第1467話

 トレントの森で樵達の護衛をすると決めた日から数日。

 いよいよ約束の日となり、レイはギルドにやって来ていた。

 ……もっとも、時間的には既に十時を回っており、多くの者達が自分の仕事をしている最中だったが。

 当然樵やその護衛の冒険者達も、既にトレントの森に向かっている。

 何故レイだけがこの時間になったのかと言えば、レイは前もってやっておくことが色々とあった為だ。

 新しい壁を作る為の建築資材の運搬、昨夜倒されたモンスターをギルドに運搬する、といったように。

 だからこそ、レイだけがこの時間にここにやって来たのだ。


「じゃ、レイ君。お願いね」

「……気をつけてくださいね、レイさん」


 ケニーだけではなく、レノラもレイにそう言って無事を願う。

 レノラがワーカーと話している間に、今回の件は決まってしまった。

 勿論、本当にアジャスと呼ばれる冒険者がイルゼの説明したような相手であれば、ギルドとしても黙ってそのような人物を放置するような真似は出来ない。

 であればこそ、今回の一件は認められたのだ。

 ……ギルドとしては、出来ればレイではなく他の人物にその仕事を任せたかったのだが。


「ああ。その辺の相手に負けるようなつもりはないから、安心してくれ」


 短く言葉を交わし、レイはギルドを出る。

 そこでは、既にセトの姿もある。

 何人かの冒険者や通行人に遊んで貰いながら、レイが来るのを待っていた。


「グルルルゥ!」


 レイが来たのを見ると、セトは嬉しそうに喉を鳴らして立ち上がる。

 そんなセトの様子を見ると、セトと遊んでいた者達も大人しく立ち上がり、自分の仕事に戻っていく。

 ……ただ一人、ヨハンナだけがその場に残って名残惜しそうにセトを眺めていた。


「レイさん……セトちゃんを独り占めにするなんて……」

「そう言われてもな。そもそもの話、セトは俺の従魔なんだから。それより、お前の仕事はいいのか?」


 元遊撃隊のヨハンナは、当然ながらパーティを組んでいる元遊撃隊の面々と共にギルムの増築工事に関わる仕事を色々と行っていた。

 いや、今回はレイ達紅蓮の翼と同じように、パーティを組んでいてもそれぞれ個人で動いている者の方が多い。

 当然だろう。パーティというのは、様々な技能を持った者達が集まって結成されるのが一般的だ。

 戦士、盗賊、弓術士、魔法使い……といった具合に。

 勿論役割が重なっているパーティもあるが、基本的には幾つかの技能を持った者達の集まりだ。

 そうである以上、ギルムの増築でそれぞれ自分に向いている仕事をするのは当然だろう。


「え? 私ですか。私はもう少ししたら街の見回りに行く予定です。集合まで、まだちょっと時間があるんですよね。それで店を冷やかしながら歩いていたら、セトちゃんを見つけたんです」


 セトに伸ばしたくなる手を何とか押さえながら、ヨハンナは悔しそうに呟く。

 もしギルドの前にセトがいるというのを知っていれば、周囲の店を冷やかしたりといった真似をしないで真っ直ぐここに来たのに、と。


(せっかくミレイヌを出し抜いて、セトちゃんと一緒に遊べたかもしれないのに)


 心の底から悔しく思いつつ、ヨハンナのそんな思いは視線をレイに向ける。


「そんな風に見られてもな。別にセトを遊ばせるのをお前に知らせるって訳にもいかなかっただろ?」

「それはそうですが……もう、いいです」


 残念そうにしながら、ヨハンナはセトから離れていく。


「グルルゥ」


 また今度遊ぼう、とセトがヨハンナに向けて喉を鳴らす。

 ヨハンナは円らな瞳を向けてくるセトに手を伸ばしそうになりながら、それを何とか我慢する。

 ……もっとも、それはレイを思ってのことではなく、セトを困らせたくないという思いの方が強いのだが。


「また機会があったら、セトと遊んでやってくれ」


 そう告げると、レイはセトの背に跨がる。

 増築工事前のギルムであれば、そう簡単に街から飛び立つことは出来なかった。

 だが、今は壁を破壊したことにより、特に問題なく空を飛ぶことは可能となっている。

 また、レイとセトに限っては特に手続きをせずとも自由にギルムに出入り出来るようになっているからこそ、このような真似を出来るのだが。

 ただし、普段であればレイも正門から出ていく。

 今回は正門まで移動するより、なるべく早くトレントの森に向かう必要があった為だ。

 一応その辺りの許可はワーカーやダスカーから貰っていた。

 勿論ワーカーはともかく、忙しいダスカーには直接会いに行った訳ではなく、マリーナからダスカーに話を通したのだが。

 ……黒歴史とでも呼ぶべきものを握られている以上、余程に酷いものではなく、ギルムに被害を与えるものではない限り大抵は受け入れられる。


「へぇ……それなりに出来てきたな」


 既に増築工事が始まってからそれなりに時間が経つ。

 古い壁は既に完全に破壊され、その瓦礫も今は全く残ってはいない。

 その代わり、今は新しい壁を作る為に地面を掘り進められ、場所によっては既に多少なりとも壁が作られているところもある。

 勿論、その程度の壁ではモンスターの侵入を防ぐことも出来ないし、何より結界を張ることも出来ない。

 だが……それでも、レイの目から見て壁が出来ているというのは、そこに関わった者として非常に嬉しいことだった。


「グルルゥ?」


 行ってもいい? と後ろを見ながら尋ねてくるセトに、レイは壁から目を離して首を撫でてやる。

 それが移動してもいい合図だと判断したセトは、翼を羽ばたかせてトレントの森に向かう。

 ……もっとも、セトの速度だとギルムを発ってから数分……下手をすれば一分経つかどうかといったところでトレントの森に到着した。

 トレントの森は、樵や冒険者によってかなり伐採が進んでいる。

 それは、上から見れば一目瞭然だった。

 空にいても、下で樵達が斧を振るっている音が聞こえてくる。

 レイが何も言わなくても、セトはそのまま地上に向かって降下していく。

 地上で周囲の様子を警戒していた冒険者のうちの何人かが、降りてくるセトの姿を見て襲撃してきたモンスターと勘違いしたのだろう。

 慌てて手に持つ武器を構えようとし……周囲にいる他の冒険者達に止められていた。


(こっちを警戒したのは今日からここに回された奴で、止めたのは前からここを任されてた奴だな)


 全員が全員確実にそうだと決まった訳ではないが、それでも前からこのトレントの森で樵の護衛を任されていた者達であれば、レイが伐採された木材を運ぶ為に空からやってくるというのは知っていて当然だろう。

 その中の何人かは、何か勘違いしたのか武器を構えようとしていたのだが。

 そんな者達に少しだけ呆れの視線を向けつつ、セトが着地したのと同時にレイは飛び降りる。

 既に慣れているやり取りである以上、着地に失敗するようなことはなかった。

 ……とある樵が、そんなレイに向かって苛立ちの混じった視線を向けていたが、それを向けられている本人は特に気にした様子もなく周囲を見回す。

 特に視線が向けられたのは、当然のようにまだ慣れていない様子を見せる者達……ギルドに言われて、今日からこの樵の護衛についた者達だった。

 その中の一人……左手に蛇の刺青をしている男も一瞥するが、特に何かを言うようなことはない。


「ああ、レイさん。話は聞いてる、遅かったね」


 樵の護衛を務めていたベテラン組の方から、一人の冒険者がレイに声を掛ける。

 三十代程の男は、下手をすれば自分の息子くらいの外見のレイに対しても丁寧な言葉遣いだった。

 レイの実力を知っているからこその態度だろう。


「壁を作ってる方にも色々と用事があったから。……それで、こっちはどんな具合なんだ? こうして見た感じだと、まだあまり進んでないようだけど」


 ギルムに来ている冒険者達を集めただけあって、トレントの森の護衛に回された者も全員がある程度の力を持っている。

 それでもレイから見て、前からこの護衛をやっていた者達のようにしっかりと動いていないというのは、レイから見ても少し違和感があった。


「あー……それはまだ、トレントの森に慣れていないってのもあるだろね。それに、ここに到着してからまだそれ程経ってないし」

「ああ」


 そう言われ、レイも納得する。

 セトに乗って数分も掛からずにここまでやって来たレイと違い、樵や冒険者達は馬車でここまで来てるのだ。

 普通に歩いて移動するよりは早いが、それでも空を飛ぶセトとは比べものにならない。

 ましてや、馬車だって全速力で移動しているのではなく、余裕を持った速度で進むのだから。


「ふーん。まぁ、ならいいけど。……ただ、俺も今日はこっちに回るけど、こっちが専門って訳じゃないんだ。何人かつけてくれるか?」

「分かってる。ここでの護衛は普通とは色々と違うところもあるからな。その辺りを教える奴は必要だろうし」


 男の言葉に、今日からトレントの森に回された中の何人かが不満そうな表情を浮かべる。

 護衛のやり方を教えて貰わなければならないような、初心者ではないと、そう言いたいのだろう。


(アジャスは……特に不満を表情に出してはいないか。随分と大人しいな)


 イルゼの言葉から、恐らく……本当に恐らくだが、アジャスがイルゼの仇だというのは間違いないだろうとは思っている。

 だが、それでもやはり百パーセント確実ではないのだ。

 仇なら仇、違うなら違う。どちらでもいいので、出来ればその確証を今回の件で知りたいというのがレイの正直な思いだった。


(まぁ、今日だけでその全てを理解出来る訳はないと思うけど、多少なりともどんな相手なのか……そしてもし仇の場合、何を企んでいるのかを探れればいいんだけどな)


 もしアジャスがイルゼの言った通りの相手の場合、大人しく仕事をしているだけだとは、とてもレイには思えなかった。

 であれば、恐らく何かを企んでいるのだろうと考えているのだが。


(その辺りはエッグ達に任せるのが一番手っ取り早いんだろうけど、向こうも色々と忙しいらしいしな)


 ギルムの増築が始まり、それを妨害しよう、もしくは裏で手を回して甘い汁を吸おう。

 そう考えて暗躍している者は、組織、貴族、平民と、枚挙に暇がない。

 その殆どを潰しているのが、エッグ達だった。

 勿論その全てを完全に潰せる訳ではないので、レルダクト伯爵のような例外も出てくるのだが。

 ともあれ、貴族派はエレーナのおかげで殆どの者が手を引いたが、それ以外の者でもギルムで暗躍している者は大勢いる。

 それに対処をしているエッグ達は、当然忙しい。

 寧ろ、一人であっても今回の一件に回して貰えたのは幸運だったと言えるだろう。

 ……マリーナからダスカーに要請があったのだから、ダスカーにはそれを断ることが出来なかったというのが正しいのだが。


「レイさん、取りあえずこうしていても何ですし、始めましょうか。そちらには私がつきますので」


 先程からレイと話していた男が、レイに向かってそう言ってくる。

 改めてレイはその男を見ると、冒険者……それも戦士だというのに、妙に腰が低いのが気になった。

 勿論冒険者だからといって腰が低い相手がいないという訳ではないのだが。

 だが、それはそれとして、最初に会った時のように自分に対して尊敬や畏怖を抱いているのだろうと考えると、すぐに口を開く。


「分かった。じゃあ、そろそろ始めるか」


 そんなレイの言葉と共に、それぞれが散っていく。

 元からこのトレントの森で護衛をしていた者達は、樵が木を切っている場所の周辺の様子を見るように。

 そして敵がいないのを確認すると、自分も斧を手に伐採を始める。

 もっとも、伐採するにも以前と違って何かあったらすぐに行動出来るようにと武器を近くに置いており、伐採だけに集中はしていない。

 周囲の状況にいつでも対応出来るようにしながらの伐採なので、どうしても伐採の方は疎かになってしまう。

 元々本職の樵という訳でもない以上、当然のようにその技量は樵達からは劣る。

 そうなれば、幾ら木を伐採しても追加報酬が下がってしまうのは当然だった。


「くそっ、モンスターが出てこなきゃな」

「そう言うなよ。そもそも、俺達は護衛としてここにいるんだからな。護衛の報酬だってそれなりなんだから、そっちで我慢しようぜ」

「だな。普通に周囲を警戒してるだけなら、モンスターの数もそう多くないんだし。伐採は諦めて、純粋に護衛の方に専念すれば、報酬はそこそこなのに結構楽な仕事だぜ? 考え方を変えてみろよ」

「ふざけんなっての。俺には金が……イラージュちゃんに髪飾りを買う為の金が必要なんだよ!」

「あー……そう言えばこいつ、熱心に娼館に通ってたよな……」


 そんな風なやり取りが聞こえてくるのを聞きながら、レイは新人組の方に世話役の男と一緒に近づいていくのだった。

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