第1379話
「……ツーバードさん、どうですか?」
ワーカーの言葉に、ツーバードと呼ばれた初老の男が顔を上げる。
その男の前にあったのは、一見するとトレントの死体にしか見えない代物だ。
だが、これはレイがトレントの森から持ってきた、魔石の存在しないトレントもどきとでも呼ぶべき代物だった。
ワーカーの方を見ながら、ツーバード……モンスターの素材の目利きに関しては、ギルムのギルドでも最高峰の技量を持った男は首を横に振る。
ギルムで最高峰の腕を持つ……目利きの力を持つということは、大きな意味を持つ。
辺境のギルムは、その辺境という地だからこそ、普通の場所では姿を見せない様々なモンスターが持ち込まれる。
それだけに、相応の目利きの実力が必要となる。
そんなツーバードにとっても、目の前にあるトレントの死体は不思議としか言いようのない存在だった。
「駄目ですな。普通に外見だけを見れば、どこからどう見てもトレントでしかないというのに……」
呟くツーバードの視線が向けられたのは、レイが魔石を探そうとして身体を切ったトレント……だけではない。
ツーバードの手によって、既に何匹ものトレントが身体を開かれていた。
もっとも、木のモンスターのトレントの場合、身体を開くと表現してもいいのかどうかは微妙なところだが。
「最初は、魔石を抜いたトレントを持ってきて魔石がないと言ってるのかと思ったんですがな。まぁ、これを持ってきたのがレイということで、その辺りは心配しておらんかったのですが」
ツーバードがそう怪しんだのは、やはりこの時季だからこそというのがあるのだろう。
ギルムにやって来たばかりの冒険者の中には、手っ取り早く自分の名前を売ろうと馬鹿な真似をする者も珍しくはない。
これを持ってきたのがレイだというのは分かっていたのだが、やはりその辺りの事情を考えればツーバードも怪しまない訳にはいかなかった。
何しろ、魔石を持たないモンスターという存在なのだから。
「でしょうね。レイさんがそのような真似をするとは思えませんし……ああ、ですが何だかんだと善良な一面もあるのを考えると、良からぬ者に騙されるという可能性は……いえ、ないでしょうね」
レイだけであれば、もしかしたら騙される可能性もあるかもしれない。
だが、レイがトレントの森に行った時、そこにはマリーナもいたのだ。
ワーカーの前のギルドマスターのマリーナが、そんな嘘に騙されるとは到底思えない。
今でこそワーカーがギルドマスターとして働いているが、純粋にギルドマスターとしての能力でマリーナに勝てるとは思っていない。
それどころか、まだその影すら踏めてないというのがワーカーの正直なところだった。
「ですが……だとすれば、少し厄介なことになりますね。ツーバードさん、このトレントを見て率直にどう思います?」
「どうと言われても……そうですな、少なくても儂が見てきたモンスターの中には、魔石を持たないモンスターなどというものはありませんでしたよ」
そもそも、魔石を持たないモンスターというのは存在しないのですから、と。
そう告げるツーバードの言葉に、ワーカーも頷く。
ダンジョンのあった場所で、ギルドの出張所を任されていたワーカーだ。
ツーバード程ではないにしろ、多くのモンスターの情報については知っている。
そんなワーカーから考えても、今回の件はとてもではないが信じられないことだ。
もし魔石のないトレントの死体を持ってきたのがレイではなかったら……そして、目の前で魔石がないと証明されていないのであれば、ワーカーもとてもではないが信じることが出来なかっただろう。
今回の件は、それ程のことなのだ。
「ですが、ギルムの増築をする為には、どうしてもトレントの森の木材は必要となります」
正確にはいざとなれば他の街から運んできて貰ってもいい。
だが、そうなれば当然のようにより多くの資金が必要となる。
ましてや、ギルムを五割増しで増築するというのであれば、それこそ幾ら木材があっても足りないだろう。
何より、トレントの森の木は魔力のおかげで普通の木材以上の力を持つ。
(というか、トレントの森の木がそのような性質をもつからこそ、ギルムの増築に使おうという意見が出て来たのであって……もし普通の木であれば、そんなことはなかったでしょうね)
トレントの森の厄介さ、不気味さ……それを込みで考えても有用だと思わざるを得ない状況に、ワーカーは頭を悩ませる。
「とにかく、ツーバードさんにはこのトレントの調査をお願いします。……トレントの森の侵蝕具合を上手く調整出来るのであれば、それはギルムにとって福音とも呼べるでしょう」
「……そこまで上手くいくとは思えないんですがね」
長年モンスターを、それも辺境のモンスターを見てきただけに、ツーバードはモンスターというのがどれ程危険な存在なのかというのを知っている。
だからこそ、ワーカーが言うようにモンスターを自分達の思い通りにコントロール出来るのかと言われれば、首を傾げざるを得なかった。
「ギルドマスター、正直なところを言わせて貰ってもいいですかい?」
「うん? なんでしょう? 勿論構いませんよ。それがよりよい結果を生み出すことになるのかもしれないのですから」
ワーカーはこうして他人の意見を聞く耳も持っている。
これはギルド職員にとっては、幸運だったと言えるだろう。
ギルドの中には、独裁に近い形で運営をしているギルドマスターもいる。
自分の意見に賛成出来ない者はすぐに辞めさせるといったように。
そのようなギルドマスターに比べると、ワーカーは随分と接しやすい相手だろう。
勿論、前ギルドマスターのマリーナが、そのような人物にギルドマスターの後任を任せる筈もないのだが。
「正直なところ、このトレントの森ですか? これは広まってるんでしょう? なら、今のうちに破壊してしまった方がいいのでは?」
「……ツーバードさんの心配も分かります。ですが、このトレントの森というのは、今のギルムにとって非常に重要な存在なのは間違いありません。当然、何かあった時にはすぐに対処出来るように準備はしていますので、安心して下さい」
「そう言ってもですな、モンスターという存在はこちらの予想通りに動くとは限りません。それこそ、常にこちらの予想を裏切るような動きをしてくると考えた方がいいでしょう」
モンスターの危険さを訴えるツーバードだったが、ワーカーの方にもここで退けない理由がある。
もしここでトレントの森の木材を使えないとなれば、それはギルムの発展が遅れるということを意味している。
同時に、ギルムの冒険者が多くの仕事を得ることも出来なくなってしまう。
ギルドマスターとしては、ギルムの冒険者に多くの利益があるだろう増築作業は、出来るだけ早い内に行いたかった。
(それに、レイさんを含めた紅蓮の翼の方々が、いつまでギルムにいるかも分かりませんしね)
レイ達が、現在ギルムを拠点としているのは間違いないし、そう簡単に拠点を移すとも考えられない。
だが……考えられないからといって、それが絶対に起きないという訳ではない以上、紅蓮の翼という色々な意味で例外的なパーティがいる内に、ギルムの増築という大仕事は片付けておきたかった。
これが普通の依頼であれば、そこまで気にする必要もないのだろうが……街の増築、それも五割増しともなれば簡単な話ではない。
少しでも戦力のあるうちに、少しでも早く……ワーカーがそう思っても当然のことだった。
特にレイは、アイテムボックスや空を飛べるセトという風に非常に魅力的な能力を持っている。
その能力がどれだけ有効なのかというのは、それこそレイの関係者であれば誰でも知っているだろう。
それだけに、ワーカーが急ぐのも無理はなかった。
(もっとも、トレントの森が色々と危険な場所なのは間違いのない事実。そうである以上、下手をすれば冒険者を無意味に危険な目に遭わせる可能性も否定は出来ませんね)
冒険者という職業についている以上、そこに危険がつきものなのは当然だった。
だが、だからといって避けることが出来る危険にわざわざ自分達から突っ込んでいく必要はないのだ。
(一度、ダスカー様とも話す必要がありますか)
幸いワーカーはギルムの増築作業についての打ち合わせの為に、毎日ダスカーに会っている。
そうである以上、この件を相談するのは難しい話ではない。
自分がやるべきことを決めると、ワーカーは再びツーバードにトレントを調べるように告げ、少しでもこの正体不明の存在の謎を解明しようとするのだった。
「ギョガァアァッ!」
森の中に、悲鳴が響く。
それも一匹だけではない。
そこら中に死体が……ゴブリンの死体が転がっていた。
いや、ゴブリンだけではない。他にもオークやリザードマンといったモンスターの姿もある。
だが……それらのモンスターの中で、生きているモンスターは殆ど存在しなかった。
それどころか、ゴブリンであると、オークであると、リザードマンであると判別出来る死体の方が少ない。
生きたまま身体中に根を張り巡らされ、血管のように皮膚の下で脈動しているのが見える者、地面から生えている植物に下半身を貫かれて体内の肉や内臓を全て消化液で溶かされて吸収され、骨と皮膚だけになっているものといったモンスターが多い。
もしレイ達がこの光景を見れば、目を見張ることだろう。
つい数時間前にこの森にやってきた時は、トレントのような植物以外のモンスターはいなかったのだから。
だが、今は違う。
まさに無数のモンスターの死体によって地面が埋め尽くされていると、そう表現するのが正しいだろう。
「ギャアアアアアア!」
鋭い棘の生えた茨が身体中に巻き付き、皮膚と肉を傷つけていく。
ゴブリンは文字通りの意味で身体中から感じられる激痛に、身も蓋もなく悲鳴を上げる。
これが冒険者であれば、刃物を使って茨を切断するといった真似をすることも出来るのだろうが、残念ながらゴブリンにとっては目の前の光景だけが全てだった。
そもそも、ゴブリンの持っている武器は棍棒である以上、茨が身体中に絡んだ時点でどうしようもないのだが。
そうして身体中から血を流しつつ、茨は大きく振るわれる。
まるで子供が玩具を振り回しているかのような……そんな感覚。
もっとも、振り回されたゴブリンの方は生身である以上、怪我をしない訳がない。
……いや、近くに生えていた木の幹にぶつかって首の骨を折り、それで死んだというのはゴブリンにとっては幸いだったのかもしれないが。
そうして最後まで生きていたゴブリンが死ぬと、森の中には死体だけが広がる。
ボコリ、と。
地面が蠢くと、そこから何かが現れる。
いや、それは木の根なのだろう。だがその木の根の太さは、それこそ大人の胴体程もあった。
その木の根がオークやリザードマンの死体に巻き付き、地面に潜っていく。
木の根だという外見を抜きにすれば、その光景は蛇が獲物を胴体で締め付けるといった行為によく似ていた。
何匹、何十匹といった蛇の如き木の根がゴブリンの死体も含めて全てを地面の下に持っていくと、次にやって来たのは木の根ではなく蔦。それも蔦の群れと呼ぶのが相応しい量の蔦だ。
地上に残っている血や肉、骨、内臓といったものを全て吸い取っていく。
それをレイが見れば、まるで掃除機のようだと……そんな感想を持つだろう。
それどころか、周囲に漂っていた濃い血臭までをもその蔦は吸収していった。
森の糧となるものは、それこそ血の一滴、肉の一欠片、それどころか空中に漂っている血臭ですら逃がしてたまるかと。
無数の蔦が獲物を食らう姿は、それこそ蛇の群れに獲物が飲み込まれていくのに似ていた。
そうして数分後……その場には、死体があった痕跡は何一つ残ってはいなかった。
空中に漂っていた血臭ですら完全に消滅しているのを思えば、ここでモンスターの虐殺とも呼べる行為があったとは、誰も気が付かないだろう。
事実、セトですらそれに気が付くことが出来なかったのを思えば、その完璧さがどれだけのものかと証明していた。
そうして森の中には静寂だけが残る。
月明かりだけが照らすなか……周囲の木々からは小さな、それこそ砂の一粒くらいの大きさの何かが流れていく。
その小さな何かは、自ら発光しつつ風に流され森の外に向かう。
そう、再び別の獲物を……森の養分となる存在を森に集める為に。
一心不乱に、森のことだけしか考えられなくなった生物は、先程殺されたモンスター達同様にまたこの森にやってくるだろう。
森は、ただひたすら獲物がやって来るのを、静寂に満ちたまま待つ。
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