第1396話

 木の根の人形を構成していた木の根が、全て解けて地面に潜り込み……そして消えた瞬間、まるでそのタイミングを計っていたかのように地面が揺れる。


「きゃぁっ! ちょっ、一体何!?」


 レイから少し離れた場所では、トレントと戦っていたヴィヘラが、突然の地震に悲鳴を上げる。

 それでも転ぶようなことがなかったのは、ヴィヘラの優れた運動神経のおかげなのだろう。 

 四本足のセトはいきなりの地震でも特に動揺するようなことはなく、寧ろその地震で足を取られたトレントを相手に前足の一撃を放ち、トレントを破壊していた。


「ちぃっ、何が起こる!?」


 レイもまた、咄嗟の地震に驚きながらも、いつ何が起きてもいいように体勢を整えて周囲を見回す。

 地震という現象に慣れていないヴィヘラは、一旦トレントから距離をとりながら周囲を見回していた。

 そんなヴィヘラと違い、レイはいきなりの地震には驚いたものの、地震そのものには特に驚いた様子はない。

 それは、やはりレイが日本で生まれ育ったというのが関係しているのだろう。

 日本は世界でも類を見ない程に地震の多い地域だ。

 それこそ、震度一程度の微震ともなれば、毎日のようにある。

 揺れを感じる震度二以上であっても、かなりの回数が起こっている。

 そんな日本で育ってきたレイだけに、地震にはある程度の慣れというものがあった。

 だからこそ、レイは周囲が激しく揺れているにも関わらず、周囲の様子を確認するだけの余裕があった。

 だが、レイの目から見ている限りでは、地震で揺れてはいるものの特にそれ以外の異変はない。


(何だ? こうして揺れてるんだから、間違いなく何かがあると思うんだが……何がどうなっている?)


 木の根が地面に潜っていった場所に視線を向けても、そこでは特に何がある訳でもない。

 トレントの動きも止まっているのを見ると、これから何かが起きるのは確実だという予想はあった。

 だが……その起きる何かがいつ起きるのか。


(もしかして、このままトレントの森の中で出てこなくなるとか、そんなことはないよな?)


 一瞬そんな疑問を抱くレイが、まさかと首を横に振って否定する。

 イメージ言語で伝わってきた向こうの意志は、とにかく自分を……トレントの森を広げなければならないという、半ば強迫観念にも近い意志だった。

 木の根の人形が一匹破壊されたくらいで、その強迫観念を抑えることが出来るのかと言われれば、レイは即座に否と答えるだろう。

 それだけ強烈な意志だったのだ。

 油断せず、周囲の様子をじっと見つめる。

 すると……やがて周囲を強烈に揺らしていた地震が次第に弱まっていく。

 それだけであれば、特に問題はなかった。

 いや、寧ろ喜ぶべき事ですらあっただろう。

 だが、その地震が収まると同時にレイ達がいた場所の地面がひび割れ始めたとなれば、話は別だった。


「ヴィヘラ、セト、一旦ここから退避するぞ! 下手に地割れの中に落ちたら、洒落にならない!」


 叫ぶレイの言葉に真っ先に反応したのはセトだった。

 トレントを右足の一撃で倒すと、そのままレイの下に走ってくる。

 ヴィヘラも一瞬遅れてセトの後に続き、レイはセトの背に跳び乗り、セトは翼を羽ばたかせて空に向かって飛び立つ。

 そうして浮かび上がったセトの身体に、ヴィヘラは一瞬の躊躇もなく掴まった。

 セトがトレントに最後の一撃を与えてから飛び立つまで、十秒と掛かっていない。

 それだけの素早い動きではあったが、それでも時間的には限界に近かったと言ってもいい。

 何しろ、セトが飛び立ってから数秒後には、広場になっていた場所は全てが地割れによって呑み込まれ、滑落していったのだから。


「危ねえ……」


 地上を見る限り、先程までレイ達がいた広い空間その物が全て地割れに呑み込まれ、存在していない。

 いや、それは既に地割れと呼ぶのに相応しくはないだろう。

 これだけの空間を呑み込んだということを考えれば、地割れというよりも空間そのものに穴が開いた……そう表現しても問題はなかった。


「……その割りに、地面が滑落してるのはあそこだけなのね。ほら、私達が通った道を見てよ」


 慣れた様子でセトの前足に掴まりながら指摘するヴィヘラの言葉に、レイは道の方に視線を向け……なるほどと納得する。

 上から見た限りでは、道が滑落して地割れに呑み込まれるどころか、小さな地割れの一つすら存在していなかったのだ。

 これが、地面に呑み込まれた場所から遠く離れた場所であれば、レイも納得出来ただろう。

 だが、レイ達がいた場所のすぐ隣なのだ。

 にも関わらず、地割れの一つもないというのは、とてもではないが普通では信じられなかった。


「まぁ、普通の地震じゃなかったのは確実だろうしな。なら、魔力か何かが関係してるんだろ。……それでも違和感はあるけど」


 あれだけの地震を起こすような能力を持っている相手なのだから、どのような手段を使ってきても不思議ではない。

 寧ろ、納得すら出来る……と思うのは、レイだけではないだろう。


「それで、これからどうするの?」

「……このままここにいてもどうしようもないし、取りあえずマリーナ達のところに戻るとするか。向こうでどんな感じになっているのか、ちょっと気になるし」


 レイが森の中に入った時、森の外側ではまだ戦いが続いていた。

 そうであれば、いまこの状態でも戦いが続いている可能性もある。


(まぁ、地震になった時にはトレントも木の根の人形も動きを止めていたから、マリーナならその隙に手を打っていてもおかしくないけどな)


 マリーナの指揮能力を考えれば、戦っている最中に敵が唐突に動きを止めた場合、すぐに全面的な攻勢に出るのは間違いないだろう。

 そうして冒険者達が放つ攻撃に、動きを止まったモンスター達がどうにか出来るとはレイにも思えなかった。

 そして事実……


「やっぱりな」


 セトが飛び立ってから一分と掛からず森の外側……レイ達がキャンプ地とした場所に到着すると、そこでは動きの止まったモンスターが次々と冒険者達に倒されている。

 仲間を傷つけられ、殺され……モンスターに強い恨みを抱いている者が、そしてこの機会にモンスターを倒して魔石はともかく、素材か討伐証明部位を確保しようとしている冒険者達がこれでもかと言わんばかりに働いている光景が、そこには広がっていた。






 時は戻る。

 レイがトレントの森の中に入ってからそれ程時間が経っていない頃、マリーナは冒険者達に指示を出し、弓矢を使って味方の援護をし、精霊魔法を使ってモンスターを倒すといった真似を同時に行っていた。

 一人三役をこなしつつ、それでもまだ幾らか余裕のあるマリーナは視線をトレントの森に向ける。

 巨大な花が何本も生えているのは、月明かりに照らされてここからでも分かった。


(けど、あの厄介な種が最初の花よりもこっちに飛んでくる数が少ないのは運が良かったと言うべきかしら)


 一番始めに生えてきた巨大な花は、それこそ雨の如く……と表現するのは少々大袈裟かもしれないが、地上にいる方としてそのような感想を抱いてもおかしくないくらい、幾つもの種を降らせてきた。

 その種の大きさも、小さいものから大きいものまで幅広く、中にはその種を盾で防いだにも関わらず腕を痛めた者すら存在している。

 非常に厄介な攻撃だったのだが、その種の攻撃がかなり少なくなっている。

 そのおかげで地上の敵に集中出来ているというのも間違いなかった。


「右の方にトレントが集まっているわ! それと、突然地中から生えてくる植物にも気をつけて! 戦い以外に、足の裏にも集中するのよ!」


 指示を出しつつ、青と赤の斑模様の花を咲かせているモンスターに向かってマリーナは弓を放つ。

 空気を斬り裂きながら真っ直ぐに飛んでいった矢は花のモンスターの茎に命中し、あっさりと切断する。

 地上に落ちる茎を見ながら、更にマリーナは風の精霊にお願いして、無数の風の矢を作り、トレントの集中している場所に向かって放つ。

 幾多もの風の矢が、トレントを纏めて貫き、斬り裂いていくその様子は、精霊魔法使いとしてのマリーナの技量をこれ以上ない程に感じさせる行為だった。

 レイ程ではないにしろ、マリーナの精霊魔法は広範囲を攻撃するのに非常に向いている攻撃だった。

 いや、寧ろ細かい制御が苦手なレイに比べて、マリーナの精霊魔法は精霊による攻撃でマリーナの手を殆ど煩わせないという点において勝っているといえる。

 ……その分、精霊の気分次第ではマリーナが考えもしなかったような動きをしてしまうこともあるのだが、幸い今はマリーナの指示……願ったとおりの効果を上げていた。

 それを見ている他の冒険者は、寧ろ広範囲を殲滅するレイと比べても、ある程度の範囲を絞って攻撃することが出来るマリーナの精霊魔法の方が使い勝手はいいのではないかと、そう思ってしまう。


「お、おい、あれ!」


 そんな中、ふと一人の冒険者の驚愕の声が周囲に響く。

 戦闘の中でもその声が響いたのは偶然だったのだろうが、それは冒険者達にとっては運が良かったと言ってもいいだろう。

 何故なら、冒険者が驚愕の声を上げた理由は巨大な花が次々に消滅していく光景を見たことによるものだったのだから。

 勿論消滅といっても、文字通りの意味で巨大な花が完全に消滅している訳ではない。

 巨大な花の部分だけが大きく消滅しているのだ。


「あれは……レイね」


 共にパーティを組んでおり、愛しく想っている相手だからこそ、マリーナは視線の先の光景がどのようにして行われているのかを理解したのだろう。

 今の一撃が、黄昏の槍によるものなのだろうと。

 そして事実、それは正しかった。


「あの攻撃を……レイが……?」


 近くにいた冒険者の一人がマリーナの呟きを聞き、小さく呟く。

 だが、その小さな呟きはそれこそ何故か……不思議な程に周囲の者達の耳に入る。

 戦闘をしながら、それでも耳に入ってきた声は、冒険者達の士気を高めるのには十分だった。

 数が少なくなってきたとはいえ、自分達に向かって上空から大小様々な種を飛ばしてくるモンスターを倒して貰ったのだ。

 これで、士気が上がらない筈がない。


「ああああ、あの巨大な花は貴重な資料なのに……」

「あの様子だと完全に消滅したという訳でもないようだから、その点はいいのかもしれないけど」


 研究者達の呟く声がマリーナの耳にも入ってきたが、マリーナは当然のようにその声を無視する。

 研究者達の言いたいことも分かるのだが、今はとにかく敵を倒す方が先だという認識の為だ。


「今よ! 種が降ってこない間に、出来るだけ敵の数を減らしなさい!」


 叫ぶと同時に弓を引き、ハエトリグサを射貫く。

 そんなマリーナの言葉に、冒険者達が従わない筈がなかった。

 夜に相応しいようなダークエルフの美女であるうえに、前ギルドマスターの鼓舞だ。

 それを見て士気を上げないような者は、この場にいない。

 女の冒険者は若干そんな様子に思うところがある者もいたのだが、それでも今の状況を考えれば奮闘しない訳にはいかない。

 そうして全員が高い士気の下で敵を攻撃していき、戦闘が続くこと暫く。

 不意に、モンスターの動きが止まる。

 最初にそのことに気が付いたのは、当然のようにモンスターと戦っていた冒険者達だ。


「なっ!?」


 長剣を振り下ろした冒険者は、その一撃は防がれると思っていた。

 元々今放った一撃は、意図的に向こうに防がせる為に放った一撃だ。

 そうして向こうが防いだ隙を突いて、致命的な一撃を放つ。

 そのつもりで行われた攻撃だったのだが……トレントは、その一撃をまともに受けた。

 それこそ、回避したりといったことはせず、防ぎもしないでまともにだ。

 結局振るわれた一撃は、あっさりとトレントの枝を切断することに成功する。

 防がせるのが目的であった為、そこまで強力な一撃ではなかった

 だが、トレントの異変に気が付くには、寧ろそれがよかったのだろう。

 異変を感じ、咄嗟にその場を跳び退る冒険者。

 強気の性格であれば、もしかしたら続けて攻撃をしたのかもしれない。

 事実、咄嗟に周囲を見回せば、何故か突然動きを止めたモンスターに向かって攻撃をしている者も多かったのだから。


「何っ!?」


 そうして再度驚愕の声を上げたのは、いきなり地面が揺れた為だ。

 地震というものを初めて経験した冒険者の男は、咄嗟に地面に手を突いてバランスを取る。

 もしこの時、モンスター達が自由に動けるのであれば、冒険者の命は完全になくなっていただろう。

 そう思える程の揺れだった。

 だが、その揺れも一時のもの。

 周囲では無数の悲鳴が上がっていたが、その揺れが収まれば、残っているのは何故か動きを止めたモンスターだけであり……冒険者達がそのモンスターに攻撃を仕掛けるのは当然のことだった。

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