第1384話

 周囲に漂うのは、食欲を刺激するような香り。

 昼をすぎた頃、レイ達はトレントの森を出て昼食を食べていた。

 普通であれば、冒険者が仕事の途中で食べるのは干し肉や焼き固めたパンが多い。

 ……もっとも、それはあくまでも長期間の依頼の場合だ。

 今回のように、拠点となっている街から近く、しかも馬車を使っての移動ともなればある程度食事に対する余裕も出てくる。

 実際、紅蓮の翼の面々はレイがミスティリングから取りだした出来たてのシチューを始めとした料理の数々を食べているが、馬車を任された御者の面々もサンドイッチや果実といった風にしっかりとした料理を食べていた。

 それでも、やはり朝に作ってからある程度時間が経っているサンドイッチと、レイがミスティリングから取り出した出来たての料理では、どうしても後者に軍配が上がる。

 御者の中の何人かが、羨ましそうにレイ達が食べている料理に視線を向けていた。

 そして、やがて我慢出来なくなったのだろう。

 御者の中の一人がレイに近付き、口を開く。


「その、レイ。もしよかったらでいいんだけど……その美味そうな串焼きを何本か俺にも売ってくれないか?」

「ああ、いいぞ」

「……え? いいのか?」


 聞いてはみたものの、恐らく断られるだろうと思っていた御者が少しだけ驚く。

 まさかこれ程あっさりと売って貰えるとは思わなかったのだ。

 だが、レイにとっては串焼きはギルムに行けば幾らでも購入出来る代物だ。

 それをミスティリングに入れておけば、それこそいつでも焼きたての串焼きを食べることが出来る。

 だからこそ、レイはあっさりと串焼きを御者の男に渡した。


「ん!」


 自分の食べる分が少なくなると、少しだけビューネが不満そうな声を漏らすが、レイが新たな串焼きをミスティリングの中から取り出せば、すぐ満足そうに頷き、食事に戻る。


「えっと……悪いな。幾らだ?」

「いや、金はいい。何だかんだで、色々と儲けてるしな」


 今回のトレントの森の一件でレイが得られる報酬は、恐らく火炎鉱石で貰うことになるだろう。

 それがどれだけの量になるのかは、レイであっても予想は出来ない。

 それだけ、レイが……正確にはレイとセトを含めた紅蓮の翼の面々が果たした役割は大きい。

 報酬はかなり多くなるのは間違いない。

 また、魔石のないトレントの死体をギルドに売ってもいるので、そちらも間違いなく相応の額にはなるだろう。

 その辺りのことを考えれば、串焼きを奢るくらいは大した出費でもない。

 多少の出費を惜しむよりは、御者との関係を良好にしておく方がいいだろう。

 特に御者は全員がギルド職員なのだから、そういう意味でもレイとしては串焼きを奢る程度は特に問題ない。


「お前達も来い。二、三本ずつくらいなら食ってもいいぞ」


 そうレイが声を掛けると、現金なまでに嬉しそうな笑みを浮かべつつ御者がレイ達の方に近付いてくる。


「適当に持っていけ。……ああ、お前等もいいぞ」


 ついでのようにレイが声を掛けたのは、馬車や御者の護衛としてここに残っている冒険者達だ。

 トレントの森の調査にきた調査隊だが、まさか全員がトレントの森の中に入って馬車や御者を放っておく訳にもいかない。

 昼間にトレントの森にモンスターは現れないとはいえ、それはあくまでも経験則でしかない。

 そしてトレントの森そのものがイレギュラーな存在である以上、いつモンスターが現れても不思議ではない。

 また、トレントの森からはモンスターが現れないが、それ以外の場所ではモンスターは普通に現れる。

 そのようなモンスターが、ここに残った馬車に襲いかかってこないとも限らないし、可能性は低いが盗賊が姿を現す可能性も十分にあった。

 それらの可能性を考えると、当然のように馬車や御者の護衛は必要となり……この一行には、馬車の護衛として雇われた者達もいる。

 当然トレントの森に調査に行った者達に比べると報酬は少ないが、それでもモンスターが出る可能性は少なく、実際に戦闘にはならない見込みともなれば、実質何もしないで報酬を貰えるという好待遇でもある。

 事実、調査隊としてトレントの森の中に入っている冒険者の中には護衛を希望した者も多かった。

 そんな護衛達は、レイの言葉に嬉しそうに串焼きに手を伸ばす。

 酒こそ飲まないものの、賑やかな昼食となり……そのまま数時間がすぎると、徐々にトレントの森から戻ってくる調査隊も現れ始める。

 そのような者達は森の外で酒のない宴会とも呼ぶべき食事会をしているレイ達を見て、不満を口にするが……レイが冷たく冷えた果実水を渡すと、すぐに文句も出なくなる。

 ちなみにこの冷えた果実水は、レイがミスティリングから取り出した物……ではない。

 馬車の中に積んであった果実水を、マリーナの精霊魔法で水の精霊を呼び出し、冷やしたものだ。

 氷を入れて頭痛がする程に冷やされる訳ではないが、それでも川の冷たい水で冷やした程度の冷たさはある。

 春の日射しの中ではあっても、森の中を歩き回って戻ってきた者達にとって、これ以上のご馳走はないだろう。

 渡されたコップに入っている果実水を飲むと、不満そうな表情を浮かべながらも最初の一口で冷たさに驚き、二口目で冷たさを確認するように飲み、そして三口目で残りを一気に飲み干し、もう一杯と要求してくる。

 そして続くのは、マリーナやヴィヘラといった極上の美女の笑みだ。

 これで満足をしない者はいない。

 ……勿論中にはまだ幾らかの不満を持っている者も多いし、出来ればもっとマリーナやヴィヘラとお近づきになりたいと考える者もいる。

 だが、その二人はレイのパーティメンバーであるのは当然知っており、迂闊な真似は出来ない。

 そうして夕方に近付く頃には、森の中に入っていた調査隊は全員が戻ってきた。


「意外と言えば意外だな」

「あら、そう? 日中にモンスターは出ないんだし、獣もいない。そう考えれば、道に迷いでもしない限り全員が無事に戻ってくるのはおかしくないと思うけど?」


 全員が戻ってきたことに呟いたレイの言葉が聞こえたのか、マリーナがそう話し掛けてくる。


「そうだな。普通ならそう思うけど……うーん、やっぱり俺の気のせいか?」

「どうかしら。その辺りは私にも分からないわ。けど、普通に考えればやっぱりそうなんじゃない?」

「けど、この森にいるのがどんなモンスターなのか……いや、もしくはモンスターじゃないのかも分からないが、とにかく俺達がいるというのは向こうも分かっている筈だろ? なら、大人しく調査されるとは思わないんだが」


 調査されるということは、この森の秘密が明らかになる可能性があるということ。

 実際にはまだ殆ど何も分かっていない状況なのだが、だからこそこの森の中にいる存在は自分達の秘密を知られたいとは思わない筈だった。

 未知というのは、それだけで相手に恐怖を覚えさせるものなのだから。


(幽霊の正体見たり枯れ尾花……とか言うけど、調査する方としてはこの森にいるのが得体のしれない何かじゃなくて、枯れ尾花の方がいいんだけどな)


 エルジィンでは理解出来ないだろう例え話を考えながら、レイは昼食から続くように夕食の準備に移っている調査隊の面々に視線を向ける。

 日中の調査では、特に誰が何かを発見するといったようなことは結局なかった。

 最初から予想されていたことではあったが、それでもやはり色々と想うところがある者はいるのだろう。

 森から出て来た時はがっかりした表情を浮かべている者も多かった――特に研究者の面々――が、今は皆が揃って夕食の準備を進めている。

 気分転換という意味でも、丁度いいのだろう。

 森の近くだが、普通の焚き火を行ってそこで料理を始めている冒険者もいる。

 中には、トレントの森から採ってきたのだろう木の実や野草といったものを煮込んでシチューを作っている者もいた。


「おい、それもしかしてトレントの森から採ってきた奴か? 危ないから止めておいた方がいいって言われてただろ?」

「大丈夫だって。これでも俺はそれなりに植物については詳しいんだ。俺が採ってきたのは、このトレントの森にしか生えていない奴じゃないし」

「……それでも、止めておいた方がいいと思うけどなぁ。そもそも、食料は馬車にたっぷりと詰め込んできたんだろ? なら、わざわざ危険を冒す必要はないだろ」

「美味そうだったんだよ」


 そんなやり取りも聞こえてくるが、他の冒険者達は特に気にした様子もなくそれぞれに食事や話を楽しんでいた。

 もっとも、これから夜の森の調査という、ある意味でこの調査の本番に挑む必要がある以上、酒を飲むような真似をしている者はいなかったが。

 これは冒険者として当然なのだろう。


「レイの持ってた料理も食べることができるんでしょう? なら、私達の方からも何か出せば、出来たての料理を分けて貰えるんじゃない?」

「うーん……それも分かるけど、この人数だぜ? レイの方でも料理が足りなくなるんじゃないか?」

「あら、知らないの? レイのアイテムボックスの中には、それこそ数千人が数年間は食べていけるだけの食べ物があるらしいわよ」

「ねえよ」


 歩いていると聞こえてきた言葉に、レイは思わずといった様子で突っ込む。

 ミスティリングの中には、大量に食べ物が入っているのは間違いない。

 だが、それでも今聞こえてきたように数千人が数年分は食べていけるだけの料理は入っていない。

 まだ手を付けていないモンスターの肉を食料として考えても、とてもではないがそれだけの量はなかった。

 特に、レイやセト、ビューネのように普通の大人よりも食う量の多い者達が揃っている以上、それがどれだけ持つのかは疑問だろう。


「うげっ、レイ!? ちょっ、もしかして聞いてた?」


 男と話していた女冒険者がレイの存在に驚き、そう尋ねる。


「ああ。こうして近くを通りかかったら偶然な。……言っておくけど、そんなに食べ物は持ってないからな」

「そ、そうよね。うん、私もそう思ってたんだけど……噂でちょっと聞いたから」


 慌てて話を誤魔化そうとする女冒険者だったが、レイは別に怒っている訳ではない。

 気にするなと首を横に振ってから、口を開く。


「それより、夜になったら忙しくなる。それこそ休憩する暇もろくになくなるかもしれないから、今のうちにゆっくりとしておいた方がいいぞ」

「……え? でも、私が聞いた話だと、出てくるのはトレントくらいなんでしょ? なら……」

「まぁ、俺達が戦ったのはトレントと……それと蔦のモンスターだったけど、本当にそれだけとは限らないだろ? 実際には他にも多くのモンスターがいる可能性は十分にあるし」


 トレントとだけ遭遇したのであれば、女冒険者の言葉に頷くことも出来るだろう。

 だが……事実として、レイ達はトレント以外にも蔦のモンスターを見ているのだ。


「この蔦、だな」


 情報を持っているのに黙っていて、結果として襲われては夢見が悪い。

 そう判断したレイは、ミスティリングの中からマリーナに言われて採取しておいた蔦を取り出す。

 いきなり目の前に蔦が現れたのを見た女冒険者は、声も出さずに目を大きく見開く。

 それは先程まで女冒険者と話していた男の冒険者も同様であり、少し離れた場所からレイの手にある蔦をじっと見ていた。

 太さは、それ程でもない。

 だが、その長さと襲ってくる蔦という先入観からか、どこか蛇のようにも思えてしまう。


「これが……襲ってくるの?」


 恐る恐るといった様子で尋ねてくる女冒険者に、レイは頷きを返す。

 その頃になると、レイと話していた冒険者達以外にも、何人もの冒険者達がレイの持つ蔦に集中していた。

 当然だろう。もしかしたら自分達が戦うかもしれないモンスターと思しき存在を、自分の目で確認することが出来るのだから。


「レイ、ちょっと触らせて貰ってもいいか?」


 周囲にいた冒険者の一人が、そう声を掛けてくる。

 するとそれに続くように、他の者達もレイに近付いてきては蔦に触らせて欲しいと頼み込む。

 普段は積極的にレイに話し掛けるような者というのはそう多くはないのだが、自分達の命が懸かっているとなれば、話は別なのだろう。

 そのような冒険者達は、レイにとっても決して嫌うべき相手ではない。

 寧ろ、好ましい存在だった。

 だからこそ、その要望に従い、蔦を手渡す。


「ああ、けどこれはギルドに提出する奴だから、傷を付けたりはするなよ」


 そんな風に言うのは忘れなかったが。

 こうして和やかな一時がすぎていき……やがて夕日は完全に沈み、周囲は暗闇に包まれる。

 ……そう、今回の本番とも言える、夜がやって来たのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る