第1500話
イルゼの仇討ちが終わった日から、数日……その日の朝は、いつもより少し早かったが、レイ一行はギルムの正門前にやって来ていた。
いつもであれば面会を求めてくる相手が面倒だという理由でマリーナの家から外に出ないエレーナやアーラの姿もそこにはある。
「皆さん、ありがとうございました」
そう言い、深々と頭を下げるのはイルゼだ。
そんなイルゼに、アーラは心配そうに声を掛ける。
「イルゼ、本当に行くの? もし良かったら、エレーナ様の護衛騎士団にも推薦出来るけど……」
「いえ、止めておくわ。今の私はとてもではないけど、騎士団に入れる力はないし……何より、自分が本当に何をやりたいのかを、しっかりと考えてみたいのよ」
笑みを浮かべて、イルゼはそう告げる。
数日前の、アジャスを自分の手で討った翌日と比べれば、随分と元気になっていた。
もしこの数日をイルゼだけですごしていれば、ここまで元気にはなっていなかっただろう。
それがここまで元気になったのは、やはり心を許せる友人……アーラの存在が大きかった。
イルゼが一方的にアーラに対して友情を感じているのではなく、アーラもまたイルゼとの時間を大事に思っている。
それだけに、友人と一緒の時をすごしたいとエレーナの護衛騎士団に誘いもした。
アーラの立場は護衛騎士団の騎士団長なだけに、新人を一人騎士団に推薦するのは難しい話ではない。
勿論それはコネによる入団となるが、エルジィンでは特に珍しいことではない。
だが、イルゼはそんなアーラの誘いを断った。
自分が本当に何をしたいのか、それをきちんと見定めたいと。
そうして、イルゼは自分のやりたいことを求めて、ギルムを出ることにしたのだろう。
「気をつけてな。せっかく仇を討ったのだ。その途中でお前が盗賊やモンスターにやられたのでは、笑い話にもならん。アーラも折角出来た友人を失うのは残念だ」
アーラとの言葉を交わしたイルゼに、エレーナも声を掛ける。
最初のうちは姫将軍の異名を持つエレーナと正面から話すのは少し躊躇っていたイルゼだったが、同じ家で何日も暮らしていたこともあり、徐々にではあるが打ち解けていった。
今回の一件の原因となったと言ってもいいイルゼだけに、裏社会からの報復があるかもしれないとして、以前泊まっていた宿は早いうちに引き払っている。
……メランと一緒だった宿だけに、イルゼにはそれを躊躇う様子は一切なかった。
別に宿そのものが悪かった訳ではないのだが、やはりメランがいたというのが最大の悪印象だったのだろう。
もっとも、それで宿が困るというようなことはない。
メランが死んだというのは警備隊から連絡が来て、既に部屋にあった荷物は売り払われて別の客が入っている。
イルゼが泊まっていた部屋も、イルゼが宿を引き払ったその日にはもう別の客が泊まっていた。
増築工事に関する仕事を求め、未だにギルムは多くの者達が集まってきている。
そのような者達にとって、宿で眠れるというのは非常に幸運なことなのだ。
宿の不足により、ギルム内にも関わらず野宿をする者が多く、その辺りも少し前までは問題になっていた。
今は、工事現場の近くに大きめの小屋を幾つか作り、泊まる場所がない者はそこで眠ることになっている。
だが、当然そのような場所では宿のような快適な夜をすごすという訳にもいかず、大勢が床の上に直接雑魚寝となる。
毛布の類も自分で用意せねばならず、食事やら何やらも当然自前だ。
何より、自分の私物を他人に盗まれる可能性を考えれば、非常にリスクが高い寝床だろう。
しかし、そのような場所でもないよりはいいと、今では多くの者がそこを使ってすらいた。
そのような場所で寝るのに比べれば、イルゼが泊まっていた宿はまさに天国と言ってもいい。
「ありがとうございます。……他の方々も、私の仇討ちに協力してくれて、ありがとうございました」
「おーい、イルゼさん! そろそろ出発するから、準備よろしくー!」
少し離れた場所で護衛の冒険者と色々打ち合わせをしていた商人の男が、イルゼに向かって手を振る。
ギルムから出るのであれば、当然のように一人という訳にはいかない。
いや、一定以上の技量がある冒険者なら今なら一人でギルムの外を移動するのは難しくはなかった。
増築工事の影響で多くの者がギルムにやって来たり、出て行ったりしているので、街道付近にいるモンスターはその多くが既に倒されている。
……それでいながら、完全に倒したと言い切ることが出来ないのは、毎晩のようにどこからともなくモンスターが集まってきて、兵力の補充のような形になっているからだ。
勿論やってくるモンスターはその多くが低ランクモンスター……それこそゴブリンやコボルトのようなものが多いが、中には高ランクモンスターもいる。
だからこそ、一人で動けるようにはなっているが、ソロの冒険者が高ランクモンスターと遭遇するようなことがあれば、死は免れないだろう。
一定以上の技量を持つ冒険者ですらそうなのだから、冒険者になってから戦闘らしい戦闘は殆ど経験していないイルゼがそのような場所を一人で移動するのは危険すぎた。
そこでアーラが友人の為にエレーナに頼み、エレーナはダスカーに今回の事情を説明するついでに、良心的な商人を紹介して貰ったのだ。
もっとも戦闘の経験がないイルゼだけに、護衛として雇われるようなことは出来ず客人という扱いだったが。
商人の方も、ダスカーに厄介な相手を押しつけられた……と思うものの、イルゼの一件でダスカーとの間にそれなりに縁が出来たのだから、悪いことではない。
「はい、分かりました! すぐに行きます」
イルゼは商人にそう言葉を返し……最後に再度レイ達に向かって深々と頭を下げると、その場を去る。
振り返る際、一瞬だけ友人のアーラと視線を交わしたが、生きていればまた会えると自分を納得させていた。
それはアーラも同じで、去っていくイルゼに軽く手を振って、少し寂しそうなままではあったが、友人との別れを終える。
そうしてイルゼを馬車に乗せた商人は、レイ達に向かって一礼すると馬車を出発させた。
その馬車を守る冒険者達も、自分達が護衛するのがレイの知り合いだと知って若干緊張している。
間違ってもレイの知り合いに怪我をさせる訳にはいかないと、そう考えているのだろう。
もしイルゼが護衛の冒険者として商人と行動を共にしているのであれば話は別だったが、今回は純粋に客人という扱いだ。
それだけに、緊張しているのだろう。
(イルゼに怪我をさせた場合に怒るのは、寧ろ俺より友達のアーラだと思うけど)
レイもイルゼに対して色々と手伝いはしたが、そこまで親しみを感じている訳ではない。
イルゼに対して強い親しみを感じているのは、やはりアーラだろう。
また、アーラの主で、日中はマリーナの家に閉じこもっているエレーナも、自然とイルゼと話すことは多くなり、それなりに親しみを感じている。
「行ってしまったな」
馬車が正門の向こう側に向かったのを見て、エレーナが呟く。
その言葉にアーラが残念そうに頷く。
最後は笑顔でイルゼを見送ったアーラだったが、やはり友人と別れるというのは残念だったのだろう。
元々アーラの性格は、そう簡単に友人を作れるようなものではない。
あくまでもアーラの最優先はエレーナなので、それも当然だろうが。
それだけに、イルゼはアーラにとって得がたい友人なのは間違いなかった。
そんな友人と別れたのだから、アーラが寂しがるのも当然だろう。
「そうですね。でも……生きてれば、また会えるでしょうし。それに、そのうちイルゼの気が変わって護衛騎士団に入ってくれるかもしれません」
そう言うアーラだったが、エレーナの護衛騎士団は基本的に精鋭揃いだ。
戦闘技量のない今のイルゼでは、もし護衛騎士団に入団しても、戦闘要員としては考えられないだろう。
よくて事務処理要員といったところか。
もっとも、護衛騎士団にはその手の人材が不足しているので、丁度いいのかもしれないが。
「そうね。生きていればまた会えると思うわ」
そうアーラに告げたのは、ダークエルフとして長年生きてきたマリーナだ。
その長い経験の中で、何人もの友人と出会っては別れとしてきただけにマリーナの言葉には強い説得力があった。
「取りあえずイルゼの見送りは終わったし……そろそろ仕事に行った方がいいかしら。エレーナとアーラもこのままここにいれば、色々と面倒なことになるわよ? 早くマリーナの家に戻った方がいいんじゃない?」
アーラやエレーナ程にイルゼに対して思うところのないヴィヘラは、そう言って皆を促す。
実際、門の前を通る者達は既にそれなりの人数になっている。
元々門が開いてからそれ程時間が経っていないということもあり、ギルムに入ってきたり、出ていったりする者は多い。
普段でもそうなのだから、ギルムの増築工事が行われている今はその人数は更に多い。
そんな中でレイ達のように有名人がいれば、それを一目見ようと思う者が出てくるのは当然だろうし、何よりそんなレイ達とお近づきになりたいと考える者がいるのも当然だろう。
特に今は、輝ける美貌を持つ姫将軍のエレーナもいるのだ。
貴族派の象徴とも呼べる人物と面識を得る機会は、そうそうない。
それだけに、多くの者が話し掛ける機会を窺っていた。
……それでも、見送りという用事が済むまで話し掛けるのを待つという程度の分別はついたようだが。
しかし、イルゼの見送りも終わってしまった今、エレーナ達に話し掛ける機会を窺っている者達がいつ行動にでてもおかしくはなかった。そして……
「あらん、そこにいるのはレイちゃんじゃない? それにヴィヘラちゃん達も……久しぶりねん」
不意に、そんな声を掛けられる。
周囲で機会を窺い、他の者達を牽制していた者達は、そんな声に先を越されたと、レイ達に話し掛けた相手を鋭い視線で睨もうとするが……その人物の姿を見た瞬間、驚愕で目を見開くことになる。
何故なら、その人物は筋骨隆々の大男で……なのに、何故か薄く化粧をしていたからだ。
とてもではないが、好んで話し掛けるような相手ではない。
その人物を初めて見た者達は、レイ達がその男を即座に排除するなり、無視するなりするのではないかと考える。
だが、その人物が誰なのかを知っている者達は、苦々しげな表情を浮かべた。
そんな表情を浮かべている者の周囲にいる者達は、何故? と疑問を抱く。
しかしその疑問は、次の瞬間解決する。
「よお、ビストル。久しぶりだな」
「そうねん。以前は助けてくれてありがと。おかげで、こうしてまたギルムに来ることが出来たわん」
そう言いながら片目を閉じる男に、周囲の者達はうわぁ……といった表情を浮かべる。
女装した男や、男装した女というのは、珍しいが皆無という訳ではない。
だが、この男のような存在は非常に珍しかった。
「レイ、知り合いか?」
普通なら引かれてもおかしくはないビストルの容姿だったが、エレーナは特に気にした様子もなく、平然とレイに尋ねる。
それがどれだけおかしなことなのかというのは、それこそエレーナの隣にいるアーラが驚愕の表情を浮かべているのを見れば、誰にでも理解出来た。
(まぁ、友人との別れを経験した直後にビストルみたいな相手を間近で見たんだ。こうなるのも不思議じゃないかもしれないけど)
アーラの様子を見てそう考えつつ、レイはエレーナに向かって頷きを返す。
「ああ。ちょっと前に知り合った相手だよ」
「あらん、こっちの美人は……美人は……え? もしかして……」
エレーナの姿を見て、その人物が誰なのかを理解したのだろう。
ビストルであっても、その人物が何故ここにいるのかと驚愕の表情を浮かべる。
「ああ、ビストルの予想通りだろうな」
「……あらまぁ」
百戦錬磨のビストルであっても、エレーナと遭遇するというのは予想外だったのだろう。
驚愕に目を見開きながら、エレーナの美貌を眺める。
「ビストルさん、そろそろ行きませんか!?」
驚愕しているビストルに声を掛けたのは、レイにも見覚えのある人物だった。
以前ビストルと関わった件で、何度か顔を見たことのある人物だ。
向こうもレイ達には気が付き、感謝の念を込めて深々と一礼する。
「あ、あら。そうね。ちょっと急いでいるのよ。……また時間を作るから、一緒に食事でもしましょ」
「あー……そうだな」
レイはビストルに向かって頷き、ふとレイは気が向いて口を開く。
「レーブルリナ国って知ってるか?」
「え? ええ、この国の従属国の一つでしょ?」
「……そうか」
その言葉に、レイは後でビストルと会った時にその話を聞くことを決意する。
アジャスが……そしてアジャスの所属していた組織が何を考えているのか。
それが、どうしても気になっていたからだ。
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