第1308話
アジモフが襲われ、スレイプニルの靴を盗まれた一件。
コリスは何の関係もないにも関わらず、それに巻き込まれた。
だが、そんなコリスに謝罪をしようとしたレイを止めたのは、アゾット商会の会頭のガラハトだった。
「コリス、商人にとって馬車というのは大事な物なんだろう?」
「はい」
ガラハトの言葉に、コリスは神妙に頷く。
実際、商人として活動している以上、馬車には多くの商品を積んで移動している。
まさに、商人として馬車は何を置いても守るべき物なのは事実なのだ。
そんな馬車にスレイプニルの靴を隠されるような真似をして、それでも気が付かなかったのは大きな失点だと。
そう告げるガラハトの言葉を、コリスは大人しく受け入れる。
スレイプニルの靴の重量は普通の靴とそう変わらない。
いや、レイが靴屋で作って貰った金属が仕込まれた冒険者用の靴と比べると明らかに軽いと言ってもいい。
そんな靴が一足馬車に増えたからといって、それに気が付けという方が無理なのではないかとレイは思うのだが、説教している方とされている方はどちらもそう思ってはいないらしい。
「あー、これはあれだ。馬車を動かす前に、何か異常がないのかを確認しなかったのを怒られてるんだよ」
不思議そうな表情でガラハト達を見ていたレイに、ムルトがそう告げてくる。
「毎回確認をするのか?」
「そうだな。出来れば確認した方がいいとは言われている。ただ、実際ギルムの外で移動しているのならともかく、街中で移動している時はそこまで確認はしないのが一般的だな。もっとも、何か重要だったり、重量のある荷物を運ぶ時とかは別だけど」
今回は街中にある場所から幾つかの荷物を持っての移動だった為、コリスも特に確認はしなかったのだろう。
それ自体はおかしな話ではない。
だが、その為に今回の件が起きたとなれば、ガラハトもアゾット商会の会頭として注意しない訳にはいかなかったのだろう。
「あー、ガラハト。その辺にしておいてくれ。今更俺がこう言うのもなんだけど、今回の件はコリスに殆ど非はないと思うし」
「……そうか。今回の件はこっちの事情に付き合わせてしまった。済まない」
「気にするなって。……スレイプニルの靴が戻ってきたんだし、アゾット商会にはもう思うことはないから。……ただ、アジモフを襲った奴にはきっちりとその礼をする必要があるけどな」
先程ヴィヘラによって抑えられた怒気が、一瞬だけ現れる。
ビクリ、と。その怒気を感じたムルトが身体を硬直させた。
コリスは商人だけに一瞬の怒気に気が付かず、ガラハトは元ランクB冒険者だけあって先程のことでレイの怒気への耐性が多少なりとも出来たらしい。
そんな訳で、中途半端に腕利きのムルトだけが、レイの怒気に反応してしまったのだ。
「それで、これからどうするの? 今回の件を企んだのが誰なのかは分からないけど、結局その相手はレイとアゾット商会を敵対させたかったんでしょ? だとすれば、向こうの狙いがこれで終わるとも思わないけど」
「……主目的がアゾット商会なのか、それとも俺なのかで対応も変わってくるな」
今回の件だけでは、どちらが主に狙われたのかはまだ分からない。
だが、第二、第三と同じような真似がされるのであれば、レイとアゾット商会のどちらが狙われているのかが明らかになるだろう。
(もっとも、アゾット商会が狙われていても……そう簡単に許すつもりはないけどな)
自分を利用したことも許せないが、何よりアジモフを襲った行為そのものも許すことは出来ない。
向こうが何を考えて今回のような真似をしたのかは明らかではないが、きちんと相応の礼はするつもりだった。
「もう暫く様子を見るしかないだろうな。普通ならアゾット商会と一人の冒険者なら、文句なくアゾット商会を嵌めようとしている……と言いたいところなんだが」
溜息と共に、ガラハトが呟く。
「でしょうね。今回の件がややこしくなっているのは、巻き込まれた冒険者がレイだからでしょうし」
グリフォンのセトを従え、その異名を周辺国にまで轟かせるレイだけに、どこでどのような恨みを買っていてもおかしくはない。
ましてや、理由もなく逆恨みをしている者もいるだろうし、元々レイが敵を作りやすい性格をしているのも事実だ。
その辺りのことを考えると、やはり敵対している相手がレイとアゾット商会のどちらを狙ったのかは、まだはっきりと判断することは出来なかった。
「セト、スレイプニルの靴についてる臭いは、これ以上追えないのか?」
犯人がスレイプニルの靴を馬車に隠したのはいい。
だが、当然ながらその後で馬車から離れた筈なのだ。
スレイプニルの靴が具体的にどこで馬車に隠されたのかは分からないが、セトの嗅覚でその場所を見つけることが出来れば、そこから馬車と別れた相手の行動を追えるのではないか。
そう思ったレイだったが、セトは何かを考えるように少し黙り込み……やがて申し訳なさそうに首を横に振る。
「グルルゥ」
臭いを追えない理由は分からなかったが、セトが出来ないとしている以上、それを無理にさせても意味がないのは明らかだった。
(普通に考えれば、今回の件が失敗した時に自分達の足跡を追えないようにするんだろうけど……人間ならともかく、セトを、それも嗅覚強化のスキルを使ったセトの鼻を誤魔化せるような方法があるのか?)
普通に考えた限りでは、そんな真似は出来ない。だが……普通ではない方法であれば?
(そう、例えばマジックアイテムで臭いを完全に消すとか。それとも臭いだから……うん? 臭い、臭いか)
レイの脳裏を、冬に知り合ったカコウの顔が過ぎる。
香水を売っている店で働いている人物で、言わば臭いのスペシャリストと言ってもいい。
カコウなら、もしかしたら臭いを完全に消すような方法があるかもしれないと考えたレイは、後で意見を聞きに行ってみるかと考える。
「ガラハト会頭! 警備兵が来てるのですが、どうしますか!?」
レイが臭いを消す方法について考えていると、倉庫の中にそんな声が響く。
深刻な状況になっていた中で聞こえてきた声に、その場にいるモノは全員が視線を向ける。
そこにいたのは、門番……ではなく、二十歳前後の男だった。
レザーアーマーを身につけ、腰には長剣の納まった鞘。
見るからに冒険者といった風体の男だった。
実際にこの男はアゾット商会に雇われている冒険者なので、それは間違っていない。
「警備兵? 何の用件だ?」
「あー……うん、多分俺達のせいだろうな。アジモフの家からここまでずっと走ってきたから」
「貴族街の中でも、か?」
微妙な表情で尋ねるガラハトに、レイは頷きを返す。
頭に血が上っていたのは事実だが、もう少し考えて行動するべきだった……そう思わないでもないが、下手に相手に時間を与えればスレイプニルの靴がなくなっていた可能性もあるのだ。
同じようなことがあれば、また同じようにするだろう。
そういう自覚があったが、それでも今回の件でガラハトに迷惑を掛けたのは事実な以上、謝罪の言葉を口にする。
「悪いな」
「いや、いいさ。今回の件はレイが狙われたのか、それともアゾット商会が狙われたのか、まだ分からないんだ。そうである以上、レイが迅速に動いてくれたおかげで素早く解決したのも事実だし。……ただ、警備兵に今回の件を知らせるから一緒にきてくれるか?」
「ああ。俺も警備兵には聞きたいことがあるし」
マリーナにはアジモフを安心出来る場所に運んでから、警備兵に知らせて欲しいと言ってきた。
であれば、ここに来た警備兵はアジモフの容態について何か知っている可能性がある。
もっとも、高品質なポーションを使って怪我は治療しておいたのだから、命の心配はしていないのだが。
だが、アジモフが襲われた時の状況を聞くことが出来れば、何かの手掛かりになるかもしれない。
そんな思いで告げたレイは、ガラハトと共に正門へと向かう。
勿論レイ以外にもヴィヘラ、ビューネ、セトといった者達や、ムルト、コリスといった者達も同様にだ。
特にコリスは自分の油断があったとはいえ、完全に今回の件には巻き込まれただけだ。
そう考えれば、少しでも事情を知りたいと思うのは不思議な話ではないだろう。
(今回の件は色々と散々でしたが、レイさん達と縁を持つことが出来たというのを考えれば、収支的にはプラスですかね)
巻き込まれた形のコリスだったが、内心では今回の件は決して自分にとって不利益なだけではないと……いや、これといった実害がなかった以上、商人として考えれば完全に儲けものだったとすら思っている。
そんな訳で、表情とは裏腹に今回の件で得た利益を計算しているコリスだったが、ふとビューネが自分を見ているのに気が付くと、慌てて今の考えを振り払う。
転んでもただで起きないのが商人だが、今の状況で迂闊なことを考えているのが知られれば、色々と不味いことになるのは確実だったからだ。
ギルム中の商人が伝手を作りたいと思っているレイだ。
もし自分の大ポカで折角の縁を切るようなことになってしまえば、それはちょっと洒落にならない。
特に今回の件ではレイもコリスに対して悪いことをしたと思ってはいるので、何か取り引きをする時にも多少の融通は利かせて貰える筈だった。
「どうかしましたか?」
「ん」
コリスの言葉に、ビューネは一言だけ呟いてそのままレイ達の後を追う。
そんなビューネの様子にコリスは少しだけ疑問を抱きつつ……それでも、とにかく正門へと向かうのだった。
正門にやって来たレイやガラハト達を出迎えたのは、二十人近い者達。
警備兵もいれば、レイ達がこの屋敷に向かって走っているのを見た冒険者もいる。
他にもレイの件を知った耳の早い貴族が、情報を集める為に向かわせた私兵の姿もある。
「ガラハトさんに……レイ? えっと、レイが物凄い勢いで貴族街を走って行ったという話を聞いてきたのですが……」
警備兵の中でも今回の件を仕切っている者だろう。四十代程の男が、一緒にやってきたレイとガラハトの姿を見て戸惑ったように呟く。
(この様子だと、アジモフの件はまだ知らされていないのか?)
話し掛けてきた相手の様子に、レイは少しだけ残念に思う。
もっとも、レイ達が貴族街にやって来てからまだそれ程時間が経っている訳ではない。
電話のような通信手段がない以上、書類や伝令とったもので情報を集める必要がある。
だが、今回はそのような真似をしている時間もなく、アジモフの家から飛び出したレイ達が貴族街に向かったというのもマリーナは知らなかった。
結果として、情報の共有が上手く出来ておらず……それがレイを残念に思わせる結果となったのだろう。
「どうやら心配を掛けてしまったようだが、見ての通り問題はない。レイとの間でちょっとした問題が起きたが、それももう解決している」
出来れば警備兵には事情を説明したかったガラハトだが、今回の件はまだ完全に片付いたという訳ではない。
他の者の目がある場所で……それこそ、今回の件を仕組んだ相手の手の者がいるかもしれない中で、そう簡単に自分達の情報を渡す訳にはいかなかった。
……もっとも、そうなると後で警備兵にはきちんと今回の件を知らせる必要はあるだろうが。
「そう、ですか? 何でもレイが物凄い勢いで貴族街を走っていったという報告があったので、こうして来てみたんですが……まぁ、無事ならそれで何よりです」
警備兵としては、貴族街のような場所で騒動が……それもレイのような人物が暴れるような騒動が起きるというのは可能な限り避けたかったのだろう。
また、冒険者や私兵もそれぞれが安堵の息を吐く。
レイの実力を知っている者であれば、誰であっても同じ感想を抱くだろう。
「おいおいおいおい、何でそんなに安心してるんだよ。こんなチビに何が出来ふぁがが!?」
そんな様子を見ていた者の一人が、何故かレイを煽るように何かを喋ろうとするが……すぐに近くにいた別の者によって強引に口を塞がれる。
「すまない、こっちのことは気にしないでくれ。こいつはギルムに来たばかりで何も分かってない奴なんだ」
慌てたように告げる男に、周囲から向けられる視線は呆れと哀れみ、同情……といった風に、様々な色が混ざっていた。
それも当然だろう。この場でレイに喧嘩を売るような真似をするとは誰も思わなかったし、実力差も分からないのかという思いを抱く者、そんな同僚がいるのは不幸だとしみじみ同情する者……といった風に色々な思いを抱く者がいたのだから。
「取りあえず、問題はないということでいいんですね?」
「ああ。……そうだ、ちょっと相談したいことがあるから、警備隊の人達だけ少し屋敷の中に入って貰ってもいいか?」
ガラハトの言葉に、警備兵を率いている者はやっぱり何か面倒が……と思いながらも、頷くのだった。
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