第1520話
詰め所の側でレイが送り出したイエロを待っていると、その間にも大勢の者達がレイの視線の先……詰め所の前を通って歩いて行く。
娼婦と客の二人だけというのもあれば、両腕に娼婦を抱きつかせた男もおり、中には娼婦を連れた女という珍しい二人組もいた。
一瞬娼婦同士が何かの理由で一緒に歩いているのでは? とも思ったが、二人の女の間に流れている雰囲気は、甘く親密なものなのがレイからでも見て取れた。
そうである以上、それは同性愛者なのだろうという思いで、レイは二人の間で交わされる甘いやり取りを強制的に聞かされることになる。
何故なら、娼婦を連れた女が愛を囁いているのはレイが隠れている路地裏のすぐ側なのだから。
(そういうのは別の場所でやって欲しい……いや、そもそも路地裏に俺が隠れているのがおかしいんだろうけど。元々ここはそういう街なんだし)
娼婦の女と共に去っていった女を見送ると、レイは隠れているのが見つからなかったことに安堵しつつ、視線を詰め所の方に向け……やがて、窓から小さな何かが飛び出したのを見てとる。
その何かというのが、見覚えのある存在であるのを知ると、女の客と娼婦が自分の近くからいなくなった時よりも数段深い安堵を感じた。
「ふぅ……無事に戻ってきてくれたか」
「キュ!」
レイの呟きに、空を飛んできたイエロが鳴いて答える。
伸ばしたレイの手に無事着地したイエロは、そのままレイのドラゴンローブの中に入り込む。
……その様子が嬉しそうなのは、レイの役に、そして主人のエレーナの役に立ったということもあるが、同時にドラゴンローブの中に入れるということもあるのだろう。
ドラゴンローブの中は、快適にすごせるように気温が保たれている。
イエロは子供でも黒竜という、この世界では有数の力を持つ種族だ。
それでも、やはりまだ子供である為に夏の暑さは気持ちのいいものではないのだろう。
動けないのは少し不満だったが、それでもレイのドラゴンローブの中であれば快適な時間をすごすことが出来るのだ。
「あー……うん。イエロはそのままでいてくれ。後は、何か見ておいた方がいいのは……なんだろうな」
レイは路地裏から見える周囲の景色を眺めながら、そう呟く。
メジョウゴがもう少し狭い場所であれば、どこを調べればいいのかというのも何となく理解出来るのだが、残念ながらこのメジョウゴの広さを思えば、そう簡単にどこを探せばいいのかというのは分からない。
「取りあえず、もう少し歩いてみるか。ロッシに戻る馬車が出るまで、まだ時間はあるし」
「キュウ!」
レイのドラゴンローブの中で、イエロが賛成と短く鳴く。
人がいる場所で鳴かれるのは困るのだが、今この場なら問題ないだろうと、レイはドラゴンローブの上からそっとイエロのいる場所を撫でる。
その感触を気に入ったのか、それとも人目につかないようにという配慮からか……それ以上はイエロも黙り込む。
そうしてレイは路地裏から出て、通りを進み始めた。
その際に詰め所の近くを通ったが、詰め所の前で立っている男は特にレイを気にした様子はない。
(うん? さっきのオーク似の女に、俺のことを言ってたと思うんだけど……何も反応がないのは、何でだ? いや、フードを被ってるからか? まぁ、背が低い奴はそれなりにいるから、分からなくてもしょうがないけど)
取りあえず余計な騒動が起きないというのは、レイにとっても幸運なことだったので、特に自分から何かちょっかいを出すような真似はせず、詰め所から離れていく。
(この大きさの街なんだし、詰め所の数も一つや二つじゃないんだろうけど……その全部にイエロを行かせるのも、ちょっとな。それに、そこまで時間的な余裕もないだろうし)
これからどうするべきかを迷いながら道を歩いていたレイだったが、当然のようにそんなレイを誘ってくる声も多い。
レイを見て娼婦だと思う者はおらず、そうである以上客だと、そのような認識なのだろう。
だが、レイはその誘いの言葉には当然乗るようなことはせず、道を歩いて周囲の様子を確認していく。
より正確には、このメジョウゴという歓楽街がどのような構造なのかを。
(しっかりとそれを調べるのなら、それこそセトに乗って上から調べればいいだけなんだけどな。……明日にでもセトに乗って昼間に来てみるか? 結界の類があるのかどうかは分からないけど……いや、あるか?)
結界を張るのも、当然のように無償という訳ではない。
起点となるマジックアイテムだったり、魔法陣だったり、珍しいところではモンスターを生かしておき、その生命力を原動力としたり……そのように、結界を張るにも色々と金が掛かる。
そうである以上、レーブルリナ国のような小国が全ての街や村に結界を張れる訳もない。
そもそも、レーブルリナ国の宗主国のミレアーナ王国ですら全ての村や街に結界を張ることが出来ていないのを思えば、結界を張るのに必要な費用がどのくらいなのかが理解出来るだろう。
(まぁ、メジョウゴはジャーヤの直接の支配下にある街だ。だとすれば、結界を張ることが出来る可能性は十分にある。そもそも、ジャーヤはマジックアイテムを大量に持ってるらしいし、結界を張れてもおかしくはない、か)
そんな風に考えながら通りを進んでいたレイだったが、ふと、その足を止めて路地裏に視線を向ける。
同時に、ドラゴンローブの中にいるイエロも、レイの注意を引くべく軽く引っ掻いてきた。
そんなイエロに、分かっているとドラゴンローブの上から軽く撫でると、周囲の様子をさりげなく見回し、自分を見ている者の姿がないことを確認してから、路地裏に入っていく。
レイが入っていった路地裏は、一見すると特に何かがあるようには見えない。……そう、一見すれば、だ。
だが、レイはそこから人の気配を感じ取っていた。
それも、酷く怯えており、神経がささくれ立っている……そんな人の気配を。
それこそ、まるで雨に濡れて心細がっている、それでいて強がっている子猫という印象を受けながら路地裏を進むと、やがて路地裏の通路は行き止まりとなっている。
丁度店と店の隙間を縫う形で存在しており……だが、その行き止まりとなっている場所の壁には小さな穴が存在していた。
そして、気配が感じられるのはその穴の向こう。
「誰かいるのか?」
レンの仮面を被るのを忘れ、そう尋ねるレイの言葉に、壁の向こう側にいる人物が緊張したのが理解出来た。
「出てきてくれ。別に危害を加えるつもりはない。良かったら、話を聞かせて欲しい」
レイがそう告げたのは、もしかしたら壁の向こうにいる人物は何かこのメジョウゴについての秘密を知っているのではないかと、そう思えたからだ。
そんなに都合良くいくとは思っていないが、それでも現状では何の手掛かりもない以上、何か手掛かりになりそうなものがあるのなら、食いつく他はなかった。
レイが穴の向こう側に声を掛けるも、返事はない。
だが、間違いなくそこに誰かがいるというのは気配で理解出来た。
(さて、どうするか。……こんな場所に隠れているってことは、間違いなく何らかの訳あり。……訳あり、訳ありか)
何かの理由があってここに隠れているのであれば、当然のように向こう側にいる相手は食料や飲み物を手に入れるにも困っている筈だった。
勿論、向こうが食料や水をどれだけ欲するのかというのは、穴の先にいる人物がいつから隠れているかにもよるだろう。
極端な話、数時間前からその穴の先に隠れているのであれば、それこそまだ腹も減ってないし喉も渇いていないということになる。
だが、一日、二日……もしくはもっと前から隠れているのであれば、限界に近くなっている可能性は十分にある。
(さて、どう出る?)
そう思いながら、レイはミスティリングの中からパンを一つ取り出す。
サンドイッチのような、何か挟まれているパンではなく、普通の白パン。
ただ、美味いパンを焼くと評判のパン屋で焼きたてを買ったものなので、路地裏には相応しくないような焼きたてのパンの香りが周囲に漂う。
その香りは、空腹を耐えている者にとって、下手な料理よりも食欲を刺激する香りだろう。
事実、穴の向こう側で誰かが動く気配がレイには感じ取れたのだから。
上手くいったか?
そう思いつつ、レイは口を開く。
「ほら、腹が減ってないか? 今なら、焼きたてのパンの他にも干し肉とかスープとかをつけてもいいぞ。……ああ、言うまでもなく俺は別にこのメジョウゴの……ジャーヤの人間じゃない。いや、どちらかと言えばそのジャーヤと敵対している側だ」
このメジョウゴでジャーヤと敵対していると明確に言葉にするのは、かなりの危険を伴う。
だが、壁の先にいる人物の信頼を得る為には、レイも多少なりとも危険を冒す必要があった。
そして……数十秒の沈黙が周囲に満ちる。
その沈黙はあくまでもレイがいる場所だけであって、通りの方からは女の歓声や嬌声といった声、そして男の雄叫びのような声といったものが聞こえてくる。
聞こえてくる声に耳を傾けつつ、壁の穴に目を向けていたレイは……やがて、穴の先で誰かが動く気配を察知した。
やがて、周囲を警戒したように一人の女が壁の穴から顔を出す。
勿論何か危険があれば、すぐに逃げ出せるようにという様子ではあったのだが、そこにいるのが本当にレイだけだと知ると、少しだけ安堵の息を吐く。
恐らく数日程の時間、ここに隠れていたのだろう。
顔は汚れており、着ている服も娼婦が着るような肌の露出が多い物だが、こちらも同様に泥を始めとした汚れがついている。
年齢は十代後半から、二十代前半といったところか。
決して目を奪われるような美人という訳ではないが、それでも娼婦としてやっていくのであればある程度は固定客がつくだろうと思える程度には顔立ちが整っている。
だが、その整っている顔立ちの女も、現在は強い猜疑心に襲われ、レイを牽制するかのように見つめて……いや、睨み付けていた。
取りあえず自分を疑っているその態度を解消するべく、レイは持っていたパンを差し出す。
レイの手が握っているパンから漂ってくる香ばしい香りに、女の腹は強烈な自己主張の声を上げる。
「っ!?」
周囲に沈黙が漂っていたからこそ、その音を誤魔化すことは出来なかった。
女もこの場所に隠れてはいても、まだその辺りを気にする余裕はあったのだろう。羞恥に頬を赤く染めながら、レイを睨み付ける。
そんな女に対し、レイは特に気にした様子もないまま焼きたてのパンを渡す。
別に腹の音が鳴ったからといって、レイはそれを特に気にしたりはしない。
勿論場合にもよるだろうが、少なくてもこのような穴に隠れ、ろくに食事も出来なかっただろう女の腹が鳴っても、それは当然だろうという認識しかない。
女もレイの様子を見て少しは安心したのか、レイの手の中にあるパンを受け取ると、そのまま急いで口に運ぶ。
食べるのではなく、貪るという表現が正しいような食べ方を見せる女に、レイは続けてスープを渡す。
皿に入れられた野菜スープを、女はスプーンも使わずに直接口に運んで飲んでいく。
(絶食の後に急に食べるのは身体によくないらしいけど……この様子なら大丈夫なのか?)
少しだけ女の様子が心配になったレイだったが、これだけ勢いよく食っているのだから問題はないのだろうと、そう判断して新たなパンを渡そうとし……女の頭から耳が生えているのに気が付く。
かなり小さいが犬の耳で、恐らく普段であれば髪の毛で隠されているのだろう。
(犬の獣人か。それとも狼か?)
正直なところ、犬の獣人も狼の獣人も、レイにはあまり見分けがつかない。
どちらの獣人なのかというのを間違えば、恐らく向こうの態度は硬化する。
そう判断し、取りあえず何の獣人なのかというのは明確にせず、端的に事実だけを口にする。
「獣人か」
「っ!?」
レイの呟きが聞こえたのだろう。女は慌てたように、髪の中にある自分の耳を隠そうとする。
だが、レイはそんな女に気にせず、再度ミスティリングから取り出した焼きたてのパンを渡す。
「別に隠すことはないだろ? この国だって、獣人差別をしているって訳じゃないんだし」
獣人を差別し、奴隷として扱っている国もあるというのはレイも知っているが、少なくてもこのレーブルリナ国、そしてミレアーナ王国の従属国においては、それを禁止している。
勿論色々な性格の者がいる以上、獣人に嫌悪感を持っている者が皆無という訳ではないのだが。
そんなレイの態度に、女は少し安心した様子を見せ……その隙を突くかのように、レイは口を開く。
「さて、じゃあ色々と話を聞かせて貰えるか?」
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