第1488話

「裏が取れました。どうやら、アジャス達は今夜取引を終えた後、そのまますぐにギルムを出発するようです」

「……だろうな」


 部屋に入ってきたダールの言葉は、レイにとってそれ程意外なことではなかった。

 そもそも、イルゼはともかくレイにも目を付けられてしまったのだ。

 その状況でギルムに残るような真似をする筈がない。


(まぁ、何らかの強大な後ろ盾があれば、話は別だったかもしれないけどな。残念なことに……そして俺達にとっては幸いなことに、向こうはそんな後ろ盾を持っていない)


 そのように安堵しながら、レイは座っていた椅子から立ち上がる。

 それに続くように、他の面々も立ち上がった。

 先程まで眠っていたビューネも、既にヴィヘラに起こされてしっかりと準備は万端だった。

 そうしてダールに案内されるように酒場を出る。

 もっとも、酒場から出るのは表からではなく裏からだが。


(なら、ここに入る時も別に裏からやってきてもよかったんじゃないか?)


 ふとそんなことを思うレイだったが、まぁ、何かの都合なのだろうとそれ以上は気にしない。

 そうしてレイ達が酒場から外に出ると、それを待っていたかのようにセトが近づいてくる。

 それだけであれば、いつものことと特に気にした様子もレイにはなかっただろう。

 だが、そんなセトの横に見覚えのある二人と一匹がいるとなれば、話は別だった。


「……おい、なんでいる?」


 そう声を掛けられた人物……エレーナは、月明かりを反射して煌めく黄金の髪を掻き上げながら、笑みを浮かべて口を開く。


「何、レイが危険なのだろう? であれば、私が協力しても何もおかしくないと思うが?」

「いや、そもそも何故マリーナの家にいたエレーナ達がここにいるかってのを聞きたいんだが。それと、別に俺に危険は迫ってないぞ」


 そう言いながらも、レイは何となく今回の件を企んだ相手が誰なのかが理解出来た。


「マリーナ、何か俺に言いたいことは?」


 そう、今回の件を行えるのは、万能性という意味ではレイを上回る精霊魔法の使い手のマリーナしかいないだろうと。

 ましてや、エレーナ達が現在住んでいるのがマリーナの家だというのも、そんなレイの予想を補強する要因となる。


「あら、何かしら? 私が何かをしたと? それに、これからアジャスを捕らえに行くんでしょ? アジャスやその仲間はともかく、取引をしている組織となると、人数は多い筈よ? 幾らレイが多数を相手にするのが得意でも、まさかギルムで強力な魔法を使うわけにも行かないわよね?」

「ぐむぅ……」


 マリーナの言葉に、レイはそれ以上何も言うことは出来ない。

 実際、これから行われる取引でアジャスやその仲間、そして女を何人も連れ去っている組織の者達全員を逃がさないようにするには、戦力は多ければ多い程いい。

 そして、その戦力がエレーナとアーラの二人であれば、それこそ文句なく一級品の戦力と言えるだろう。

 レイもそれが分かっているからこそ、マリーナの言葉に何も言えなかったのだ。


「ふふっ、私のことはそれ程心配しなくてもいい。そもそも、私がマリーナの家に閉じこもっているのは、意味もなく面会に来る者が多いからだ。であれば、この時間帯に外を出歩いても私に関わろうとする者など……さて、どれだけいるだろうな」

「そう言われれば、そうだけどな」


 実際、日付が変わる時刻にエレーナとの面会を求めている者が出歩くというのは、非常に可能性が低い。

 であれば、エレーナがこの時間に外にいても問題がないというのは、事実でもあった。

 もっとも、それが絶対という訳でもない。もしかしたら何らかの理由で貴族派の貴族が夜のギルムを出歩いている可能性も皆無ではないのだ。


(娼館とかな)


 そんな風に思うレイだったが、それを口に出さないだけの冷静さはある。


「分かった。エレーナとアーラそれとイエロの協力が得られるのであれば、こちらとしても助かる。……ダール、案内を頼む」

「はい」


 レイの言葉に頷きながらも、ダールは本当にいいのか? と疑問を抱く。

 ダールも諜報部隊の人間なので、当然エレーナがどのような人物なのかは知っている。

 そして自分達の上司のダスカーが中立派の中心人物である以上、もしエレーナに何かあれば大きな問題になるというのを理解していたからだ。

 もっとも、ここでダールが何を言っても無駄というのも事実だ。

 そもそも、ダールは特に何か役職がある訳でもない。

 そうである以上、現在の状況で何か意見を言うのは難しい。

 また、レイがいるのであれば例え何かあってもどうにかなるだろうと、という思いもある。

 半ば自分に言い聞かせるようにしながら、ダールはその場にいる者達を引き連れ――どちらかと言えば案内をするようにという表現が正しいが――ながら、道を進んでいく。

 途中で何人かの警備兵に遭遇するも、警備兵達はレイとセトの姿を見ると、軽く手を振って挨拶をするだけで、特に何かを言ってくる様子もない。

 勿論警備兵の中には、エレーナの姿を知っている者もいるだろう。

 だが、レイと一緒にいるのを見て、それ以上は何も口にしない。

 この辺り、エレーナが来た事情をきちんと知られている為だろう。

 ダールもそんなことを一々警備兵に説明しなくてもいいというのは助かるので、特に何を言うでもないまま道を進む。

 そうして進み続け、やがて大通りから道が細くなり、周囲に建っている建物も古く、汚い物に変わっていく。


「スラム街が近づいてきたな」


 何気にスラム街に行った経験の多いレイは、周囲の状況をみながらそう呟く。

 その言葉に皆が意図せず意識を引き締め……


「落ち着け」


 そう告げたのは、レイ。

 ただし、告げられたのはエレーナを始めとして戦いを何度も経験している者達ではなく、この場で唯一戦闘の経験が殆どない者。


「っ!? ……すいません、大丈夫です」


 レイに声を掛けられたイルゼは、一瞬息を呑むも、すぐにそう言葉を返す。

 だが、それが本当に大丈夫なのではなく、言葉だけでそう言っているというのは、その場にいる全員が……イルゼ本人でさえ理解していた。

 これから起こるのは間違いなく戦闘だ。本来なら、イルゼのような戦闘の経験のない人物を連れていくというのは、間違っているのだろう。

 実際、酒場で待っている時に、レイもイルゼに行かない方がいいのではないか? と尋ねもした。

 だが、イルゼは断固としてその言葉に首を横に振った。

 自分は絶対に一緒に行くのだと。家族の仇を自分で討てないかもしれないが、それでも最後まで自分の目で今回の結末を見たいのだと。

 そう告げるイルゼに、レイはそれ以上は何も言わなかった。


「よし、イルゼの緊張もある程度解けたことだし、そろそろ行くか。ダール、案内を頼む」

「はい。一応既にアジャスと組織が取引をする予定の周囲にはこちらの手の者を配置しています。後は決定的な時に突入して、アジャス達を捕らえれば問題はないかと。……ただ……」


 ダールはそこで一旦言葉を止め、イルゼに視線を向ける。


「イルゼさんの仇のアジャスはともかく、アジャスと一緒に行動を共にしている二人は可能な限り生かして捕らえて下さい。今回の一件、とてもではないですが個人で行う犯罪ではありません。だとすれば、アジャス達の裏には誰かがいると思って間違いないです」

「あら、アジャスはいいの?」


 ダールの言葉に、マリーナがそう尋ねる。

 もっとも、それは本当に疑問に思っての質問という訳ではなく、確認の為の質問と呼ぶべきものだったが。


「ええ、構いません。……というか、そうするしかないじゃないですか」


 勿論、ダールの立場で考えれば、アジャスの身柄は是非とも確保したいところだ。

 アジャスは三人の中ではリーダー格の男と目されており、そうであれば他の二人よりも重大な情報を握っている可能性もあるからだ。

 だが、それはあくまでも可能性であり、確実ではない。

 もしこれが確実であれば若干話も変わったかもしれないが……確実ではないのだ。

 ならば、ただでさえ人数が足りない諜報部隊としては、アジャスの身柄と引き替えにレイ、マリーナ、ヴィヘラ、ビューネ、セト……そしてこちらは完全に予想外だったが、エレーナとアーラ、イエロ。

 これらの、超一流の実力者達――何人かはそこまでの域に達してはいないが――の協力を得られる方がいいだろうと、そうエッグが判断したのだ。

 ダールとしては、戸惑いもあったのだが……それでも、諜報部隊の手が足りてない以上は仕方がないと判断し、現在の状況になっていた。


「ただ……イルゼさんが仇を取る前に、出来れば少し話を聞かせて欲しいところですね。その後では、こちらも何も言いませんので」


 その言葉に、レイはどうする? とイルゼに視線を向ける。

 レイにとっては、ダールの言葉は頷けるものがあった。

 また、今回の一件ではダールに色々と協力して貰っているのだから、アジャスから情報を引き出す機会は与えてもいいと、そう思っていた。

 だが、今回の主役はあくまでもイルゼなのだ。

 そのイルゼが否と言うのであれば、アジャスから情報を引き出すような真似をするのも難しいだろうと、そう思う。

 しかし、そんなレイの予想とは裏腹にイルゼはダールの言葉に頷きを返す。


「アジャスが何を企んでいたのか、それは私も知りたいです。アジャスが関わった企みを潰せば、それはアジャスにとって最悪に近い結果になるでしょうし」

「あ、あははは。その、そう言って貰えるとこちらも助かります」


 イルゼの言葉に、ダールは少し汗を掻きながら笑う。

 アジャス憎しで、そのアジャスが関わった企みすら崩壊させようとしているのが分かったからだ。

 もっとも、ダールもそれに異論はない。

 実際問題、今回の一件でギルムが受ける被害を考えれば、アジャスの思い通りにさせる訳にはいかないからだ。

 ……絶対に有り得ない話ではあるが、実はアジャスが改心してギルムにとって何か有益な企みであれば、ダールもイルゼがアジャスの企みを潰そうとするのを止めただろう。

 だが、アジャスが現在行っているのは、ギルムにいる女を大量に連れ去るといった真似だ。

 ギルム全体から見れば、問題にもならない数の本当に少数の女達。

 それでも人の噂を止めることが出来ない以上、下手をすればギルムに行った女は皆いなくなるといった噂が出てくる可能性があった。

 そのような噂を立てないようにする為にも、是が非でも今回の一件はギルム内で解決する必要があった。

 もっとも、連れ去られたという時点で女達にとってはギルムに対して色々と思うところがない訳ではないのだろうが……それでも、ギルム内部で片付けたという事実があれば、例え妙な噂が流れてもそれを否定出来る。


「では、イルゼさんからの了承も貰いましたし、そろそろ行きましょうか。こちらで入手した情報によると、アジャス達は取引を終えたらそのままギルムから出ていくらしいです。……この辺りの方法も、是非聞かせて貰いたいところですね」


 ダールの言葉に、その場にいる全員が頷く。……何人かは、周囲が頷いているから自分も頷いたといった様子だったが。

 そうして一行がスラムに入っていくと、やがて一つの人影が近づいてくる。

 その人影を見た瞬間、イルゼはもしかして敵か? と一瞬身を固くするも……ダールはそんな人影を見ても、特に警戒することなく、それどころか笑みを浮かべてその人物に話し掛ける。


「ルードス、首尾は?」

「ああ、問題ない。アジャス達がいる場所はしっかりと見つけてある。……ただ、向こうも結構鋭いらしくてな。もしかしたら俺達が向こうを包囲しようとしているのを、感じている可能性がある」

「……厄介な」


 そう言いつつも、ダールもその辺は半ば予感していた。

 元々冒険者として活動しながら、半ば盗賊のような真似をしてきた相手なのだ。

 それも一度や二度ではないというのは、それこそイルゼから事情を聞けばはっきりとするだろう。

 そのような生活をしてきた以上、周囲の異変を感じる能力に長けていても不思議ではない。

 ただ……周辺の状況を感じる能力があっても、それを活かせるかどうかとなれば、話は別だ。

 特に大きいのは、やはり組織との取引が残っているという点だろう。

 その取引をしなければいけない以上、現在の状況がどうであってもアジャス達に出来ることはそう多くない。

 周囲で自分達を見張っている相手を始末するという手段はあるかもしれないが、異変は感じることが出来ても実際には誰がその異変に関わっているのかというのを全て把握するのは、幾ら何でも難しい筈だった。

 ましてや組織にとっても大きな取引である以上、組織の方でも周辺に人を配置しているのは間違いないのだから。


「……行きましょうか」


 ダールの言葉に皆が頷き、ルードスと呼ばれた男に案内されながら一行はスラム街を進むのだった。

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