第1306話
ムルトに案内されたレイ、ヴィヘラ、ビューネの三人は、屋敷の中に入る。
セトは外に残してきたのだが、今の状況でいつものように寝転がっていられる筈もない。
門の側でじっと周囲の様子を窺っており、門からだけではなく門以外の場所から誰かが抜け出そうとしても、すぐに察知出来るようにしている。
ムルトからの許可を貰い、もし屋敷の敷地内から出ようとした者がいた場合、相手に怪我をさせない程度であれば、力ずくで止めてもいいということになっていた。
だからこそ、レイは取りあえず安心してガラハトと面会をすることにしたのだ。
「ここだ。……ガラハトさん、レイ達をお連れしました」
そうして通されたのは、客室……ではなく、ガラハトが普段仕事で使っている執務室だった。
つい先程ムルトが突っ込んでいった場所でもある。
本来なら応接室でゆっくりと話を聞こうと思っていたガラハトだったのだが、現在の状況……レイが怒っているという今の状況を考えれば、そんな悠長な真似は出来なかった。
ガラハトの本音を言えば、お茶でも飲みながらゆっくりとレイと会話をしたかったのだが。
「ああ、入ってくれ」
中から聞こえてきた声に、ムルトは執務室の扉を開ける。
そうして中に案内されたレイが見たのは、多少緊張した様子を見せながらも、落ち着いているガラハトだった。
レイが暴れれば自分もただで済まないというのは理解している。
だが、それでもアゾット商会の会頭という立場である以上、今の自分はみっともないところを見せる訳にはいかなかった。
「良く来てくれたな、レイ。こうして直接会うのは暫くぶりだが……どうやら、話をしにきたって訳じゃないらしいな」
「いや、話をしに来たというのは事実だ。……正確には、何のつもりで俺と敵対するような真似をしたのかを聞きに来たというのが正しいんだが」
レイが放つ緊張感は、それこそ冒険者になったばかりのような者が触れれば一瞬で意識を失いかねないものだった。
だが、ガラハトも元は高ランク冒険者だし、アゾット商会の会頭として曲がりなりにも海千山千の商人達と渡り合ってきた経験がある。
ムルトが微かに頬を引き攣らせた中でも、ガラハトはあからさまな緊張は表に出さず、口を開く。
「そうか。俺にはそんなことをした覚えはないが、その辺は説明させて貰おう。……とにかく、そっちのソファに座ってくれ。すぐにお茶を用意させるから」
「いや、結構だ。残念ながら、今はそっちを信用出来ない」
「……そうか。なら、ともかく座ってくれ。詳しい話を聞かせて欲しい」
お茶を断るのはともかく、ソファに座るのは問題ないと判断したのだろう。レイはソファに座り、ヴィヘラとビューネもソファに座る。
それを確認すると、ガラハトも改めてレイの向かいのソファに腰を下ろして口を開く。
「さて、それで俺達が……いや、アゾット商会がレイに敵対したって話だが、それは具体的にどういうことだ? 知っての通り、俺達は以前レイと揉めて大きな被害を受けている。そんな中で、改めてレイと敵対するような真似をすると思うか?」
「普通ならしないだろうな。けど、残念ながら今回はその普通ではない出来事が起こってるんだよ」
そう告げ、屋敷の前でムルトに説明したのと同じ内容を口にする。
アジモフが何者かに襲われ、預けていたマジックアイテムが消えており、セトの嗅覚でその臭いを辿ってきたところこの屋敷に入ったと。
その説明に、ガラハトの表情は厳しく引き締まっていく。
レイの態度から何か笑って済ませられないようなことがあったというのは想像していたが、その想像以上の代物だった為だ。
「……それで、臭いは本当にこの屋敷に繋がっていた、と?」
「ああ。まぁ、セトの嗅覚を信用出来ないのなら……」
「いや、信じる」
ガラハトも、以前の一件でセトがどれだけ優れた能力を持っているのかというのは当然知っている。
また、ただのグリフォンではなく、希少種のグリフォンで様々なスキルを使用出来るという情報も、当然入っていた。
そんなセトを信じないという選択肢は、ガラハトにはない。……信じたくないという気持ちはあったが。
「そんな訳で、俺達がこの屋敷に来るより少し前に来た……コリスだったか? そいつに会わせて欲しい」
「ムルト、コリスは今どうしている?」
「もう呼びに行かせています。新しく仕入れた商品の見本と売り上げの報告書を持ってきている筈だったので、そろそろやって来てもいい筈ですが……」
呟くムルトの言葉に反応したかのように、執務室の扉がノックされる。
「失礼します、ガラハト会頭。お呼びと聞きましたが……」
「入ってくれ」
ノックされた後の言葉に対するガラハトの表情は強張っている。
新しく仕入れた商品の見本。
もしかして、それがレイから奪ったマジックアイテムなのではないかと。そう思った為だ。
ガラハトの言葉に従い、扉が開く。
中に入ってきたのは、四十代程の中肉中背の男だ。
アゾット商会という大手の商会の商人だけあって、どことなく油断のならない顔付きをしている。
だが、それは商人として当然であり、特に不穏な気配の類はない。
それどころか、執務室の中にいるレイ達を見ても特に反応はなかった。
いや、反応という意味では多少驚いた様子を見せたのだが、少なくても自分が誰かに命令してアジモフを襲わせ、レイのマジックアイテムを奪って逃げたのだとは到底思えなかった。
勿論商人だけに、動揺を表情に出さないように日頃から訓練はしているのだろう。
それでも、後ろめたい気持ちを一切表情に出さないというのは、レイの目から見てもちょっと信じられなかった。
「それで、ガラハト会頭。レイさんが執務室にいるのと、私が呼び出されたのは何か関係があるのでしょうか?」
そう尋ねた時、もしかして自分に何か注文をするのでは? と表情の中に一瞬ではあるが期待があったのを見れば、明らかにレイの件を知らないのは間違いなかった。
(これが演技だとしたら凄いが……さて、どうなんだろうな)
先程までは怒りを我慢していたレイだったが、コリスの今のやり取りを見て少しだけ力が抜ける。
それこそが狙いなのかも? と思わないでもなかったが、こうして見ている限りでは違うように思えた。
ガラハトもそれは同じだったのだろう。
本当にコリスが錬金術師を襲って、レイのマジックアイテムを奪ったのか? とレイやムルトに視線で訪ねる。
だが、レイより前にこの屋敷に入ったのがコリスの馬車だけであり、それ以前となると数時間程前になってしまう。
状況から考えれば、コリスが犯人なのは間違いないのだ。
だが、そのコリスはレイを見ても特に動揺する様子を見せない。
「まどろっこしいことは抜きにして、単刀直入に訪ねる。コリス、お前は自分の手の者に錬金術師を襲撃させ、更にはその錬金術師がレイから預かっていたマジックアイテムを強奪したか?」
「……は?」
ガラハトの言葉に、コリスは呆けた表情を浮かべる。
何を言われているのか、本当に分からない。
そんな様子だったのだが、それでもアゾット商会の商人だけあって、すぐに我に返って口を開く。
「その、何故そのようなことになったのでしょうか? こう言うのも何ですが、アゾット商会の人間がレイさんと敵対するような真似をするとはとても思えません。何かの間違いなのでは?」
コリスの口から出た言葉が予想通りの内容だった為だろう。ガラハトは胸をなで下ろす。
目の前の男は、ガラハトがアゾット商会の会頭となってからも色々と協力してくれた相手だ。
それだけに、レイにちょっかいを出すような真似をするとは、思っていなかった。
だが……コリスの言葉だけで安心は出来ない。
安堵したことをレイやコリスに悟られないように、ガラハトは厳しい表情で言葉を続ける。
「何故レイがここにいると思う?」
「それは……いえ、分かりません」
コリスも本気で自分が疑われているというのは理解したのだろう。
先程の、レイとの取り引きが出来るかも? という嬉しさは既に消え、自分が何かとんでもないことに巻き込まれていることに気が付き、慌てて首を横に振る。
この時点で、ガラハトはコリスが今回の件に関わっていない……少なくても本人が今回の件を企んだことではないということは確信出来た。
いつもは冷静な商人といった様子のコリスが、見て分かる程に慌てているのだから。
「レイの従魔のセトは知ってるな?」
「え? あ、はい。それはまぁ、ギルムに住んでいる者としては当然」
「そのセトが高い身体能力や鋭い五感を持っていることも?」
「……はい、勿論」
ここまで言われれば、コリスも何故自分が怪しまれているのかは理解出来る。
理解出来るのだが……
(だが、私はそんなことを命じたことなど一切ない! 何故!?)
本心から全く身に覚えのないコリスは、動揺を表情に出さないようにしながらも、心の中で叫ぶ。
だが、事態はそんなコリスの動揺を全く気にしていないかのように進む。
「そのセトが、襲われた錬金術師の部屋の中にレイ達や錬金術師以外の者の臭いを嗅ぎ取った。その臭いを追って辿り着いたのが……この屋敷だった訳だ」
「私は身に覚えがありません!」
このままでは本当に襲撃犯にさせられてしまう。
そう考えたコリスは、いつもの冷静さをかなぐり捨てたかのように、叫ぶ。
当然だろう。もしこれで襲撃犯ということになってしまえば、謂われのない罪で警備兵に捕らえられる可能性が高い。
そして罪人となれば、どうしようもなくなってしまうのだから。
また、それ以前に自分が錬金術師を襲撃させ、レイのマジックアイテムを盗んだということになれば、完全にレイを敵に回してしまう。
商人の自分がレイを敵に回せば、どうなるか。
それは考えるまでもないことだった。
純粋な実力という意味でもそうだが、レイの従魔のセトはギルムでマスコットキャラクター的な立ち位置を築いている。
その辺りを考えれば、自分に……そしてアゾット商会そのものに大きな被害がくることは確実だった。
とにかくこのままでは自分は破滅だし、アゾット商会も少なくない被害を受ける。
それを何とかしなければと考えるコリスだったが、やがて口を開く。
「その、信じて貰えないかもしれませんが、私には本当に身に覚えがありません。それこそ、幾ら調べて貰っても構いません」
「……だ、そうだが。どうする?」
ガラハトに尋ねられたレイは、どうするべきかと考えながらドラゴンローブのフードを脱ぐ。
こうしてコリスと会話をした限り、本当にアジモフを襲った人物……正確には、それを命じた人物だとは思えなくなってしまった。
だが、実際にアジモフが襲われたのは事実で、マジックアイテムが盗まれ、その人物の臭いがこの屋敷に続いていたのも間違いのない事実なのだ。
その矛盾をどうするべきかと考えていたレイだったが、そんな話を黙って聞いていたヴィヘラが、ふと呟く。
「もしかして、コリスが本当に犯人じゃない可能性はあるんじゃない?」
「うん? どういうことだ?」
「つまり、アジモフを襲ってスレイプニルの靴を盗んだ相手は間違いなくいた。これは、私達が見ているんだから、間違いのない事実よ」
ヴィヘラの言葉に、レイとビューネは頷きを返す。
実際、レイ達が研究室に入るのがもう少し遅れていれば、アジモフは出血多量で死んでいた可能性が高い。
身体を鍛えていれば多少は何とかなったかもしれないが、アジモフは腕利きの錬金術師ではあっても、身体を鍛えている訳ではないのだ。
(まぁ、マジックアイテムの類を使えばどうにかなったかもしれないが……その痕跡がなかったってことは、アジモフにマジックアイテムを使わせる暇を与えなかったってことだろうしな)
とにかく、今回の件が何らかの間違いで起きた訳ではないのは明らかだ。
「けど……それだけの腕利きだと思われる人物が、そのまま真っ直ぐに自分の本拠地に戻るような真似をするかしら?」
この場合の本拠地というのは、言うまでもなくアゾット商会の会頭の屋敷であるここのことだろう。
実際にはアゾット商会の本店も本拠地と呼べるのかもしれないが、少なくても今回の件で臭いはこの屋敷の中に向かっていた。
「つまり、アゾット商会は囮代わりに使われた、と?」
確認するように尋ねるレイの言葉に、ヴィヘラは頷く。
春らしい陽気で暖かな部屋にいるにも関わらず、コリスは顔中に汗を掻いている。
とてもではないが、今回の件を起こしたような人物がする態度ではなかったのは確実だろう。
「……決まりだな。なら、まずはこの屋敷にあるコリスの部屋、それと馬車を調べてみよう。レイもそれでいいか?」
ガラハトの言葉に、レイは黙って頷きを返すのだった。
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