第1532話

 レイ達がロッシで拠点としている、銀の果実亭。

 パーニャンを大量に買ったレイ達はその宿に戻ってきたのだが……


「まさか、誰もいないとは思わなかったな」


 自分の部屋で、ベッドに寝転がりながら呟くレイ。

 こんなことなら、セトともう少し遊んでいればよかったと思うが、何となく今はそんな気分ではない。

 それに、セトも今頃厩舎で昼寝を楽しんでいるのだろうという予想も出来た。

 ……もっとも、セトが厩舎にいる為に、同じ厩舎にいる馬が緊張している様子なのはレイから見ていつもの光景だったが。

 勿論馬が緊張し続けるというのはあまり良くないことなのだが、数日も経てば大抵はセトが自分達と敵対する相手ではないということを理解するのか、馬もそこまで緊張はしない。

 あくまでも、そこまで緊張しないのであって、一切緊張しないという訳ではないのだが。

 

「イエロでもいれば一緒に遊べたんだが」


 レイ達が出掛けた時は昨日の件もあってまだ眠っていたイエロだったが、レイが帰ってきてみればその姿はどこにもない。

 エレーナが連れていったのか、それとも自分からどこかに向かったのか……その辺りはレイにも分からなかったが、誰かに強引に連れ去られたということは心配していない。

 勿論、黒竜の子供のイエロは、見る者が見れば宝の山のようにも見えるだろう。

 だが、空を飛び、鱗により強靱な防御力を誇り、更には透明になるという能力を持っているイエロを捕まえるのは相当難しい。

 それこそ、ギルムにいるような腕利きの冒険者ならともかく、このロッシにいるような者ではまず無理と言ってもいいだろう。

 結局やることのないレイは、こうしてベッドに寝転がりながら誰か帰ってくるのを待つのだった。

 そうしてベッドで横になっていれば、昨夜の件もあって寝不足のレイが睡魔に襲われて勝てる筈もなく……その意識は見る間に闇に沈んでいく。






「……っと、レイ。起きてよ。いつまで寝てるつもりなの?」

「んあ? ……んー……ん?」


 ベッドで眠っていたレイは、軽く揺すられて、そして声を掛けられて意識が目覚めていく。

 だが、レイは基本的に緊急事態でもない限り、寝起きはよくない。

 今も目を覚ましはしたが、まだ周囲の様子を確認出来ていないように、寝惚け眼で周囲を眺めていた。

 いや、本人は眺めているという意識すらないのだろう。


「あら、可愛い」


 聞き覚えのある声が聞こえてきて、それに同意するかのように色々と話をしている何人かの声。

 そのまま一分程が経ち、レイは寝惚けた状態から通常の状態になる。

 朝の寝起きでは寝惚けた状態から抜け出すのに五分程掛かるのだが、今回一分程度で済んだのは……あくまで昼寝であり、夜寝る時のように熟睡していた訳ではないからだろう。


「ん? ……戻ってきたのか」


 ようやく通常の状態に戻ったレイは、自分の部屋にいるエレーナ、マリーナ、ヴィヘラ、ビューネ、それとイエロを一瞥すると、窓の外に視線を向ける。

 レイが銀の果実亭に戻ってきた時は、まだ夜と呼ぶにはまだ早い時間だった。

 道を歩く者達は、夏の日差しに耐えながら、汗を掻きつつ歩いていたのを見た覚えがある。

 だが、レイが今見ている窓の外は、既に赤い夕焼けに染まっていた。

 それこそ、まるで火事でも起きているのではないかと思える程に空一面が赤く染まっている夕焼け。

 自分が一時間程度ではなく数時間くらい寝ていたのだと理解すると、少し照れたように笑みを浮かべる。

 そんなレイの笑みに、エレーナ達も仕方がないなといった笑みを浮かべていた。

 そうして、どこか暖かい雰囲気の時間が数分程すぎていき……やがて気を取り直したように、レイが口を開く。


「それで、お前達はどこに行ってたんだ?」

「情報収集よ。……もっとも、特に何か重要な情報を手に入れるといったことは出来なかったけど」

「あー……なるほど」


 ジャーヤについての情報は、ウンチュウからの情報も含めてそれなりに揃ってはいる。

 だが、それでも出来るだけ多くの情報を得たいと思うのは、レイ達の立場を考えれば当然だろう。

 もっとも、ヴィヘラが口にした通り、何か重要な情報を得たということはなかったようだが。

 寧ろ、エレーナ達にとっては虫除けの苦労の方が多かったらしく、エレーナはうんざりとした様子で口を開く。


「全く、自分のやるべき仕事をせず、ああして私達にちょっかいを出してくるとは……弛んでいる」


 不服そうに呟くエレーナの声を聞きながら、レイは何があったのかを大体予想することが出来た。

 そもそもの話、エレーナ達のような美女がいるのであれば、それを口説きたいと思う者が出てもおかしくはないだろう。

 もっとも、エレーナ達程の美女となれば、普通なら気後れしてもおかしくはない。

 ましてや、同レベルの美女が三人も纏まって――そこにプラスして、美少女と呼んでもおかしくないビューネも――いるのだから。

 だが、そのような状況であっても男を血迷わせる辺り、三人とも魔性の美貌と表現するのが相応しいのでは?

 ふとそんなことを考えたレイだったが、それを口にすると色々と不味い事態になりそうなので、口を噤む。

 その後、色々と話をしつつ、やがてレイの偵察してきたメジョウゴについての話となる。


「それで? 地下施設に続く場所はあったの?」

「ああ、それらしい場所はあった。ただ、地上から地下施設に続く階段があるだろう場所に向かうのは、かなり厳しいだろうな。幾つもの防御施設っぽいのが用意されていた」

「ジャーヤも、その辺りは警戒してるんでしょうね。……ただ、今回は運が悪かったとしか言えないけど」


 その言葉に、レイは頷く。

 地上を進むのではなく、空から直接地下施設に続いている建物の前に降りることが出来るのだ。

 幾ら地上の防御施設を充実させても、空から襲撃されればどうすることも出来ない。

 そういう意味で、運が悪いというマリーナの言葉は間違っていなかった。


「けど、レジスタンスと協力するんでしょう? だとすれば、地上の施設もどうにかする必要があるんじゃない?」

「あー……協力するのはどういう風に協力するのかってのも問題はあるんだろうな。その辺りもなるべく早めに決めたいところなんだけど」


 レイ達にとっては、出来るだけ早くジャーヤに対する落とし前やケジメといったものをつけて、ギルムに戻りたいという思いがある。

 そしてレジスタンス達にとっては、自分達がずっとジャーヤと戦ってきたのに、そこでレイ達のようなぽっと出の奴にジャーヤを横取りされたくないという思いがある。

 特にレイ達は、個人で数十人、数百人……下手をすれば数千人すら相手に出来るような実力を持っている。

 勿論それぞれの戦闘スタイルにもよるのだが、類い希なる腕利きだというのは間違いなかった。

 そのような者達である以上、本格的にジャーヤと敵対すれば、どうなるのか。

 レジスタンスにもそれが分かるだけに、レイ達だけに任せておく……という訳にはいかなかった。

 もっとも、実際にはレジスタンスは少し前にジャーヤに……そしてこの国の上層部の手の者によって、戦力的に大きなダメージを受けている。

 そうである以上、レイ達の戦力は喉から手が出る程に欲しいのだが、生憎とレイ達はその辺りの事情については殆ど知らない。


「取りあえず……食事でもする? ビューネもお腹が減ってるみたいだし」

「ん」


 ヴィヘラの言葉に、ビューネは短く返事をする。

 そんなビューネの言葉に、他の面々も空腹を思い出したのか異論は出ない。

 一応レイは昼寝をする前にパーニャンを食べているのだが、腹の中にあったパーニャンはレイが寝ている間に完全に消化されてしまったらしく、少しの空腹を感じる。


「そうだな。じゃあ、そうするか。ここの料理は中々だし」

「当然だろう。この銀の果実亭は、ロッシの中でも屈指の高級宿なのだ。これで出される料理が不味いとなれば、不満を口にする者が幾らでも出てくる」


 エレーナの言葉に同意しながら、レイ達は一階にある食堂に向かうのだった。






「あー……まぁ、予想はしてたけどな。せめてもの救いは、この食堂は泊まり客しか使えないってことか」


 食堂にレイ達が入ってきたのを見ると、自然と客達の視線はレイ達に向けられる。

 いや、正確にはエレーナ、マリーナ、ヴィヘラの三人というのが正しい。

 ビューネに視線を向けている者もいたが……それはほんの少数だ。

 イエロに視線を向けている者は殆どおらず、レイにいたっては皆無だった。

 もっとも、それはレイがドラゴンローブのフードを被っているからであって、もしそれを脱げばレイにもある程度の視線が集まるのは間違いなかったが。

 ともあれ、食堂にいる者達の視線を気にした様子もなく、レイ達は空いているテーブルに座り、夕食を適当に注文する。

 銀の果実亭はロッシの中でも高級な宿の一つで、当然のようにそこに泊まっている者は相応の金銭的な余裕を持っている者が多い。

 つまり、女欲しさに絡んでくるような相手は皆無……という訳ではないが、それでも酒場よりは大分数が少ない筈だった。

 そうして注目されつつ、運ばれてきた食事を食べていく。

 幾つか特徴的な料理はあったが、基本的にはミレアーナ王国で食べる料理とそう変わりはない。

 当然だろう。レーブルリナ国にはミレアーナ王国からの文化が多く流れ込んでいる。

 そして文化の中には当然のように料理や食材、調味料といった諸々も入っていた。

 勿論全てがミレアーナ王国の真似をしているのではなく、この国独自で進化した料理もある。

 それこそ、レイが気に入ったパーニャンはその典型だろう。

 それに、馴染みのある食事だからこそレイ達は食べられないといったことはなく、どの料理も安心して食べられるという一面もある。


(日本にいた時、どこかの外国に行って料理が全く口に合わなかったけど、ファーストフード店のハンバーガーは食べられた……とか何とか見たか聞いたかした記憶があるけど、そんな感じか?)


 羊の串焼きを食べながらそんなことを考えていると、レイは自分達のテーブルに近づいてくる相手がいることに気が付いた。

 一瞬また面倒なことになると思ったレイだったが、近づいてきた男の顔を……正確にはその表情を見て、不思議そうな表情を浮かべる。

 二十歳半ば程で、体格もいい。戦士として何らかの訓練を受けているのは確実な男。

 いや、それだけであればレイもそこまで気にはならなかっただろう。

 戦士として鍛えられているからといって、性格が悪い男というのは幾らでもいる。

 だが、現在レイ達の座っているテーブルに近づいてきている男は、とてもそのような……エレーナ達を自分の物にしようと考えているような、下卑た表情を浮かべていなかった。

 勿論世の中には表情を取り繕って自分がどれだけ下卑た性格をしているのかを隠せる者もいる。

 だが、レイ達が座っているテーブルに近づいてきている男は、そのような相手ではないと、どこか納得出来た。


「失礼、もしよければ一緒に食事をしても構わないだろうか?」


 だからだろう。普段であれば、間違いなく断っているそんな提案にレイが頷いたのは。

 エレーナを始めとした他の面々も、そんな男の言葉に頷きを返す。

 唯一、自分の食べる料理が少なくなると警戒したビューネだけは若干不満そうな雰囲気を浮かべるが、その不満が表情に出るようなことはなかった。

 そんな一行の様子を見ると、男は小さく頭を下げて席に着く。

 周囲で今の様子を見ていた者達は、言い寄ってもどうせ断られるだろうと思っていただけに、多くの者が驚愕の表情を浮かべていた。


「取りあえず、適当に持ってきて欲しい」


 そうして男は、店員に銀貨を数枚渡すとそう告げる。

 チップとして一枚銀貨を渡されると、店員は嬉しそうにしながら厨房に去っていく。

 その様子を見て、このような場所でのやり取りに慣れている……とレイを含めた者達は考える。

 もっとも、銀の果実亭に泊まっている客なのだから、今のようなやり取りに慣れているのは当然なのだろうが。

 そんな男の態度を見て、既にレイはこの男が誰の手の者なのか……大体の予想は出来ていた。

 もっとも、その候補は幾つかあるので、最後までは絞り切れていなかったが。

 一番可能性が高いのは、やはりジャーヤだろう。

 ここがホームグラウンドのジャーヤにとっては、レイが昨日メジョウゴに行ったという情報を入手してもおかしくない。

 その場合は、レイとの顔繋ぎが目的だと思われた。

 次に、今日レイが助けたリュータスの使者。

 リュータスが何か訳ありの人物だというのは、リュータスを助けに来た者の気配を察知していたレイには理解出来る。

 今日助けた礼として、家に招待するくらいのことはやってもおかしくはない。

 そして……最後の一つが……


「ウンチュウさんからの紹介で来ました」


 男はそう告げ、レイは最後の予想が当たっていたと理解するのだった。

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