第1372話
その日、樵達が仕事を終えて戻ってきて渡された報酬は、それこそ信じられない額だった。
金貨三枚。
普通であれば、樵が一日で稼いだ額とは到底思えない金額。
いや、樵の中でも特別な存在……それこそ水樹や風樹とよばれるような特殊な木を切ることが出来るものであれば、このくらいの報酬は普通どころか、少し安いとすら言えるだろう。
だが、トレントの森で働いていた樵達は、誰もが普通の樵でしかない。
そうである以上、これだけの報酬を貰えるというのは完全に予想外だった。
勿論これには幾つも理由がある。
そもそも、樵の仕事というのは出来高制だ。
そして樵の中で最も大変な伐採した木を運ぶという仕事が、アイテムボックス持ちのレイの手で行われたので殆どタイムラグがなかったというのもある。
他にも、トレントの森での仕事ということで、危険手当という面が大きい。
今まで、分かっているだけで冒険者パーティ二つが壊滅している森なのだ。……スレーシャは何とか生き延びたが。
樵として、それなりに長い間暮らしている者達は、そのことを理解している。
理解しているからこそ、余計なことはせず、言われた仕事だけをこなすことに集中していた。
だが……自分達が想像していた以上の報酬を手にした、若い樵にとっては、それこそトレントの森というのは宝の眠る森とでも呼ぶべき場所だった。
勿論危険な場所だというのは、前もって言われている。
しかし仕事をしている時は何の危険もなかったのは事実だ。
ましてや、護衛の筈の冒険者までもが自分達と一緒に木を切り、報酬を貰っていた。
自分達に樵としての自負があるだけに、そんな冒険者達に対する不満もある。
そうした若い樵達の中で、一人の樵がふと気が付く。
「稼げるうちに大量に稼いでおく必要があるんじゃないか? 冒険者達が切った木も、本来なら俺達が切って報酬を貰える筈だったんだし」
トレントの森の木を伐採する以上、その特殊性……毎日のように森が広がっていくというのは知らされている。
冷静に考えれば、自然と森は広がるのだからそこまで伐採する木の心配をする必要もないのだが……この樵の中には、冒険者に対する不満や嫉妬があった。
元々このフェクツという名前の樵はギルムで生まれ育った。
そして冒険者の本場と言えるギルムで育った以上、当然のように冒険者に憧れた。
だが……フェクツが十代半ば程になり、冒険者になろうとした頃……樵をやっていた父親が、病気で死んでしまった。
そして母親と妹、弟の三人は生活に困窮することになる。
冒険者というのは、それこそ低ランク冒険者の場合は自分一人が何とか暮らしていく程度の稼ぎしかない。
もしここでフェクツが自分の意志を通して冒険者になっていれば、フェクツの家族が暮らしていくのは難しかっただろう。
それこそ、フェクツの母親が娼婦にでもならなければ、飢え死にしていただろうと思うくらいには。
そんな状況では、フェクツも冒険者になるという我が儘を通す訳にはいかず、樵になるという選択肢しかなかった。
樵も新人はそこまで高い給料を貰える訳ではないのだが、それでも低ランク冒険者に比べれば報酬は多い。
少なくても、まだ幼児と呼ぶべき弟と妹が飢えなくてもいい程度には。
そして……フェクツは樵としての暮らしを始める。
結果として、フェクツには父親から受け継いだ樵の才能があったのか、樵の若手の中でも頭角を現していく。
今では若手の中でも力を持つ人物の一人という扱いになっていた。
そんな人物の言葉だけに、当然フェクツに心酔している樵の若手達はその意見に賛成する。
実際、護衛としてやってきたのに一切仕事らしい仕事をせず、自分達の真似をして木を切っていたことに、思うところがある樵というのは決して少なくはなかった。
ましてや、本職の樵ではないだけあって伐採された木の切り口が雑だったり、木の倒れる方向を特に気にしていない者も多く、適当な方に木が倒れてきたりといった具合に、フェクツの目から見てとても見られたものではなかった。
もっとも、冒険者達も自分達が木の伐採を樵のように上手く出来るとは思っておらず、迷惑を掛けないように樵達からある程度離れた場所で木の伐採をしていたのだが。
フェクツの目から見れば、そんな気遣いにも色々と裏があるのではないかと考えてしまう。
そんな木の切り方で、更に護衛の報酬も貰えるという……フェクツにしてみれば、冒険者達の行動には納得出来なかった。
ましてや、中には護衛を放り出して女と二人きりで森の中に行った冒険者の姿も見ているのだから、納得出来ない気持ちはより強くなる。
……実際には、ルーノとスレーシャの二人はトレントの森について色々と調べていたのだが、フェクツにはその辺の事情……スレーシャがトレントの森で全滅したパーティの生き残りだということは知らされていない。
だからこそ、フェクツにとってルーノ達は護衛の依頼を受けたにも関わらず、イチャついているようにしか見えなかった。
そんな冒険者達に、むざむざと稼がせるような真似をしたくないと思うのは、フェクツの境遇や性格を考えればおかしな話ではないのだろう。
「よし、行くぞ」
呟くフェクツの言葉に、側にいる他の者達は頷きを返す。
フェクツと行動を共にしているのは、フェクツを慕っている者、金に困っている者、単純に冒険者が気にくわない者……それ以外にも様々な理由を持つ者達。
そんな者達が、今回フェクツと共に斧を持って正門に向かう。
既に太陽は傾き、夕日となって周囲を赤く染める。
春らしい暖かさもあるが、この時季になっても夜になるとまだまだ寒い。
少し冷えてきた中だったが、それでも冒険者達を出し抜くという興奮を抱くフェクツ達は、寒さを感じないままに歩く。
そうして正門に到着すると、街を出る手続きを行うべく警備兵に声を掛ける。
ここが、第一関門。
もう暫くすれば、今日の門は閉じる。
である以上、この時間から街を出るフェクツ達は心配されても当然だった。
「うん? フェクツ? 他の面子も、どうしたんだ?」
「ああ、ちょっと仕事場に忘れ物してきてしまってな。それでこうして取りに行こうと思ったんだよ」
「うわぁ……それは明日に回すってのは駄目なのか? 正門を閉めるまで、もうあまり余裕はないぞ?」
「分かってるよ。けど、かなり大事なものなんだ。一晩置きっ放しにして、モンスターとか動物とかに妙な悪戯をされたくない」
「……分かった。けど、気をつけろよ?」
心配されるだけで、特に怪しまれたりしないのは、樵として活動してきて警備兵とも顔見知りになっているからだろう。
そんな顔見知りの警備兵に軽く手を振り、フェクツは手続きを進める。
「にしても、十人以上も一緒にいくのか?」
「まぁ、もし何かあった時の為にな。まさか、仕事場まで行って戻ってくる為だけに、冒険者を雇う訳にはいかないだろ?」
「まあな」
フェクツの家が決して裕福ではないことを知っている警備兵だけに、その言葉にも納得せざるを得ない。
出来れば、多少なりとも戦闘訓練を受けている自分がついていきたいと思いもしたのだが、現在の自分は正門の担当として動く訳にいかなかった。
「本当に気をつけろよ」
「ああ、勿論だ。それに、ゴブリン程度なら俺達がこれだけ揃ってればどうとでもなるから、心配するなって」
「……ゴブリン以外にも、多くのモンスターが現れるかもしれないから、心配してるんだけどな」
心配する警備兵に軽く手を振り、ギルムを出る手続きを済ませると、フェクツは他の樵を率いて正門を出ていく。
そんなフェクツ達の後ろ姿を、まだ仕事中の警備兵は黙って見送ることしか出来なかった。
「いいか、俺達は今夜……それこそ、明日の朝になるまでひたすら木を伐採する。それこそ、冒険者達に俺達の縄張りに手を出させないようにするんだ」
『おう』
フェクツの言葉に、他の樵達が頷く。
既に街道から外れ、トレントの森に向かって進んでいた。
樵がこの時間帯に外に出ているというのは、それ程珍しい話ではない。
それこそ、木を伐採している時は門が閉まる直前にようやくギルムに戻ってくることも珍しくはないのだから。
だが、それでもこの時間帯に仕事場となる場所に向かうというのは、フェクツにしても初めての経験だった。
「一応、何かあったらすぐに声を掛けるようにな。……まぁ、今日の冒険者達の様子を考えると、そんな心配はまずいらないだろうけど」
「だな。そもそも、冒険者は護衛で雇われた癖に、全然護衛の仕事をしてなかったし。それなら、最初から樵になってろってんだ」
フェクツに心酔している樵が、冒険者に対しての不満を口にする。
そのことは他の者達も同様なのだろう。それぞれに言葉を発しながら歩いていく。
そうして、夕日が沈むかどうかという頃……フェクツ達はトレントの森に到着する。
「ふーん」
フェクツの口から、何となく周囲を見回しながらそんな呟きが漏れる。
特に何か意味があっての言葉ではない。
だが、それでもフェクツの口からはそんな言葉が漏れたのだ。
「フェクツさん、どうします?」
近くにいた樵の一人が、フェクツに尋ねる。
それぞれ、樵の装備は一式持ってきている。
斧を持っているのは怪しまれるのではないかとも思ったのだが、顔見知りだということもあってか、警備兵は特に怪しんだ様子もなかった。
もっとも、護衛もなしでギルムの外に出るというのだから、武器を持ち歩くのは当然なのだろうが。
「こうしている暇も勿体ない。早速取り掛かろう。いいか、一応何もないと思うが、何かあったらすぐに皆に知らせるように叫ぶんだ」
本来であれば、冒険者でもないただの樵が夜を徹して木を伐採し続けるというのは、自殺行為に等しい。
だが、日中にトレントの森で仕事をしている時は、モンスターどころか動物すら見なかった。
そうである以上、夜であってもモンスターは出てこないだろうという思い込みがあった。
普段であれば、フェクツもそんな風に思いこんだりはしないだろう。
それでも現在このような行動に出たのは、やはり昼に見た冒険者への嫉妬が最大の理由だった。
自分がなりたくてもなれなかった、冒険者。
その冒険者がいなくても、今の自分達は問題なく木を伐採出来ると。
それを証明し、明日仲間の樵と冒険者達がやって来た時、こう言うのだ。
「冒険者? 別にいてもいなくても同じだけどな」
と。
そう言った時に、冒険者達がどのような表情を浮かべるのか、想像するだけでフェクツの顔に喜悦の笑みが浮かぶ。
……フェクツも、このトレントの森でパーティが壊滅したという話は聞いている。
だが、壊滅したのが冒険者パーティで、情報を提供したのも冒険者ギルドということもあって、素直に信じる気にはなれなかった。
冒険者の価値を少しでも上げる為に、ありもしない話をでっち上げたのではないか。
自分でも下種の勘ぐりに等しいと理解はしているのだが、それでもどうしてもそんな風に考えてしまうのだ。
自分の指示に従って次々にトレントの森の木を切り倒す準備をする仲間を見ながら、一瞬だけフェクツの脳裏にこれでいいのかという考えが過ぎる。
それでもすぐに頭を振り、この選択肢が最善なのだと……そう自分に言い聞かせ、フェクツもまた木の伐採の準備に取り掛かる。
それはまるで、嫌なことから目を背けているような……そんな行動だった。
そんな行動であっても、今まで樵として生活してきただけあって手際はいい。
フェクツが口にした通り、冒険者がやっていた伐採作業とは比べものにならない手際の良さだ。
「倒れるぞー!」
斧を振るい、倒れる方向を制御して外側に木を倒す。
木の枝を取ったりといった真似はしなくてもいいので、フェクツ達は次々に木を切り倒していく。
その速度は、色々と思うところが多いものはいるのだろうが……それでも、間違いなく素早い。
だが、既に周囲が薄暗くなっている状況での行為である以上、どうしても作業はしにくくなる。
「火を点けるぞ! 森に燃え移らないように注意しろよ!」
フェクツの言葉に、皆がそれぞれ返事をして再び作業に戻っていく。
森の中で焚き火をするというのは、色々な意味で危険なのだが……幸い、樵としての経験で、それくらいは何とかなるという自信がフェクツにはあった。
また、樵という仕事をしている以上、皆がそれぞれ力は強い。
もし明かりを見て動物やモンスター……それどころか盗賊が襲ってきても、自分達であればどうとでも出来るという自信がある。
その自信を源として……フェクツ達は、森の中で伐採作業を続けるのだった。
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