


「アラナの実ね。料理とか果実酒とかに使ったりするから、普通はそうやって生のままで食べたりはしないんだけど……」


 マリーナは、ダークエルフらしく植物に詳しいところを見せる。

 実際、アラナの実を漬け込んだ果実酒は、値段の割に美味いということで酒場でもかなり売れている酒だ。

 飲めないことはないが、それでも到底酒を美味いと思えないレイはそんなことについては知らなかったが。


「ふーん。まぁ、酒はともかく料理とかには結構使えそうだな」


 ようやく舌で感じる酸味が消えたレイは、そのままアラナの実をミスティリングに収納する。

 何だかんだと、昨夜は大勢で長時間情報交換、交渉、意見のぶつけあい……といった風な時間をすごした。

 結果として眠るのが遅くなるのは当然であり、更にレイは前日の夜の間に用意された各種物資をミスティリングに収納するという仕事もあり、他の者達よりも早く起きることになってしまう。

 普段から、決して朝に強くはないレイだ。

 依頼の最中であれば、それも何とか克服出来るのだが……今回は高級宿の部屋のベッドで眠ったということもあり、そして何より周囲にはエレーナ達がいるということもあり、眠気に勝つというのは難しかった。

 そうした結果、眠気覚ましにとアースラを出る前に開いていた店で買ったのが、アラナの実だった。


「そうね。料理の味を酸味で引き締めたい時は、アラナの実の果汁を使ったりするわ。もしくは、みじん切りにして料理に加えるとかね」


 マリーナの言葉に、ビューネが視線を向ける。

 やはり食べることが好きなビューネとしては、料理の話となればどうしても興味を持ってしまうのだろう。

 その後も暫くの間、レイ達は料理についての話を続ける。

 ギメカラから、レーブルリナ国の郷土料理と言うべき料理の話を聞き、エレーナからはパーティで食べて美味かった料理の話が、マリーナはギルドマスターをする前に冒険者をしていた時に食べた料理の話を、ヴィヘラはベスティア帝国の料理の話を……といった具合に。

 そして料理の話になれば、当然のようにレイに話題が集まるのは当然だった。

 何故なら、うどん、肉まん……といった具合に、今まで存在しなかった様々な料理を考案した人物なのだから。

 レイ達についての情報を集めていたギメカラも、レイが料理に詳しいという話までは知らなかったらしい。

 興味深そうに……というには、やや熱心すぎる視線をレイに向けていた。

 今まで存在しなかった新しい料理というのは、ゾルゲー商会にとっても大きな商機に見えたのだろう。

 実際それは間違っておらず、ギルムではうどんを始めとするレイの考えた料理によって大きく稼いだ者も多い。

 もっとも、レイが料理を教えた者達はそれを自分達だけで独占するようなことはなく、広く情報を教えた。

 ギルムでうどんを始めとした様々な料理が爆発的に広まったのは、当然そのような事情もあるのだろう。

 もしレイがうどんを教えた満腹亭だけがその作り方を独占していれば、満腹亭は儲かっただろうが、うどんという料理がここまで広まることはなかっただろう。


「レイさん、もしよければゾルゲー商会にも何か料理を教えて貰えませんか? ギルムでやっていく以上、何か目立つものがあると助かるのですが」

「……そう言われてもな」


 うどんを始めとして、これまでにも何人か料理を教えてきたレイだったが、それでも別に料理に詳しいという訳ではない。

 実際、レイが教えたうどんや肉まんといった料理も、全ての作り方を覚えている訳ではなかったのだから。

 大雑把なイメージと、レイが覚えていた程度の作り方を説明し、実際にそれをきちんと料理として成立させたのは料理人達だ。

 レイが食べてみたいと思う料理で、大体でも作り方を覚えているようなもの……となると、非常に数が限られる。


(パスタ? いや、そもそもパスタは作り方を知らないし。小麦粉とかを使ってるんだから、うどんと同じような感じなんだろうが。ああ、特定の小麦粉を使って、初めてパスタと呼ばれる……んだったか?)


 パスタの本場イタリアでは、法律によってパスタの材料までもが決まっている。

 以前見た料理漫画でその辺りが少し出ていたことを思い出したレイだったが、肝心の材料がなんなのかは分からない以上、パスタを作れる筈もない。

 もしその辺りの話をしても、出来るのはほぼ間違いなくうどんか……もしくは、うどんに似た何かとなるだろう。


(となると、蕎麦? 蕎麦なら何となくだけど作り方は分かるし)


 日本に住んでいれば、TVや漫画で蕎麦を作る光景というのは何度も目にする機会がある。

 それこそ、うどんとどちらが多く広まっているかと言われれば、間違いなく蕎麦だろう。

 しかし……蕎麦についても致命的な欠点が幾つかある。


(蕎麦の花とか実って、見たことがないんだよな)


 レイが日本にいた時に、蕎麦を栽培している農家がいた。

 だからこそ、もし蕎麦が自生している場所があれば見て分かるという自信がある。

 だが、肝心の蕎麦がどこにも生えてない以上、蕎麦を食べるというのは無理だった。


(蕎麦自体は、蕎麦の実を粉にして、お湯があれば出来るんだろうけど。……いや、でも、纏めて麺にするのは技術がいるんだったか?)


 レイは、中学校時代に父親が貰ってきた蕎麦粉を使って年越し蕎麦を打った時のことを思い出す。

 一応麺状にはなっていたが、箸で持つとすぐに千切れてしまうそれは、とてもではないが蕎麦と呼ぶのは難しかった。

 その時の記憶から、もし蕎麦が自生していても、麺としての蕎麦を食べるのは難しいかもしれない……と、そう思う。

 勿論、レイの父親はあくまでも素人であり、エルジィンにいる料理人……ましてや、ギルムでうどんを作っている者達であれば、もしかしたらきちんと蕎麦を打つことも出来たかもしれないが。


「レイさん? どうしました?」

「ん? いや、何でもない。ちょっと教えられる料理があるかどうか考えてたんだけど……」

「おお! それで、どうですか? 何かありましたか?」

「ギメカラは知らないだろうが、俺が知っている料理ってのは師匠の下で修行をしている時に持っていた本を見て、覚えていた料理が殆どだ」


 久しぶり……本当に久しぶりに使う設定を思い出しながら、レイは言葉を続ける。


「だからこそ、そこまで料理に詳しくはない。それに、俺が料理とかを知っていても、その作り方を殆ど分からないとか、あるんだ」


 それこそ、料理として知っているものであれば、それなりに料理漫画を読んでいただけに結構知っているものがある。

 だが、料理名を知っているからといって、それを作れるかと言われれば……答えは否だ。

 そうなると、やっぱりレイが作り方を知っている料理を教える必要があるのだが、それは本当に少ない。


(米がないし、醤油もないとなると、キリタンポ鍋、ダマコ鍋とかは無理だし……海の近くならハタハタとかでしょっつる鍋とかも……いや、そもそもハタハタがいるかどうかが分からないか)


 ギメカラと話ながらも悩むが、やはりすぐに思いつくような料理はない。

 海ということで、以前海鮮お好み焼きを教えたことを思い出すが、こちらもまたそう簡単にどうにかは出来ない。


「うーん、そうですか。……では、何か思いついたら、教えて貰えますか?」

「機会があったらな」


 ここで迂闊に教えると約束してしまえば、後日色々と不味いことになるかもしれないと、レイは取りあえずそう答える。

 ギメカラもそれは分かっているのだろうが、レイの言葉に特に不満もなく頷く。


「レイさん、関所が見えてきましたよ!」


 ちょうどその時、御者からの声が響く。

 今朝アースラを出たばかりだというのに、もう関所に到着するというのはそれだけ馬車での移動は速いということなのだろう。

 実際、メジョウゴを出発した時のように全員が歩きで移動していれば、恐らく関所に到着するまでに数日は掛かっていた筈なのだから。


(敵対していたベスティア帝国との間に関所はないのに、従属国のレーブルリナ国との国境には関所があるんだよな。……いやまぁ、ベスティア帝国との間には自然の国境と呼ぶべきセレムース平原があるけど)


 夜になれば……いや、下手をすれば昼でもアンデッドが徘徊するセレムース平原は、まさに自然の国境と呼ぶべき場所だ。

 もしレーブルリナ国との間にも似たような場所があれば、もしかしたら関所の類はなかった可能性もある。


「分かった、連絡は前もっていってる筈だから、特に何か調べられたりしないで通れると思う。もし何か向こうが言ってきたら、遠慮なくこっちに回しても構わないぞ」

「はい、そうさせて貰います」


 御者はレイの言葉に頷くと、そのまま馬車の速度を少しずつ緩めていく。

 先頭を走っているレイ達の馬車が速度を緩めるのだから、当然のように他の馬車も速度を緩めていく。

 それを見ている関所の兵士達は、ただ唖然とすることしか出来ない。

 ……当然だろう。このような田舎で、まさかこれだけの馬車が纏まって移動している光景を目にするとは思えなかったのだから。

 おまけに、馬車は幌馬車もあれば箱馬車もあり、中には荷馬車もある……と、見る限り馬車の種類が違うのだ。

 それこそ、何も話が通っていなければ、レーブルリナ国が攻めてきたと考えてもおかしくないだろう。


「おい、あの馬車に乗ってるのは深紅のレイだ! 他にも色々と重要人物が乗ってるから、馬鹿な真似はするなよ! 使節団から話を聞いた通り、特に調べたりせず、そのまま通してもいい!」

「わ、分かってるよ!」


 咄嗟に兵士達に妙な真似をしないようにと叫んだのは、この関所を任されている男だ。

 このような田舎を任されているだけあって、有能な人物……という訳でもないが、同時に小なりとはいえ国境の関所を任されているだけあって、無能という訳でもない。

 指示されたことを実行出来るという点においては、問題のない人物でもある。

 その為、レイ達は特に揉めることもないまま関所を通り抜け……ミレアーナ王国に入ることに成功したのだった。

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