第1336話
「はああぁぁあっ!」
そんな声と共に、アロガンが魔剣を持ってレイに向かう。
それを待ち受けるレイは、いつものように右手にデスサイズ、左手に黄昏の槍を手にしていた。
「ふっ!」
鋭い呼気と共に、レイの左手が動く。
いつも放つよりは大分遅く突き出された黄昏の槍の穂先は、真っ直ぐにアロガンに向かうが……
「させるかよ!」
魔剣を振るい、黄昏の槍を弾く。
だが……次の瞬間、黄昏の槍の一撃から数瞬遅れて放たれていたデスサイズの巨大な刃がアロガンの首筋に突き付けられ……
「そこまで!」
アジモフの家の中庭に、ヴィヘラの声が響く。
「だー、くそ! こっちは武器が一つなのに、レイだけ二つってのは卑怯じゃないか!?」
叫びながら、アロガンは地面に倒れ込む。
地面から生えている芝生が、アロガンの身体を柔らかく受け止める。
以前レイがアジモフの家にやってきた時は生え放題になっていた庭の草だったが……壁を直す時にそちらも整備したのだろう。
今では立派な芝生と呼ぶのに相応しい姿となっていた。
(もっとも、アジモフが庭の手入れとかする筈もないし……多分夏になる頃には、また生え放題って感じになってるんだろうけど)
芝生の上に寝転んでいるアロガンを見ながら、レイは両手の武器をミスティリングに収納して口を開く。
「二槍流だって、そう簡単に出来ることじゃないんだけどな」
二刀流は、両手で一本ずつの武器を持つ必要がある。
その時点でかなりの握力や腕力を必要とされるが、そんな二刀流と比べて二槍流のレイが武器にしているのは、デスサイズと黄昏の槍だ。
……幸い、レイの場合は元々の身体能力が非常に高く、両手に長物二本を持っても全く苦にしない。
そもそも、デスサイズはレイとセトに限って重量を感じさせないという特殊な能力がある。
そのような理由から、重量に関しては殆ど無視出来た。
だが、それ以外にも二槍流では厄介なことがある。
二刀流とは違い、武器が長物で……つまり、取り回しがしにくく、武器同士がぶつかるということも珍しくはない。
事実、レイも最初に二槍流を思いついてから暫くの間は使いこなすのにかなり苦戦し、練習に練習を重ねてようやく今の域にまで達したのだから。
もっとも、レイ自身は今の状況では満足していない。
自分が二槍流を極めたとは思っていないし、それどころかまだ自分の腕は未熟だと理解していた。
だからこそ、毎日の訓練を欠かしていないのだから。
「ふーん……じゃあ、俺も簡単に二刀流にするってのは駄目なのか」
「当然でしょ。簡単に二刀流を使いこなせるようになるのなら、もっと増えてるわよ」
今の模擬戦を見ていたキュロットが、呆れたように呟く。
(二刀流……二刀流? 今まで普通に二刀流という言葉を使ってたけど、刀なんて見たことがないよな。なのに二刀流? 言葉にするのなら、二剣流とか、そんなのになるんじゃないか?)
そんなことを思うレイだったが、実際にはこの世界で広まっているのは二刀流という言葉であることを疑問に思う。
もっとも、実際に二刀流という言葉を広めたのはゼパイル一門でレイと同じように地球からやって来たタクムなのだが……レイがそれを知ることはない。
「とにかく、模擬戦はこれで終わりだな? 俺はお前達を護衛としてアジモフに紹介したのに、まさか模擬戦の相手をすることになるとは思わなかったけど」
昨日アロガンとキュロットをアジモフに紹介し、プレシャスの動きを待つためにこうして今日もまたアジモフの家にやって来たのだが……レイを見たアロガンが、模擬戦を挑んできたのだ。
護衛の為に少しでも技量を上げたいと言われれば、レイも断ることはない。……寧ろ、自分の訓練の為にも丁度いいと判断して、こうして模擬戦を行ったのだ。
「ちょっと待った! 私を忘れて貰っちゃ困るわね。護衛の為に模擬戦をするのなら、当然それに協力する私もでしょ」
レイの言葉に待ったを掛けたのは、当然のようにアロガンの相棒のキュロットだった。
手には短剣を持ち、いつでもレイとの模擬戦が出来るように準備をしている。
(あー……まぁ、言ってる事は分からないでもないんだけどな。それにキュロットが具体的にどのくらいの実力を持っているのかを知っておいた方がいいのか?)
そう判断すると、レイはデスサイズと黄昏の槍をミスティリングに収納すると、素手でキュロットと向かい合う。
「……ちょっと、武器は持たなくてもいいの?」
「ああ」
「ふーん……私を甘く見てる訳だ」
「別にそんな訳じゃないんだけどな。ただ、キュロットと戦うにはこっちの方がいいと思っただけだ」
正直なところ、レイとしてはデスサイズや黄昏の槍を手にした状態で戦うことになると、キュロットに大きな怪我をさせてしまう可能性もある。
勿論手加減をしようとは思うのだが、それでももしかしたら……という危険はある。
これがアロガンであれば、戦士として身体を鍛えてきたり戦ってきた経験があるので、防御に対して多少の慣れもあるだろう。
だが、盗賊のキュロットは、戦闘向きという訳ではない。
戦闘をしない訳ではないが、どうしても戦闘の専門家のアロガンよりは劣るのは事実だ。
そう考えれば、やはりレイとしては手加減のしやすい素手での戦闘を選ぶのは当然だった。
また、素手での戦闘に対する訓練という意味もある。
「後悔……しないようにね!」
レイにはレイの考えがあったが、それでもキュロットがレイの考えを許せるかどうかと言われれば、答えは否だろう。
不愉快そうに叫ぶと、短剣を手に一気にレイとの距離を縮める。
それを見ていたレイも、そのまま黙って見ている訳ではなく、キュロットの動きを見極める。
いつもはデスサイズや黄昏の槍を使っての戦闘を主としているので、こうして素手の戦闘訓練をするのは久しぶりだった。
……もっとも、喧嘩という意味では素手で相手をすることも多いのだが。
盗賊だけあって、レイとの間合いを詰めるキュロットの動きは俊敏だった。
フェイントに関しても、アロガンよりは上だろう。
元々魔剣……長剣を手にしているアロガンと、短剣を手にしているキュロットでは、どうしてもキュロットの方が攻撃速度は素早くなる。
「はぁっ!」
鋭い叫びと共に、真っ直ぐに突き出される短剣。
だが、レイはその一撃を軽く身体を揺らすようにして回避すると、そのままそっと手を伸ばす。
自然に……あくまでも自然に伸びてきたレイの手に、キュロットは最初気が付かなかった。
それでもレイの手が自分の右肩に触れようとした時にはその存在に気が付き、咄嗟の判断で後方に跳躍する。
靴越しに芝生を踏みつける感触を覚えながら、キュロットは背筋に冷たい汗が流れるのに気が付く。
今、自分は本当に危機一髪だったのだと、そう理解した為だ。
もし一瞬でもレイの手に気が付くのが遅ければ、恐らく今頃は芝生の上に転がっていただろう。
レイに勝てるとは思っていなかった。
それでも、もしかしたら一矢報いることくらいは出来るのではないか……そんな風に思っていた自分が、恥ずかしくなる。
アロガンとの模擬戦は側で見ていた。
その模擬戦を見ていたからこそ、自分でもある程度はレイと戦えると思っていたのだ。
だが、実際には今の一連の動きだけで、自分とレイの間にある圧倒的なまでの実力差というものを思い知ってしまった。
(アロガンも、よくこんな相手と模擬戦が出来たわね。……まぁ、殆ど一方的にやられてただけみたいだけど)
レイが自分から距離を詰めてこないのをいいことに、キュロットは何とか関係のないことを考えながら自分の中にある動揺を沈めようとする。
……その考える対象が幼馴染みのスコラではなくアロガンだったのは、本人にも全く自覚はなかったがやはりアロガンという存在がキュロットの中で大きなものだった証なのだろう。
そして無意識ながらアロガンのことを考えたキュロットは、レイを前にして緊張していた身体が多少ではあっても動きを取り戻したのを感じる。
(これなら、いける!)
そう考えた瞬間、再びキュロットは地面を蹴ってレイとの間合いを詰めていた。
最初に比べると、明らかに身体の動きが軽い。
そのような自覚を持ちながら、見る間に近付いてくるレイの姿に短剣を振るう。
本来なら模擬戦を行うには刃のついていない武器を使うのが当然だった。
だが……今のキュロットには、そんなことを考えていられるような余裕はない。
ただ真っ直ぐ、自分の意志の赴くがままに短剣を振るう。
……もっとも、キュロットの中にはレイであれば自分の攻撃が命中しても殆ど意味がないという、そんな確信もあったのだろうが。
「はぁっ!」
「甘い」
そして事実、これまでで最高の一撃と自信を持って断言出来る攻撃は、あっさりとレイに回避された。
それどころか、手首を掴まれそのまま自分の力を利用して空中に放り投げられる。
盗賊らしい身の軽さで空中で体勢を整えつつ、芝生の上に着地はしたが……キュロットの表情にあるのは、信じられないといった表情だ。
実はまだレイは全く本気を出していないというのは、それこそ素手で戦っているのを見れば明らかだろう。
ましてや、キュロットは知らないがレイにはまだ奥の手が……炎帝の紅鎧というスキルがある。
「くっ! 相変わらずやるわね」
レイが強いというのは分かっているが、それでもまだ諦めない辺り、キュロットの気の強さを示していた。
自分でも行うことが出来る、最大限の攻撃の効果がなかったのだ。
キュロットは再び芝生を蹴って、再びレイに向かう。
真っ直ぐに攻撃してもレイには効果がない。
それがはっきりとした以上、次にキュロットが選ぶのはフェイントを多用した攻撃だった。
短剣という、リーチの短い武器……だからこそ軽く、フェイントを用いるには適している武器でもあった。
突きと見せ掛け、一旦手元に武器を戻し、そのまま別の場所を狙っての突き。
だが、そのような攻撃は当然のようにレイに見抜かれ、あっさりと回避される。
もっとも、キュロットにとってそれは最初から予想通りのものだったのだろう。全く気落ちした様子もなく地面にしゃがんでレイの足に向けて回し蹴りを放つ。
「っと」
後ろに跳躍したレイは、自分のすぐ前を通りすぎたのを確認すると再び前に出る。
地を這うような回し蹴りを放ったキュロットは、そのことを確認するや否や牽制として短剣を振るう。
当たらなくてもいいので、少しでも時間を稼げれば……そんな思いからの攻撃。
そんなキュロットの一撃は、レイにとっては……いや、レイに限らずある程度以上の力量の者からすれば、隙だらけにしか見えなかった。
「甘い。……何度目だろうな」
甘いのところでキュロットの握っている短剣の柄の先端部分を蹴り上げ、次の言葉を発した時には既にキュロットの腕はレイに掴まれ、そのまま地面に倒されていた。
腕を背中に回されて地面に押しつけられているキュロットは、この時点でもう何も出来ない。
幾ら負けん気の強いキュロットでも、この状況で自分の負けを認めないという選択肢は存在しなかった。
「まいった」
「じゃあ、俺の勝ちだな。……動きの素早さや、負けん気の強さはいい。いいんだが……それに技術が追いついてない感じだな。正直なところ、戦闘技術という一面だけで見れば、ビューネの方が上だぞ」
「ん」
セトに寄り掛かっていたビューネが、レイの言葉に軽く手を挙げる。
「嘘でしょ!? あんな子供に!?」
キュロットは、レイの言葉を信じられないと叫ぶ。
だが、それも当然だろう。キュロットとビューネの年齢差を考えれば、純粋な身体能力ではキュロットが圧倒している。
それでも、ビューネはその小柄さを活かして俊敏な動きを得意とするし、白雲というランクSモンスターの素材を使った武器があった。
そして何より……冬の間行われた戦闘訓練で、ビューネの相手をしたのは主にヴィヘラで、レイやマリーナも時々相手をしていた。
その全員が、このギルムでも上位の戦闘力を持っている者達だ。
そんな相手との戦闘訓練ともなれば、訓練の密度そのものが普通の戦闘訓練とは大きく違う。
勿論、それは盗賊という点で見れば明らかに失格なのだが。
そもそも、キュロットを見れば分かるように盗賊というのは戦闘が本職ではない。
冒険者として活動している以上、ある程度の戦闘技術は必須となるが、どちらかと言えば必要になる技能は戦闘よりも隠密や罠の発見、解除、鍵開けといった代物だ。
(そう考えると、ビューネはもう盗賊じゃなくて、盗賊っぽい戦士というのが相応しいのかもしれないな)
そんな風に思いながら、ショックを受けているキュロットを慰めるように一言だけ口にする。
「戦闘はビューネの方が上だけど、純粋に盗賊としての技量で見ればキュロットの方が上だと思うぞ?」
慰めの言葉に、キュロットはそれでも少しだけ安心したような表情を浮かべるのだった。
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