第1394話

 話し掛けた瞬間に動いた人形は、身体を構成している木の根を振るわせながら右腕を上げる。

 すぐ近くで様子を見ていたレイは、それに何の意味があるのかは分からなかった。

 だが、それでも向こうがこうして行動に移した以上何かがあるのだろうというのは予想出来たので、じっとその動きを見つめる。

 何か攻撃をしてくれば、すぐにでも反撃出来るように準備を整えているレイの視線の先で、人形は上げた右腕をレイに向かって伸ばす。

 これが、もし勢いよく攻撃をしてきたのであれば、レイも反撃しただろう。

 だが、レイに伸ばされた腕にはとてもではないが攻撃的な意志を感じることはない。

 寧ろ、何かを求めているかのような……そんな雰囲気すら感じさせた。

 木の根で出来ている腕らしく、身体を動かさずとも右腕を構成している木の根を組み替えることで腕を伸ばすことが出来るらしい。

 自分に向かって伸ばされるその腕が、もう少しで身体に触れるかどうかという時……レイは一瞬どうするか迷う。

 悪意の類は感じられない。それは事実だ。

 だが同時に、このトレントの森が何人もの人を殺している危険な場所だというのも事実なのだ。

 トレントの森の中心部分にあるこの場所にいる、木の根で出来た人形。

 それが、トレントの森に何の関係もないというのは、全く考えられない。

 トレントの森は人に敵意を剥き出しにし、目の前の人形からは敵意を感じられない。

 そんな矛盾に、レイはどうするべきか迷い……やがて、迷っている間に木の根で出来た手はレイの身体に触れる。


「レイ!」

「グルゥ!」


 てっきり、レイは相手に触れさせるような真似はしないだろうと、そう思っていたヴィヘラとセトだったが、肝心のレイは特に何か行動を起こすような様子すらないまま、人形に自分の身体を触れさせた。

 そのことに思わず声を上げた一人と一匹だったが、人形に触れられたレイは、それどころではなかった。

 攻撃を受けている訳ではない。

 だが、人形が触れた場所から人形の考えが伝わってくるのだ。

 いや、これは考えと呼ぶべきものではないだろう。どちらかと言えば、本能に近い代物と表現するのが正しい。


『繁殖せよ、広がれ、伸びろ、どこまでも、どこまでも。己という存在を広げ、それを邪魔するものは自らの糧とせよ。広がれ、広がれ、全てを自らで覆いつくすまで』


 明確に言葉として聞こえてきたものではなく、半ばイメージがレイの中に叩き込まれたのだが、それを敢えて言語化するとすれば、このようなものか。


「っ!?」


 イメージ言語とでも呼ぶべきものを感じた、見た、聞いた……とにかく理解したレイは、咄嗟にその場から後ろに跳躍する。

 レイの様子を見ていたヴィヘラとセトは、木の根の人形が触れたと思った瞬間、いきなり後ろに跳躍したレイの姿を見て、緊張感を高めた。


「レイ、大丈夫!?」

「大丈夫だ、心配するな。別に何かされた訳じゃない」


 叫びながらも、本当にそうか? という疑問を一瞬抱くレイだったが、実際に何かをされたという訳ではないのは当然のように理解していた。

 両手に構えていたデスサイズと黄昏の槍を下ろしながら、改めて木の根の人形に視線を向ける。

 そこでは手を伸ばした状態のまま固まっている、木の根の人形があった。

 特に何か敵対行為をとっている訳ではない。


「今のは……」


 言葉にしつつも、レイは再び木の根で出来た玉座に座ったままの人形に向かって近付いていく。

 すると、それを待っていたかのように再び人形は手を伸ばす。

 伸ばされた手に、レイはそっと触れる。


『繁殖せよ、広がれ、伸びろ、どこまでも、どこまでも。全てを自分という存在で覆い隠し、取り込むまで』


 先程とは若干違う言葉……イメージ言語だったが、それでも自分が何を受け取ったのかというのは、レイにはしっかりと分かった。


「……なるほど」


 呟き、木の根の人形からそっと手を離して距離を取る。

 そんなレイの様子を見ていたヴィヘラとセトは、周囲の様子を警戒しながら近付いてくる。

 残念ながら、ヴィヘラが望んだトレントの精鋭と呼んでもいい相手との戦いは起きなかったのだが、今はそれよりもレイの方が心配だった。

 これが、木の根と戦闘になっているのであれば、それこそいつものこととヴィヘラも気にするようなことはなかったのだろう。

 だが、今回起きたのは戦闘ではない。

 それどころか、ただ少し触れただけにすぎない。

 そのことこそが、異常さを際立たせていた。


「大丈夫?」


 つい先程口に出した言葉だったが、ヴィヘラの口から出たのは同じ言葉。

 ヴィヘラの隣では、セトも心配そうにレイを見つめている。

 そんな一人と一匹を前にして、レイは口を開く。


「心配するなっていっただろ? 別に怪我とかはしてないよ。ただ……この木の根の人形、別に明確な敵って訳じゃないのがな……いや、そもそもこの木の根の人形も、本体って感じじゃないし」


 イメージ言語がレイの中に飛び込んできた時、向こうの情報も多少ではあるが流れ込んできた。

 勿論その殆どがレイには理解出来ないような目茶苦茶なものだったが、それでもレイが理解出来たこともある。

 即ち、目の前にいる木の根の人形は、このトレントの森の端末に等しいものなのだろう。

 それどころか、このトレントの森にいる全てのモンスターが皆等しくこの木の根の人形と同じく端末に等しいのだと。


(魔石がないのも当然だよな。ようは、このトレントの森というのが一つのモンスターで、出て来ているトレントとかは全てが端末……言わば、手足に等しいんだから)


 ゴブリンを殺せば、その体内にある魔石は手に入る。

 だが、ゴブリンの手足を……いや、トレントの森の規模を考えると、ゴブリンの体毛や爪といった部分を破壊しても、魔石は手に入れることが出来ない。

 まさに、レイを含めて他の冒険者達がやっていたのはそのような行為だったのだ。

 だからこそ、今まで散々トレントを含めてモンスターを倒しても、魔石が出てくることはなかった。


「本体じゃない? どういうこと?」


 じっと木の根の人形を見ているレイに対し、ヴィヘラが尋ねる。

 こうして言葉のやり取りをすれば、レイが木の根の人形によって特に何も攻撃を受けていないということも……精神的な干渉を受けていないということも、理解出来る。

 だからこそ、先程その身を案じる言葉を発した時とは違い、今は少しだけ落ち着いた様子で尋ねることが出来た。


「その言葉通りだよ。このトレントの森を支配……いや、違うか。トレントの森その物と言ってもいい存在は、別にいる。この木の根も、それこそ何度も出て来たトレントとかも含めて、全部がそのトレントの森にとってはそれこそ髪の毛とか爪とかそういう存在らしい」

「何よそれ……そんな存在、聞いたことがないけど」

「だろうな、俺もだよ。……ただ、このギルムは辺境だ。こういう例外的な存在がいても、おかしくはないと思わないか?」

「それは……」


 ここが辺境だというのを考えれば、それこそどのような存在だろうと、いてもおかしくないと思ってしまう。

 レイの言葉に、ヴィヘラも納得したのだろう。

 若干不満そうではあったが、やがて頷いてから口を開く。


「それで、あの木の根の人形に触れられて他に分かったことは?」

「そうだな、俺達に対する明確な悪意というのはなかった」

「……は?」


 完全に予想外の言葉だったのだろう。レイの言葉を聞き、ヴィヘラの口からは間の抜けた声が出る。

 トレントの森がこれまで行ってきたことを思えば、人間に……そしてギルムに対して悪意を抱いているとしか思えなかった為だ。


「悪意……というか、半ば本能に従っての行動って言うべきなんだろうな、こういう場合。とにかく、この木の根から得た情報だと自分……トレントの森を広げることを最大の目標にしていて、それ以外は割とどうでもいいといった感じだ」

「……どうでもいい、ねぇ。まぁ、種族を残す本能という意味だと正しいのかもしれないけど」


 モンスターと意思疎通が出来るというのは、ヴィヘラにとっても驚くべきことではないのか、その辺りには特に言及しない。

 そもそも、レイとセトを見ていればモンスターとの間で意思疎通が出来るというのはそう珍しい話とも思えないのだ。

 イメージ言語とも呼べるものをレイが説明すると、ヴィヘラはそこには少しだけ興味深そうな表情を浮かべたのだが。


「でも、何でこのモンスターはギルムに向かってるの? それこそ、森を広げたいだけなら進行方向に街とかがない場所に向かえばいいと思うんだけど」


 ヴィヘラの口から出たのは、当然の疑問だった。

 そもそも、ギルムでこのトレントの森が危険視されたのは、スレーシャのパーティがこのトレントの森で襲われたというのもあるが、何より広がっている方向がギルム方面だったからというのが大きい。

 ……結果として、ギルムの増築に有望な建築素材と認識されたり、魔石を持たないモンスターが発見されたりといったように、トレントの森が注意を引いたのは様々な理由があるのだが、それでもやはりギルムに向かって広がっているというのが最大の理由だろう。

 つまり、ギルムではなく……そしてギルムと一番近いアブエロでもない方に森を広げていれば、ここまで大きな騒ぎになることはなかったのだ。

 もっとも、増える木材という風に考えられれば樵達の絶好の仕事場となったのは間違いないだろうが。


「あー……どうだろうな。その辺はまだ聞いてない。聞いてないでいいのか?」


 イメージ言語と呼ぶべきやり取りなので、話を聞くというよりは話を感じる、話を受け入れる、そんな表現の方が似合うのだ。

 そのことを若干疑問に思いつつ、レイは木の根の人形に視線を向ける。

 聞けば答えてくれそうではある。

 だが同時に、あのイメージ言語のような意味不明な方法で意思疎通のやり取りをするのはどうかと思う自分もいる。

 今まで二回イメージ言語を使った限りでは、危険ではないというのは分かっているのだが……それでも、レイのどこかでは危険ではないのかという思いがあるのもまた事実だった。

 自分でも矛盾しているというのは分かるが、そう感じてしまうものは仕方がない。

 ともあれ、危険だと感じるからといって折角接触出来たトレントの森の化身とでも言うべき存在だ。

 このまま冒険者に被害が広まらないように、何とかして話を通したいと思うのは当然だろう。


「しょうがないな。もう一度挑戦するから、周囲の警戒を頼む。まぁ、これまでのことから考えると、そこまで警戒する必要はないと思うけど。それでも、念の為だ」

「いいの? ……分かったわ。気をつけてね」

「グルルルゥ!」


 ヴィヘラの言葉に続き、セトは任せて! と喉を鳴らす。

 レイに何かをしようものなら、すぐに攻撃をしてみせると鋭く周囲に生えている木々を一瞥する。

 そんな一人と一匹の様子に小さく頷き、再びレイは木の根の人形に近付いていく。

 そうして手を伸ばし……今度は一方的に向こうの意志を受け取るのではなく、自分の方から強い意志を込めてイメージを送る。

 もっとも、向こうが使っているイメージ言語に対する返答がこの方法でいいのかどうかは、レイにも確信はない。

 ただ、それでも恐らくこれが正解だろうという予想はあった。

 発するイメージは、何故ギルムに……人のいる方に向かって森を広げていくのかという疑問。


『魔力、存在、糧』


 最初に感じたのとは違い、単語を幾つか並べただけのイメージが返ってくる。

 だが、その単語からでも、この木の根の人形を操っている奴が色々と不味いことを考えているというのは理解出来た。

 魔力と存在。これは別にいいのだが、最後の糧という単語はレイにとって決して許容出来ることではない。


(ギルムを餌としてみてるのか!?)


 それはレイにとって、驚くと同時に納得出来ることでもあった。

 ギルムには、腕利きの冒険者が多くいる。

 その中には当然大量の魔力を持っている者もいるだろう。

 そもそも、レイ自身新月の指輪で現在は魔力量を隠しているとはいえ、莫大な魔力を持っている。

 人は餌ではない。

 何とかそれを分からせようと、必死にイメージを送るのだが……


『否、否、否』


 戻ってくるのは絶対的な否定のみ。

 いや、寧ろ最初から向こうはレイの意見を聞くようなつもりはなかったのではないかと。

 そう思ってしまう程の絶対的な拒絶。

 そうしてイメージ言語で何度か繰り返しやり取りをするのだが……


『邪魔、餌、糧』


 これまでにない強い意志と共に、イメージ言語のやり取りは終える。

 そうして気が付けば、レイの前にいる木の根の人形が立ち上がっていた。


「……あー、悪い。どうやら説得に失敗したみたいだ」


 ヴィヘラとセトに向かってそう告げ、レイはデスサイズと黄昏の槍を構えながら目の前の木の根の人形に視線を向けるのだった。

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