ギルム増築

第1406話

 セトと共に地上に降りてきたレイを見て、嬉しそうに手を振っているのはギルムの増築という一大公共事業に参加している者達だ。

 勿論その仕事の主役は大工なのだが、周辺の村や街といった場所から呼び寄せた大工だけでは、とてもではないがこの工事を行うことは難しい。

 これが単純な村や街であれば、まだ大工だけで何とかなったのだろう。

 だが……ギルムは名目上は街ということになっているのだが、実質的には都市に準じるくらいの人口や街の規模だ。

 それを増築……それも五割程も広げるというのだから、集めてきた大工だけで足りる訳がない。

 数百人近い大工達が集まり、それぞれに組み分けされて現在はどう工事を進めるのかという打ち合わせが毎日のように行われている。

 大工達にとっても、これだけ大規模な増築工事に参加出来るというのは名誉なことだ。

 当然それぞれが最大限自分の技術を活かそうとするのだが……十人十色、大工というのは職人気質の者が多いだけに、自分の流儀を通したがる。

 そんな大工達が集まれば、当然そう簡単に話が纏まる筈もない。

 当初は、それこそ自分の流儀を通そうとして殴り合いにまで発展することも珍しくはなかった。

 大工というのは、当然木を運んだりといった肉体労働の為、それこそ下手な冒険者よりは気が強かったり、腕力があったりする者が多い。

 それだけに、当初その場にいた冒険者達も大工の人数の多さから手が付けられなかったのだが……そこに登場したのが、ダスカーだった。

 元騎士という素性もあるのだろうが、その威厳により大工達を見事に従えたダスカーはさすがと言うべきなのだろう。

 ともあれ、現在の大工達はダスカーの下に固まり、ギルムの増築工事に関して話し合いを進めている。

 その間に、レイを含めて冒険者達は増築工事に使う資材の確保やら道具の確保やら大工達の住居の確保やら食糧の確保やら……色々とやるべきことがあった。

 そんな中でレイに任されたのは、以前ワーカーに言われた通りトレントの森で伐採した木を運んでくることだった。


「あれから二ヶ月近く……か」


 地上に降りていくセトの背の上で、レイは雲一つ存在しない青空を眺めながら呟く。

 そう、あのトレントの森でギガント・タートルと戦ってから既に二ヶ月近くが経つ。

 既に季節は初夏と呼ぶに相応しいものになっており、空も二ヶ月前に比べると高くなってきているような気がする。


(出来れば、ギガント・タートルの解体を進めたいと思ってたんだけどな)


 空から自分の右腕に嵌まっているミスティリングに視線を向け、小さく溜息を吐く。

 本来なら、それこそトレントの森の一件が片付いた翌日に……とも考えていたのだ。

 だが、当然のようにギガント・タートルのような巨大なモンスターを解体するとなると、一日や二日では終わらない。

 そうである以上、ある程度の人数を長期間雇う必要が出てくる。

 それに待ったを掛けたのは、ワーカーだった。

 当然だろう。これからギルムの増築工事が始まり、冒険者は幾らいても足りなくなる。

 そんな時にレイに冒険者を多数雇われてしまうと、ギルドとしても色々と大変だ。

 なので、出来ればギガント・タートルの解体は増築工事の方が……より正確には冒険者達の忙しい時期が一段落するまで待ってくれないかという話になり、それを聞いていたマリーナがワーカーと交渉し、ギガント・タートルの解体に掛かる費用――冒険者に対する報酬や、食事、道具等の諸経費全て――をギルド持ちにするということで、交渉が纏まった。

 ……交渉が終わった後で、ワーカーの背が煤けていたというのは、ギルドの受付嬢レノラが口にした言葉だ。

 出来れば魔石だけでも早く取り出したいと思っているレイだったが、現状はお預けになっている形だ。

 また、トレントの森の件で動いてきた報酬として貰う火炎鉱石は、既に必要な分は貰っている。

 今も働いているので、更に追加で貰うことにはなるのだろうが。


「っと、待たせたな。どこに運ぶ?」

「こっちです!」


 地面に着地したセトから降りたレイは、待っていた冒険者と共にギルムの中に入る。

 いつもであれば街に入る為の手続きが必要なのだが、レイを始めとしてギルドで信頼出来る冒険者と認められた者達には手続きをせず、自由に街の中にはいることが認められていた。

 ……勿論ギルドで信頼出来る者という条件が付く以上、フリーパスで入ることが出来るのは本当に少数なのだが。

 そういう意味では、レイを待っていた冒険者もギルドから信頼されている人物ということなのだろう。


「おう、レイ。お疲れ」


 警備兵が掛けてきた言葉に、レイは軽く手を挙げて答える。

 本来なら色々と話をしたいところではあるのだが、レイも現在は色々と急いでいるし、何より警備兵の方がギルムに入る者達の手続きで忙しい。

 ギルムの増築ということで忙しくなった者は多いが、警備兵はその中でも恐らく最も忙しくなった者達だろう。

 増築するには当然のように大量の資材が必要になる。

 いや、それだけではなく大工を始めとした者達や、近隣の村や街から呼び寄せた冒険者達、何か仕事を求めてやって来る者達、それらを見越して商売をしようと考えた商人達……といった具合に、様々な者達がギルムを目指す。

 そして当然ながら、警備兵はそのような者達に対してギルムに入る手続きをする必要がある。

 それこそ、普段であれば一年を通して一番忙しくなる春と比べても更に忙しい。

 それだけに、レイと話をしたくてもそんな余裕がないというのが正確なところだった。


「ちょっと、何であの子は手続きもしないでギルムに入れるんですか!」


 長時間並んでいて、苛立ちが頂点に達しているのだろう。

 三十代程の女の商人が、警備兵に向けてそう尋ねる。……いや、正確には声を叩きつけたと言うべきか。

 自分達は長時間並んでいるのに、何故あの子供だけが、と。

 半日以上並んでいるということもあって、女はセトの姿すら目に入らない。

 ただ、特に手続きもしないままギルムに入っていったレイだけを苛立たしげに眺めていた。

 並んでいる中には、今まで何度かギルムに来たことがある者もおり、そのような者達は女に呆れの視線を向けていた。

 だが……普段であればそのような者達が多いギルムだが、今はギルムに来るのが初めてという者も多い。

 そのような者の中には、当然のようにレイを妬みの視線で見る者もいる。

 もっとも、多くの者達はレイがセトを……グリフォンを連れているのを見て、見た目通りの存在ではないと理解する者も多いが。

 そして多少事情に通じている者達は、グリフォンを連れているということでレイが深紅の異名を持つ冒険者だと察していた。


「彼は冒険者で、色々な依頼を受けているんです。その為、今回の増築している間に限っては手続きなしでギルムに入ることを認められています」


 警備兵は何とか女の商人を落ち着かせようと、そう告げる。


(ただ、増築工事が終わるまでって……数年掛かるだろうに。その間、ずっとレイは手続きなしなのか? まぁ、レイの場合はアイテムボックスがあるんだから、検査とかをしても無意味だろうけど)


 こうして街に入る手続きをする上で、何が一番時間が掛かるのかといえば、当然のように荷物の検査だろう。

 本来持ち込んではいけないような、違法な品。もしくは特別な許可がなければ持ち込めないような代物……それ以外にも様々な品をギルムに持ち込もうとする者がいる。

 特に現在は、普段ギルムに来ないような者達までが多く集まっている。

 そうなれば自然と荷物の検査等は厳しくなるのだが……レイの持つアイテムボックス、ミスティリングはそこに収納されている限り警備兵達ではどうすることも出来ない。

 その辺りはレイに期待するしかない。

 それでもそこまで心配していないのは、既にレイとの間には数年の付き合いがあるからだろう。

 また、ギルムの増築に関してはレイがいなければどうしようもない……とは言い切れないが、実際にレイがいるのといないのとでは効率が大きく違ってくるのは間違いなかった。


「ちょっと! 聞いてるんですか!」


 レイについて考えていた警備兵は、女の商人が叫んだ一言で我に返る。


「あー……その、ですね」


 目の前で怒り狂っている相手をどうにか落ち着かせるべく、警備兵は何とか説得するべく口を開くのだった。






「いやぁ、凄いですね。俺もギルムに来てから数年経ちますけど、以前の戦争以外で正門の前にあんなに並んでいるのを見たのは初めてです」


 大通りを歩きながら、レイを迎えに来ていた冒険者が興奮したように告げる。

 当然だろう。レイはそのままセトに乗って降りてきたから並ばなくて済んだが、正門前には数百m程の行列が出来ていた。

 そのような者達全員の荷物検査や各種手続きといったことを済ませるのを考えると、果たしてどれくらいの時間が掛かるのか分かったものではない。

 そう思えるだけの列の長さだったのだ。


「そうだな、俺もあの列に並ばなくてすんでほっとしてるよ。……こっちでいいのか?」

「あ、はい。今回の木材は第三の方に置いて欲しいとのことです」


 以前はトレントの森で伐採した木は、騎士団が秘密裏に運んでいた。

 だが、既に街の増築については公表され、動き出している。

 だからこそ、秘密にする必要はなくなり、こうしてレイが直接運ぶことが出来るようになっていた。

 資材の類も、幾つかの場所に纏めて置かれており……その一つが、第三と呼ばれている場所で、今回レイが行くべき場所だ。


「分かった。……っと、ちょっと待ってくれ」


 冒険者に一言告げ、レイは近くの屋台に向かう。


「串焼きを三本くれ」

「あいよ、レイも色々大変そうだな」


 レイとは顔馴染みの店主は、笑みを浮かべてそう告げると素早く焼き上がっていた串焼きを渡す。

 それに料金を支払い、店主の言葉に小さく笑みを浮かべて口を開く。


「この二ヶ月で一気に忙しくなったのは事実だな」

「あー……だろうな。ギルムを今までよりも大きくするってんだから、そりゃあちょっとやそっとの忙しさじゃないだろ。まぁ、おかげでこっちは商売繁盛してるけどよ」


 ギルムにいる人数が多くなったということは、当然のようにそこで食事をする者も多くなったということを意味している。

 今回の特需に集まってきた者達の数を考えれば、当然のように食事を出す店の売り上げは上がるだろう。

 他にも宿は殆どが満員になっており、知り合いがギルムにいる者達はその知り合いの家に転がり込んでいる者も少なくない。

 そんな状況だけに、元々ギルムで店を開いていた者達は皆がかなりの売り上げを誇るようになっていった。

 ましてや、肉まん、ピザ、うどん……といった風にレイが広めた――正確には広めたのは料理人達だが――料理の数々は非常に珍しく、ギルムに集まってきた者達の胃袋を掴んでいる。

 うどんであれば、アブエロやサブルスタといった街でも食べることは出来るのだろうが……それでもやはり、どうせであれば本場のうどんを食べたいと思う者が多くても不思議ではないだろう。


「じゃあ、俺は荷物を届けるから」

「ああ、頑張れよ」


 短く店主と言葉を交わし、レイは再び第三資材置き場に向かって歩き出す。

 買った串焼きは自分が一本、セトに一本、そして案内してくれている冒険者に一本。

 それぞれが串焼きを食べながら、大通りを進む。

 新しくギルムに来た冒険者や、商人、仕事を求めてやって来た者……そのような者達が、セトの姿を見て驚くのは既にレイに取っても慣れた行動だった。

 ギルムにいる住人と、そうではない人物を見分けるという意味では、寧ろ役に立ったと言えるだろう。


「それで、増築工事の下準備の方はどうなってるんだ?」

「もう引っ越しは終わって、壁の近くにあった家は殆ど取り壊しが完了しました。最後まで残ってた住人も、最終的には納得したみたいです」

「ああ、あの男か……」


 レイの顔が不愉快そうに歪められる。

 故郷であったり、小さい時から住み続けて愛着がある家だから引っ越したくないというのであれば、レイも納得出来ただろう。

 だが、その男はもっと金を寄越せと、そう言っていたのだ。

 その上、男が住んでいたのは非常に古くなっている家で、それこそもう数年もしないうちに自然と壊れるのではないかと、そう思ってしまうような家。

 とてもではないが、向こうの言い分を聞いてやろうとは思えないような相手。

 見るからに下卑た笑みを浮かべていた四十代程の男を思い出しながら、レイは嫌そうに口を開く。


「もしかして、金額を上げたのか?」

「いえ。あの男の頭が上がらない人物を連れてきて、一喝して貰いました。……そうしたら、すぐに」

「あー……なるほど。そういうこともあるのか」


 そんな風に話ながら、レイ達は第三資材置き場に向かうのだった。

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