第1324話

「……何ぃっ!? それは、本当なのか!?」


 アジモフが襲われたという話を聞いたパミドールは、一瞬レイが何を言ってるのかが理解出来ないといった様子で沈黙したものの、次の瞬間には大きく叫ぶ。

 その大声は、鍛冶場の中どころか、外を歩いている者の耳にもとどいたのではないかと、そう思われるような声だった。


「安心しろ、アジモフは無事だ」


 大声に耳を押さえているマリーナやヴィヘラ、ビューネ……そしてパミドールの間近でその声を聞くことになってしまったクミトの様子を見ながら、レイはそう告げる。

 パミドールも、取りあえずアジモフが無事だと知って安堵の息を吐く。


「ったく、あいつのことだから、何かマジックアイテムを使って追い払ったのか?」


 その言葉に、レイは一瞬その通りだと言って誤魔化そうかとも考えた。

 だが、そもそも自分がここにやって来たのは、ビューネの白雲の手入れをして貰うというのもあるが、それ以上にパミドール一家がプレシャスの手の者に狙われるという可能性も十分にある為だ。

 もしここで実はアジモフがマジックアイテムを使ったとしても楽に対応出来るような相手だった……と口にした場合、それはパミドールにとって致命傷になる可能性もある。


(まぁ、パミドールは心配いらないかもしれないけど……クミトとかは、話が別だしな)


 盗賊の大親分と呼ぶのに相応しい外見と、鍛冶師として鍛えてきた頑強な身体と筋肉。

 それこそ、その辺の冒険者になったばかりのような相手と戦っても、間違いなくパミドールが勝つだろうと思えるだろう体格。

 いや、新人冒険者だけではなく、ある程度のベテランであってもパミドールに勝つような真似は難しいだろう。

 だが、それはあくまでもパミドールだけだ。

 その家族……子供や妻はパミドールとは違ってごく普通の人間にすぎない。

 そちらが狙われる可能性もあると考えれば、ここでアジモフの件を誤魔化す訳にはいかないだろうと、レイはパミドールの問いに首を横に振る。


「いや、正直なところ、あと数分俺達がアジモフの研究室に入るのが遅れていれば、多分死んでただろうな。それ程の重傷だ」

「……何?」


 パミドールの口から出るのは、驚きの声。

 まさか、アジモフがそのようなことになっているとは、思いもしなかったのだろう。

 だが同時に、先程レイが口にした命に別状はないという言葉と矛盾する内容に疑問を抱く。

 クミトも何度かアジモフの家にはパミドールと共に行っているので、それなりに親しい。

 そんな相手が襲われ、死ぬ寸前の重傷を負い、それでも無事だということに色々と混乱しているものの、今は黙って父親とレイのやり取りを見守っていた。


「どういうことだ? レイの言ってることは、色々と矛盾していないか?」

「そうでもない。普通に考えれば間違いなく死ぬ筈だったけど、俺の場合は色々とマジックアイテムを持ってるからな。その中にはそのままだと死ぬ筈だったアジモフを治療出来るポーションもあったんだよ。……かなり高価だけど」


 世界樹の素材から作られたポーションに比べれば、まだ金があれば購入出来る代物だったが、それでも非常に高価なポーションを使ってアジモフの命を助けたのだ。

 ……ポーションはそれこそ安ければ銅貨数枚程度の代物から、高ければそれこそ白金貨や……中には光金貨を出してすら買えない物もある。

 世界樹の素材から作ったポーションは、まさに後者の象徴だろう。

 尚、銅貨数枚のポーションというのは、軽い切り傷すら完全に塞ぐことが出来ないような、そんな効果しかない代物だ。

 それを考えれば、レイがアジモフに使った致命傷を回復したポーションがどれだけの価値を持った物だったが想像出来るだろう。


(黄昏の槍とか、窯とか、スレイプニルの靴とかで色々と助けて貰ってるけど、一応ポーションの代金は請求した方がいいのか? ……まぁ、アジモフの場合、自分に使われた以上の効果を持つポーションを渡してきそうだけど)


 凄腕の錬金術師だけに、アジモフにとってポーションを作るのは難しい話ではないだろう。

 寧ろ、既にポーションのストックがあり、すぐに渡されそうな気さえしてくる。


「ああ、ポーションのおかげか」


 幸いにもパミドールはレイのその言葉で納得の表情を浮かべる。

 クミトの方はまだよく分かっていない様子だったが、とにかく父親が安心しているので問題ないと判断したのだろう。

 アジモフが無事だと判断し、それ以上口に出すようなことはしなかった。


「……で、だ。話はここから本題に入る」

「は? 本題?」

「ああ。今回アジモフが狙われたのは、恐らく……いや、ほぼ間違いなく俺のとばっちりだ」

「とばっちり、だと?」

「ああ。スピール商会って商会は知ってるか? ……いや、トリスが直接白雲を譲るようにここにやって来たんだから、知らない筈はないか」


 レイの口から出た言葉に、少し前……まだ冬だった時の出来事を思い出したのだろう。パミドールは頷く。


「ああ、いたなそう言えば。……待て。なら、そのトリスとかいう奴がアジモフを襲ったのか?」

「違う。正確には、そのトリスを妬んでいる奴ってのが正確だな。パミドールが知ってるかどうか分からないが、あのトリスはスピール商会のギルム支店を任されている人物なんだ」


 そこまで言われれば、パミドールにも今回の件がどのような理由で起きたのかが理解出来た。

 そして理解出来たが故に、日々の鍛冶で鍛えた筋肉に力が込められ、まるでその身体が一回り大きくなったようにすら周囲の者に感じさせる。


「つまり、何だ。アジモフの野郎は下らねえ嫉妬に巻き込まれたってのか?」

「残念ながらな。ちなみに俺とアゾット商会を意図的にぶつけて、それを行ったのがトリスだった……って形にしたかったみたいだな」

「……ほう」


 低い声。

 凶悪な外見とは裏腹に、パミドールは仲間思い、友人思い、家族思い……そんな性格をしている。

 そんなパミドールにとって、自分の友人が下らない嫉妬から生まれた争いに巻き込まれたというのは、到底我慢出来ることではなかった。


「落ち着け」


 怒りに燃えるパミドールだったが、レイの言葉で我に返る。

 その一言で分かってしまったからだ。レイが自分と同じように……もしくは、それ以上に怒っているということに。


「今回の件は、俺も思いきり巻き込まれた側だ。当然そうなればこっちとしても色々と思うところはあるし、今回の件を仕掛けてきた相手に対しては相応の報いを与える。けど……知っての通り、俺の知り合いのアジモフが狙われた」


 そこで一旦言葉を止めたレイの視線が向けられたのは、パミドール……ではなく、クミト。

 パミドールの息子として、クミトとレイの関係は良好だと言ってもいい。

 何より、クミトがセトに懐いていることもあって、ギルムにいる子供の中でもクミトとレイの関係は非常に良好だった。

 ……初めて会った時、クミトが苛められているのをレイが助けたというのも関係はしているのかもしれないが。

 ともあれ、パミドールはともかくクミトが誰かに狙われた場合、非常に不味いのは事実だった。

 父親と違い、クミトは普通の子供なのだから。


(ここで普通の人間……って言ったら、パミドールに怒られそうだけどな)


 ふとそんなことを思ったレイだったが、それは全く表に出さず言葉を続ける。


「アジモフを襲うように指示した相手が同じようなことをするとは思えないけど、そうなるとパミドール達も狙われる可能性は十分にある。勿論狙われるのはパミドールだけじゃないけどな」

「……パミドールはいいけど、他の知り合いはどうするの?」


 ヴィヘラの言葉に、レイの動きが止まる。

 何だかんだと、レイがギルムで知り合った人物は多い。

 そのような相手全員に今回の件を知らせて、警戒するように……というのは、物理的に出来ないだろう。

 屋台をやっているような人物も含めれば、レイとセトの知り合いと呼ぶべき人物は、更に数は増えるのだから。


「それは……そうなると、やっぱり長い時間を掛けるような真似をする訳にはいかないってことか」

「でしょうね。……大体、レイがそこまで我慢出来るとは思えないし」


 レイのことなら全て分かっていると、そう言いたげにマリーナが頷く。

 実際、レイの性格から考えて、大人しく時を待つといった真似が出来る訳でもない。

 寧ろ現在のプレシャスに向かって突っ込んでいっていないだけ、我慢していると言えるだろう。


「……結局は証拠か。何か証拠があれば、すぐにでもデスサイズの錆にしてやれるんだけどな」

「そうね。その証拠がないのは痛いわ。アジモフを襲った相手を捕らえることが出来ていれば、話はまた違ったんでしょうけど」


 捕らえた相手から辿っていけば、最終的にプレシャスに届いた筈だった。

 勿論言葉で言う程簡単に出来る訳ではないのは分かっていたが、それでもあの時に捕らえることが出来ていれば……と、レイは思い……ふと、気が付く。


「証拠? そうだよな、証拠がないから俺達が向こうに何も出来ないのなら、向こうも証拠がなければ何も出来ないってことにならないか?」


 逆転の発想……という程に特筆すべきものではない。

 だが、性格的に防御よりも攻撃に向いているレイにとっては、自分から行動に出る方が向いているのは間違いなかった。

 証拠が見つからないような行動で、プレシャスに対してちょっかいを出し、向こうを動揺させる。

 そんなレイの提案に、ヴィヘラは嬉しそうに頷く。

 だが、マリーナはレイの言葉に待ったを掛ける。


「今回の件、本当にプレシャスが仕掛けたものなのかどうかは、まだ確実じゃないのよ。それこそ、レイの言う通りにプレシャスに仕掛けて……実は違ってましたなんてことになったら、目も当てられないでしょう?」

「それは……つまり、トリスが嘘を言ってる可能性もあるってことか?」

「ええ。その可能性は否定すべきではないと思ってるわ。だからこそ、確実な証拠を見つける必要があるのよ。そもそも……もしかしたら、今回の件にスピール商会が全く関わっていない可能性もあるのよ?」


 ここまで状況が整った上で、その可能性は有り得ない。

 そう思うレイだったが、マリーナは自分でもそれが分かっている状況でそう口に出しているのだと気が付くと、一旦矛を収めざるを得なかった。


「けど、それじゃあどうするんだ? 俺達がここまで一方的にやられたままで、それでも向こうの出方を待つのか? それこそ、いつアジモフみたいに襲われるかも分からないのに」

「勿論レイの考えの全てが駄目だと言ってる訳じゃないわ。証拠がないのなら、向こうもこっちに手を出してくるのは躊躇するでしょうし。……けど、向こうにかけるちょっかいの度合いが問題なのよ」


 そうしてマリーナは説明する。

 向こうに決定的なまでの被害を与えるようなものではなく、実際の被害は殆どないままにプレッシャーを与えていくのだと。

 つまり、レイの案では直接的に向こうにダメージを与えるのだが、マリーナの案では精神的に向こうにダメージを与えていくということだった。


「精神的……例えば?」

「そうね、プレシャスが歩いている時、わざとその前を通ってから動きを止めて、じっとプレシャスの姿を見るとか」

「……嫌だな、それ」


 横で話を聞いていたパミドールが、その光景を想像して嫌そうに呟く。

 もしプレシャスが今回の件を仕掛けたのだとしたら、それは精神的にかなりのダメージとなるだろう。

 少なくても、パミドールがそんな真似をされたりしたら家族のこともあるだけに、何らかの行動に出ざるを得ないだろう。


「だとしたら、直接危害を加えないんなら、プレシャスじゃなくて、プレシャスが歩いているすぐ側に攻撃を仕掛けるとか、そういうのはどうだ?」


 レイの脳裏を過ぎったのは、道を歩いているプレシャスのすぐ側の地面に飛斬を使うというもの。

 直接攻撃するのではなく、プレシャスが歩いているところで攻撃をするのであればどうなのかというものだったが……


「それは止めておいた方がいいわね。もし万が一今回の件がプレシャスの仕業じゃなかった場合、言い訳のしようもないわ」

「……そこまで考える必要があるのか? どのみち今回の件はスピール商会が関係してるのは間違いないんだろ?」

「それは、あくまでもトリスの言い分よ。いえ、実際何らかの形で関わってきているのは間違いないと思うけど、それでも確実と言えない以上、向こうに借りを作るような真似はしない方がいいわ」


 その後も色々とアイディアを出すレイ、ヴィヘラ、マリーナだったが、結局直接ではなくても怪我をするような真似は止めた方がいいという結論になるのだった。

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