第1385話

 太陽が沈み、周囲が闇に包まれる。

 そんな中でも、森の外では焚き火によって明かりが保たれていた。

 これが普段行われている依頼であれば、ある程度の時間まではお互いに話をして、やがて見張りを残して眠るだろう。

 だが、ここにいる面子は違う。

 日中よりも、今これから……夜からが本格的な調査なのだ。


「……話には聞いてるけど、本当に来るのか? 昼間に森の中に入ったけど、モンスターの姿は全くなかっただろ?」


 冒険者の一人が、焚き火を前にしながらトレントの森を眺めながら呟く。

 夜空には雲が浮かび、完全に月を覆い隠している。

 日中は雲が殆どなく、太陽からは暖かな日射しが降り注いでいた。

 そんな春らしい天気だったにも関わらず、夜になった今はどこか怪しい空模様だった。


(トレントの森の近くにいるから、余計にそう感じるのかもしれないけどな)


 不満を口にしている冒険者の近くにいた、別の冒険者が内心で呟きながら周囲を見回す。

 森から少し離れた場所には、現在幾つもの焚き火がある。

 それぞれがパーティ単位や昼に行動したチーム単位で集まり、焚き火をしているのだ。

 人数が人数だけに、どうしても焚き火の数は多くなる。

 最初は巨大な篝火を焚いてはどうかという意見も出たのだが、いざという時すぐに火を消せるかという問題から、結局現在のような状況になった。


「なぁ、正直なところお前はどう思ってるんだ? 俺はその辺りあまり信用出来ないんだけどよ」


 話し掛けられた男が黙っていたのが気にくわなかったのか、トレントの森に対して不満を持っている冒険者の男は改めて今回一緒に組むことになった男にそう尋ねる。

 このチームは錬金術師が一人と冒険者五人の合計六人となっている。

 正確には、二人と三人の冒険者パーティが協力している形だ。

 そのうち、錬金術師は他の研究者達と意見を交わす為にここにはおらず、冒険者の中の何人かも情報交換の為にここにはいない。

 結果として、ここに二つあるパーティの中で一人ずつがここに残されていた。

 話し掛けられた冒険者は、若干面倒臭そうにしながらも口を開く。


「どう思うって言ってもな。実際襲われたことがある連中がいる以上、敵がいるのは確実だろ。……まぁ、今もいるとは限らないけど」


 本心ではそう思っていないものの、敵がいると口にした瞬間話し掛けてきた男の機嫌が悪くなったのを察し、慌てて付け加える。

 不機嫌そうな男はそれで少しは気が晴れたのか、再びトレントの森を眺めながら口を開く。


「……何も知らない癖に、勝手なことを……」


 そんな二人から少し離れた場所では、会話を聞いてしまったスレーシャが怒りを押し殺しながら呟く。

 もしトレントの森に何も問題がないのであれば、自分は……そして自分の仲間は何に襲われたというのか。

 実際に襲われた人物だけに、スレーシャは不快になる。


「落ち着けよ。……ほら、これでも飲め」


 隣に座っていたルーノが、コップを渡す。

 中に入っているのは、お茶だ。

 もっとも、このような場所で飲むお茶である以上、本格的に茶葉を使って淹れたお茶という訳ではない。

 器具を使って焚き火の上に置かれた小さな鍋で、茶葉を入れて煮込んだものだ。

 本格的にお茶や紅茶といったものを楽しむ者にとっては、とても許容は出来ないようなお茶だが……それでも冒険者にとっては、十分にお茶を楽しめるとしてよく使われている方法だった。

 ……お茶や紅茶を好んで飲むより、酒を好む者の方が多いのも事実なのだが。


「ありがとうございます」


 受け取ったお茶を飲むスレーシャだったが、それでもやはり少し離れた場所にいる二人に抱く怒気を完全に収めることが出来ない。


「落ち着きなよ。今からそんなに力が入ってちゃ、いざって時に力を発揮出来ないよ?」


 同じチームを組んでいる冒険者の一人が、スレーシャに対してそう声を掛ける。

 この中では、スレーシャが一番ランクが低い。

 本来なら、この調査の依頼に参加出来るだけのランクを持っている訳ではないのだから当然だろう。

 それだけに、他の冒険者達もスレーシャには目を掛けている。

 勿論、それはスレーシャがまだ若い女であるというのが影響しているのは間違いなかったが。

 もしこれでスレーシャの立場にいるのが生意気な男であったりすれば、それこそ他の冒険者達には違う意味で目を付けられていただろう。

 ……もっとも、そのような人物がルーノに頭を下げて一緒に行動してもらえたかと言えば、それは難しいだろうが。


「分かっています。分かっているんですけど……でも、どうしても……」


 声を掛けられ、少しは落ち着いたのだろう。スレーシャがお茶を飲みながら小さく呟く。


「ああいう馬鹿はどこにでもいる。現実を現実として見ることが出来ない奴、自分の常識が絶対だと思っている奴。……そういう奴は冒険者に向いてるとは言えないんだけどね」

「ああっ! んだとこらぁっ!」


 スレーシャと話している冒険者の声が聞こえたのだろう。

 先程トレントの森にモンスターはいないと言っていた冒険者が、スレーシャ達を見て怒鳴り声を上げる。

 向こうの会話が聞こえているのだから、スレーシャ達の会話が聞こえるというのは十分に考えられる事態だったのだろう。


「落ち着きなよ、ほら、目立ってるから。こんな場所で悪目立ちしたらどうなるか、分からないかい?」


 半ば挑発的に告げたのは、スレーシャを励ましていた冒険者の男。

 だが、口調は挑発的であっても、言ってることは決して間違っている訳ではない。

 依頼を行っている最中に問題を起こしたとなれば、それはギルドの方で問題視されるだろう。

 ましてや、今回の依頼はそのギルド直々のものだ。

 ランクアップに関する査定にも影響してくる可能性は十分にある。

 怒鳴った冒険者もそれは知っているのだろう。

 それでも頭に血が上りやすい性格をしている男にとって、今は自分を挑発した相手をどうにかする方が先だった

 そのまま立ち上がり、ルーノやスレーシャがいる焚き火の方に向かって歩き出そうとし……


「うおっ!」


 不意に首が苦しくなり、動きが止まってしまう。

 もしかして同じチームの奴が何かしたのか?

 そんな思いから、不愉快そうに後ろを睨み付けるも、そこにあったのは驚愕を浮かべている男の顔。

 少なくても、その男が自分に何をしたという訳ではないと判断した男は、自分の首を絞めている何かを外そうとする。

 だが、首にしっかりと絡みついているそれは、間に指を入れることも出来ない。

 ナイフか何かで、そう思った瞬間男は唐突に背後に引っ張られる。

 それも相当に強い力で、男が何とかその場に踏み止まることが精々だった。


「くっ!」


 殆ど反射的に腰の鞘から長剣を引き抜き、見えないままで一閃する。

 刃を通して返ってくる感触から、自分が斬ったのはある程度の太さがあるものだと気が付く。

 自分の首に何かが巻き付いたと判断してから、ここまでが数秒。

 この辺りの判断の的確さが、ランク制限のあるこの依頼に男が参加出来た理由なのだろう。


「敵襲! 敵襲だ! トレントの森からモンスターが出てくるぞ!」


 一連の動きを見ていたルーノが叫ぶが、その時には既に周囲にいた殆どの者が自分の武器を抜き、応戦体勢に入っていた。

 首を絞められた男も長剣を構えながら森の方に振り向く。

 そうして、ようやく男は自分の首を絞めていた存在の正体を知る。

 それは、蔦。

 ただし、途中で斬られたにも関わらず、未だに地面で蛇の如く蠢いている。


「くそっ!」


 男は、まだ自分の首に巻き付いていた部分の蔦を首の皮膚が爪で傷ついても構わず強引に外す。


「危ない!」


 首に巻き付いていた蔦の残骸を地面に叩きつけた男は、その声で咄嗟にその場を飛び退く。

 こうした判断が瞬時に出来るあたり、短気で喧嘩っ早くはあっても、この依頼を受けることが出来る実力がある証なのだろう。

 ともあれ、一瞬前まで男がいた場所に、何かが降ってくる。


「何だ!?」


 叫びながら空を見る男だったが、それで見たのは……生えている木よりも高い位置に存在する、巨大な花。

 もしレイがその花を見れば、恐らく『向日葵!?』と叫んでいただろう。

 実際、その花は向日葵によく似ていた。

 だが、当然のように違うところも多い。

 そもそも、向日葵はこれ程巨大ではない。

 今冒険者達が見ているのは、高さが十m程もあり、花の大きさも直径三mを越えている。

 そして花の中には種があり……その種こそが先程降ってきた何かだった。


「おいおいおいおい! いつの間にあんな花が生えたんだよ! 昼間はあんな花、なかったよな!」


 数瞬回避するのが遅ければ、その種に当たっていたのだろう男が焦って叫ぶ。

 種の威力がどれ程のものなのか、また種を植え付けられるとどうなるのか……それを思えば、種がどれ程危険な存在なのかは、大体予想出来る。


「他にも来たぞ!」


 冒険者の一人が叫ぶと同時に、木々の隙間を縫うようにしてトレントが姿を現す。

 トレントの森と名付けられたこの森に相応しく、トレントの数はかなり多かった。

 ましてや、そんなトレントの間を縫うようにして先程男の首を絞めたような蔦が何本も森から伸びてきたりもしている。


「見ろ! 地面から急速に木が生えてきている!」


 先程とは別の冒険者が叫び、咄嗟にその周囲にいた冒険者達が地面を見ると、その言葉通り地面からは見て分かる程の速度で木が生えてきていた。

 普通ではとてもではないが考えられない速度の成長。

 トレントの森がどうしてこれだけの速度で広がっているのか、それを示すような光景。

 だが、そのことに驚きながらも、ここにいる冒険者達が今やるべきことはトレントの森を観察することではなく、トレントの森から出て来ている様々なモンスターに対処することだ。

 ……もっとも、そんな冒険者達の様子を放っておいて研究者達はそれぞれが固まって興味深そうにトレントの森を観察している。


「見ろ、これだけの速度で成長するということは、大地に流れている魔力を使っているのは間違いない」

「それは分かるけど、じゃあ、あっちのモンスターはどうなのよ?」

「あの種を降らせている巨大な花か? あれこそ大地に流れている魔力を使ってあそこまで成長してるんじゃないか?」

「うーん……けど、この規模の森が広がり続けるだけの魔力? まぁ、最初のうちは何とかなるだろうけど、それでも魔力が枯渇するんじゃないか?」

「……魔力以外に何らかの理由で養分や魔力を得ていると?」

「そう言えば、冒険者のパーティが何組かここで消息不明になってるんでしょ?」

「人数を考えても、ちょっと難しいと思うけど」


 自分達が戦っているというのに、呑気にそんな会話をしている研究者達に対して、冒険者達は苛立ちを募らせる。

 特に研究者達の護衛としてここに残り、戦闘に参加していない者にとっては、何を悠長に話を……という思いを抱く者もいる。

 だが、研究者達の本来の性格から考えれば、それぞれが自分の興味のある場所に行ってじっくりと観察や採取といった行動をしたいというのが正直なところだろう。

 それを我慢し、一ヶ所に集まって冒険者達が護衛をしやすいようにしているのだから、十分に協力的だと言ってもいい。

 ……護衛する側がそれを認めるかどうかは、別としてだが。

 護衛の冒険者達が悶々、もしくは苛々とする気持ちを抱く中、次第に戦況は冒険者側に有利になっていく。

 何故なら、少し離れた場所にいた冒険者達が次々と護衛にやって来ているからだ。

 元々この依頼はランク制限があり、参加している冒険者達の実力はそれなりに高い。

 そうである以上、トレントを含めて森から出てくるモンスターは奇襲でもなければそこまで恐れることはない。

 一人でも、トレント程度のモンスターであれば互角に……いや、互角以上に渡り合える者が殆どなのだから。


「よっしゃぁっ! この調子でこっちの援軍が来れば、俺達の勝ちは間違いねぇっ!」


 冒険者の一人が、鎚でトレントの胴体を破壊しながら叫ぶ。

 その声に、他の冒険者も当然だと気合いの声を上げる。

 だが……それを遮るように一人の冒険者が叫ぶ。


「こっちの戦力は高いけど、敵にどれだけの戦力がいるのかは分からないんだぞ! ここは短期決戦じゃなくて、持久戦を考えて行動するべきだ!」


 叫びながら、男は呪文を唱えて杖を振るう。

 放たれたのは、石で出来た針。

 三十本を超える石で出来た針が、森から姿を現したトレントや地面を蛇の如く這ってくる蔦を次々に穴だらけにする。

 土の魔法を得意とすることで有名な魔法使いだ。

 魔力の消耗が低い魔法を使いながら敵を屠っていくその様子は、熟練の魔法使いと言えるだろう。

 そんな魔法使いの叫びに、先程威勢のいいことを叫んだ冒険者は不機嫌そうに叫ぶ。


「臆病風に吹かれたんなら、引っ込んでろ!」

「……それは、どうだろうな」


 その叫びと共に、叫んだ男の横を通り抜けた影が巨大な武器を一振りする。

 それだけでトレントは胴体から切断され、自らの重さで地面に崩れ落ちた。


「この森の不自然さを考えれば、短期決戦よりも力を温存するというのは間違ってないと思うけどな」


 巨大な武器……デスサイズを肩に担ぎながら、レイはそう呟くのだった。

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