第1287話
マリーナの家の庭に、竃から食欲のそそる香りが漂う。
ピザの焼ける匂いは、ピザ生地の上に乗っている具材が焼け、その上に掛けられているチーズが溶け、見るからに食欲をそそる香りとなっていた。
パミドールから作って貰った巨大なヘラを使い、レイは竃の中のピザを取りだしていく。
一枚、二枚、三枚、四枚……そして一番奥にある、レイのピザを取ろうとするも、上手くピザの下にヘラを潜り込ませることが出来ず、奥へと押してしまう。
「あ!」
レイの口から、思わず声が漏れる。
自分の焼いたピザの出来具合を見ていたマリーナ達は、そんなレイの声に思わずといった様子で視線を向ける。
だが、幸いと言うべきかレイは直ぐにヘラを突き出し、ピザを取り出すことに成功する。
多少焼きすぎといった感じになったが、焦げて食べられないという程ではない。
ピザを取り出したレイも、それに安堵しながらテーブルの上に乗せる。
「それで、これはどうやって食べるの? もしかしてこのまま? それだとちょっと食べにくいんだけど」
直径三十cm程と、ピザとして考えれば小さめな……それでも一般人なら、一人で食べるには十分な大きさのピザを前に、ヴィヘラが尋ねる。
尚、一般人には十分であっても、身体を動かすことが資本の冒険者にとって、この程度の大きさのピザはおやつ程度にしかならない。
それこそ、文字通り朝飯前と呼ぶに相応しい。……現在は既に午後だったが。
「包丁で何等分かに分けるとか、そんな風にして食うんだよ。本当はピザカッターとかいうのがあるけど……」
独特の円状で、ピザの上を転がして切るという器具がレイの脳裏を過ぎるが、当然ここにそんな物はない。
勿論パミドール辺りに話せば作ってくれると思うが、普通の包丁で切り分けることが出来るであれば、無理にそんな物はいらなかった。
「取りあえず、包丁はあるからこれで切るか」
ミスティリングの中から取りだした包丁を使い、試しにと自分のピザに刃を下ろすが……切ることは出来たのだが、包丁の刃にピザがくっつく。
いや、チーズが多少くっつくだけなら良かったのだが、具までもがチーズに引っ張られるようにして包丁にくっついてくる。
「……これは……」
そんな包丁を見てレイが出来たのは、不服そうに呟くだけだった。
「ふふっ、なってないわね。このくらいなら……ほら、ちょっと貸して」
レイの顰められた表情を見て笑みを浮かべたマリーナが、包丁を受け取ると自分のピザを切る。
特別に何かをした訳ではないのは、レイの目から見ても明らかだった。
だが、レイが切った時とは違い、包丁にチーズがくっつき、その上で更に具材がチーズによって引き寄せられることはない。
普通にピザは切り分けられていた。
「え? 何でだ?」
自分の切り方とどこが違うのか分からなかったレイだったが、そんな様子が面白かったのだろう。マリーナは笑みを浮かべて皆のピザを切っていく。
「この辺は包丁の使い方とか、力の入れ具合とか、そういうのが色々とあるのよ。それより、全員の分が切れたし、皆で食べましょう」
少しだけ納得出来ないレイも、マリーナにそう言われればピザの方に意識を向けざるを得ない。
ヴィヘラもピザを珍しそうに見ているし、ビューネにいたっては無表情ながらじっとピザから視線を外す様子がなかった。
セトも興味深そうに、雪の上に置かれた皿に乗っているピザを見つめていた。
「そうだな、取りあえず食べるか。腹も減ってるし」
今の時刻は既に午後だが、今回のパーティ……ピザパーティということで、昼食は抜いている。
ただでさえ大食いのレイとビューネ、セトの二人と一匹は、腹の音を何度か周囲に響かせていた。
特にピザが焼き上がってから周囲に漂う匂いは、非常に食欲を刺激する。
レイがミスティリングから取り出した果実水を全員に配り終わると、ヴィヘラが口を開く。
「じゃ、レイ。音頭をお願いね」
「……俺がか?」
「ええ。だってレイがパーティリーダーでしょ?」
「それには、まだ納得した訳じゃないんだけどな」
このパーティのパーティリーダーを誰にするのかというのは、まだ決まっていない。
いや、ヴィヘラ、マリーナ、ビューネの三人はレイがいいと言ってるのだが、レイがまだ納得していないという方が正しいか。
レイは自分がパーティリーダーに相応しいかと言われれば、素直に頷くことはとてもではないが出来ない。
自分が短気で喧嘩っ早いのは知っているだけに、何か大きな問題が起きるのではないかと。
また、ビューネは一応このパーティに参加することになっているが、将来的には抜けることになっている以上、パーティリーダーは論外。
そうなると残るのはヴィヘラとマリーナ。
レイはマリーナをパーティリーダーに押したのだが、元ギルドマスター……それも有能で長期間辺境のギルムでギルドマスターを務めていた以上、影響力が高すぎるとして辞退。
最後に残ったのはヴィヘラだったが、こちらもまた元ベスティア帝国の皇女という件があって、色々と問題があった。
そんな訳でレイがいいということになったのだが……本人はまだそれに納得していない。
「ほら、取りあえずこの窯とかピザを用意したのはレイなんだから」
ひとまずその言葉に納得し、レイは溜息を吐いてから口を開く。
「俺達が結成する新しいパーティの親睦を深める為に……乾杯」
『乾杯』
「ん」
「グルゥ」
マリーナ、ヴィヘラ、ビューネがそれぞれ果実水の入ったコップを掲げ、セトも嬉しそうに喉を鳴らし、パーティが始まる。
果実水を飲むと、次に手を伸ばすのは当然ピザだ。
触った感触は、それなりに厚い。
いわゆる、クリスピータイプではない普通のピザ生地。
(まぁ、その辺はこの生地をロドリゴから受け取った時に分かってたけどな)
レイが切ろうとして失敗し、最終的にはマリーナが切って八等分にしたピザの一枚を手に持つ。
すると当然ながら溶けたチーズが垂れ、見た目にも食欲を刺激する。
また、ピザを持ち上げたのだから、当然のように匂いも嗅覚から食欲を刺激した。
ピザの先端を口に運ぼうとし……その時になって、レイは気が付く。
(うん? ピザの端っこの部分もしっかりと作られてるな。食パンみたいに、耳って呼ぶんだったか?)
以前試作した時にはなかった、ピザの端……盛り上がっているその部分を掴みながら、レイは首を傾げる。
ロドリゴがピザの試作を続けるうちに、最終的――まだ完成はしていないのだが――に辿り着いた一つが、この耳だった。
ピザというのは、丸い生地の上に具材を乗せて焼く料理だが、その際に生地から具材が落ちる時もあるし、あるいはより多くの具材を乗せたいと思う時もある。
そんな時に役に立つのが、ピザの端の盛り上がっている部分だった。
……もっとも、ビューネが最初にやったように山盛りの具材を乗せるような真似をした場合は全く意味がないのだが。
(ピザを持つ時にも、結構便利だよな)
そんな風に思いつつ、熱々のピザを口へと運ぶ。
レイが作ったのは、野菜や茸、そしてソーセージを使った標準的なピザだ。
だが、標準的であるからこそ外れではないのも事実。
口の中にピザ生地の外側のカリッとした食感と、クリスピータイプではないからこその、柔らかな生地の中身の食感、そしてソーセージや野菜、茸の味をトマトソースとチーズが包み込み、口の中に混然一体の味が広がる。
「……美味い」
一言呟く。
そして周囲を見回すと、他の面々もピザの美味さに笑みを浮かべていた。
勿論このピザが百点満点という訳ではない。
まだ改良途中であり、ピザ生地の食感や味についてもまだ改良出来るところはある。
決して味覚が鋭い訳ではないレイでも分かるくらいなのだから、このピザ生地を作ったロドリゴはまだこれから改良を続けていくだろう。
だが、元々のピザを知っているレイと比べて、他の面々はピザという料理を初めて食べたのだ。
ピザがこういう料理だと言われれば、寧ろそれで納得してしまう。
普通のパンと比べても十分以上に美味いのだから、そう思ってしまっても当然だろう。
「グルルルルゥ」
特にセトは、嬉しそうにクチバシでピザを食べている。
クチバシにチーズがついているのが、いかにもセトらしい。
「あら、美味しいわね。これがピザって言うの?」
「ん」
マリーナの言葉に、ビューネが短く言葉を返す。
……それでいながら、ビューネの手は切ったピザに次から次へと伸びているのだから、どれだけビューネがピザを気に入ったかが分かるだろう。
「全く、ほら、口元についてるわよ」
ヴィヘラはそんなビューネの世話をしながら、自分もピザを食べる。
今まで食べたどんな料理よりも美味い……などということはなく、皇女として様々な料理を食べた経験から鋭い味覚を持っているヴィヘラは、ピザの欠点を言おうと思えば何ヶ所でも言える。
だが、それでもピザが美味いか不味いかということについて考えれば、美味いと表現するのが正しかった。
そうしてやがて全員がピザを食べ終わると……当然のように、もっとピザを食べたいという声が出る。
レイも一枚食べただけでは物足りなかったので、再びミスティリングからピザ生地を取り出し、作り始めた。
窯に入れてから一分程度で焼き上がるのだから、調理時間は殆どない。
ピザを作る上で最も時間のかかる生地作りも、ピザ生地をそのままロドリゴから貰ってきているので、それこそトマトソースを塗って具材を並べ、窯に入れて一分程で出来上がる。
窯も、普通の窯であればピザを焼くだけの温度にするにはある程度時間が掛かるし、その温度を維持するのにもある程度時間が掛かるが、マジックアイテムである以上、その心配はいらない。
「ん! ん! ん!」
次々に出来上がるピザを食べながら、ビューネが嬉しそうに告げる。
セトも、ピザを次々に食べていき、嬉しそうに喉を鳴らす。
レイもまた、ピザに思う存分舌鼓を打っていた。
マリーナとヴィヘラの二人は、数枚のピザを食べるとある程度満足したのか、食べるのではなく作る側に回る。
レイ、ビューネ、セトと、二人と一匹が食べるピザを次々に作り、次第にその手際はよくなっていく。
トマトソースをどれだけ塗るのがいいのか、具材の相性、具材の置き方、チーズをどれだけ振り掛ければいいのか……そんな具合に。
「そうそう、日付が変わるころにはうどんを食べるから、腹一杯になるまでは食うなよ……いや、問題ないか」
マリーナが作ってくれた、野菜がメインのピザを食べながらレイがそう告げる。
既に食べられたピザの枚数は全部で二十枚近い。
今更それを言っても遅い……と普通なら思うのだろうが、レイ、ビューネ、セトの胃袋はこの程度では文字通りに腹八分程度でしかない。
いや、セトに限って言えば、腹二分や三分といったところか。
そんなレイ達とは違い、ヴィヘラやマリーナの方はそれなりに満腹感を得ていた。
……それでも、普通の女が聞いたら何でそんなに食べて平気なの!? とショックを受けるくらいには食べているのだが。
だが、ヴィヘラは日頃から戦闘訓練として身体を動かしているし、マリーナは元々それ程太らない体質で、更には春からレイとパーティを組んだ時に足を引っ張らないよう日々訓練を重ねているのも大きいだろう。
「そう、ね。外も大分暗くなってきたし。ピザを食べるのは止めて、少し休みましょうか。……ちょっと待って頂戴」
冬だけあって、当然暗くなるのも早い。
周囲の様子を見て、マリーナが精霊魔法を使う。
すると周囲はまるで昼のように……というのは少し言いすぎだが、それでも光の塊が幾つも周囲を飛び回り、庭を明るく照らす。
「わぁ……凄いわね」
幻想的と呼ぶのに相応しい光景に、ヴィヘラは思わずといった様子で呟きを漏らす。
事実、その光景は非常に見応えがある光景なのは間違いなかった。
(ただ、こういうのって、どちらかと言えばクリスマスっぽいよな。……この世界はクリスマスなんてないけど)
ヴィヘラの言葉に気分を良くしたのだろう。マリーナは再度精霊魔法を使い、普通の光ではなく、青、赤、緑……といった風に幾つもの光球を作りだしては、庭の中を飛び回らせる。
マリーナによって生み出された光球は、ある程度の意志を持たされているのか、感嘆の声が上がることを喜ぶように庭の中を飛び回っていた。
暫くの間、全員が無言で光の踊りとでも呼ぶべきその光景を楽しみ……やがて気が付けば、マリーナの家の庭以外は完全に暗闇に包まれている。
「うわ、随分と時間を食ったな。……まぁ、パーティの隠し芸の一種と考えれば、そんなに不思議はないんだろうけど」
完全に夜になった周囲の様子を見てレイが呟くと、他の面々もようやくそれに気が付いたのだろう。
我に返って、パーティの続き……ただしピザを食べるのではなく、色々と話す時間になるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます