第1431話

 部屋の中に扉の下半分を蹴り飛ばしながら入ったレイが見たのは、扉を盾で叩き落としている一人の男。

 他にも長剣や短剣、バトルアックス、棍棒を持った男達がそれぞれ一人ずつ。

 一応レイが扉を切断した時に矢を射ってきた男の姿があるが、こちらは先程のやり取りで既に戦意を喪失している。

 そして、武器を持っている男達の背後に隠れるようにして、一人の男の姿があった。

 中肉中背の、貴族だけあって顔立ちはそれなりに整っている貴族。

 だが、整っている顔立ちも眼にある欲望に濁った光を見れば、とてもではないが尊敬したり憧れたりといったことは出来ないだろう。


「さて、どうやらここに残っている連中で全員らしいけど。……予想外だったな」

「な、何がだ! この賊めが!」


 レイの呟きを耳にした貴族……レルダクトが、苛立ちと憤りに任せて叫ぶ。

 レルダクトにしてみれば、突然レイの襲撃を受けたも同然なのだ。

 おまけに街に張ってあった結界まで破壊され、雇っていた私兵達も多くがレイと……深紅という異名持ちの冒険者を前に、逃げ出している。

 一度侵入者と遭遇して逃げたとなれば、もう二度とレルダクトの下に戻ってくることはないだろう。

 勿論戻ってきても、レルダクトはその者を再度雇うつもりはない。

 それどころか、侵入者を前に逃げ出したとして何らかの罰を与えもするだろう。

 ともあれ、そのような事態を招いたレイに対し、強烈な憤りと憎悪を抱いているのは間違いなかった。だが……


「はぁ? 何を言ってるんだ? 元々はそっちから仕掛けてきたんだろ? もしかして、自分が攻撃するのは当然でも、攻撃されるとは思っていなかったのか? まさか、そんな馬鹿なことを考えていた訳はないよな?」


 真剣にそう尋ねるレイの言葉に、レルダクトは怒りで顔を引き攣らせ、赤く染めていく。

 尋ねるレイの様子が真剣だからこそ、余計に怒りを煽るのだろう。

 そんなレルダクトの様子を見て、レイはデスサイズを肩に担ぎながら呆れたように溜息を吐く。


「どうやら、本当に自分が報復されるとは思ってなかったようだな。……貴族派の中でも弱小のレルダクト伯爵家が、中立派の中心人物のラルクス辺境伯に喧嘩を売ったんだぞ? それが、無事で済むと思っている理由が分からないな」

「黙れっ! あのような弱小派閥など私に関係あるか! 寧ろ、弱小派閥の分際でギルムのような重要拠点を預かっているのが身の程知らずなのだ!」


 ダスカーに対する苛立ちと、自分が攻撃されたことによる焦り。それらが混ざったことにより、レルダクトの口からそんな叫びが漏れる。

 こうした場面で叫ぶということは、前々からそう思ってはいたのだろう。

 だが、今まではそれを口には出来なかったのだ。

 そんなレルダクトを見て、レイは呆れたように口を開く。


「貴族派と中立派は現在関係を深めている。お前のような、貴族派の中でも特に重要でも何でもないような奴がそれを妨害するような真似をして、ただですむと思ってるのか? それこそ、俺が手を出さなくても、貴族派の上層部が動いたと思うけどな」

「馬鹿を言うなっ!」


 レイの言葉を信じることは出来ないと叫ぶレルダクト。


「まぁ、お前がそう思うのならそれでもいいけどな。……ただ、ギルムはダスカー様だからこそ治めることが出来てるんだぞ? 貴族派の……それこそ、例えお前がギルムを任されても、恐らく一ヶ月持つかどうかだろうな」


 自分の領地にもこれだけの重税を掛けているレルダクトだ。

 もしギルムを……ミレアーナ王国唯一の辺境であるが故に大量の金が集まってくるギルムを任されれば、どのような行動に出るのか、レイは容易に想像出来た。

 税金を上げ、冒険者や商人達から絞れるだけ搾り取ろうとするだろう。

 そのような真似をすれば、商人はともかく冒険者がどのような行動にでるのか、考えるまでもなく明らかだ。

 ギルムに嫌気がさして去るのなら、いい方だろう。

 だが、ギルムに集まっているのは多くが腕の立つ冒険者なのだ。

 異名持ちもレイ以外にも何人かいるし、ランクA冒険者も同様だ。

 そのような人物が頭から強引に押さえつけられるような真似をして、大人しく従ったり、ギルムを出ていったりするか。

 レイが考えても、その答えは否だった。

 そのような者達が何をするのか……手っ取り早いのは、やはり実力行使だろう。

 下手をすればギルム内部でレルダクトと冒険者がそれぞれ対立し、内乱状態に陥ってもおかしくはない。

 そして内乱になった場合、レルダクトが勝つという未来はほぼ皆無と言ってもいい。

 だが、それはあくまでもギルムの実態を知っているレイだからこそ分かることであり、ギルムという場所を人伝の情報でしか知らないレルダクトにとって、レイの言葉は決して許されるものではない。


「ふ……ざけるなぁっ! この私があの程度の街も治めることが出来ないだと!」

「ああ。そもそも、お前の場合は勘違いをしている。ギルムを普通の街と考えている時点でどうにもならないんだよ」

「っ!? ……やれ! この男を殺せ、殺してしまえ!」


 レイの言葉に我慢出来なくなったか、レルダクトはこれまで以上に顔を赤く染めながら叫ぶ。

 だが……その言葉を聞いた周囲の者達はと言えば、既に半ば戦意を喪失していた。

 深紅の異名を持つレイを前にして、幾ら自分の実力に自信があろうともどうにか出来るとは思っていないからだ。

 これで、実はレイのことを何も知らないような者がいれば、話は別だっただろう。

 だが、残念なことにこの部屋の中にいるのは、一定以上の実力を持つ者達だけであり、当然のように情報収集にも力を入れている者達だ。

 多少情報に疎いところがあっても、深紅の異名を持つ冒険者について知らない者はここにはいない。

 唯一の勝機と考えていたのが、部屋の中に入った瞬間の不意打ちだったのだが……それもまた、あっさりと矢を斬り飛ばされたことにより、防がれている。


「さて、お前達の雇い主はこう言ってるが……どうする? 俺はやるのならそれでも全然構わないが」


 小さく笑みを浮かべつつ視線を向けたレイだったが、それに対して護衛の男達は視線を逸らして視線を合わせようとしない。

 それでいながら、レルダクトから離れるようなこともせず、どうするべきかと迷っている様子だった。

 戦えば勝てないと分かってはいるが、だからといってレルダクトをあっさりと見殺しにするのも後味が悪い……といったところか。

 それを見て取ったレイは、やがてデスサイズを肩に担いだまま口を開く。


「今回の件の依頼主から、レルダクトは殺すなと命じられている。最低限、生かしておくことだけは保証しよう」


 その言葉が決定的な一言だった。

 がらん、と。そんな音が周囲に響く。

 そちらに視線を向けると、短剣を持っていた男が武器から手を離し、短剣が床に落ちている。

 その行為が何を意味しているのかは、誰の目から見ても明らかだった。

 そして、当然のようにレルダクトはそんな行為の意味を悟り、顔を真っ赤にして叫ぶ。


「ふざけるな! 貴様等は私に雇われているのだぞ! どのような敵が相手であろうと、戦え! 戦って、少しでも傷を付けてから死ね! 貴様等のような銅貨一枚程度の価値しかない命より、私の命の方が大事なのだ!」


 苛立ちと怒りと焦り、そして恐怖。

 それらの感情が混ざり、レルダクトの口からは暴言とでも呼ぶべき言葉を発する。

 それは暴言ではあると同時に、レルダクトの本音でもあったのだろう。

 周囲の者達はそれを理解し……やがて、がらん、がらん、という音が次々に部屋の中に響き渡る。

 最初の男に引き続き、他の者達もそれぞれ自分の持っている武器を床に落とす。

 抵抗しないということを態度で示したいのであれば、それこそ長剣を鞘に収めるといった真似をしてもよかったのだが、今回はあからさまな程にレイに対して自分は敵対しないという態度を示す必要があった。

 そんな周囲の者達の様子に気が付いたのか、レルダクトは顔を真っ赤にして口を開こうとし……次の瞬間、白目を剥いてその場に崩れ落ちる。


「え?」


 そんな声を発したのは、誰だったのか。

 まさか、怒っている状況でこうして意識を失うなどというのは、誰にも予想出来なかったのだろう。

 それはレイも同様だった。


「えっと……その、だな。お前達は降伏するってことでいいんだよな? まぁ、レルダクトに義理を果たすつもりなら、相手になってもいいが……」


 そう告げるレイだったが、今は何となくやる気を失ったような状況で、そう尋ねる。

 やるぞ! とそう思っていたのが、まさか興奮してそのまま意識を失うようなことになるとは、とてもではないが思えなかったのだろう。


「いや、俺はそんなつもりは……なぁ?」

「うん、そうだな」


 長剣を持っていた男の言葉に、全員が頷きを返す。

 あそこまで明確に自分達を捨て駒扱いするような相手の為に、レイのような強い相手と命懸けで戦うのというのは絶対にごめんだった。


「そうか。なら、行け。お前達がこのままここに残っていれば、色々と面倒なことになるだろうしな」


 その言葉に全員が頷くと、先程床に落とした武器を拾って足早に部屋を出ていく。


(ま、こいつらがレルダクトに雇われて好き勝手していたのなら、反乱軍に見つかれば酷い目に遭う可能性はあるが……そこまでは知ったことじゃないな)


 ただ、レイが見たところ、先程までここにいた者達はそこまで横暴な性格をしているようには見えなかった。

 勿論自分達を捨て駒扱いしたからといって、あっさりとレルダクトを見捨てたのは不味いと思わないでもないのだが……それでも、反乱軍達から聞いたような存在には思えなかったのだ。


「さて、と」


 呟き、レイは怒りのあまり興奮し、結果として意識を失うといったみっともない真似をしたレルダクトに向かって歩み寄る。

 もしかして気絶している振りなのでは? と一瞬思ったのだが、レイから見ても普通に意識を失っているようにしか見えない。


「起きろ、ほら」


 声を掛け、レルダクトの脇腹を軽く蹴る。

 

「ぐっ!」


 それ程力を入れた訳ではなかったのだが、それでもレルダクトにとっては十分な痛みだったのか、痛みに呻き声を上げながら目を開く。

 そうして周囲を見回し……レイの姿を目にし、自分が意識を失う前のことを思い出す。


「なっ! 他の者達をどこにやった!」

「さて、どこだろうな。理由はともあれ、既にここにはお前以外の者はいない。そうである以上、お前に訪れる結末は変わらないと思うけど……な」

「ぐがぁっ!」


 デスサイズの石突きですくい上げるように放った一撃は、容易にレルダクトを吹き飛ばすことに成功する。

 そのまま壁に飾られていた絵画にぶつかり、その絵画を破壊しながら床に落ちた。


「な、何を……私に何をする!」


 本来なら、レイの放つ一撃……それもデスサイズを使った一撃は、容易にレルダクトの意識を奪うことが出来ただろう。

 そうならなかったのは、レイが手加減をして攻撃した為だ。

 レルダクトはそのことに気が付いているのか、いないのか。

 ともあれ、容赦なく自分に危害を加えたことに苛立ちを覚えながら叫ぶ。

 これがレルダクト伯爵領に住んでいる者であれば、レルダクトに怒声を浴びせられれば怯えもするだろう。

 だが、レルダクトの前にいるのはレイなのだ。

 レルダクトも、それは知っている。知っているが……今のレルダクトに出来るのは、叫んで自分が怯えているということを表情に出さないようにするので精一杯だった。

 そんなレルダクトに対し、レイはデスサイズを……今度は石突きではなく刃の部分を向ける。

 長さ一mにも達するだろう、巨大な刃。

 ましてや、デスサイズは大鎌であり、普通の長剣と比べると異形の武器と呼んでもいい武器だ。

 異形であるが故に、その刃を向けられたレルダクトは恐怖する。


「何を? お前がギルムに対して何をしたのかを考えれば、これから何をされるのかは分かるだろ?」

「私が何をした!」

「……お前の放った私兵がやっていたことを、お前が知らないとでも?」

「当然だ! 私は何も知らない! それより、お前は本気か!? このような真似をすれば、間違いなく後悔することになるぞ! 私は貴族派に所属しているのだからな!」


 その言葉に、レイは呆れたような溜息を吐く。


「そうだな、お前は貴族派に所属しているかもしれない」

「なら……」

「だが、それがどうした?」

「……何?」


 呆れたように呟いたレイは、次の瞬間デスサイズを鋭く一閃する。

 そして……その一撃で、レルダクトの右腕は肩から斬り飛ばされ、回転しながら宙を舞う。


「お前が貴族派に所属していても、今のお前が助かるのに、何か役に立つ筈もないだろうに」


 切断面があまりに鮮やかだった為だろう。

 レイがそう告げると同時に、ようやくレルダクトの右肩から血が噴き出す。


「ぎゃ……ぎゃああああああああああああああああああっ!」


 自分の右腕が切断された。

 そう理解したレルダクトの悲鳴が周囲に響き渡るのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る