第1562話

 結局巨人の死体は、数匹分だけレイのミスティリングに収納された。

 もっとも、それはあくまでも巨人がどのような存在なのかを研究する為であり、ビューネが指摘したように素材や食料としてではない。

 この辺りは、レイにとっても最大限に譲歩して、そうなった。

 そうして巨人の死体が大量に残っている地下四階を後にし、レイ達は再度地下五階に向かう。

 もっとも、最初に来た時とは違って、既に地下五階に巨人の姿は一匹もない。

 全ての巨人を地下四階に誘い出し、それを倒すというレイの狙いが的中した形だ。


「……こうして見ると、あの黒水晶にも特に不思議なところはないんだけど?」


 階段から黒水晶を見ながら、ヴィヘラが呟く。

 実際、今こうして黒水晶を見ても、特に何か違和感がある訳ではない。

 その言葉通り、ただの黒い水晶にしか見えないのだ。

 だが……レイは、それが所詮見せかけのものであると知っている。

 黒水晶が何の動きもないのは、あくまでも巨人がいないからだろう。

 元々レイ達はそれが狙いで巨人達を地下四階まで引っ張っていったのだから、この状況は計算通り……ではあるのだが。


「とにかく、階段から下りるか。向こうがどんな行動を起こすか分からないから、何があってもすぐに対応出来るように注意しておいてくれ」


 もしこれが、地下五階で待ち構えているのが人間であったり、もしくはモンスターの類であったりするのであれば、どのような行動をするのか、予想出来ないこともない。

 だが、相手は黒水晶という、未知の存在なのだ。

 もし迂闊に触れて、それで先程レイが見た黒い雪が降り注いだりすれば……そう思うと、レイも迂闊にどうこう出来る筈がない。

 もっとも、その黒い雪に触れてどうなるのかというのは、レイにも分からなかったのだが。


(ドラゴンローブとかあるし、よっぽどのことじゃなきゃ大丈夫だとは思うんだけどな。ただ、それでも……出来れば遠慮したいというのが、正直なところだ)


 黒水晶を見ながらそう思うものの、だからといっていつまでもこうしていられる訳でもない。

 やがてレイは自分に気合いを入れるように息を吸うと、そのまま階段を下りていく。


「ねえ、私達はどうすればいい?」


 そんなレイの背後からマリーナが声を掛けてくるが、レイは一瞬だけ後ろを見てから口を開く。


「何があるか分からないから、一応そこから様子を見ててくれ。それで何かに気が付いたら、こっちに教えてくれればいい」

「分かった。気をつけてね」


 マリーナからそう告げられ、他の面々からも気をつけるようにと言われながら、レイは階段を下りていく。

 そうして地下五階の床を踏むと、改めて周囲を見回す。


「随分と違うな」


 それは、周囲を見たレイの素直な感想だった。

 地下四階までは、きちんと整備されており、床や壁も地上の建物と変わらないような代物となっている。

 だがこの地下五階は、それこそ地面を掘ったそのままの状態となっていたのだ。

 洞窟といった印象を受けるその光景に、当然のようにレイは疑問を抱く。

 そもそもの話、黒水晶はジャーヤにとっても非常に重要な代物の筈だった。

 その黒水晶を置く場所であれば、当然しっかりと整備されていてしかるべきだろう。


(となると、ここはこういう風にするべき理由がある……ってことか? まぁ、そうでないと色々とおかしいんだろうけど。にしても……うーん)


 疑問を抱きつつ、レイは改めて周囲を見回す。

 何かこれといったものがある訳ではなく、それこそ巨人の生き残りの一匹も存在していない。


「取りあえず……俺がやってみるしかないんだろうな」


 掘った状態のままとなっている以上、当然ながら周囲には土が剥き出しになっており、小さな石が幾つも転がっている。

 巨人が何度も行き来した為か、地面の土は完全に踏み固められているのが見て分かる。

 一体何匹の巨人がここに来たのか。

 そもそも、何故レイ達が最初にこの地下五階にやって来た時、巨人は黒水晶を中心にするようにして丸くなっていたのか。


(いや、本当に何でなんだろうな?)


 疑問を抱くレイだったが、その理由はやはり直接黒水晶を調べてみなければ分からないだろう。

 そう判断し、黒水晶に向かって少しずつ近づいていく。

 一歩ずつ近づいていくに従って、やがて黒水晶から感じられる何かが強くなっていく。

 それがどのようなものなのか、何なのか……それはレイにも分からなかったが、それでも何かがあるのは間違いない。

 そのことに気が付きながらも、レイはそのまま黒水晶との距離を縮めていく。


「ちょっと、レイ。そんなに真っ直ぐに近づいて大丈夫なの!?」


 背後からマリーナの声が聞こえてくるのだが、今の自分にはそんな言葉は何の意味もない。

 自分でも理解出来ないような感情に支配され、黒水晶に近づいていき……


「レイ、聞こえているの!? レイ! ちょっと、聞こえてる!?」


 マリーナの次に聞こえてきたのは、ヴィヘラの声。

 その声を聞きながら、レイはいよいよ黒水晶のすぐ側までやってきて……そっと手を伸ばす。


「レイ!」


 ビクリ、と。

 最後に聞こえたエレーナの声に、一瞬レイの動きが止まる。

 だが、その動きが止まった時には、既にレイの手が黒水晶に触れていた。

 瞬間……まるで何かのスイッチが入ったかのように、レイは自分がどこにいるのかが全く分からなくなった。

 いや、そもそも自分は誰なのかということすら分からなくなる。

 周囲の景色も、先程までの洞窟の如き地下室ではなく、黒一色がどこまでも広がっている光景。


(宇宙? ……いや、宇宙ってなんだ? そもそも、俺は誰だ?)


 自分が声すら出せなくなっていることに気が付かず、ただ周囲を見回す。

 数秒前までは黒水晶に触れていたということすら覚えておらず、何故自分がここにいるのかすら理解出来ない。

 そもそも、自分が誰なのかすら覚えていないという……普通であれば、到底理解出来ないような現象。

 それでいながら、レイの心は動揺したりせず、それどころか自分でも不思議な程に冷静だった。


(俺は、ここは……一体何だ? どこだ? そもそも……うん?)


 冷静に混乱するという、半ば矛盾した状態のレイだったが、ふと気が付く。

 自分の周囲にいる闇の密度が上がっていることに。

 漆黒と呼ぶのが相応しい色の闇であった以上、密度、もしくは濃度が上がっても特に大差はないだろう。

 だが、それでも何故かレイには自分の周囲にある闇がより濃くなっているのが理解出来た。


(何だ? 何が起きている? いや、そもそもこれは一体……?)


 自分が誰かも分からず、どこにいるのかも分からず、どのような状況であるかも分からない。

 そんな状況のレイに、周囲にある闇は更に濃度を増し……それこそ気体である闇があまりにも濃度が濃くなりすぎ、液体と化し……やがて、そのままレイの身体に触れると、染みこみ始める。

 それが具体的に何を意味しているのかはレイにも分からなかったが、それでも自分にとって不都合な現象であるというのは理解出来た。

 だが、それが理解出来ても、実感としてそれが危険だと理解出来ないのだ。

 その感覚のちぐはぐさにより、何をどうすればいいのか分からなくなり……


『グルルルルルルルゥ!』


 ふと、どこからともなくそんな声が空間の中に響く。

 闇に浸食されながらも、相変わらず危機感を抱くことが出来ないままに今の声がどこから聞こえてきたのかと、レイは周囲を見回す。

 だが、液体と化した闇のみが存在する空間で周囲を見回しても、そこに何があるのかを理解出来る筈もない。

 気のせいか? と思うレイだったが、再びどこからともなく声が聞こえてくる。


『レイ、何をしている! お前は私と共にあるのだろう!』


 凛とした声が、再び周囲に響き渡る。

 その声が聞こえた瞬間、再びレイは周囲を見回す。

 だが、当然のように誰かがいる様子はない。

 それこそ、何もない濃密な漆黒の空間が周囲にはあるだけだ。

 何もない。それは分かるのだが、それでもやはり今の声を聞く限りでは、周囲に何かあるような、そんな思いがする。


(何だ、俺の中にあるこれは。……暖かく、それでいて鮮烈な黄金の光。待て、暖かい? それって何だ? 黄金? それって何だ? 俺は何を考えている? 一体、何がどうなってるんだ?)


 自分の中にある何か。

 分かっている筈なのに、分からない。そんな何かに、レイはただ戸惑うことしか出来ない。

 だが、その何かが自分にとって大事な……かけがえのないものであるのは間違いなく、それでも大事とは何かということにも気が付くことは出来なかった。


『レイ、どうしたのよ? 今日は私の家でパーティをするんでしょ? その後はゆっくりと大人の夜のすごし方を教えてあげるから、楽しみにしててね』


 再び聞こえてきた声。

 しっとりとしたその声は、聞いているだけで落ち着き……それでいて落ち着かないといった相反する感情を抱かせる。

 だが、当然その感情が何なのかも全く分からず、レイに出来るのは戸惑うことだけ。

 自分の中にある感情がかけがえのないものであるというのは理解しているのだが、そのかけがえのないという想いそのものが理解出来ないのだ。


『レイ、今日の模擬戦では勝たせて貰うわよ! もし私が勝ったら、川にでも出掛けましょう。その代わり、レイが勝ったら屋台の食べ歩きに付き合ってあげるから』



 四度聞こえてきた、その声。

 精気に満ちた声は、レイの中に不思議な活力を生み出す。

 その活力というのが何なのかは分からないまま、それでいながらレイは自分の中に湧き上がってきた何かに思いを馳せる。


(これは、一体……俺は、僕は、私は……何が?)


 戸惑う思いのみがレイの中に生まれ、消えていく。

 そして消えてはまた新たに生まれ、再度消える。

 幾度、そのような行為を繰り返したのか、レイにも分からなかった。

 いや、本人は自分がしていることに気が付いてすらいない。

 完全に無意識下での行動。

 だが、それでも……欲しているということは、それがレイにとっては大事な何かだと……そう心のどこかでは理解しているのだろう。

 自分の中にある何かに引っ張られる……いや、そのような簡単ものではなく、吸い寄せられるような何か。

 それがあるというのを、レイは理解していない。してはいないのだが、それでも心のどこか……いや、無意識にそれは自分にとってかけがえのないものだと、そう理解はしているのだろう。

 本人に全く自覚はなかったが、それでもレイはそれを求め……自分の周囲にある闇がその何かに負けじとレイの中を浸食する速度を上げる。

 レイには全く自覚がなく、ただ何も言葉を発せずに周囲に存在する闇の空間を見ているだけだったが、そんなレイの中では、現在レイの中にある光と周囲にある闇が拮抗した状態で戦っていた。


(光……暖かいって、何だ? 闇? 暗いって何だ?)


 自分の中で起きている何かに気が付いているのか、いないのか。

 レイは闇の空間の中で、その場に存在しているだけだ。

 自分が立っているのか、横になっているのか、もしくは浮かんでいるのか。

 どのような状態になっているのかも分からなかったが、そんな状況の中でも混乱することはない。

 いや、そもそも混乱するという言葉すら今のレイでは理解出来ていないだろう。

 闇の中を漂うかのような感覚の中、レイはただじっと周囲の様子を眺めている。

 そんな状況で、どのくらいの時間が経ったのか……レイは時間という言葉すら全く理解出来ていなかったが、もし理解していても、自分がこの闇の空間に入ってから、一分なのか、一時間なのか、一日なのか……それとも、一ヶ月なのか、一年なのかすらわからなかっただろう。

 ただ、何をするでもなく闇の中を漂うレイ。

 その間もレイの中では光と闇の戦いが起こっていたのだが、本人にそれは全く理解出来ていなかった。

 だが……そんな状況の中、再びレイの中に声が響く。


『レイ!』


 何人もの女の声が重なり、中には『グルゥ』という声が何故かレイと呼んでいるかのような、そんな感覚さえあり……そして、自分の内側からその声が聞こえた瞬間、レイは自分が誰であるのか、そしてどのような状況にあったのかを、一瞬にして理解する。


「俺は……」


 この闇の空間の中に閉じ込められ、初めて発せられた肉声。

 そして、レイが自分の口から声を発した瞬間、そこでようやく自分の中に侵食しようとしていた闇を理解する。

 その闇を理解してからのレイの行動は早かった。


「消えろ……俺の中にいる、闇は……消えろぉっ!」


 その言葉と共に、レイから放たれたのは莫大な魔力。

 レイの使用するスキルの中でも最大の威力を持つ、炎帝の紅鎧。

 そしてスキルが発動し……次の瞬間、自らの体内にある闇、そして周囲にある闇、この闇に満ちた空間そのものが炎に燃やしつくされるのだった。

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